草野大輔 [被リンク数: 103]

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
草野 大輔(くさの だいすけ、1976年12月4日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手内野手)。背番号は12宮崎県延岡市出身。

経歴

延岡学園高等学校では3番・遊撃手として活躍。1994年夏の宮崎県大会では、決勝戦で福盛和男擁する都城高等学校を破って甲子園に出場したが、初戦で東京農業大学第二高等学校に4-12で敗れた。

社会人時代

1995年、NTT東京硬式野球部(東京都)に入部。
1999年、NTT東京がNTT東日本に統合されたことにより、NTT九州硬式野球部(熊本市)へ移籍。第70回都市対抗野球大会出場。その後、所属チームは企業チームとしての活動を終了。名称も改め、「NTT西日本九州野球クラブ」(後に「NTTグループ九州野球クラブ」と改称)となる。
2001年、所属チームが解散。ホンダ熊本へ移籍。
2002年、九州地区予選で、当時エースだった坂本保(現ホンダ)と共に、3番・遊撃手としてチームを引っ張り、第73回都市対抗野球大会出場し、準優勝。
2003年第74回都市対抗野球大会出場、ベスト8。
2004年2005年、所属チームは都市対抗野球大会への出場を逃すが、JR九州の補強選手として大会に出場した。JR九州は各年、ベスト8・ベスト4入り。JR九州では三塁手。
2003年以降、全日本代表に4度選出され、社会人野球を代表する内野手となる。全日本では二塁手。(目次4の「日本代表キャリア・社会人時代」を参照)
2005年、大学生・社会人ドラフト8巡目で東北楽天ゴールデンイーグルスに指名される。年齢的にプロ野球選手はほとんどあきらめていたが、悩みぬいた末、29歳・妻子ありでのプロ入りを決断した。その際、高校の先輩である黒木知宏(現・ジョニー黒木)にも相談した。

プロ入り後

2006年
故障で出遅れた高須洋介に代わり、開幕2戦目の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)に8番二塁手で初出場、初安打となるツーベースヒットを放つ。その後は同じくルーキーの西村弥、二年目の塩川達也遊撃手のポジションを争うものの、出場選手登録・抹消を繰り返す。結局一軍に43試合出場し打率.210と定着しきれなかったが、ファームでは41試合出場し打率.348、4本塁打、6盗塁の結果を残した。
2007年
開幕戦の西武ライオンズ戦(グッドウィルドーム)で、2番三塁手としてスタメン出場し、西口文也からプロ初本塁打を放つ幸先の良いスタートとなった。前半戦は「落ちるとこまで落ちた」と自身も語る打撃不振に陥り 、同じショートの渡辺直人の台頭もあり、スタメンを外れ代打に回る機会が多くなる。しかし代打で結果を残すようになり、ホセ・フェルナンデスの不振から、交流戦明けからは三塁手でのスタメン出場が増えてきた(但し、相手先発投手が左の時は、スタメンを外れる事が多かった)。
7月、池山隆寛打撃コーチからアドバイスを受け、腰を低く落とした打撃練習に取り組む。 この練習が功を奏し、チェンジアップなど縦に変化するボールに対応できるようになってきた8月ごろから、打率が上がり始める。
8月10日千葉ロッテ戦(フルスタ宮城)でプロ初サヨナラヒットを放ち、同月21日には千葉ロッテ戦(千葉マリン)でソロ本塁打。試合後、野村監督は「勝負強いし、(打撃に関しては)天才的なところがある。草野を3番に」とコメントした 。これ以降、先発投手の左右に関係なく、3番・三塁手でのスタメン出場が定着する。
9月には15日・21日・24日、27日、29日、30日と、続けざまに猛打賞を記録。チームの勝利に貢献する殊勲打をたびたび叩き出し、楽天の最下位脱出(単独4位)の立役者の一人となった。最終的には規定打席不足ながら、打率.320を記録する。また2ストライクからの打率は両リーグでトップの打率.328を記録。一方で守備面ではリーグ5位の14失策を記録してしまった。
2008年
オープン戦で打率.333(チームトップ)と打ちまくり、3番三塁手で2年連続の開幕スタメン出場を果たした。しかし打率が1割台と打撃不振になってしまい、1度は2軍落ちしてしまう。夏場頃には調子を戻し始めたが、それでも成績は乏しかったためスタメンを外れることが多々あった。また、8月からはフェルナンド・セギノールが入団した影響でホセ・フェルナンデスが三塁にまわり、自身は代打、守備要員になってしまう。しかし代打で連続打席安打を記録するなど、ここ1番での勝負強さを見せた。

人物・エピソード

社会人時代

  • 打力の評価は高く、ホンダ熊本時代はアマチュアNo.1バッター、最強のクラッチヒッターと言われた。IBAFワールドカップにも2回出場、主力として活躍している。
  • JR九州の補強選手として出場した2005年都市対抗野球では、1回戦の対三菱重工神戸戦で1-4とリードされた7回裏に西川雅人(現オリックス)から追撃の2ランを打ち込んだ。三菱重工神戸はこれを受けて9回裏二死一塁、あと一人抑えれば勝ちの局面で草野を敬遠、逆転サヨナラのランナーを出してまで4番・三船貴徳との勝負に出たが、三船に2点タイムリー三塁打を浴びてサヨナラ負けを喫した。これは三菱重工神戸ベンチが草野を恐れるあまり判断を誤った結果ともいわれている。当時の三菱神戸監督の岡正博は、この試合の責任をとって辞任した。
  • JR九州に補強された際には、応援団から登場曲としてダース・ベイダーのテーマが演奏され、持ち前の勝負強さと相まって妙にはまっていた。

プロ野球時代

  • 背番号12は、JR九州の補強選手として都市対抗野球大会に出場した時の番号。
  • 2007年シーズンから、バットを長距離打者用から中距離打者用に変更し、打撃もミートを重視したものに切り替えた。
  • 2007年度から、本拠地での勝利試合後には、数人の選手がレフトスタンド(ホーム応援席側。但し地方開催時はライトスタンド)へ走り、万歳三唱をすることが恒例となったが、これに率先して毎回参加している。 (他に、塩川達也渡辺直人嶋基宏 らが主に参加)
  • 29歳というかなり遅い年齢でプロ野球で入った選手が活躍することで、同じような境遇の選手に夢と希望を与えることができると言うことを意識してプレーしているという。
  • 田中将大には、トイレの個室に閉じ込められるというイタズラをされたりするが、たいへん仲が良い。
  • 監督の野村克也が、試合後のインタビューで草野についてコメントを求められると、「彼は天才だから。」というコメントを良くする。
  • 打席での応援歌は、2007年に作られたものだが、当時横浜に在籍していた古木克明(現オリックス)の応援歌に似ている。

日本代表キャリア(社会人時代)

年度別成績

打撃成績

守備成績

登場曲

  • 『Jah Live』 Def Tech (2007年)
  • I BelieveEXILE (2008年)

脚注

----------------------------------------------
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.
ご利用上の注意

制限事項


Sensrについて
Powered by EAST, SAGOOL, kizasi, hatena, OKWave.