那覇市 [Naha, Okinawa] [被リンク数: 776]

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「那」は人名用漢字なので本来は左側の2本の線を突き通す形になる。

概要

沖縄県の政治経済文化の中心都市であり、また、国際空港である那覇空港や、県外や周辺離島とを結ぶ那覇港を擁することから沖縄県の玄関口としての役割も担う。
面積は日本の全都道府県庁所在都市の中で新宿区を除いて最も小さく、人口密度首都圏近畿圏を除いた地域としては全国で最も高い。また、那覇空港が市域面積の8%以上を占め、そのなかには自衛隊を含む。この他在日米軍の施設や那覇港の港湾施設の分も考慮に入れると、実際の都市活動に使用できる面積は限られる。さらに、那覇空港の制限表面により、市街地の多くは超高層ビル超高層マンションを建てることが出来ない。そのため、都市化に伴って周辺自治体のベッドタウン化が進み、那覇市を中心市とする那覇都市圏の人口は約75万人(都市雇用圏2000年)となっている。なお、地方での人口減少が深刻な問題になっている今日においても那覇市及び那覇市周辺では人口増加が著しく2008年現在の都市雇用圏人口は79万人を超えている。
市の中心部は国場川漫湖)、及び安里川に囲まれた平地地帯に広がり、那覇市、及び沖縄県の主要施設の多くがそこに立地している。近年では1987年に米軍の牧港住宅地区が全面返還されたことにより、那覇新都心として開発が進み、中心地に置かれていた企業本社などの一部が移転しており、新たな中心部となっている。
また、中心部周囲の丘陵地はほぼ全て市街化(主に住宅地)され、元々の地形の高低から立体的な都市景観を見せる。一時は琉球王国時代の首都でもあった首里地区は海抜100メートル程度の高台の上に位置し、場所によっては那覇市全域を見渡すことも可能である。
観光面では、市の中心部の国際通り、市東部の高台にある首里地区の首里城(琉球王国の王府)が中心であったが、近年、前述の在日米軍住宅地の跡地が那覇新都心として開発が進んでおり、2004年12月に世界最大規模の免税店であるDFSギャラリア・沖縄がオープンした。海に面しているが、那覇空港や那覇港などの施設が海岸線のほとんどを占めているため、海水浴場は平成3年に供用開始された波の上ビーチ人工海浜)のみとなっている。名産品として壺屋焼泡盛などがある。

地理

マングローブ群生]] 沖縄県最大の島、沖縄本島南部の西海岸に位置し、東シナ海に面している。市中央部がほぼ平坦で、周辺部に小高い丘陵地帯が取り巻くように展開し、市内を東から西に国場川や安里川が流れ、東シナ海に注いでいる。豊見城市との市境にある漫湖ラムサール条約に登録されている。 2001年8月9日の最高気温が35.6度となり、都道府県庁所在地の最高気温記録中の最低記録である。(2008年8月現在)

