韓国野球委員会 [Korean Baseball Organization] [被リンク数: 132]

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韓国野球委員会(かんこくやきゅういいんかい)は韓国プロ野球の球界団体。韓国にプロ野球が生まれた1982年に設立されている。英名より韓国野球機構と訳されることもある。
韓国のプロ野球は、2008年現在1リーグ制8チームで構成されている。

構成球団

※この他2軍リーグのみの参加で尚武野球部(兵役軍隊のチーム)と警察庁チームが出場している。

過去に出場した球団

※1 いずれも解散時のデータ。 ※2 新本拠地となったソウル市内に適当な球場がなく、またソウルを本拠地としているLGや斗山にフランチャイズ補償金を払えなかったため、実際はソウル郊外の京畿道水原市で試合を行ってきた。

チーム名・本拠地の遍歴

概要

1905年キリスト教のアメリカ人宣教師の手により韓国に野球が伝わったとされる。同年に設立されたYMCA野球団は1912年11月朝鮮スポーツ史最初期の海外遠征として日本で試合を行っている(成績は1勝5敗1分)。1920年頃野球ブームのピークとなった。
第二次世界大戦後も学校における野球や社会人野球などは続き、1981年12月11日、三星、ロッテ、MBC、OB、ヘテ、三美の6球団により、プロ野球創立総会が開かれ、翌1982年にプロリーグ開幕し人気を博した。加熱するあまりに暴動も起きたが、その後も観客動員数は上昇傾向が続いた。しかし、90年代中盤に2002年のサッカーワールドカップ誘致を巡って起きた日本との競争に触発されて国全体にサッカーを支援しなければならないという雰囲気が形成され、マスコミ報道もサッカーが優先され人々の関心がサッカーの方に徐々に移ると同時に人気にかげりが見え始めた。それに加えて1997年の経済危機の影響も受け、低迷に拍車がかかる。人気復活の対策としてFA制度導入や1999年に2リーグ制(「ドリームリーグ」と「マジックリーグ」)導入などおこなったが1996年をピークに下観客動員数減少は続き、2001年には1リーグに戻っている。また2007年は親会社から資金提供を打ち切られた現代ユニコーンズの球団売却交渉が、KBOの不手際や他球団の反発なども重なり1年間で3度も失敗する事態となった。一方で同年より観客動員は再び増え始め、2008年は13年ぶりに動員数が500万人を突破した。
1983年から在日韓国人および日本に帰化したもと韓国国籍の選手に限って門戸を開放して、これらの選手が日本プロ野球においての外国人選手の役割を果たした。1983年の元広島カープの福士明夫(韓国名:張明夫、チャン・ミョンブ)、1984年には日本の読売ジャイアンツ出身の新浦壽夫(韓国名:金日融、キム・イリュン)などが活躍して成功を収めた。これに刺激を受けて、その後もしばらくの間、日本プロ野球を経験した選手のスカウトが続いた。しかし、韓国プロ野球のレベルが上がるにつれ、日本で一定レベル以上の技量を持っていない選手は韓国でも通用しなくなり、韓国プロ野球で十分働ける選手は年俸の面で日本でプレイした方がましという状態になって、日本プロ野球出身者に対する関心は次第に落ちていった。 韓国プロ野球では設立以来長年に亘り、元韓国国籍以外の外国人選手を認めておらず1998年より外国人枠が設定されたものの1チームにつき2名に限るなど厳しい制限があり、また上述のように韓国で通用しそうなレベルの選手は年俸の面でつり合わないため、日本人選手が属することは少ない。 2002年オフ、元ヤクルト入来智斗山ベアーズに入団したが、2003年限りで退団。元ヤクルト宮城弘明が外国人の登録が認められていなかった1988年から1992年まで知人の韓国人の協力で入団・在籍したのを除き、日本人として外国人枠登録で入団した初めての事例となった。2008年まで元韓国国籍でない日本人選手の中で韓国プロ野球でプレイしたのは、2006年の塩谷和彦(SKワイバーンズ、同年途中退団)、2008年の高津臣吾(ヒーローズ)など4名にのぼる。

