西武百貨店 [Seibu Department Stores] [被リンク数: 248]

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株式会社西武百貨店(せいぶひゃっかてん、英称The Seibu Department Stores,Ltd.)は、日本の百貨店の一つ。かつての総合流通グループセゾングループの中核企業。現在は、そごうと共同で設立した持ち株会社ミレニアムリテイリング傘下で、買収防衛策のため、セブン&アイ・ホールディングス傘下にもある。
西武百貨店池袋本店の年間来店客数は東京ディズニーリゾート(約2.6千万人)を上回る7千万人で日本第1位営業利益率は、単体で4.18%(2006年2月期)と百貨店業界2位。

概要

ファッションの総合商社へ

辻井喬のペンネームを持った小説家でもある堤清二は、日本の百貨店で、最初パリにオフィスを構え、エルメスイヴサンローランアルマーニなど欧米の高級ブランドをいち早く取り入れ、1970年代中頃には、ヨーロッパの高級DCブランドを次々に導入。1984年にはついに、海外や国内の高級ブランドを一手に取り扱う専門商社「大沢商会」を傘下に収めたことで、事実上、国内高級ブランドのホールセールを独占。ファッション総合商社西武』が完成する。こうして西武は、日本一ブランド力のある百貨店の名を欲しいままにした。
ソニア・リキエル、ミッソーニ、ジャンフランコ・フェレ、ルイフェローなどの日本代理店になり、ケンゾーイッセイミヤケタケオキクチメンズビギ)などを最初に導入したのも西武である。シブヤ西武には、幻のシュップ『カプセル』を設置し、デビュー間もない川久保玲コム・デ・ギャルソン)、山本寛斎、イッセイミヤケ、タケオキクチら、新手のデザイナーらを後押した。プライベートブランドの開発でも当時、日本ではまだ無名であったラルフローレンと契約し、メジャーブランドに育てた。また、時代を先取りし過ぎていたために閉館した『SEED館』の試みは、現在では一般的であるセレクト型編集売場の先駆けでもあった。ちなみに、エルメス・ジャポンとラルフローレン・ジャパンの筆頭株主は西武百貨店であった。
また、「イメージ戦略」を打ち出し、『美味しい生活』、『不思議大好き』などの名キャッチコピーでも知られた。更には、パルコロフト無印良品コンラン卿と提携した家具・インテリア専門館「ハビタ館」、世界中のレコードが入手できるといわれた「WAVE」、西武が設立に関わったFMラジオ局「J-WAVE」、大型書店「リブロ」、洋書や近代思想、コンテンポラリーアートの画集などを幅広く手掛け、青山ブックセンターと並び称された「アール・ヴィヴァン」、高級スーパー「ザ・ガーデン自由ヶ丘」、日本初の総合スポーツ専門館「西武スポーツ館」、リボン館、PAO館などの異業態を次々に創造し、セゾン美術館銀座セゾン劇場渋谷パルコ劇場パルコ・クアトロ東京テアトル、パルコ出版など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。それは、セゾン文化<ref>*浅田彰【西武/セゾン文化を継ぐ者は誰か】</ref>と呼ばれ一世を風靡し、西武百貨店のブランド力を強固なものにすることに貢献した。
現在の西武百貨店全店における、国内百貨店事業単体の営業利益率は、4.18%(2006年2月期)で業界2位。ちなみに1位が大丸の4.4%、3位が阪急百貨店の4.06%である。