人口

歴史

那覇は国場川が海に注ぐところにある河口の港で、安里川河口の泊(とまり、現在は那覇市の一部)の港とともに、古くから沖縄の貿易港として、琉球王国の首都・首里の外港として、東アジアや東南アジア一帯の中継貿易拠点として栄えてきた。
かつて那覇は国場川・安里川の河口の湾に散在する島の一つであり浮島と呼ばれていた。尚巴志王によって整備され、小さな港であったが、尚金福王1451年からの冊封使を迎えるため、中国人の懐機に命じて「長虹堤」と呼ばれる長さ1km に及ぶ堤道を建設させて沖縄本島の安里川側と繋いだ。陸路交通が整備されたことから港としての発展が始まり、那覇四町と呼ばれる市街地が形成された。
近くの久米村には中国・福建省などからの「閩(びん)人三十六姓」と呼ばれる移民が住み、これら三十六姓の末裔は、進貢使・通訳・造船など琉球の貿易と外交を支える仕事に従事してきた。
また倭寇などの襲撃からの防御のため、那覇港沖の海上にある島に城壁を築いて堤道を作り、国場川河口の那覇港の南北に防御用の砲台「三重城」(みえぐすく)「屋良座森城」(やらざもりぐすく)が完成した。同時に、那覇港の中央の島には御物城と呼ばれる貿易用倉庫が造られている。さらに那覇港の対岸にあたる南側の垣花などにも市街地や港湾が広がった。(那覇港の南岸は第二次大戦後更地になり、米軍の那覇軍港となっている。)
久米村、長虹堤、三重城など那覇の名所は中国人により「球陽八景」と謳われ、葛飾北斎浮世絵「琉球八景」にも描かれているが、島だった那覇は土砂の堆積により琉球王国末期には本島につながっている。
琉球処分から第二次大戦まで
  • 1879年明治12年): 沖縄県庁を設置。以降沖縄の行政の中心に。また、それまで那覇四町と呼ばれていた西・東・若狭・泉崎へ、新たに泊・久米・久茂地を編入。
  • 1896年(明治29年): 沖縄県区制の施行により、那覇区となる。
  • 1903年(明治36年): 島尻郡真和志間切から牧志村、小禄間切から垣花地区(湖城村と儀間村の一部)を編入。
  • 1908年(明治41年)4月1日: 島嶼町村制施行に伴い、周辺の各間切が町村に。
  • 1914年大正3年): 島尻郡真和志村から壺屋、新規埋立地を旭町と命名し編入。
  • 1921年(大正10年)5月20日: 特別区制を廃止し、市制を施行して那覇市となる。
  • 1945年昭和20年): 太平洋戦争での空襲および陸上戦(沖縄戦)により街が壊滅。首里城も破壊された。米軍の全面占領下となり、立入禁止に。
第二次大戦後
近代以後も沖縄県の物資集積地、商業都市として繁栄し、海が埋め立てられ那覇は完全に地続きとなった。だが、1944年10月10日十・十空襲と、1945年4月から始まる沖縄戦により市街地は完全に破壊された。
戦後は、旧那覇市中心部は米軍の管理下に置かれ、軍施設から1マイル以内は立ち入りが許されず、住民の多くは県北部の収容所に移されていた。生活物資不足の解消のため、1945年11月、那覇市壷屋地区の窯業関係者たちがまず帰郷を許され、103人の職人が入市。さらに12月には牧志地区の瓦職人ら136人が入市した。続いて家族や親類縁者が移り住み、これにまぎれて許可のない住民も次々と那覇に住み着いたため、壷屋から新県道(現在の国際通り)の一帯に次々と集落が生まれ、闇市も自然発生的に拡大した。
こうした中、住民の高良一が米軍と直接交渉し、米軍の物資集積所があった新県道沿いの土地(現在のてんぶす那覇あたり)に1948年1月ごろ、映画館「アーニー・パイル国際劇場」を開館させた。以後、周辺は商業地として急速に発展し、新県道は「国際通り」として「奇跡の1マイル」と呼ばれるようになる。

行政

  • 市長:翁長雄志(おなが たけし)
  • 副市長:當銘芳二・与儀弘子
  • 市の日:7月8日

行政区画

市域面積の39.23km²に対して、人口密度は8,005.79人/km²で、都道府県庁所在地では東京特別区(13,196人/km²。2000年国勢調査)、大阪市(11,745人/km²。2000年国勢調査)、横浜市(8,129.03人/km²。2006年現在)に次いで第四番目に高い。
  • なお、面積は全国の都道府県庁所在地では最小である。(東京都新宿区を1つの市と同格と見なせば2番目に小さい。)

市町村合併

ほか、南風原町渡嘉敷村座間味村渡名喜村粟国村南大東村北大東村との、周辺離島をも含んだ合併が計画されていたが、白紙撤回される。

那覇市議会

議員定数44 現議員数43 欠員1
  • 議長:久高将光(自民・無所属連合)
  • 副議長:松田義之(公明党)
会派別構成

警察

  • 那覇警察署
  • :市内全域(小禄支所管内・那覇空港など一部を除く)と本島周辺離島(久米島慶良間諸島粟国諸島大東諸島)を管轄している(小禄支所管内・那覇空港・奥武山町・山下町・垣花町は豊見城市にある豊見城警察署の管轄)。

国の行政機関

姉妹都市・提携都市

国内

海外

経済

産業

第三次産業の割合が高い。その中でも小売業の床面積は、347,672m²と規模が大きい。また、市内に那覇空港があることから、ビジネス客や観光客の多くが那覇を訪れている。1998年に沖縄県を訪れた観光客412万人のうち、那覇の宿泊施設を利用した観光客は多かった。、中心市街地の国際通りは、従来は地元の人を対象として店が多かったが、観光客の増加により観光客相手の土産品店が立ち並ぶ店が増え、現在では常時観光客で賑わいを見せている。

本社を置く主な企業

  • 公共交通の便がよく、政治・文化の中心地であることから多くの本社が存在するが、都市化により広い土地を得るのが難しく、周辺市町村より地価も高いため、広大な土地が必要な企業の本社は、郊外(那覇市外)に立地することが多い。

