なお筆名は色川 武大(いろかわ ぶだい)。その他阿佐田 哲也(あさだ てつや)、井上 志摩夫(いのうえ しまお)、雀風子がある。
色川名義では、他の作家の影響を感じさせない、孤高の作品を執筆。また、阿佐田名義では「『麻雀小説』の発明者にして、最高の作家」として知られる。
略歴
牛込(現
新宿区)
矢来町生まれ。父親は40代の若さで退役した海軍大佐であって、色川は、父が44歳にして初めてうまれた長男であった。父は何も仕事をせず、常に自宅におり、家族は恩給で生活していた。また、子どもをしかる時は鞭をつかい、98歳の長命を保った。この父親との関係は、色川文学の大きなテーマの一つとなっている。色川が小学校入学の年に弟が生まれる。
学校生活になじめず、小学生時代から、学校をサボって浅草興行街に出入りし、映画や
寄席、
喜劇などに熱中する。あまりに学校をサボるので、塾に通わされたが、そこもまたサボって、寄席に通っていたという。
また、アメリカ映画のスタッフの名前を覚えて各人の出世や退職などを見守ったり、実在の、相撲の力士や野球の選手の名前を書いたカードを作り、サイコロを振って勝敗をつける独自のゲームを考案して、その「一人遊び」に熱中する。相撲ゲームには20代なかばまで熱中した。後年、競輪に熱中するようになると、実在の競輪選手4000人のカードを作り、それを使ったゲームにも熱中した。
1941年旧制第三東京市立中学(現
東京都立文京高等学校)に進学。1943年からは「勤労動員」で、工場で働くが、ガリ版同人誌をひそかに発行していたことが露見し、無期停学処分を受ける。
1945年に終戦を迎えるが、無期停学処分のままだったため、中学を中退。父親の軍人恩給が止まったため、生活のため、以後5年ほど、かつぎ屋、闇屋、街頭の立ち売り、博徒などの職を転々とし、アウトローの生活へ身を投じる。
後に執筆した『麻雀放浪記』の主人公「坊や哲」さながらのバクチ修行をし、サイコロ博打や麻雀の腕を磨く。稼いだ時は上宿へ泊まり、文無しになった際は野宿をした。このギャンブル没頭時代に、後に、彼の人生自身の哲学となる「ツキの流れを読んでそれに従う」「欲張りすぎず、(相撲でいえば)九勝六敗を狙う」などの考えを、身につける。
やがて
1950年(昭和25年)頃から各種業界紙を転々と渡り歩くようになる。
1953年(昭和28年)には
桃園書房に入社、事実上アウトローの世界より引退。『小説倶楽部』誌の編集者として
藤原審爾や
山田風太郎のサロンに出入りをする。特に、
藤原審爾には「人生の師匠」とまで傾倒していた。
この頃の色川は、やせた美男子であった。また、山田によると「円形恐怖症」で、リンゴ、卵、ボールなどを怖がったという(のちの『怪しい来客簿』では、「山が怖い」と書かれている)。
また、この頃から既に、後に病名が判明する
ナルコレプシーの兆候があり、山田宅や藤原宅で麻雀が催されると、自分の番が来るまでに寝てしまいその度に、起こされていたという。なお、麻雀の玄人であったことがばれないよう、トップにはならず「いつも、少しだけ浮く」という麻雀を打っていた。
吉行淳之介は、その打ち方を見て不審に感じ、のち阿佐田哲也名義で『麻雀放浪記』が刊行された際、「この作者は、おそらく色川武大だ」と直感したという。
藤原の主宰する小説勉強会で知り合った、当時
北海道新聞の記者をしていた夏堀正元が、色川を「傑作を書ける男だ」と『
中央公論』の笹原金次郎に紹介した。この頃、夏堀正元の紹介で
新日本文学会にも入会(ただし、後年、夏堀が他の作家に「この人も『新日本文学』の会員ですよ」と紹介すると、「いや、違う」と色川は否定したという。
新日本文学会のイデオロギー臭を嫌っていたと思われる)。当時の色川は「あまり本を読まない文学青年」で、夏堀が薦めたドストエフスキー等には反応せず、『旧約・新約聖書』に熱中していたという。
1955年(昭和30年)に桃園書房をクビになり、以降、生活のために「井上志摩夫」名義での娯楽小説を書く。この頃から、ゴールデン街の名物バー「まえだ」に通うようになる。