沿革

  • 1930年、呉服店の日本橋白木屋1662年創業)と、京浜電気鉄道が共同で設立した京浜百貨店が、『菊屋』の名称で池袋駅に出店したデパートが始まり。
  • 1940年西武鉄道の前身・武蔵野鉄道が『菊屋』(白木屋系)を買収。武蔵野デパートと改称。
  • 1947年、帝都百貨店の吸収を行い、武蔵野百貨店と改称。
  • 1949年西武百貨店と改称。
  • 1950年代前半、順次増改築が進み、大規模なターミナル型デパートとなる。
  • 1955年堤清二が取締役店長に就任。
  • 1956年、西武百貨店軽井沢店開業。
  • 1963年 8月22日、この日定休日だった池袋店で火災、7人死亡。原因は消毒作業員(未成年)の隠れタバコの不始末。2日後の8月24日に、冠水商品の大安売りを告知したところ、約5万人が殺到したため中止となった。
  • 1968年、渋谷に西武百貨店が進出。
  • 1971年、父・堤康次郎は政治家になって実業を離れていたが、鉄道・流通一体となった「西武企業グループ」の全国展開を目指し、いまだ手腕を振るっていた。しかし、父の死後は相続問題により「西武鉄道グループ」と「西武流通グループ」に分裂。安定基盤である鉄道や不動産を失ったことで、流通グループは<西武>を名乗りながらも、単独の道を歩みはじめる。
  • 1970年代以降、増田通二が開発したパルコの成功にヒントを得た「文化戦略」を打ち出す。
  • 1983年、池袋西武が売上高日本一へ(他店舗の売上高などを含む)。
  • 1984年有楽町マリオンに西武百貨店が進出。なお、二期ビル(有楽町西武地下2 - 4階など)が完成したのは1987年。
  • 1985年3月、西武流通グループから「西武セゾングループ」と改称してからは急成長を遂げ、地方百貨店との提携や、西友運営の西武店(LIVINの項目参照)などで店舗網を増やし、西武沿線やコクド(現・プリンスホテル)の拠点を抜け出し、全国制覇が実現した。直後には、<西武>を廃しセゾングループと改称、独立色はより鮮明となった。
  • 1997年10月、情報化促進貢献企業として通産大臣賞受賞。
  • 1999年アメリカ最大の高級百貨店「ノードストローム」社と国内販売権契約。
  • 2000年伊藤忠商事株式会社と事業協力で業務提携。
  • 2006年、有楽町西武構造改善。「ビューティー館」と「ファッション館」。
  • 2007年、シブヤ西武を約80億をかけて改装。日本最大のブランド数のラグジュアリーゾーンやビューティーゾーンを設け、食料品を扱うデパ地下を再開。
  • 2007年 9月14日、所沢西武リニューアルオープン。自主編集売場やビューティーゾーン、食のゾーンを展開。
  • 2008年から2010年には、“ファッションの西武”の復権を賭け、総額400億を掛けて池袋西武構造改善(予定)。東京メトロ副都心線開業に伴い、池袋本店と渋谷店を連動させてブランドメージの復権を狙う。

店舗

2008年決算期の記者会見で石井頼雄社長は、「ターミナルデパートであることに頼っていた」と発言。近年の百貨店業界の動向については「大衆性をそぎ落としている」とし、「西武は先進性と大衆性の両方を取り込み、“ファッションの西武”の復権を目指す」と述べた。
2006年2月期の西武全店の営業利益率は4.18%で業界2位。

東京地区

西武池袋本店

旗艦店の池袋本店(東京都豊島区)の営業利益率は10%に達する。年間来店客数が約7千万人に達し、集客数は国内有数。店頭売上高もトップレベルにある。ちなみに東武百貨店池袋本店は5千万人、小田急百貨店新宿本店は4.4千万人、阪急百貨店梅田本店は4.1千万人、伊勢丹新宿本店は3千万人である。
ファッションに関心が高い顧客層に根強い人気があり、前述のように“ファッションの西武”と呼ばれ、MDや売場編集能力も高い。1999年にはデンマークのインテリアショップのイルムスと提携して、『イルムス館』をオープンさせ、スカンジナビアモダンの流行のさきがけをつくった。また、池袋本店のデパ地下は、ザ・ガーデン自由ヶ丘を出店させるなど、昔から他を圧倒する品揃えと人気があり、デパ地下ブームの火付け役になった。
日経MJの2002年の調査や、インターワイヤードの2005年の調査では、首都圏人気デパ地下NO.1にも選ばれている。豊島園庭の湯ラクーアなどが近いことから水着の売上枚数も国内有数である。
また、数多くの文化施設から次々に新鮮な企画が打ち出された。新進作家の小物を展示即売する「クリエイターズスペース」、ビデオ舞踏落語などのイベントが行われた「スタジオ200」、ソフトが豊富だった「ビデオポート」、ビデオ制作の「スタジオテック」、出張撮影が依頼できる「キネテック」、貴重盤の多い「ディスクポート」、演劇ショップの「ワイズフール」など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。

