統一共産党 (ネパール) [Communist Party of Nepal (Unified Marxist-Leninist)] [被リンク数: 6]

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ネパール共産党(統一マルクス・レーニン主義)(ねぱーるきょうさんとうとういつまるくすれーにんしゅぎ 英語:Communist Party of Nepal (Unified Marxist-Leninist)、ネパール語:Nepal Kamyunist Party (Ekikrit Marksbadi-Leninbadi))は、ネパール政党。日本では統一共産党と略称される(英語略称:UML、ネパール語略称:エマレ)。現党首はジャラ・ナト・カナル総書記
2008年 8月15日制憲議会での首班指名ではキャスティングボートを握り、プラチャンダ政権を誕生させ、連立与党になった。8月31日副首相を含む6人の閣僚が就任した。 http://www.nepalnews.com/archive/2008/aug/aug22/news10.php Nepalnews.com Aug 22 2008
なお、"Communist Party of Nepal(United)","Communist Party of Nepal(Unified)"などの別の政党も存在するので注意を要する。

歴史

1991年ネパール共産党マルクス主義派ネパール共産党マルクス・レーニン主義派が合同して結成。ジャナ・アンドラン国民運動の一つの成果と言われている。2002年にネパール左派共産党が合流。
1993年党大会が開かれ、議長にマン・モハン・アディカリ(旧マルクス主義派)、総書記にマダン・クマール・バンダリ(旧マルクス・レーニン主義派)が就任する。ところが、まもなく、バンダリは謎の交通事故(殺人を疑われている)で死亡する。後任の総書記にはマダブ・クマル・ネパール(旧マルクス・レーニン主義派)が就任し、アディカリを支えた。
1994年立憲君主制下で与党としてマン・モハン・アディカリ内閣を組織し、王室共産党政権の共存を果たした。しかし少数与党だったので、ネパール会議派国民民主党により内閣不信任案が可決され、短期で政権が崩壊した。
1998年、統一共産党はインドとの条約をめぐって分裂する。サハナ・プラダン党首とバムデヴ・ガウタム書記長は分離した「ネパール共産党マルクス・レーニン主義派」を指導した。この党は短期間、G.P.コイララ率いるネパール会議派政権に参加した。
2002年、マルクス・レーニン主義派と統一共産党は再統合する。
2005年には7党連合に参加し、7党連合および毛沢東派とともに2006年民主化運動ロクタントラ・アンドラン)を指導した。

現況

2008年 4月10日制憲議会選挙でマオイストとの選挙協力を断ると、総書記のネパールが落選するなど惨敗を喫し第3党に転落した。ネパールは総書記を辞任し、暫定的にアムリット・クマール・ボハラが総書記を務めた後、ジャラ・ナト・カナルが新総書記に就任した。
 統一共産党はネパール前総書記を一時、大統領に推していたが、連立を模索していた毛派がこれを認めず、沙汰止みとなった。これを、統一共産党は「裏切り」と捉え、マデシ人権フォーラムとともにネパール会議派の大統領候補ラムバラン・ヤーダブを支持した。ヤーダブは当選した。副大統領にはマデシ人権フォーラムのパラマーナンダ・ジャーが当選、制憲議会議長には統一共産党中央委員で元立法議会議長のスバス・ネムワンが選出された。
首相についてはヤーダブ大統領が第一党毛沢東派プラチャンダ議長に「政党の合意による政権」を作るよう期限付きで要請したが、期限までに政党間の合意が成立せず、制憲議会での投票で決めることとなった。毛派とネパール会議派が対立する中、統一共産党はキャスティング・ボートを握り、毛派・統一共産党・マデシ人権フォーラムで政権をとることで合意、2008年8月25日制憲議会プラチャンダ首相を誕生させた。閣僚には次の6人が挙げられた。
  • 内務大臣バムデヴ・ガウタム
  • 水資源 大臣ヴィシュヌ・ポウデル
  • 地域開発 大臣ラムチャンドラ・ジャー
  • 工業 大臣アスタラクシュミ・シャキャ
  • 森林 大臣キラン・グルン
  • 青年スポーツ大臣:ゴパル・シャキャ http://www.nepalnews.com/archive/2008/aug/aug22/news05.php Nepalnews.com Aug 22 2008
しかし、8月23日、突然、統一共産党は、内閣No.2のポストを要求して閣僚の就任を保留した。同日、プラチャンダ首相は北京五輪閉会式に参加するため中国に旅立ったため、組閣交渉は首相の帰国以降に持ち越された。結局プラチャンダ首相が譲歩し、No.2ポストを毛派のバブラム・バッタライ財相から、バブデム・ガウタム内相に変更し、ガウタムを内相副首相に指名したため内閣に復帰し、6大臣は8月31日正式に就任した。統一共産党のキャスティング・ボートの力学に毛派が屈した形となった。

脚注

関連項目

外部リンク

  • http://www.cpnuml.org/ UML official site
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2008-11-28 16:15:24)
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