1961年(昭和36年)に、父親のことを書き、本名で応募した『黒い布』が
伊藤整や
武田泰淳や
三島由紀夫の激賞を受け、第6回中央公論新人賞を受賞。なお、この受賞パーティが、
野坂昭如の「文壇パーティ・デビュー」の会でもあり、後の野坂の小説『文壇』でその様子が描写されている。
しかしその後はスランプに陥り、以降しばらく、同人誌での活動を行う。また、「生活費は競輪などのギャンブルで稼いでいる」と知人には語っていた。
1966年(昭和41年)に『
週刊大衆』に、「雀風子」の筆名で『マージャン講座』というコラムを執筆したところ人気を博し、この連載はタイトルを変更しながらも2年間続く。この頃から原因不明の睡眠発作・脱力症状・幻視・幻聴・幻覚(後述)に悩まされるようになり、治療費が必要となった場合に備える構えで、さらなる別名での執筆を行うことを決めた。
1968年(昭和43年)に『週刊大衆』に「阿佐田哲也」名義で発表した、『天和の職人』などで、「麻雀の牌の並びが小説中に記載されている、麻雀小説」を発明する。
1969年(昭和44年)に、やはり『週刊大衆』に連載を開始した自伝的小説『
麻雀放浪記』シリーズで、若い読者の圧倒的人気を得て脚光を浴び、世は麻雀ブームとなる。以後、麻雀小説を多数執筆し、その影響で「麻雀専門誌」や「麻雀専門劇画誌」などが生まれ、その多くに阿佐田は執筆した。
1970年(昭和45年)から『
週刊ポスト』において、作家や芸能人、スポーツ選手などが参加する「麻雀勝抜き戦」の「観戦記」の執筆を開始(1976年まで)。自らも選手として参加し、麻雀を通して、交友範囲を大きく広げる。麻雀を通しての交友であったので、
井上陽水などとは非常に親しい仲になったにもかかわらず、陽水の歌声をかなり後まで知らなかったという。また、この年から従妹(母親同士が姉妹)の黒須孝子と暮らしはじめる。なお、孝子は「この人は病気で数年で死ぬだろう。その間、看病して、この怪物のような人物と暮らしてみたい」という気持ちだっという。
また、若手の麻雀強豪(
小島武夫、
古川凱章ら)を集めて、麻雀エンターテインメントグループ「麻雀新撰組」を結成し、局長に就任。麻雀メディアにおおきな影響を及ぼす。この経緯はのちに、『小説・阿佐田哲也』に書かれている。
1973年(昭和48年)には孝子と結婚。孝子は直木賞受賞作『離婚』のモデルとなる。なお、若い頃、東宝から映画女優としてのスカウトがきたほどの美人であった。
1974年(昭和49年)に前述の精神病が難病の
ナルコレプシー(眠り病)と判明、終生悩まされる事になる。この年、色川名義で、『
話の特集』誌に「怪しい来客簿」の連載を開始する。
1976年(昭和51年)には
胆石の悪化で一時期危険な状態にまで陥った。家族は葬式の手配までし、『
近代麻雀』誌は追悼号の印刷までした。たが、医者も驚く奇跡的な回復をする。退院後、すぐその晩から
清水一行、
畑正憲らと丸二日間、麻雀をした。
1977年(昭和52年)に『怪しい来客簿』が本名で刊行され、
泉鏡花賞を受賞する。『黒い布』以来「色川武大」としては16年ぶりの復活であった。
1978年(昭和53年)には『離婚』で第79回
直木賞を受賞する。この作品は事実とフィクションが入り混じった内容で、孝子夫人は「小説のとおりの人物」と人から思われ、人間不信になり自殺まで考えたという。以降は、本名と阿佐田哲也名義で執筆を続け、精通している
博打、
映画、
芸能、
ジャズや幅広い交友関係などを元にした著書を多数出版し続けた。
また20年間で10回も引越しを行っていたが、
1989年4月3日に前の月移転したばかりで、最後の引越先となった
岩手県一関市で
心筋梗塞で倒れて病院に運ばれる。即時の適切な手当の結果、一命を取りとめたと思われたが、一週間後、入院先の
宮城県の病院にて、めったにない心臓破裂で死去。享年61(60歳で死去)。一関の家には、10日しか住めなかった。
