略歴
市長選挙
2004年9月5日の奈良市長選挙時に県議を辞職し、自民党を離党して無所属で立候補。父の故・鍵田忠三郎以来の後援会を背景に、1991年以来3期にわたって市長に在職していた大川靖則(市役所職員出身、自民、
社民、
公明の推薦)を破り、初当選した。
市議会との対立
奈良市議会は大川前市長を推薦した3党で多数を占めており、実質上のオール野党状態であった。また、鍵田自身への反発もあって、提出する人事や予算や提案を否決した。
さらに、父の忠三郎の遺産相続を巡る滞納税金の未納問題や、市内の寺への寄付金が政治家として
公職選挙法に触れるのではという疑惑が浮上。この問題に対して鍵田自身は、滞納税については市役所の手続きに問題があったとし、寄付金については檀家としての寄付だったと弁解している。また予算を巡り、予算が選挙公約と食い違うことでも議会と対立。
2度目の市長選
これらの事柄にともない、奈良市長・市議会選挙の公示には
藤原昭前奈良県教育長、
辻山清政治団体代表が出馬し、
7月31日投票、鍵田は約7000票差で藤原に敗れる。とはいえ、市議選では親鍵田を表明した候補が票を伸ばし、議会の最大会派の一つになるなど、鍵田当人の議会からの退場効果は見られた。
衆議院選挙
総選挙は
8月30日公示、
9月11日投票。選挙戦は自民党の鍵田と無所属の森岡、民主党の前職の
馬淵澄夫、共産党の細野歩が立候補。公明党は推薦を見送ったものの、鍵田は組織戦を展開。
小選挙区では馬淵に約6000票差で敗れたものの、
比例区近畿ブロックで復活、当選した。
2008年
9月25日、奈良県庁で記者会見を行い次期衆議院選挙には不出馬の意向を表明した。
関係団体
その他
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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