関西電力株式会社(かんさいでんりょく)は、
近畿地方2府6県(
京都府、
大阪府、
滋賀県、
兵庫県(
赤穂市福浦を除く)、
奈良県、
和歌山県、
福井県(
美浜町以西)、
三重県(
熊野市(新鹿町、磯崎町、大泊町、須野町、二木島里町、二木島町、波田須町、甫母町、遊木町を除く)以南)及び
岐阜県(
関ヶ原町の一部)を独占的に事業地域とする
電力会社。略称として
関電(かんでん)や
KEPCO(
Kansai
Electric
Power
Co., Inc.=
ケプコ)が使われる。
概要
1951年
5月1日、
松永安左エ門(電気事業再編成審議会委員長)の
GHQへの説得による、
国会決議より効力が強いGHQ
ポツダム政令を元に、戦時における企業統廃合等によって発足した
関西配電と
日本発送電を再編する形で設立された(この為、現在も一部の年配者には関西電力を「関配(カンパイ)」と呼ぶ人も居る)。後述のとおり、戦前まで近畿地方を拠点に全国展開していた
日本電力、
東邦電力、
大同電力、
宇治川電気の流れを組み、資産を継承している関係上、
近畿地方以外の発電所などの設備を多く持つ。
(ただし、すべて継承している訳ではない。
東邦ガス、
京福電気鉄道、
ダイビルなど、同じ起源を持つ企業は他に存在する)
発電能力と比べ、実際の発電は原子力による比重が約55%となっている(他社からの買電、融通、
揚水発電を除いた発電量における、設備別比重)。
その一方、
富山県の
黒部川流域などに、最大出力30万kw超の大型の水力発電所も所有する。
発電設備
合計 164箇所 3,576万kw
事業所
2004年
6月30日、近畿2府4県で一部の営業所が再編された。近畿で大幅な再編が行われたのに対して、福井県では全く再編が実施されなかったのは、
原子力発電所立地地域に対する「配慮」があるものと見られる。
発電施設に関する特記事項
関西電力は、水力発電及び原子力発電の領域において、他の電力会社と比較して特殊な点がある。
黒部川流域の電源開発
第二次世界大戦前の
日本電力(後の
日本発送電)は、近畿地方への配電を目的として
富山県黒部川水系に多くの
水力発電施設を築いた。戦後、日本発送電を解体した際、配電地主義の観点からこれらは関西電力に引き継がれており、さらに、関西電力自身の手によって黒部川第四発電所が建設された。
このような事情から、配電地域外となる同県
富山市に北陸支社が置かれているほか、特に
黒部川第四発電所及び
黒部ダム等のいわゆる黒四関連施設の管理のため、
長野県大町市に黒四管理事務所がある。
原子力と関西電力
美浜原発事故(2004年8月)
2004年
8月9日に
美浜発電所で日本の
原発事故史上最悪の
重大災害が発生したことや、これに関連して度重なる虚偽の点検報告が発覚したことにより、同社の安全管理、
危機管理能力に各方面から疑念の声が出ている。また、経営陣の進退問題にも発展している。
翌10日に予定されていた美浜町納涼花火大会が中止になった。表向きは、甚大な事故に対する配慮との理由だが、この催しに関電がかなりの援助をしているため、そういった向きでの自粛とも捉えられている。結果的に放射能の漏洩はなかったが、
防災行政無線を用いず専らケーブルテレビで文字情報を流し続けた町の対応も一部で問題視された。これについて町は「海水浴シーズンで海水浴客の混乱を防ぐため」と回答している。
2005年3月には藤洋作社長(当時)が自ら
MMネットの美浜町行政チャンネルの番組に出演し、事故の経過説明や再発防止策について説明した(発電所長は定期検査の報告などで定期的に出演しているが、社長の出演はきわめて異例)。2005年
3月25日美浜原発の事故の問題を責任を取る形で藤社長は辞任した。
関西電力は「29項目の再発防止策」を実施した。その一環で、同年
7月25日には大阪市の本社から若狭支社社屋に原子力事業本部が移転。原子力事業本部長を兼務する副社長が常駐して運営に当たっている。また、
福井市にある福井事務所を地域共生本部に格上げした。
経済産業省原子力安全・保安院は
2006年3月に運転再開を事実上容認した。美浜町などの意見を踏まえて、福井県は同年
5月26日に運転再開を了承した。
同年
9月から
10月にかけて3号機の原子炉を試験起動したが、問題点が見られなかった。関西電力は「(遺族から)一定の理解を得られた」(森本浩志本部長)として、
2007年1月10日に原子炉を起動させ、
2月7日に営業運転を再開した。なお、夏の電力需要拡大に備えて4月上旬に定期点検に入る予定である。
福井県警捜査本部は業務上過失致死傷容疑で捜査しており、当時の責任者を立件する方針である。
関連会社
関係会社
提供番組・コーナー
CM出演者
関連項目
外部リンク
社かんさいてんりよく