作家活動
色川武大名では主に純文学を、阿佐田哲也名では『
麻雀放浪記』をはじめとするギャンブル小説を多数発表しているほか、井上志摩夫名では時代小説などを発表している。
「阿佐田哲也」のペンネームについては、麻雀で徹夜を繰り返し『朝だ!徹夜だ!』といったことに由来しており、「武大」の本名は父親が中国の小説『
金瓶梅』の登場人物より名付けたものである(自著『ぎゃんぶる百華』より)。
ギャンブル
麻雀の分野においては、麻雀をカルチャーとして広めたという意味で戦後最大の功績者であると言える。「雀聖」とも呼ばれ、神格的扱いすら受けるビッグネームである(「雀鬼五十番勝負」などの作品に見られるように元々は「
雀鬼」と呼ばれていたが、後にナンバーワン代打ちとして活躍する
桜井章一を「雀鬼」と呼ぶことが一般的になったため、区別するために「雀聖」と呼ばれるようになった)。
また、麻雀技術書において、麻雀に戦術があることを書き、
五味康祐とともに、「単なるギャンブル」とみなされていた麻雀を「知的なゲーム」として見直させることになった。
また、小説の中に登場人物の牌の状況図を入れる「麻雀小説」の発明者であり、その影響下により、他の作家たちによる「麻雀小説」「麻雀劇画」が生まれた。なお、牌の状況を書く際は、麻雀の牌が刻まれた特注のハンコを用意し、それを原稿用紙に押していたという。
1965年(~75年)に『麻雀放浪記』がヒットすると、1970年から『週刊ポスト』誌で有名人による麻雀勝抜戦(阿佐田が観戦記担当)が開始。1972年には、
竹書房から、日本初の麻雀専門雑誌『月刊
近代麻雀』が誕生。他の出版社からも専門誌が次々に刊行された。阿佐田はこれらの雑誌類にも、精力的に執筆・参加した。
1975年には、
小島武夫・
古川凱章らと「麻雀新撰組」を結成し、テレビ番組11PM(
大橋巨泉:司会)の麻雀コーナーに出演して、麻雀を打つなど積極的なメディア展開を図り、「第二次麻雀ブーム」形成に大きく貢献した。
また、「
競馬、
競艇などの
ギャンブルの中で人が最後にたどりつく『ギャンブルの王様』は
競輪である」と言うほど競輪を愛していた。これにちなみ、
立川競輪場では毎年「
阿佐田哲也杯」が開催されている。なお、麻雀でも過去に「阿佐田哲也杯」が開催されていた(現名称は「麻雀王座決定戦」)。
また、友人である作家
山口瞳の
競馬随筆などにも何度か登場しており、山口が雑誌で連載していた随筆連載では
旅打ちのゲストとして登場している。この山口の随筆には、色川の持病のナルコレプシーについての描写も見られる。
その他、若い頃は、ギャンブル仲間と年頭に、「この1年に誰が死ぬか」という賭けもしていた。
なお、作家として高名になった後も、「その筋の人々」との「手本引き」などのギャンブルをしており、その際は数百万単位の金銭を持参して、賭場にのぞんだという。
ギャンブルを通じて、
将棋の棋士たちと縁ができたことから、当人は将棋はあまり強くなかったが、将棋の観戦記も書いていた。
また、色川がギャンブルから学んだ人生観として、「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理がでる」という言葉がある。そのため、「幸運が続きすぎると危ない」という考えがあり、ギャンブルに大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」と語った。作家の
向田邦子が1981年に
飛行機事故で亡くなった際は友人に、「あの人は幸運が続きすぎたせいだ」と語った。
エピソード
- 劇作家の飯沢匡の母は色川家の人で、飯沢と色川は「高祖父が同じ」、また従兄弟の関係になる。
- 若い頃はやせた美男子であった。だが、ナルコレプシーを患ってからは睡眠周期が乱れ1日内の時間感覚が崩れ、「起きていて、腹が減れば食事をする」こととなり、「1日6食」も食事をするようになった。そのため、後年のような肥満体となった。