大会方式

現在の方式は8チームによる18回総当りのリーグ戦を行う。延長戦は一部の例外を除いて引き分けを認めず、時間無制限で決着がつくまで行う。引き分けは9回までと制限されているダブルヘッダーの第1試合、及びコールドゲームの場合のみ認める。公式戦の順位は勝率で決めて、引き分けは勝率計算に含まない。 公式戦終了後、ポストシーズンゲームを行い、まず4位と3位が5戦3勝制の準プレーオフを行い(2007年までは3戦2勝制)、その勝者が2位チームとの7戦4勝制によるプレーオフに進出。ここで勝ったチームと公式戦1位チームが7戦4勝制による韓国シリーズを戦って優勝を決める。韓国シリーズの勝者を優勝とし、敗者が準優勝。3位かの順位は残りのチームを準プレイオフ及びプレイオフの結果に関係なく勝率順で並べて決める。たとえば、公式戦4位のチームが韓国シリーズに進出して敗退すると、そのチームは準優勝になるが、準プレイオフで3位チームに勝って、プレイオフで2位のチームに敗退すると4位に戻される。
準プレイオフは1、2、5戦を上位チームの本拠地球場、3、4戦を下位チームの本拠地球場で行う。プレイオフは1、2、6、7戦を上位チームの本拠地で、3、4、5戦を下位チームの本拠地で開催する。
韓国シリーズ開催球場は1、2戦を公式戦1位のチームの本拠地球場で行い、3、4戦はプレイオフの勝者の本拠地で行う。第5戦以降は出場チームの本拠地と本拠地球場の収容能力よって決められる。 ソウルの球場を本拠地とするチームが韓国シリーズに進出した場合、あるいは収容能力が3万人を超える本拠地を持っているチーム同士の韓国シリーズの場合はは第5戦をはプレーオフ勝者の本拠地で行われ、移動日を挟んで第6、7戦は再び公式戦1位のチームの本拠地で開かれる。そのほかの場合は、第4戦の後、移動日を挟んで中立地域としてソウル蚕室球場で5、6、7戦を3連戦で行う。 たとえば、1999年の韓国シリーズは社稷球場(収容人員3万450人)を本拠地とするロッテ・ジャイアンツ大田球場(収容人員1万2千人)を本拠地とするハンファ・イーグルスが進出したが、第5戦は蚕室球場で行われた。2003年の韓国シリーズも水原球場(収容人員1万4000人)を本拠地とする現代ユニコーンズと、文鶴球場(収容人員3万400人)を本拠地とするSKワイバーンズとの対戦となったが、第5戦以降は蚕室球場(収容人員3万500人)で開催された。一方、1995年の韓国シリーズではOBベアーズが公式戦1位だったため、蚕室球場で1、2、6、7戦を、プレイオフ勝者のロッテ・ジャイアンツの本拠地の社稷球場で3、4、5戦を行った。また、LGツインズがプレイオフ勝者として出場した2002年の韓国シリーズでは第1、2、6戦を公式戦1位の三星ライオンズの本拠地である大邱球場(収容人員1万2千人)で行い、第3、4、5戦をLGの本拠地である蚕室球場で行った。蚕室球場の他にも収容人員3万人を超える球場はロッテ・ジャイアンツの社稷球場とSKワイバーンズの文鶴球場があるが、まだ両チーム同士の韓国シリーズは実現されたことがない。 この制度は地方球団同士の対決の場合、公式戦1位チームはシリーズを開幕権をもらうものの、ホーム球場での胴上げが最初からできないし、プレイオフ勝者の場合も4連勝での優勝でない限り同じ事になるため、地方球団の地元ファンの不満が問題点として予てから提起されていた。しかし、ソウルの場合、各地方の出身者が集まる土地柄と球場の収容人員の関係で、地方球団同士の韓国シリーズでも蚕室球場で行う方が、満員にならなくても各チームの本拠地球場よりも観客動員で勝るため、現在の制度を変更しないでいる。 また、2008年新規参入のヒーローズは、本拠地はソウルであるものの専用球場の木洞野球場は収容人員が20000人しかならないため、ヒーローズが韓国シリーズに出場する場合、開催球場をどこにするかも問題になっているが、まだヒーローズが韓国シリーズに進出していないため対策が先送りになっている現状である。 もともとは、1、2戦を公式戦1位のチームの本拠地球場で行い、3、4戦はプレイオフの勝者の本拠地で行って、第5戦以降は中立地域として蚕室球場で5、6、7戦を行うようになっていたが、ソウルを本拠地とするLGとOBがプレイオフ勝者として韓国シリーズ出場する場合、蚕室球場で5連戦が行われることになるため、1993年からソウルを本拠地とするチームが韓国シリーズに進出の場合、公式戦の順位に関係なく第1、2戦をソウルで、第3、4戦を相手チームのホームで行い、第5戦以降を蚕室球場に戻すように変更した。しかし、これでLGとOBは韓国シリーズ出場で公式戦の順位に関係なく実質的にホームで5試合を行うほか、シリーズの開幕権までもらう極端的に有利な立場に立つという地方球団の不満を受けて1998年から現在の制度に変更した。

