黄禍論(おうかろん/こうかろん,Yellow peril)とは、
19世紀半ばから
20世紀前半にかけて
アメリカ合衆国・
ドイツ・
カナダ・
オーストラリアなどの
白人国家において現れた、
黄色人種を蔑視し、差別する考え方。
人種差別の一種。
なお、近代の黄禍論で対象とされる民族は、主に日本人並びに中国人である。
欧米を中心とする白人国家は、古来からモンゴル帝国をはじめとした東方系民族による侵攻に苦しめられてきた。そのため黄色人種は、西ヨーロッパでは
タタールのくびきとして、また
ロシア帝国においては
アンチキリストがアジアから現れると信じられ、共に恐れられてきた。
そのような歴史的背景の中で、
日本が
日清戦争・
日露戦争で勝利し、次第に欧米列強に匹敵するほどの国力を持つようになったり、或いは欧米諸国への黄色人種の移住が増えていくと、再び黄色人種に対する警戒感・恐怖感が高まり、黄禍論に結びついていったと云われている。
近代黄禍論の主な論者としては、ドイツの皇帝
ヴィルヘルム2世が挙げられる。ただし、ヴィルヘルム2世は日本については比較的興味を持っていたようである。
歴史
アメリカ合衆国
19世紀半ば、
清朝が衰退し、
イギリスをはじめ西洋諸国によって半
植民地の状態におかれた
中国では、安定した生活を求め海外に移住する者が出始めた。ちょうどこのころ
カリフォルニア州で金鉱が発見され
ゴールドラッシュに沸きかえっていた。それもあって西部開拓が推し進められ、
大陸横断鉄道の敷設が進められた。金鉱の鉱夫や鉄道工事の工夫として多くの中国人労働者が受け入れられた。
少し遅れて日本人が
ハワイに移住を始める。ハワイが米国に併合され、また、カリフォルニア開発の進展などにより農場労働者が必要になると、日系移民の米本国への移転が増加する。
祖国では困窮しきっていた彼らは新天地での仕事に低賃金でも文句を言わず良く働いた。そのため
イタリア系や
アイルランド系(いずれも熱心な
カトリック教徒)などの白人社会では、下層を占めていた人々の雇用を奪うようになる。それが社会問題化し、黄禍論が唱えられるようになった。
参考文献
- ハインツ・ゴルヴィツァー『黄禍論とは何か』草思社, ISBN 4794209053
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飯倉章『イエロー・ペリルの神話 帝国日本と「黄禍」の逆説』彩流社, 2004年, ISBN 9784882029052
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ジョン・ダワー『容赦なき戦争ー太平洋戦争における人種差別』平凡社, ISBN 4582764193
関連項目
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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