- 若い頃、乗馬クラブに入っていたことがあり、その縁もあって、ベッドの横にはナルコレプシーで出てくる幻覚を追い払うための、乗馬用の鞭が置いてあった。
- 料理が得意で、結婚前は、自宅を訪れた客にプロ並の料理をふるまっていた。
- 風呂嫌いでめったに風呂にはいらず、また風呂にはいってもつかるだけであり、結婚後は夫人が体を洗っていた。
- 時間にルーズで、自分が文学賞を取った際の授賞式にも、必ず遅刻していた。
- 古いアメリカ映画を始めとする大量のビデオ・コレクションを持っており、買ったビデオが「あの人が好きそう」と思えば、「○○が入りましたよ」と電話で教えて貸し出すなどしていた。
- 他に、戦前に、遊技場などに備え付けられていた専用の再生機で、個人単位で見られていた短編映画(特に音楽映画)のフィルムもコレクションしていた。音楽評論家の中村とうようとは、そのコレクションの趣味で交友があった。
- また戦前から前後直後にかけての古い芸能関連雑誌も、大量にコレクションしていた。その中で、18歳の山田風太郎が映画雑誌に投稿しているのを、偶々みつけ、そのページのコピーを山田に送った。
- 作家となった後は、非常に人づきあいがよくなり、そのため、文壇、芸能界、スポーツ界、麻雀プロたち、アウトローの世界を含めて、異常なほど多数の人物と交際しており、色川家には人の出入りが絶えなかったという。その異常な「つきあいのよさ」が、色川の死期をはやめた。山口瞳は色川の死後、「彼には八方美人の性格があり、だれもが『自分が一番愛されている』と感じさせた」と書いている。また、ばばこういちが色川の生前、「あなたは、どうしてそんなにやさしいのですか?」と尋ねたところ、色川は「私は少しもやさしい人間ではないのです。そう見えるとしたら、私が他人を信じていないせいかもしれません」と答えたという。
- 1971年に引っ越した大久保の借家は、その直前に放送作家のはかま満緒が住んでいた。電話番号もそのままであったため、マスコミ関係者が「はかま宛」の電話取材をかけてきて、色川が代わりにそれに応対したという。
-
チワワを飼っていたことがあって「アサダ」という名前をつけていた。その犬が死んだ直後に、黒鉄ヒロシが色川宅に電話すると、孝子夫人が「アサダが死んじゃったのよ!」と言ったため、黒鉄をあわてさせた。なお、そのチワワの死因は奇しくも、後の色川の死因と同じ「心臓破裂」であった。
- また、一時は5匹ものチワワ(名前は東子、リーチ、カン太、ゲンロク、チョンボ)を飼っていたこともあり、さすがに多すぎたので2匹を清水一行に、1匹は銀座の画廊経営者に譲り渡した。
- 一関への引越しは、同地に有名なジャズ喫茶「ベイシー」があったのがきっかけである。還暦を期に、それまでの「多数の人々との交流」を減らし、作品に専念するという考えがあり、また純文学では稼げないため家賃の安い所に住みたいという理由もあった。
- 東京の実家で行われた葬儀には、交流があったジャズ・ミュージシャンが多数参列しており、葬儀の中でジャズを演奏したいという希望が多くの人にあったが、事情により実現できなかった。
-
小松原茂雄元東京大学教授(ディケンズの世界の著者)とは小学校からの親友である。
- 小学校からの親友に対し、「僕の妻はベッドメイクのプロだよ」と言おうとして、「ベッドプレイのプロだよ」と言った事がある。その言い間違い訂正せずに亡くなった。
- 自身の顔貌が米俳優のシドニー・グリーンストリートに似ていると称していた。
受賞歴
全て本名の色川武大名義による受賞。
色川武大名義の著作
- 『怪しい来客簿』(話の特集,1977年7月)ISBN 4-16-729604-7
- 『離婚』(文藝春秋,1978年11月)ISBN 4-16-729601-2
- 『ぼうふら漂遊記』(新潮社,1979年3月)ISBN 4-10-127001-5
- 『生家へ』(中央公論社,1979年7月)ISBN 4-06-198257-5