金融機関

地域

  • 市役所本庁舎以外に、1954年と1957年に2市1村を併合する前の旧市村ごとに、那覇市役所真和志支所、同首里支所、同小禄支所の3支所を設置している。基本的に那覇市はその4地区に区分できるが、那覇新都心が開発されてからは同地区も含めて5つの地域に区分できる。<
那覇市内の地名は以下の通り。(★印は住居表示実施地区。△印は無住地域。)

本庁管内

大部分は1954年以前から那覇市であった地域。その後埋め立てにより区域が拡大。
那覇新都心
  • 安謝(あじゃ)1~2丁目★
  • 天久(あめく)1~2丁目★
  • 上之屋(うえのや)1丁目★
  • おもろまち1~4丁目★(おもろ町と表記するものがあるが正式にはすべて平仮名表記)
  • 銘苅(めかる)1~3丁目★

真和志(まわし)支所管内

旧真和志市。戦後、不規則な宅地化が進んだ。

首里(しゅり)支所管内

旧首里市(1921年、那覇市と共に市制施行)。那覇市との合併時から、古都・首里の名を残そうという地元住民の強い願いがあったため、この地域の町名の頭には現在も「首里」の名を冠する。なおここでは「首里」の振り仮名を省略する。なお、全域住居表示が実施されていない地域である。

小禄(おろく)支所管内

旧小禄村

健康

平均年齢:39.1歳

医療

与儀にあった沖縄県立那覇病院は南風原町に新設された沖縄県立南部医療センター・こども医療センターに統合され、泉崎にあった泉崎病院はおもろまちメディカルセンターとして上之屋(那覇新都心)に移転した。沖縄県立那覇病院の跡地には現在古波蔵にある沖縄赤十字病院が移転する予定である。
  • 那覇市立病院(古島2-31-1)
  • 日本赤十字社 沖縄赤十字病院(古波蔵4-11-1)
  • 特定医療法人葦の会 オリブ山病院(首里石嶺町4-356)
  • 医療法人天仁会 天久台病院(字天久1123)
  • 医療法人禄寿会 小禄病院(字小禄547-1)
  • 医療法人社団輔仁会 田崎病院(字松川319)
  • 医療法人新西会 西武門病院(東町5-22)
  • 医療法人おもと会 大浜第一病院(安里1-7-3)
  • 医療法人寿仁会 沖縄セントラル病院(与儀1-26-6)
  • 医療法人祥杏会 おもろまちメディカルセンター(上之屋1-3-1)
  • 医療法人陽心会 大道中央病院(字大道127)・大道リハビリテーション病院(安里1-468-59)
  • 医療法人はごろも会 仲本病院(古島1-22-1)

福祉

  • 社会福祉法人沖縄県社会福祉協議会 沖縄県総合福祉センター(首里石嶺町4-373-1)
  • 社会福祉法人那覇市社会福祉協議会 那覇市総合福祉センター(金城3-5-4)

保健

  • 沖縄県中央保健所
  • 那覇市保健センター(ちなみに30万人以上の人口を抱える県庁所在地の中で中核市保健所政令市に未指定で保健所は県の管轄下である)

衛生

  • 那覇市・南風原町環境施設組合(市に隣接する南風原町新川にごみ処理施設等がある)

学校

小学校

中学校

高等学校

公立
私立

大学・短期大学

交通

中心市街地では、戦後スプロール現象によって十分な都市基盤整備がされないまま無秩序な市街化が進んだ為、ほとんどの道路が幅員12m以下であり、慢性的な交通渋滞を起こしている。特に、国際通りやその他幹線道路の機能を補完する道路がほとんど無く、あるいは幅員が狭い区間が多い為、国際通りやその他幹線街路に余計に負担が掛かっている。
これらの渋滞を解決すべく沖縄都市モノレール線ゆいレールが開設された。また、中心市街地における駐車場の小規模さも課題の一つであり、改善が急がれている。
なお、沖縄県における県外交通の要所であり、国内でも有数の国際空港である那覇空港と、県内外への海路が集中している那覇港がある。

バス

沖縄都市モノレール線が開通した現在でも、主な公共交通機関バスに偏っている。特に中心市街地に於けるバス交通量は非常に多い。 1997年の交通センサスによると、国際通り周辺は1日1500~1600台のバスが通過しており、交通渋滞の一因ともなっているが、それが国際通りを訪れる観光客の後押しをしているともいえる。近年では、国際通りの西側にある国道58号を経由する路線へ変更、または那覇新都心に新設された駅前広場などを起点とする路線へ変更したりとして、当時よりも約2割ほど減っている。 なお、現在は後述の4つの民営企業がバス運行を行っている。

