概要
ヘテ・タイガース時代(1982-2001)
1986年から1989年にかけて韓国シリーズ4連覇と韓国初の連覇を達成、1996年から1997年にかけても韓国シリーズ連覇を達成、2度目の連覇も韓国初だった。また、韓国シリーズ出場9回全てに勝利している。
起亜タイガース時代(2001- )
2002年、2003年と公式戦2位ながらもプレーオフで敗退。2004年は公式戦4位で準プレーオフ敗退。2005年は序盤から不振で、ヘテ時代を通しても球団史上初のシーズン最下位に転落。2006年は投打ともに建て直しに成功し、
斗山ベアーズとの激しい4位争いを制し準プレーオフへ進出したが敗退した。
ヘテ時代は韓国シリーズ9度出場で全部勝利、ポストシーズンに強そうな印象を与える同チームだが、意外に韓国シリーズ以外のポストシーズンでは弱く、ヘテ時代から数えてプレーオフ・準プレーオフのシリーズでは2勝7敗である。なお、1989年のプレーオフで勝利したのを最後に、2001年起亜に身売りされた後まで含めてプレーオフ・準プレーオフで7連敗を記録している。
最近は昔のように圧倒的な戦力を擁することができず、レギュラーシーズン1位で韓国シリーズの直行することができていないため、ポスト・シーズンに進出してもプレーオフまたは準プレーオフから始めるはめになっていることが多い。しかし、プレーオフや準プレイオフでは、前評判で優位と言われた時でさえも敗退するなど失敗が続いている。特に、2002年プレーオフ第5戦から2006年準プレーオフ第1戦までプレーオフ、準プレーオフの試合で7連敗を記録した(2002年プレイオフ第5戦、2003年プレイオフ3連敗で敗退、2004年準プレイオフ2連敗で敗退、2006年準プレイオフ第1戦)。
ファンからは、Aクラス入りやプレイオフ進出では満足することなく、「いつからこんな弱いチームになったんだ」、「起亜になってからは何もよいことがない」、「ヘテと起亜は別のチームだ」、「起亜に栄光なるタイガースを名乗る資格はない」などと苛立ちを募らせている。
実際、2008年現在、新球団
ヒーローズを除くと優勝からもっとも遠ざかっている球団はロッテ・ジャイアンツだが、韓国シリーズ出場にもっとも遠ざかっている球団は1997年が最後のタイガースであり、2000年代になって、韓国シリーズに出場していないのもこの両球団だけである。
また、前年のBクラスチームがそろって善戦を見せて順位争いをしていた2007年においても、5月の頃から最下位に低迷したことで、ファンの間で球団のチーム復興への意地を疑う動きが極まれ、団長や監督など球団首脳部が球団ホームページの掲示板や球場外野席の横断幕で激しい非難の声に叩かれた。これに対して、球団側からホームページの掲示板の一時閉鎖および、名誉毀損の疑いで数人のファンに対して訴訟を起こすなどの措置に出る騒動まで起こした。こういうファンの不満に加えて、老朽化した本拠地、無等野球場に代わる新球場の建設を求める声も大きくなっているが光州市側は予算の問題を挙げて、新球場の建設を渋っている現状である。結局2007年は2年ぶり2度目の最下位に終わり、契約が1年残っている徐定煥(ソ・ジョンファン)監督を解任。SKワイバーンズを韓国シリーズまで押し上げた実績のある曺汎鉉(チョ・ボムヒョン)ヘッド・コーチを監督に昇格させてデータ重視の野球でチームカラーの刷新を狙い、また
崔煕渉、
徐在応、ホセ・リマと言ったメジャー・リーグ出身選手の思い切った補強を行った。そのおかげで、シーズン開幕直前予想ではAクラスは安泰、SKに対抗する強力な優勝候補の一角と評された。しかし、このメジャーリーグ出身選手が揃って故障および不振に陥り、
崔煕渉、
徐在応は2軍落ちを繰り返し、リマはシーズン途中解雇されるなど、期待を裏切った。結果、夏場は一時Aクラス入りを匂わせる追い上げを見せながら、終わってみれば公式戦6位。念願だった上位進出はならなかった。
永久欠番
主な在籍選手
投手
- 10 韓基周(ハン・ギジュ)
- 20 尹錫珉(ユン・ソンミン)
- 40 徐在応(ソ・ジェウン)-メッツ、デビルレイズなどで大リーグ経験あり。
- 45 李大振(イ・デジン)
内野手
- 16 金鍾國(キム・ジョングク)