- 『小説阿佐田哲也』(角川書店,1979年11月)ISBN 4-04-145902-8
- 『無職無宿虫の息』(講談社,1980年7月)ISBN 4-06-183186-0
- 『花のさかりは地下道で』(文芸春秋,1981年6月)ISBN 4-16-729602-0
-
阿刀田高、飯沢匡、井上ひさし、色川武大著ほか 『お笑いを一席』(新潮社,1981年9月)ISBN 4-10-125501-6
- 『百』(新潮社,1982年10月)ISBN 4-10-127003-1
-
日本ペンクラブ編 『食前にたっぷり』(集英社,1983年11月)ISBN 4-08-751024-7
- 『恐婚』(文藝春秋,1984年3月)ISBN 4-16-729603-9
- 『うらおもて人生録』(毎日新聞社,1984年11月)ISBN 4-10-127002-3
- 『喰いたい放題』(潮出版社,1984年11月)ISBN 4-334-74055-3
- 『遠景・雀・復活』(福武書店,1986年2月)ISBN 4-8288-2181-3
- 『寄席放浪記』(広済堂出版,1986年10月) ISBN 978-4-309-40832-3
- 『あちゃらかぱいッ』(文芸春秋,1987年11月)ISBN 4-309-40784-6
- 『街は気まぐれヘソまがり』(徳間書店,1987年11月)ISBN 4-19-123557-5
- 『唄えば天国ジャズソング:命から二番目に大事な歌』(ミュージック・マガジン,1987年5月)ISBN 4-480-02496-4
- 『狂人日記』(福武書店,1988年10月)ISBN 4-06-198381-4
-
長部日出雄、村松友視、和田誠、色川武大著 『戦後史グラフィティ』(話の特集,1989年8月)ISBN 4826401108
- 『虫喰仙次』(福武書店,1989年5月)ISBN 4-8288-3100-2 「遠景・雀・復活」の改題
- 『色川武大の御家庭映画館:映画ビデオ・ガイドブック』(双葉社,1989年7月)ISBN 4-87376-267-7
- 『引越貧乏』(新潮社,1989年7月)ISBN 4-10-127004-X
- 『虫けら太平記』(文芸春秋,1989年7月) ISBN 4-16-729606-3
- 『なつかしい芸人たち』(新潮社,1989年9月)ISBN 4-10-127005-8
- 『明日泣く』(実業之日本社,1989年11月)ISBN 4-06-185972-2
- 『ばれてもともと』(文芸春秋,1989年12月) ISBN 4-16-343900-5
- 『私の旧約聖書』(中央公論社,1991年9月)ISBN 4-12-201835-8
- 『色川武大 阿佐田哲也全集1~16』(福武書店,1991年~1993年)
- 『いずれ我が身も』(中央公論新社,2004年3月)ISBN 4-12-204342-5
- 『映画放浪記:大人の映画館』(キネマ旬報社,2006年)ISBN 9784873762678「色川武大の御家庭映画館」の改題
阿佐田哲也名義の著作
- 『牌の魔術師:雀豪列伝』(報知新聞社,1969年)ISBN 4-04-145968-0
- 『麻雀の推理:サラリーマン麻雀実戦訓』(双葉社,1969年)
- 『麻雀放浪記:青春編』(双葉社,1969年)ISBN 978-4-16-732304-2
- 『麻雀放浪記:風雲編』(双葉社,1970年)ISBN 978-4-16-732305-9
- 『天和無宿:雀豪列伝』(報知新聞社,1970年)
- 『雀鬼五十番勝負』 (双葉社,1971年)ISBN 4-04-145967-2
- 『阿佐田哲也のマージャン秘密教室:知りたがっている人だけに』(青春出版社,1971年)ISBN 4-413-08259-1
- 『麻雀放浪記:激闘編』(双葉社,1971年)ISBN 978-4-16-732306-6
- 『絵本・マージャンABC:女性初心者のための麻雀入門』(実業之日本社,1971年)