シブヤ西武

シブヤ西武(東京都渋谷区)は、東急グループの当時の総帥、五島昇氏と堤氏の会談で、渋谷松竹・渋谷国際の両劇場跡地に「A館」と「B館」を開店させた(その代わりに東急は池袋に東急ハンズなどを出店させている)。A館とB館の間には宇田川が流れているため通常の百貨店に存在する地下連絡通路は無く、唯一空中連絡路で繋がれている。
その後も、関連企業のパルコによる渋谷公園通りスペイン坂の開発などでセゾン文化の流れを上手く活用するのみならず、隣接地への増床に踏み切り、現在の西武の屋台骨というべきロフトを別館でオープンさせ、流行と文化の発信地になった。こうした戦略は東急を刺激し、109BUNKAMURAなどをオープンさせることに繋がり、一時期は「渋谷東西戦争」などと呼ばれた。
2007年3月には大規模改装を行い、日本有数の高級品に特化した店舗として、高感度なファッションを独自に提案する「自主編集売場」を更に追求。国内最大級の54 のブランドを誇る「ラグジュアリーゾーン」や、高質エステを始め総合的な「ビューティーゾーン」を設けるなど、渋谷店ならではの特徴を出すことで成功している。また、食品売場もこだわりの食材を集めた「グルメマルシェ」として再開した。
2008年4月、開店40周年を迎え、デザイナーズブランドを一堂に集めて販売する「クリエーターズ・ウィーク」を開催。デザイナーズブランドのコレクション展示やトークショーなど、様々なイベントが行われた。

有楽町西武

有楽町西武(東京都千代田区)は、当初は朝日新聞東宝松竹なども巻き込んで有楽町マリオン全体を活用した百貨店の開設を目指したが、阪急百貨店と共にハーフスペースで入居する形となった。2006年にフルラインでの展開から、レディースファッションに特化した戦略に転換して成功している。なお、開業から数年間は、株式会社有楽町西武という別会社での運営だった。

ほかの日本国内店舗

北海道・東北地区

  • 札幌西武(旧五番舘西武):変則的だが、大通り地区の札幌パルコ1階エルメスは札幌西武による運営、および売り上げ計上。
  • 旭川西武(A館は旧旭川緑屋ショッピングセンターams旭川店)
  • 秋田西武(秋田中央ビルディングのキーテナント、旧・ほんきん西武):地元百貨店『本金』が西友傘下入り、後に西武百貨店に経営移管。百貨店→量販店→百貨店となった珍しい例。

関東地区

  • 所沢西武:1986年開店。西武鉄道のお膝元に所在する店舗。ただし西武グループ本社機能のあるくすのき台(東口)とは反対の西口に立地している。埼玉西武ライオンズ優勝時の優勝記念セール時は、大々的に鏡開きが実施される。
    • 2007年に改装を実施。都心店でしか手に入らなかった高感度なファッションを独自に提案する「自主編集売場」や県内有数規模の「ビューティー&ケアゾーン」を設置し、旬・鮮度・品質や、価格にもこだわった食材を提案する「食のゾーン」を展開するなど、地域に根ざした百貨店モデル店舗として新生した。
  • 船橋西武:渋谷店と並んで、多店舗展開のスタートになった店舗。
  • 筑波西武(茨城県つくば市つくばクレオスクエア):茨城県内では、京成以外の唯一の百貨店協会加盟店舗。
  • 東戸塚西武(横浜市戸塚区):オーロラモール。ダイエー東戸塚店ともに核テナント。

中部・関西地区

  • 沼津西武:1957年開業。伊豆箱根鉄道が家主の「沼津ビル」を一棟借りで運営している。1971年に新館を増築し、シブヤ西武に似た外見となっている。建物老朽化の面から、地元より再開発ビル(イーラde)への核テナントとしての入居を切望されたが、2003年に撤回の上現在に至る。近接して富士急百貨店(高島屋ハイランドグループに属するものの、ファッションビルに近い構成)が有るが、どちらも2000年代よりレストランを設置していない。
  • 岡崎西武:イオンモール岡崎内にあり、ジャスコとともに核テナントを形成している。お互いに日本の「流通2強」と言われているイオングループショッピングセンター内にセブン&アイ・ホールディングス傘下の企業の店舗が入っているという大変珍しいケースとなっている。
  • 福井 西武(旧だるまや西武)
  • 大津西武:パルコも後に進出(近江地域は、堤家発祥の地としても有名)。
  • 高槻西武:オーロラシティへ転換し、専門店導入部分を増加。
  • 八尾西武:アリオ八尾と接続して、ショッピングセンター化が実現。オーロラモール。
画像:Seibu(Sapporo).jpg|札幌西武 画像:Ams.JPG|旭川西武 画像:西武百貨店秋田店.JPG|秋田西武 画像:SEIBU-Numazu.JPG|沼津西武 画像:AEON Okazaki Shopping Center 10.JPG|岡崎西武