- 23 崔煕渉(チェ・ヒィソプ)-カブス、ドジャースなどで大リーグ経験あり。
- 31 李賢坤(イ・ヒョンゴン)-2007年の首位打者
外野手
主な退団・引退選手およびコーチング・スタッフ
- 金応龍(キム・ウンヨン)監督 (在籍年度1983-2000)
- 全盛期のヘテ・タイガースを率いた監督。ヘテ時代の韓国シリーズ9回優勝、4連覇、2連覇以上2回などの業績を残した。物足りない親会社の支援にも関わらず、選手団を一手で掌握して、スター選手にまで鉄拳を辞さず、今まで韓国プロ野球きっての名将として称えられている。監督として韓国プロ野球通算最多勝利記録保持者であり、2007年シーズン終了の時、同リーグ唯一の1000勝監督でもある。こういう業績のため、ヘテ時代のほとんど(1983年-2000年)は彼が監督を務め、ブランク無しで18年間指揮をとったのも現在まで1チームにおける監督在任の韓国プロ野球史上最長の記録である。その実績を買われて、三星ライオンズが2001年から招聘。2002年同球団を初の韓国シリーズ優勝に導き、20年来の悲願を遂げさせるなど、チームを変えてもその手腕を発揮した。2004年シーズンを最後に、韓国シリーズ10回優勝監督の名誉を手に、監督職から勇退。現在は三星ライオンズの球団社長を務めている。
- 金奉淵(キム・ボンヨン、在籍年度1982-1988)
- 韓国プロ野球初代ホームラン王。1983年シーズンの夏場、交通事故で重傷を負ったが、その年の韓国シリーズで見事に復活、チームを初優勝に導く。好打者が並んでいた1980年代のヘテ・タイガースの打線の中でも4番の座を譲らなかった中心打者でファンから愛されていた。
- 金城漢(キム・ソンハン、在籍年度1982-2004)
- ヘテ時代のチームを代表した打者。韓国プロ野球初年度(1982年)は総員15人というチームの台所事情から投手と打者の二刀流を強いられ、投手としては10勝をあげ、打者としては打点王になる珍記録を残す。その二刀流生活は85年まで続いたが、選手層が厚さを増すにつれ、ファーストに定着して打者に専念。「鴨尻打法」という独特のフォームから繰り出す勝負強い打撃でファンから愛された。1991年日韓スーパーゲームの第1戦で伊良部秀輝からホームランを打ち、東京ドームでホームランを記録した最初の韓国人選手になる。ホームラン王3回、打点王2回。現役時代の功績によって、引退後はチームのコーチを経て、2001年、金応龍監督が三星に去った後をついで監督に就任。しかし、監督になってからは、現役時代と比べて戦力が低下して思うような成績をあげられず、ファンから批判の声が高まる中で、所属選手を殴る傷害事件を起こし物議を譲す。これが引き金になって、2004年シーズン途中監督職から退任。その後は母校の郡山商高の監督を経て、現在は韓国のスポーツ専門ケーブルチャンネルのMBC-ESPNで解説を務めている。
- 金茂宗(キム・ムジョン、在籍年度1983-1988)
- 日本名は木本茂美。広島東洋カープに在籍していた在日韓国人選手。1983年から88年まで捕手として在籍し、3度の韓国シリーズに出場し優勝に貢献。5度のオールスター戦に出場し、1986年オールスター戦ではMVPを受賞。
- 朱東植(チュ・ドンシク、在籍年度1983-1984)
- 日本名は宇田東植。日本ハムファイターズ、阪神タイガースに在籍していた在日韓国人投手。1983年から84年まで在籍し、通算16勝をあげた。
- 李順喆(イ・スンチョル、在籍年度1985-1997)
- 俊足巧打のトップバッターとしてヘテの全盛期を支えた名選手。1985年入団。同じ年に入団した宣銅烈を押しのけてその年の新人王に選ばれる。盗塁王3回。しかし、李鍾範の台頭とともに影を潜め、現役最後の年は三星にトレードされた。その後、三星ライオンズ、LGツインズのコーチを経て、2004年LGのチームの監督に就任。しかし、主力選手との衝突や理解しがたい采配およびチームの低迷で、外様監督を快く思っていなかったLGツインズのファンからの野次と非難の的になった。結局、2年連続6位の後、2006年は最下位に沈み、シーズン途中の6月で辞任の形式で退団。現在は金城漢とともにMBC-ESPNの解説者として活躍しているが、分かりやすく的を射ている解説で好評を得た。2008年からはウリ・ヒーローズの首席コーチに就任。