- 『麻雀放浪記:番外編』(双葉社,1972年)ISBN 978-4-16-732307-3
- 『阿佐田哲也のAクラス麻雀』(双葉社,1972年)ISBN 4-575-71012-1
- 阿佐田哲也、古川凱章著 『麻雀中級入門』(山海堂,1972年)ISBN 978-4381070159
- 『厩舎情報:馬券買いの観念を変える本』(日本文芸社,1972年)
- 『牌の魔術師』(双葉社,1973年)ISBN 4041459680
- 『ギャンブル党狼派』(双葉社,1973年)ISBN 4041459559
- 『ああ!!勝負師』(日本文芸社,1973年)ISBN 4041459575
- 『雀鬼くずれ』(双葉社,1974年)ISBN 4041459702
- 各界著名人50名著 『おれのマージャン:この打ち方で数年は勝てる』(青春出版社,1974年)
- 『小説・麻雀新選組』(双葉社,1974年)ISBN4-575-50006-2
- 『清水港のギャンブラー』(双葉社,1975年)ISBN 4-04-145969-9
- 『麻雀狂時代』(双葉社,1978年)ISBN 4041459605
- 『東一局五十二本場』(双葉社,1978年)ISBN 4041459613
- 『ギャンブル人生論:らくではないよアウトロー』(けいせい出版,1980年)ISBN 4-04-145962-1
- 『新麻雀放浪記:申年生まれのフレンズ』(文藝春秋,1981年)ISBN 4-16-732301-X
- 『ぎゃんぶる百華』(角川書店,1981年)ISBN 4-04-145963-X
- 『ばいにんぶるーす:長編勝負師ロマン』(講談社,1982年)ISBN 978-4-09-408235-7
- 『無芸大食大睡眠』(双葉社,1983年)ISBN 4-08-749311-3
- 『これがオレの麻雀』(双葉社,1983年) ISBN 4-413-01125-2
- 『ドサ健ばくち地獄』(角川書店,1984年)ISBN 978-4041459645 ISBN 978-4041459652
- 『ばくち打ちの子守唄:長編ギャンブル小説』(双葉社,1986年)ISBN 4-575-50103-4
- 『阿佐田哲也のAクラス麻雀』(双葉社,1984年)ISBN 4-575-71012-1
- 『黄金の腕』(角川書店,1984年)ISBN 4-04-777401-4
- 阿佐田哲也編著 『競馬狂想曲:ターフによせたラブレター』(広済堂出版,1985年)ISBN 433165043X
- 『先天性極楽伝:痛快ユーモアピカレスク長編』(講談社,1985年)ISBN 978-4-09-408281-4
- 阿佐田哲也編著 『競輪痛快丸かじり:ギャンブルの帝王はジツに競輪だった!』(徳間書店,1986年) ISBN 4-19-173280-3
- 『次郎長放浪記』(中央公論社,1986年)ISBN 4-04-145969-9 「清水港のギャンブラー」の改題
- 『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝:新麻雀小説』(講談社,1986年)ISBN 978-4-09-408250-0
- 『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝新:麻雀小説2』(講談社,1987年)ISBN 978-4-09-408265-4
- 『阿佐田哲也の怪しい交遊録:My marvellous buddies』(実業之日本社,1988年)ISBN 4-08-749748-8
- 『阿佐田哲也の競輪教科書』(徳間書店,1989年)ISBN 978-4195537442
- 『Aクラス麻雀』(双葉社,1989年)ISBN 4-575-71012-1
- (上述「マージャン講座」をまとめた「麻雀の推理」1969年、「阿佐田哲也のAクラス麻雀」1984年の改題)
