自由民主党総裁 [被リンク数: 90]

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自由民主党総裁(じゆうみんしゅとうそうさい)は、自由民主党党首。自由民主党の国会議員および党員党友などによる自由民主党総裁選挙によって選出される。総裁の役職名は、立憲政友会日本自由党を引き継いだもの。英文の表記はPresident ( of the Liberal Democratic Party ) 。

概要

]] 自由民主党は、1955年の結党以来、議席の過半数を占めるか、過半数に達しない場合もほとんどの期間で与党第1党の地位を保っている。このため、単独あるいは連立与党の協力を得て、国会での首班指名において、自由民主党総裁(あるいは総裁予定者)を内閣総理大臣に指名して来た。従って事実上、総裁は首相と同一視される。2008年9月現在、歴代の総裁経験者で首相に就任していない者は、河野洋平だけである。
また、自由民主党結党後に総裁に就任せずに内閣総理大臣に就任した者は、細川護熙日本新党)、羽田孜新生党)、村山富市日本社会党)である。以上の3名が首相となった1993年7月から1996年1月までの期間を除き、総裁は常に首相に指名されてきた。非自民首相の内閣に自由民主党が与党入りしていた時は、自由民主党総裁が副総理になっており、村山内閣1994年6月 - 1996年1月)では自由民主党総裁であった河野や橋本龍太郎が副総理に就任している。
首相就任時は党務を幹事長に委ねている。首相在任時の総裁を総理総裁と呼ぶこともある。
また、他党の代表者と異なり、河野および一時期の橋本以外は基本的に首相を兼務しているため、総裁は首相の肩書きが優先され、総裁のみの肩書きが使用されることは稀である。ただし、マスメディアでは、国政選挙期間中の選挙報道のみ、総裁の肩書きが優先される慣例がある(小泉首相の場合は小泉総裁と呼ばれる)。
総裁は、自由民主党則6条1項が引用する総裁公選規程第1条により「党所属国会議員、党員、自由国民会議会員および国民政治協会会員」による公選が原則だが、党則6条2項により、総裁が任期中に欠けた場合で緊急の事態により正規の総裁選挙が行えない場合には、「党大会に代わる両院議員総会」において、所属する全ての現職国会議員及び都道府県連合の代表者による投票によって新総裁を選出する場合もある。また、事前の話し合いによって新総裁候補者を1本化し、両院議員総会での承認を受けて新総裁を決定する場合もある。なお、自由民主党総裁に立候補できる者は、総裁公選規程9条により、党所属国会議員に限定される。
総裁任期は党則80条1項により、現在3年である。総裁任期は1972年までは2年、1972年からは3年、1978年から2年、2002年から3年となっている。前任者が任期半ばで辞任した場合は、後任は前任者の残りの任期を務める。
1974年以降、 総裁公選規程10条により、「引き続き2期(前任者の途中退任による残任期間を除く)にわたり総裁に在任する者は、その在任に引き続く総裁選挙における候補者となることができない」と定められ、連続3選は禁止されている。また、中曽根康弘衆参同日選挙での大勝を理由に例外として2期目の任期の1年延長を認められた。

権限

党則に規定される権限を示す。
総則
  • 党の最高責任者として党を代表し党務を総理する
人事
  • 副総裁を党大会における承認に先立ち指名する
  • 総務31名のうち11名を指名する
  • 総務会の承認を受け幹事長、政務調査会長選挙対策委員長、財政委員、広報本部長、組織本部長、人事委員を決定する
  • 総務会の議を経て顧問、参与、党友、賛助員を委嘱する
  • 人事委員の中から人事委員長を指名する
  • 党紀委員28名のうち6名を指名する
  • 役員連絡会の参加者を指名する
なお、総務会長は総務会の互選で選ばれ、国会対策委員長は総務会の承認を経て幹事長が決定する。党則上は総裁がこれらの人事に関与する規定はない。
執行
  • 役員会を招集し、議長として運営に当たる
  • 選挙対策本部長、中央政治大学院総長の任につく
  • 総務会の議を経て党大会を招集する
  • 総務会の議を経て党の臨時特別機関を設ける
  • 総務会の議を経て党費額を決定する

自由民主党総裁の一覧

1955年 - 1956年(自由民主党総裁代行委員)
1956年 - (自由民主党総裁)
太字は派閥領袖。形式上な派閥解消または派閥離脱をしている場合は、実質的な所属派閥を記載。< ※1 1956年1月28日に逝去後、後任に松野鶴平(旧自由党)が1956年2月10日から就任。< ※2 逝去後、副総裁の西村英一が総裁代行に就任。