鉄道

大正時代は沖縄県営鉄道与那原線嘉手納線糸満線沖縄電気路面電車が市内を走り、沖縄軌道糸満馬車軌道も市内に乗り入れていたが、昭和に入ると沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道がバスとの競争に敗れて廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も第二次世界大戦末期に運用を停止。その後の沖縄戦で破壊されてしまい、戦後もアメリカ軍統治下の沖縄で再び敷設されることはなかった。
しかし2003年8月10日に、戦後初の鉄道である沖縄都市モノレール線(ゆいレール)が開通し、沖縄に再び軌道交通が蘇った。今後は渋滞解消の切り札として注目されている。

道路

高速道路

市内に所在するのは、これに接続する一般道である沖縄県道82号那覇糸満線の那覇IC交差点付近のみで、料金所は南風原町にある。那覇都心部からは西原ICを利用した方が便利な場合もある。また那覇市は全国の県庁所在地で唯一高速道路の本線車道が通っていない都市。

国道

県道

主要地方道
一般県道
自転車道

空港

港湾

文化・観光

メディア

新聞

地方紙
那覇と全国紙
朝日新聞読売新聞などの全国紙は、輸送事情により、朝刊配達が午後に行われる。そのため那覇市は元より、沖縄県内では殆ど販売されていない。このため、全国紙は、那覇には「那覇支局」ではなく、「政治部那覇駐在」などとする扱いが多い。 なお、2008年11月1日より、日本経済新聞琉球新報社による委託印刷を開始(全国紙初)。朝夕刊共、地方紙と同時に配達を開始する予定(2008年6月20日日本経済新聞朝刊より)。

放送局

スポーツ

  • 奥武山公園

観光

]]

祭り

出身有名人

学界

芸能

芸術

スポーツ

郵便・電話

郵便番号

市内には那覇中央那覇東、首里の3つの集配郵便局があり、那覇中央は本庁管内(旧那覇)と小禄地域と真和志地域の一部、那覇東は真和志地域(一部を除く)、首里は首里地域をそれぞれ管轄している。那覇中央郵便局は復帰後一時期「那覇郵便局」の名称だった時もあった。郵便番号は以下の通りとなっている。
  • 那覇中央郵便局:900-00xx、901-01xx(大口事業者は900-85xx、900-86xx、900-87xx、901-019x)(901-01はもともと小禄郵便局が集配業務を行い管轄していたが、1997年に那覇中央郵便局に集約した)
  • 那覇東郵便局:902-00xx(大口事業者は902-85xx、902-86xx、902-87xx)
  • 首里郵便局:903-08xx(大口事業者は903-85xx、903-86xx、903-87xx)

電話番号

復帰前は市外局番が08(隣接する当時の豊見城・南風原両村も同じ局番だった)で、2~5と8の5つの1桁の市内局番が存在していた(当時の那覇市内の電話番号表記はほとんどが市外局番の08を省略していた)。復帰前年の1971年にこれまでの市内局番の頭に1桁増やし2桁となった(2~4は頭に3がついて32~34、5は55、8は68にそれぞれ変更)。復帰と同時に市外局番が0988となり、数年間で半分以上の地域の市内局番が変更された(市西部は60番台、小禄は57~59、首里など市北東部が84~87に変更)。そして1990年12月には市外局番が現在の098に変更され、これまでの市外局番の末尾だった「8」が市内局番の頭となり3桁化された。0988時代は那覇市のほか隣接する浦添市・南風原町・豊見城村のみだったが、098になった後は恩納村・宜野座村以南の沖縄本島中南部全域と周辺離島(久米島・慶良間諸島・粟国諸島)も同じ市外局番となり、沖縄県内の大半がこの市外局番のエリアとなった(単位料金区域が同じ那覇MAであるため)。沖縄県内向けには那覇市も含めこれらの地域の電話番号を紹介するとき、市外局番の098を省略することが多い(テレビやラジオでも省略する)。逆にエリア外である名護市以北の本島北部や先島諸島では市外局番が0980であるため「0980-xx-yyyy」と電話番号表記するところを間違って「098-0xx-yyyy」と表記する場合も時々ある。
那覇市内の市内局番は3桁化後、8から始まっていたが、1990年代後半から「941」や「951」といった9から始まる市内局番も出てきている(逆に糸満市や南城市などの本島南部では9から始まっていたが、8から始まる市内局番が出てきた)。

市名の由来

  • “那覇(なは)”の語源は、漁場を表す“なふぁ”からきている。(ちなみに“沖縄”も同じ“漁場”が、語源となっている。)(出展:1998年7月4日放送のTX・“アド街”より)
  • この由来は、那覇市のサイトにも、伊波普猷の唱えた説として紹介されている。

脚注

外部リンク

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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