- 『外伝・麻雀放浪記』(双葉社,1989年)ISBN 4-575-50336-3
- 阿佐田哲也編著 『競馬狂想曲』(広済堂出版,1989年)ISBN 4-331-65043-X
- 『色川武大 阿佐田哲也全集1~16』(福武書店,1991年~1993年)
- 『阿佐田哲也の麻雀秘伝帳:裏を知りつくす書 強すぎる!ヤバすぎる!?負け知らず!』(青春出版社,1995年)ISBN 4-413-08259-1 「阿佐田哲也のマージャン秘密教室」の改題
- 『ギャンブル放浪記』(角川春樹事務所,2002年)ISBN 4-89456-115-8
- 『阿佐田哲也 麻雀小説自選集』(文藝春秋,2002年)ISBN 4-16-732303-6
- 色川武大著、阿佐田哲也著、大庭萱朗編 『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ1 放浪』(筑摩書房,2003年)ISBN 9784480038562
- 色川武大著、阿佐田哲也著、大庭萱朗編 『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ2 芸能』(筑摩書房,2003年)ISBN 9784480038579
- 色川武大著、阿佐田哲也著、大庭萱朗編 『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ3 交遊』(筑摩書房,2003年)ISBN 9784480038586
- 『阿佐田哲也の麻雀秘伝帳:裏を知りつくす書』(青春出版社,2004年)ISBN 4-413-03448-1 「阿佐田哲也のマージャン秘密教室」の改題
- 阿佐田哲也著、結城信孝編 『天和をつくれ』(小学館,2007年)ISBN 978-4-09-408214-2
- 『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝三〇〇分一本勝負』(小学館,2008年)ISBN 978-4-09-408250-0 1986年の改題
- 『ヤバ市ヤバ町雀鬼伝ゴールドラッシュ』(小学館,2008年)ISBN 9784094082654 1987年の改題
- 阿佐田哲也著、結城信孝編 『雀師流転』(小学館,2008年)ISBN 978-4-09-408301-9
- 阿佐田哲也著、結城信孝編 『これがオレの麻雀:麻雀名人戦自戦記』(小学館,2008年)ISBN 9784094083187
井上志摩夫の著作(『井上志摩夫傑作時代小説集』全5巻)
- 『切腹』(双葉社,1997年11月) ISBN 4-575-23316-1
- 『人斬り』(双葉社,1997年11月)ISBN 4-575-23315-3
- 『名無しの恋兵衛』(双葉社,1997年11月)ISBN 4-575-23317-X
- 『巷説天保六花撰』(双葉社,1998年5月)ISBN 4-575-23345-5
- 『稲妻駕籠』(双葉社,1998年7月)ISBN 4-575-23352-8
参考文献
- 和田誠絵、阿佐田哲也ほか文『3人がいっぱい:2』(新潮社,1981年)ISBN 4101245029
- 阿佐田哲也原作、和田誠、沢井信一郎脚本 『シナリオ麻雀放浪記』(角川書店,1984年)ISBN 4-04-145999-0
- 古川凱章編 『阿佐田哲也“雀聖”追悼特集』近代麻雀オリジナル増刊号(竹書房,1989年5月)
- :大滝譲司・中村とうよう・和田誠・矢崎泰久:編集委員 『色川武大・阿佐田哲也の特集 99人の友人たちによる別れのメッセージ』(別冊話の特集,1989年7月)
- 色川孝子著 『宿六・色川武大』(文藝春秋,1990年)ISBN 9784163442006
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さいふうめい著 『ここ一番に強くなる:阿佐田哲也勝負語録』』(サンマーク出版,1992年)ISBN 9784763190284