日本国外店舗

1990年、香港進出1号店として、金鐘のPacific Placeに出店した。現地法人としての「香港西武」は、1996年に香港のブランド王と称される香港の潘迪生の率いる「迪生創建」(ディクソン・コンセプツ・インターナショナル)へ譲渡・売却した。1997年には、2号店として銅鑼灣のWindsor House店を出店(2006年閉店)する。現在「西武」ブランドで、香港に5店舗・中国本土に2店舗・インドネシアに1店舗を構える。
現状これらの店舗については、日本の西武百貨店とは商標使用契約のみに留まっており、資本関係はない。ロゴタイプも、漢字表記の「西武」ならびにローマ字表記の「SEIBU」は日本の西武百貨店で使用されているものと同様のものが使用されている(ただし、ローマ字ロゴは有楽町西武などで使用されている、シンプルフォントタイプ)。シンボルマークは、ディクソン傘下店舗は独自のものを使用している。

業態変更した西武百貨店の店舗

過去の西武百貨店の店舗と現在

以下は、西武百貨店が運営していたことのある店舗である(×は現在建物が解体された店舗)。
  • 軽井沢:夏季のみ営業の店舗であったが、1990年代に閉鎖。跡地は2008年現在利用されていない。
  • 富山:2006年3月31日閉店。
  • 小松:西友としてオープン後、西武となったが閉鎖。現在は小松大和(ダイワ)
  • 市川:当社としてオープン後、西友市川店となったが閉鎖。現在はエコス
  • 川崎:当初は別会社の株式会社川崎西武百貨店が運営。川崎ルフロンのテナントとして入居していた。2003年8月10日閉店。2004年3月ヨドバシカメラ・マルチメディア川崎ルフロンとしてリニューアルオープン。
  • 鎌倉1959年9月に開店したが、小規模店であったため1973年2月に閉鎖。
  • 志澤:小田原の老舗百貨店。西武百貨店の傘下入りする以前は、神奈川・静岡にも店舗があった。西武百貨店の一店舗にもかかわらず店舗ロゴ・包装紙などは志澤独自のデザインを使用していた。1997年閉鎖。西武の傘下になったころは志澤西武の名称であった。
  • 静岡2006年3月31日閉店。同店が入居していた「田丸屋ビル」を改装し、2007年3月15日「静岡パルコ」が開店した。
  • 浜松×:1971年開店。1997年12月閉鎖。1回増床をし、店舗面積約22000㎡。跡地はザザシティ浜松西館。
  • 豊橋×:1973年、豊橋丸物と提携し、豊橋西武に改名。のち西武百貨店関西を経て、直営店化。2003年8月10日閉鎖。跡地には、2008年8月、地元企業のサーラコーポレーションによりココラフロント開業。
  • 尼崎:塚新西武(つかしん内)。2002年9月、全館(7フロア)から2フロアへと規模縮小。2004年5月9日閉店(※本記事「有数の百貨店グループから日本最大の流通グループへ」節内、およびグンゼタウンセンター つかしん記事内で詳述)。
  • 神戸神戸ハーバーランド内。1994年閉鎖、わずか2年ほどの営業で史上最も短命。跡地は、パソナにより「神戸ハーバーサーカス」が入居したもののこれも撤退し、「ビーズキス」を経て現在は「famlio(ファミリオ)」という名称で営業している。
  • 高知土佐電気鉄道系列の旧「土電会館」との資本提携により、「とでん西武」として1973年11月30日開店。2002年12月25日限りで閉店。建物自体はバスターミナルとして2005年11月10日まで使用された。跡地は大阪市の不動産会社・オーナーズ・ブレーンによる再開発が計画されていたが、同社は2008年8月5日に事業計画を白紙に戻すと発表した。
  • ロサンゼルス西武(アメリカカリフォルニア州ロサンゼルス):堤康次郎の直接の指示で出店したが、時期尚早ですぐに閉店した。その後Ohrbach's百貨店を経て、現在はPetersen Automotive Museumとなっている。

