竹下景子 [Keiko Takeshita] [被リンク数: 134]

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竹下 景子(たけした けいこ、1953年9月15日 - )は、日本女優タレント。本名、関口 景子(せきぐち けいこ)。

略歴

愛知県 名古屋市 東区で生れ、南山中学校・高等学校女子部を経て、東京女子大学文理学部社会学科を卒業。中学校高校で演劇部に所属。高校1年生の時にラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』のイベントに一般リスナーとして参加した際、パーソナリティを務めていた俳優の天野鎮雄NHKの『中学生群像』(『中学生日記』の前身)を紹介され、ドラマデビューを果たす。その後、高校在学中にドラマロケで名古屋を訪れていた夏木陽介にスカウトされ、大学進学で上京すると、当時夏木が在籍していた三船プロに所属して本格的に女優として活動を始める。大学卒業後の全盛期には、当時アイドル全盛期であり尚且つ20代中盤という、当時の若手女性タレントにしてはやや高齢な年齢ながらも、並居るアイドル歌手を抑えブロマイド売上で一位になるなど爆発的な人気を得ていた。
出世作である『祭りの準備』でヌードになっているが、にも拘らず清純派と称され「お嫁さんにしたい女性No.1」とも言われた。この他にもドラマや雑誌グラビアでヌードを披露するも、その後も清純なイメージを失わなかった。1984年には、赤坂プリンスホテルにて竹下より15歳年上だった写真家関口照生と挙式し、その後2男をもうけた。
熱烈な中日ドラゴンズファンとしても知られ、2005年ナゴヤドームでの横浜ベイスターズとの開幕戦では始球式を務めた。竹下が中日ファンなのは名古屋市出身だからというのもあるが、実父・竹下重人氏(名古屋弁護士会副会長経験者 故人)の影響が大きいとも言える。

名古屋(愛知県)出身の芸能人として

1990年代頃まで、かつて名古屋(愛知県)出身の芸能人は、出身地をあまり表に出さずに活動する人が多かったが、その中で竹下は名古屋出身であることを早い時期から公言していた。レギュラー解答者時代の『クイズダービー』では、司会の大橋巨泉から名古屋ネタをよく振られたり、『クイズダービー』以外のバラエティー番組に出演する際にも、度々流暢な名古屋弁でのトークを披露したりするなど、竹下のパーソナリティの1つとして広く認知されてきた。最近になり名古屋出身を前面に出して活動する芸能人は増えたが、その先鞭を付けた点で竹下の存在は大きい。
また、2005年に開催された日本国際博覧会(愛・地球博)では、長久手日本館の総館長を務めていた。名古屋(愛知県)出身の芸能人は他にも大勢いる中竹下が起用されたのも、そうした点を高く評価されていることの現われである。ちなみに名古屋ネタを扱った本の中には、竹下に関する記述を載せたものも多く(筆者と竹下の名古屋に関する対談を載せた本もある)、今でも名古屋出身芸能人の代表格とされている。