その他

総総分離論

総裁以外の自由民主党議員が内閣総理大臣に就任することについて、自由民主党では自民党議員から首相を選出する場合、過去の特殊な例外を除き総裁を首相に選出しているが、権力の分散、責任の分担、党内融和の観点から、しばしば総理と総裁の分離案が浮上している。しかし、過去に何度か分離案が浮上しても調整段階で失敗している。
総裁以外の自由民主党議員が首相に選出された例は、1957年2月25日における石橋湛山の総裁時代における岸信介の首相選出や、1964年11月9日の池田勇人の総裁時代における佐藤栄作の首相選出がある。しかし、これらは総理総裁であった石橋、池田が病気のために首相はおろか自民党総裁など政治家としての公務が難しい状況であったこと、3、4ヶ月前の総裁選で岸、佐藤が現総裁に次ぐ2位であったこと、岸、佐藤両者とも総裁から後継総裁に指名され次期総裁就任が目されていたこと、岸、佐藤両者とも首相就任から1ヶ月して自民党総裁に正式に就任していることから、総総分離体制が持続されていたとはみなされていない。
なお、総裁を退くと首相も辞任することと、首相を辞任したら総裁も退くことが慣例化しているため、自由民主党において総総分離体制が持続されたことはない。

任期延長論

総裁の再選制限が規定されて以降、その任期切れが近づく中で総裁の指導力によって国政選挙で圧勝すると、総裁への求心力が高まり、首相を続投するために総裁任期延長論が党内から出てくる。首相は国会議員として当選し続け、国会での首班指名で選出される限り再選に制限はないが、総裁を首相に選出することが慣例化している自由民主党では、総裁の任期切れが首相続投の障害となる。
1986年、総裁の中曽根が死んだふり解散による衆参同日選挙で自由民主党が勝利したことによって、総裁任期を1年延長した。
2005年、総裁の小泉の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙で、自由民主党が圧勝したため、小泉に対する求心力が強まり、総裁の任期が切れる2006年9月以降も、2年後に控えた2007年の第21回参議院議員通常選挙などの対応のために引き続き首相を務める意見が党内で起こった。しかし、当の小泉は当初から自身の総裁任期延長を否定しており、総裁の任期満了後も総裁はもとより、首相を続投する心算は無いと表明し、9月に総理総裁から退いた。一説には「首相任期中は消費税を上げない」と明言したため、首相を続投すると消費税増税を実現できないためともされる。

総理総裁の条件

党則上、国会議員である党員には総裁の資格はあるが、現実問題として実績がない自由民主党議員が選出される役職ではなく、田中角栄は総理総裁の条件として、「党三役のうち幹事長を含む二役、内閣で外務大蔵通産のうち二閣僚」をあげていた。三角大福(三木武夫、田中、大平正芳、福田赳夫)の時代はこの条件をクリアしていた。
しかし、鈴木善幸以降は条件に該当しない総理総裁が多く、田中があげた条件に全て該当した総理総裁は橋本龍太郎だけである。中には海部俊樹、小泉純一郎、福田康夫など、条件としてあげられた役職に全く就任しないまま総理総裁となる者もいる。なお、安倍晋太郎三塚博桜内義雄は、田中があげた条件に全て該当しているが、総裁に就任しないままであった。ただし、あくまで田中角栄の挙げた条件であり、条件を満たしたからといって必ずしも総裁として資質があったとは言えない。(角栄自身は金脈によって党の要職に就けたに過ぎない上、その他、条件を満たした福田、大平、橋本も総裁としての責任を十分に果たしたとは言いがたい。)

肖像画

自由民主党本部の8階ホールには、歴代総裁肖像画が展示されている。ただし、1994年に自民党執行部が村山を首班指名した際、海部はそれに反対する形で自らの首班指名に意欲を示して離党した時には、総裁としての海部の肖像画が外された。その後、2003年に海部が自由民主党に復党した際、海部の肖像画が再び展示されるようになった。
この肖像画は自分で好きな画家を指名することが可能で、1枚数百万円とも言われる。2008年6月現在、小泉純一郎までの肖像画が飾られているが、その後の安倍晋三、並びに福田康夫の肖像画は、未だに飾られていない。

関連項目

外部リンク

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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