出店を断念した店舗

  • 新宿南口貨物駅跡地(現・タカシマヤタイムズスクエア) - 西武は、高島屋伊勢丹そごう丸井と共に競争入札に参加し、西武新宿駅から鉄道を地下化して新南口まで延伸させる計画で挑んだが、高島屋に敗れた。入札担当者は、「都内の出店状況のバランスを考慮して高島屋に決めた」と話している。
  • 新百合ヶ丘駅前(川崎市麻生区):スポーツクラブ「リボン館」併設の複合店舗としての計画だったが、バブル崩壊後で財政事情などにより出店断念。なお出店予定地はイオングループマイカルによる「新百合ヶ丘サティ・ビブレ」「コナミスポーツクラブ新百合ヶ丘」として現在営業中。
  • 広島駅前(広島市南区):広島駅南口再開発事業Bブロック(エールエールB館)の核テナントとして内定していたが、経営悪化で1996年に出店計画を中止。
  • 中百舌鳥駅前(堺市北区):中百舌鳥駅前再開発事業の商業施設として落札したが、そごうとのトラブルや、バブル崩壊などが原因だとして1993年に出店計画を中止。
  • 福山店(広島県福山市):現在の福山市役所を入船町に移転させ跡地に西武百貨店を誘致する計画もあったが、これは市幹部と西武側の汚職で頓挫した。また、後に再び福山駅北口に西武百貨店を誘致する計画が持ち上がるが、これも頓挫した。
  • イオン浜北ショッピングセンター(浜松市浜北区):イオンとの連携で郊外型ショッピングセンター店舗の連続出店を行うため設立したミレニアム企画の第2弾として、イオン浜北ショッピングセンターの核テナントとして内定していた。しかし経営が悪化し、岡崎西武の当初の業績不振や地元におけるイオン出店に絡む市長汚職事件などで立ち消え。
  • 西鹿児島駅前《現:鹿児島中央駅》(鹿児島市中央町):1980年代の一時期に中央町一帯(アーケード商店街)の街区をまるごと潰した大規模再開発へ参加を模索していたとの地元関係者の証言が最近明らかになった。当時は福岡市の天神地区進出に失敗後、初の九州での百貨店計画とのことでかなり意欲的であったようだったが、条件面での折り合いがつかずその後は そごうとの交渉になった。(そごうとの交渉も経済情勢の変化により1993年以降に自然消滅となった。)
  • 仙台店

有数の百貨店グループから日本最大の流通グループへ

1992年、和田繁明が会長に就任。堤清二のもと管理機能が不在となり、あらゆる弊害が顕在化している現状を痛烈に批判した『西武百貨店白書』を公表。この中で「百貨店は構造不況」だと指摘している。
バブル崩壊に伴う過去の不動産への過剰投資が重荷となり、パルコ等セゾン文化の中で養われた独自ブランドを手放し、更に最大の収益力を誇る池袋本店を不動産投資信託化して一千億以上の資金を調達するなどして再建に取り組んだ。この手腕が買われ、2000年民事再生法の適用を申請し経営破綻したそごうの社長に和田が抜擢された。和田は、西武百貨店の経営手法を多く取り入れる手法で(しかし、西武百貨店とそごうとの資本提携は行わずに)そごうの経営再建を進めた。このことが、図らずも、のちに西武百貨店とそごうが経営統合するにいたる大きなきっかけとなった。
西武百貨店の再建に明るい兆しが見えて来た所で、セゾングループの経営危機が表面化。傘下にあった西武百貨店にも経営不安がささやかれた。このとき、西武百貨店を救済したのが、西武百貨店の経営手法を取り入れて経営再建したばかりのそごうを傘下に収めていた「株式会社十合」であった。2003年から2004年にかけて十合が西武百貨店の第三者割当増資を段階的に引き受け、さらに株式交換を行う形で、西武百貨店を完全子会社化した結果、そごうと西武百貨店の経営統合が実現した。
なお、その過程の2003年6月1日に、株式会社十合はミレニアムリテイリングに商号変更し持株会社となっている。高島屋に次ぐ国内2位の巨大百貨店グループが誕生することになったこの経営統合が、双方ののれん(屋号)を維持しながら経営の合理化を実現した点で、のちに行われた大手百貨店どうしの経営統合に少なからず影響を与えている。
その後、再建を確かなものとするために野村証券グループなどを引受先とする増資を行い、連結子会社として株式上場を目指していたが、野村プリンシパルファンドと西武百貨店の間で上場時期を巡る意見の対立が顕在化したことに加え、敵対的買収防衛策の観点から、ミレニアムリテイリンググループはセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りを決めた。その結果、かつてのセゾングループに匹敵する、国内最大の流通グループが誕生した。
なお、関西地区(東海=愛三岐も含む)の西武百貨店は1976年(昭和51年)に開店した大津店を皮切りに西武百貨店関西によって運営されていたが、業績不振により西武百貨店(本社)へと統合された。しかし、その後も関西地区での業績は伸びず、関西の西武百貨店のシンボル的存在でイトマン事件の舞台になった「つかしん(塚新)店」(現グンゼタウンセンター つかしん尼崎市1985年開店)が2004年5月9日に閉鎖される遠因ともなった。

POSシステム

出身著名人

セゾングループ含む

関連項目

補足

外部リンク

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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