来歴
忠岡東小学校3年生の時に
野球のトレーニングのひとつとしてスケートを始め、忠岡中学校では野球とスケートの両方の選手として活躍する。
大阪府立貝塚高等学校1年の時に、現・サンコースピードスケート部監督の杉尾憲一と出会ったことがきっかけで、ショートトラックを本格的に取り組む。高校卒業後
阪南大学に入学。
「浪速の弾丸」と形容されるスタートダッシュが持ち味で、
長野オリンピックでは500メートルで金メダルを獲得し、
日本の
冬季オリンピック史上初の10歳代のメダリストとなった。
2006年
5月15日に引退会見を行い、
日本競輪学校を受験し
競輪選手への転向を目指すことを表明。直近のオリンピックでの実績がなかったことから、一般の適性試験による受験となったが、引退会見直後に行われた第93期を受験し合格。競輪学校時代は在校競走成績第5位、卒業記念レースは決勝7着(優勝は谷田泰平)となり、
2007年10月19日に同校を卒業した。
競輪学校入学以前より元競輪選手である
松本整が経営するスポーツジム、「CLUB KONG」(
京都府長岡京市)でトレーニングを積んでいた縁もあって、競輪選手としての登録地は京都となり、
京都向日町競輪場をホームバンクとすることになった。競輪選手になるにあたっての師匠は
村上義弘。
2008年1月2日にホームバンク・向日町で競輪選手デビュー。またデビュー戦で初勝利を挙げた。
関連項目
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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