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菊谷匡祐 、阿木翁助、中本洋、大河原英与著ほか 『酒のかたみに:酒で綴る亡き作家の半生史』(たる出版,1996年)ISBN 4-924713-43-0
- 『特集 色川武大と阿佐田哲也』(文學界,1997年5月号)
- 春日原浩著 『阿佐田哲也 色川武大 人生修羅場ノオト』(ベストセラーズ,1999年)ISBN 9784584183892
- 『山田風太郎:綺想の歴史ロマン作家 追悼特集』KAWADE夢ムック(河出書房新社,2001年)ISBN 4-309-97618-2
- 『総特集 色川武大VS阿佐田哲也』KAWADE夢ムック(河出書房新社,2003年)
- 庄司肇著 『田中小実昌と色川武大:庄司肇コレクション10』(沖積舎,2003年)ISBN 4-8060-6600-1
- 小沢昭一著 『小沢昭一座談4:こんばんわ小沢です』(晶文社,2007年)ISBN 4-7949-2484-1
- 中村竜生著・撮影 『雀狼たちの肖像:麻雀新撰組とその時代』(竹書房,2008年)ISBN978-4-8124-3526-7
映画化
- 麻雀放浪記(1984年) 監督:和田誠
- 雀鬼くずれ(2002年) 監督:服部光則
漫画化
墓所・霊廟
京都府京都市伏見区の稲荷山に所在する大日本大道教内において、「阿佐田哲也大神」として祀られている。
1996年8月8日に新日本麻雀連盟の南本喜三理事長が建立した。命日に近い、4月の第1日曜に新日本麻雀連盟によって毎年例祭が執り行われている。
交際があった人物たち
『阿佐田哲也の怪しい交遊録』より
- はじめに合掌
- 最敬礼の人たち
- なつかしき雀友
- 座談閑談芸談の友
- エンタテイナーたち
- 舞台をとおして
- 遊びファミリー
- みんな最高
『色川武大・阿佐田哲也の特集 99人の友人たちによる別れのメッセージ』(別冊・
話の特集)の登場者より
『阿佐田哲也“雀聖”追悼特集』近代麻雀オリジナル増刊号より
- グラビア
- 追悼文
- BIG4対局
- 座談会・モデルが語る麻雀放浪記
- 阿佐田、「麻雀放浪記」の”女衒の達”のモデル、「捕鯨船の男」の”ダンチ”のモデル、、「麻雀放浪記」の”ガン牌野郎”のモデル
- もうひとつの阿佐田・五味決戦
- 4強決戦の記録
- グラビア
- 大隈秀夫、三浦宏之(「週刊大衆」編集者)、柳橋史、和田誠、
- 直木賞授賞式
- 「阿佐田哲也の25年」文:柳史一郎(柳橋史)
- 阿佐田哲也氏をしのんで
- 大滝譲司、志田通(英語教師)、長谷川和彦、森けい二、古川凱章(司会)
- 告別式
その他
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小林信彦 -古い笑芸や、昔の映画などについて、同好者であり親しく交際していた。色川は、小林の代表作の一つである『日本の喜劇人』(新潮文庫版)の解説を執筆している。
- 高橋呉郎(梶山季之が創刊した月刊誌『噂』編集長)、高松繁子(文藝春秋の担当編集者。彼女は小松左京の担当者でもあった)、景山民夫、垂水悟郎(俳優)、秋野卓美(画家)、鈴木重雄(望月優子の夫で、産経新聞文化部長)、戸川昌子、ドナルド・ベイリー(ジャズ・ドラマー)、つかこうへい、鈴木桂介(浅草の古い芸人)、内田裕也
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村松友視 - 雑誌『海』編集者時代、『生家へ』の担当者だった。また、色川に武田百合子を紹介した。
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武田百合子 - 『犬が星見た-ロシア旅行』の解説を書き、彼女の文章を絶賛。村松と二人で「武田百合子に小説を書かせる会」を結成した。