クイズダービーの出演

竹下は女子大生時代の頃から、『クイズダービー』の3代目4枠レギュラー解答者(4枠の初代は萩尾みどり、2代目は岸じゅんこ)として出演、その後約16年もの間長く務め、3枠のはらたいらに次ぐ正解率を誇った。(厳密に言えば2位は、はらの前の3枠レギュラーだった黒鉄ヒロシの6割6分2厘)特に三択問題での正解率がはら以上に高かった為、司会の大橋巨泉からは「三択の女王」と呼ばれた。ただ、竹下が二人の子息の出産時の1986年3・4月に市毛良枝宮崎美子(6代目2枠レギュラー)が、1988年10月に原日出子が、それぞれ竹下の産休代役として4枠の席に座っている。
また同番組の本番中、とある最終問題で竹下は出場者(ギャンブラー席)全3チームに賭けられたものの、答えられず出場者全員が0点となった時、責任を感じた竹下は思わず泣き出してしまった事があった(1987年に刊行された『クイズダービーベスト500』の竹下の寄稿文によれば、その問題は「幕の内弁当には『三種の神器』と呼ばれるものがある。かまぼこ、卵焼きとあと一つは何か」であったとのこと。ちなみに正解は魚)。その本番終了後、同じくレギュラー解答者の篠沢秀夫はらたいら達に慰めてもらった、という心温まるエピソードもある。
『クイズダービー』で竹下に表示される倍率は、得意の三択問題では2倍、一般・歌詞問題では3倍が殆どであるが、たまに三択で3倍、一般・歌詞で2・4倍などの表示もあった。なお、竹下の故郷である愛知県名古屋市にちなんだ問題が出た時などは、まれに1倍がついていた。又、竹下がレギュラーになって間もない頃や、レギュラー定着後も特に5問目の難しい問題や6問目の歌詞問題で、5~10倍の高い倍率が表示される事もあった。そして最終問題では、はらよりも比較的倍率が高いので指名されることが多かった(はらは2の倍数の4倍が殆どだった。竹下は3・4の倍数の6・8倍がメインであるが、他にもまれに2・5の倍数の4・10倍の表示もあった)。出場者は7問目までで1万点を超えるケースは多いが、2万点を超えたことはあまり無かったからである。他にも10万点に届かなくても賞金を持って帰りたい場合に指名されることもある(ごくたまに第714回の様に全チーム2万点を越えていても竹下に指名して正解させたケースもあり)。稀にだが、はらたいらも正解できない最終問題で単独で正解させて、10万点に達したこともあった(第660回、第700回、第733回など)。
又同じく『クイズダービー』で竹下は、はらたいらの書くマジックの音により、竹下本人曰く「どういう字を書くのかがわかるようになってきたんですよ」という理由で、「たまにカンニングをしていました」と後にバラエティー番組等で告白している。そんな中、カンニングを大失敗したケースも有るという。1988年1月23日放送(第624回)の最初の問題出題時の事である。
その問題は「テレビが始まった頃のエピソードです。撮影でが必要になったものの、冬とはいえスタジオ周辺には雪が有りません。そこで悩んだディレクターは、都内のある場所に出かけ雪を調達したのですが、その場所とは何処でしょう?」であった。そこで竹下は分からず、はらがなんと書くかのを待つと、竹下は「上野」と書いた、と分かったらしい。すぐさま竹下は「上野○○○」と書いたが、なんとはらの解答と違っていた。はらが書いた正解は「上野駅」(青森発等の北国から来た夜行列車屋根に積もった雪を調達)だった。
その後大橋巨泉が、はらの次に竹下を紹介する際「ボクはあなたが最初の二つ(上野)書いた時は、さすが景子ちゃん!と思いましたが、何か勘違いしてしまいましたね」と語ったが、その最中竹下は「キャハハ!」と大笑いして思わず手を叩く。そして「せーの、どん!」と竹下の書いた解答を開くと、その不正解の解答は「上野動物園」だった。竹下は赤チームに500点賭けられていたが減点させてしまい、恥ずかしそうに俯きながら「ゴメンナサイ…」と謝罪している。
<!--巨泉は竹下に「動物園の何処に雪が有るんでしょうかねえ?」と質問後、竹下は「ここにネ、観光バスがね来るんですヨ!新潟とか秋田からとか...(爆笑)...山形とか、ダメかしら??」と苦しい解答理由を説明。巨泉は「徹夜で来るわけ?駄目です」と解答理由に納得しつつも、勿論正解にしなかった。竹下は「アー!クヤシイ!!」と悔しがるが、巨泉は「イヤ、分かってるんですよ。白クマの所から盗んで来るとかそういう事を考えたに違いない!あるいはペンギンの所とかね、違うんです」と指摘すると、竹下は「ソウ...!」と口を抑え笑いながら頷いた。
この間中、はらたいらの他、当時レギュラー解答者の篠沢秀夫と山崎浩子、ゲスト解答者の湯原昌幸達も、竹下の珍解答と解答理由に対してずっと失笑し続けていた。その後巨泉は「『上野』まで書いて『動物園』にしてしまうという人は...?」と言った後、竹下は「なんか『うえの』という感じはしたんですけどネ、『ウエノ』!後がね、やっぱりネエ...」と苦笑しながらつぶやく(その最中に湯原は「発想は良かったんだけどねえ」とコメント)。そして最後に巨泉は「ちょっとオカシイですね、今日」と、笑いながらも竹下の珍解答に首を捻っていた。-->

受賞

主な出演

テレビドラマ

バラエティ

テレビアニメ

映画

ラジオ

CM

音楽

シングル

  • 結婚してもいいですか(1978年、デビュー曲)
  • 私の中の女たち(1980年)
  • ケイスケ(1984年)

アルバム

  • 二人だけの季節(LP)
  • 私の中の女たち(LP、1980年)

書籍

  • フォト&エッセイ集 水中花(1978年、ペップ出版)
  • ハロー・プラス・ワン(1987年、小学館
  • ファミリーへ、ウエルカム(1990年、小学館)

関連項目

外部リンク

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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