歴代の試合方式

年度別順位

韓国プロ野球での順位は、韓国シリーズの勝者を優勝、敗者を準優勝とし、3位以下は残りチームを準プレイオフおよびプレイオフの結果に関係なく、公式戦の勝率順に並べて決める。従って、勝率の低いチームが上位にランクされることも稀ではない。
年度 1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 1982 OB 三星 MBC ヘテ ロッテ 三美 1983 ヘテ MBC 三美 三星 OB ロッテ 1984 ロッテ 三星 OB MBC ヘテ 三美 1985※1 三星 ロッテ ヘテ OB MBC 三美/青宝 1986 ヘテ 三星 MBC OB ロッテ 青宝 ピングレ 1987 ヘテ 三星 ロッテ OB MBC ピングレ 青宝 1988 ヘテ ピングレ ロッテ 三星 OB MBC 太平洋 1989 ヘテ ピングレ 太平洋 三星 OB MBC ロッテ 1990 LG 三星 ヘテ ピングレ 太平洋 ロッテ OB 1991 ヘテ ピングレ 三星 ロッテ 太平洋 LG・サンバンウル OB 1992 ロッテ ピングレ ヘテ 三星 OB 太平洋 LG サンバンウル 1993 ヘテ 三星 OB LG ピングレ ロッテ サンバンウル 太平洋 1994※2 LG 太平洋 ハンファ ヘテ 三星 ロッテ OB サンバンウル 1995 OB ロッテ LG ヘテ 三星 ハンファ 太平洋 サンバンウル 1996 ヘテ 現代 サンバンウル ハンファ ロッテ 三星 LG OB 1997 ヘテ LG サンバンウル 三星 OB 現代 ハンファ ロッテ 1998 現代 LG 三星 OB ヘテ サンバンウル ハンファ ロッテ 1999 ハンファ ロッテ 斗山 三星 現代 LG ヘテ サンバンウル 2000 現代 斗山 三星 LG ロッテ ヘテ ハンファ SK 2001※3 斗山 三星 現代 ハンファ ヘテ/起亜 LG SK ロッテ 2002 三星 LG 起亜 現代 斗山 SK ハンファ ロッテ 2003 現代 SK 起亜 三星 ハンファ LG 斗山 ロッテ 2004 現代 三星 斗山 起亜 SK LG ハンファ ロッテ 2005 三星 斗山 SK ハンファ ロッテ LG 現代 起亜 2006 三星 ハンファ 現代 起亜 斗山 SK ロッテ LG 2007 SK 斗山 ハンファ 三星 LG 現代 ロッテ 起亜 2008 SK 斗山 ロッテ 三星 ハンファ 起亜 ヒーローズ LG
※1-三美は後期より青宝に身売り。 ※2-1994年の公式戦はハンファとヘテがまったく同じ成績で同率3位だった。それまでのルールでは、どのチームも韓国シリーズに進出できなかったため共同3位になるべきだったが、臨時ルールを設けて準プレイオフでヘテを下したハンファが3位、ヘテが4位とされた。 ※3-ヘテは8月より起亜に身売り。

各年度の韓国シリーズ

  • 星取表は勝利チームから見た結果。○は勝利、●は敗戦、△は引き分け。

関連項目

外部リンク

かんこくやきゅういいんかい かんこくやきゆういいんかい * かんこくやきゆういいんかい やきゆう
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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