- 宣銅烈(在籍年度1985-1995)
- 元中日ドラゴンズ、前身のヘテ時代に在籍
- 金正洙(キム・ジョンス、在籍年度1986-1999)
- レギュラーシーズンでの活躍に比べて、韓国シリーズで強かったいわゆるシリーズ男の左腕投手。現在まで韓国シリーズ最多勝利記録保持者で、その活躍ぶりから、「秋のカササギ」というニックネームをつけられた。SKワイバーンズ在籍時の2003年には韓国シリーズに出場し、41歳での韓国シリーズ最年長登板記録を保持している。同年限りで現役引退。
- 金大鉉(キム・デヒョン、在籍年度1986-1988)
- かつて先発ローテーションを担っていたが、交通事故で死亡。
- 李強喆(イ・ガンチョル、在籍年度1989-1998、2001-2005)
- 宣銅烈の高校の後輩で、宣銅烈とともにチームを支えてきたサブマリーン投手。安定感が抜群で、10年連続二桁勝利の記録は先輩の宣銅烈でさえできなかった離れ業であり、今も韓国プロ野球記録として残っている。1999年フリーエージェントで三星ライオンズに移籍したが、故障でヘテ時代のような投球ができず、精彩を欠く。2001年シーズン途中、トレードで古巣に復帰。以後は中継ぎで2005年まで現役を続けた。
- 趙啓顯(チョ・ゲヒョン、在籍年度1989-1997)
- 高校時代は剛速球投手として名を馳せたが、プロに入ってからは、多種の変化球を駆使する技巧派投手に転身。1990年代前半は抑えに転身した宣銅烈に代わり、ローテーションのエースになる。正面から相手打者を睨みながらワインドアップに入る投球姿勢から「闘鶏」というニックネームをつけられた。またLGツインズに滅法強く、「LGキラー」の別名も持つ。1994年、チームはLGツインズ相手に7勝11敗と負け越したが、7勝のうち6勝を一人で挙げたこともあった。
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林昌勇(イム・チャンヨン、在籍年度1995-1998)
- 現東京ヤクルトスワローズ
- 金相辰(キム・サンジン、在籍年度1996-1998)
- 将来のエース候補で1996-1997年韓国シリーズ連覇に貢献した投手だったが、1999年に胃癌のため22歳の若さで死去
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馬海泳(マ・ヘヨン、在籍年度2004-2005)
- 通算200本塁打以上の大砲として2003年オフ三星ライオンズから巨額でFA移籍したが、年齢による衰えで期待に応えられず、2005年シーズン終盤に2軍落ちすると首脳陣批判を繰り広げ、この年のオフ4年契約の2年目終了時点でLGツインズにトレードされた。
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全炳斗(チョン・ビョンドゥ、在籍年度2005-2008)
- 2008年シーズン途中SKワイバーンズにトレード。
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鄭珉台(チョン・ミンテ、在籍年度2008)
- かつては現代ユニコーンズのエースとして活躍。同球団の解散後、新球団ウリヒーローズとは契約せず、7000万ウォンと格安の年俸で起亜に入団したが、肩の手術やリハビリのため2005年以降1勝もあげられず力の衰えは顕著で、新天地では1勝もあげられずほとんど2軍暮らしで、7月に突如現役引退を表明。
外国人選手およびコーチングスタッフ
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池内豊
(元阪神タイガース)コーチとして2003年-2005年まで在籍。
関連項目
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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