湯舟敏郎 [被リンク数: 44]

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湯舟 敏郎(ゆふね としろう、1966年10月8日 - )は、大阪府貝塚市出身の元プロ野球選手投手)。左投げ左打ち。選手時代は阪神タイガース大阪近鉄バファローズに所属し、ストレートスライダーカーブシュートの持ち球で活躍した。
登録名は「ゆふね」だが、本名は「ゆぶね」と濁る。

経歴

アマチュア時代

興國高等学校では左翼手としてクリーンナップを打つ。その後は奈良産業大学に進学、野球部の第1期生となり、エースとして活躍。2年春に1部リーグに昇格、同年秋には優勝を飾り、そのシーズンから近畿学生5連覇を果たす。大学通算26勝2敗。4年時には第17回日米大学野球選手権の日本代表に、後に阪神でチームメイトとなる葛西稔らとともに選出される。
1989年 藤村富美男の長男・藤村哲也が監督として率いていた本田技研鈴鹿に入社。1年目からNTT東海の補強選手として都市対抗に出場する活躍を見せるが、野茂英雄を擁する新日鐵堺の前に初戦敗退。同年、野茂らとともに全日本代表に選出されるが、これは後に「あの年の代表ならプロの力を借りずとも世界で戦えただろう」と言われた伝説の最強チームとなった。翌年はエースとしてチームを都市対抗出場に導き、社会人野球日本選手権にも出場。ベスト8進出を果たし、2年連続で全日本代表に選出される。
1990年 ドラフトでは小池秀郎の外れ1位として阪神タイガースに指名され入団。既婚で子供がいたため、「子連れルーキー」として話題になった。

プロ時代

入団初年度の1991年、オープン戦での投球を見た中村勝広監督から「大大大戦力」と評価され、この年こそ5勝11敗の成績だったが、キレのある速球とスライダーを武器に2年目の1992年頭角を現し、6月14日にで行われた広島東洋カープ14回戦(阪神甲子園球場)でチームとしては1973年江夏豊以来19年ぶりとなるノーヒットノーランを達成し、その次の6月20日読売ジャイアンツ14回戦(甲子園)でも勝ち、当時10連勝をしていた巨人の連勝を止める。
しかし、シーズン終盤に田村勤が故障で離脱、一時的に抑えとして起用された10月7日ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)では押し出し四球を与えて救援失敗。ブルペンではヤクルト戦に強い御子柴進が投球練習していたこともあり、元々立ち上がりが悪かった湯舟をなぜ起用したのかと、中村監督の采配にファンから不満が続出した。この年、湯舟は11勝を挙げ、6月・9月には月間MVPを獲得する活躍を見せ、チームもヤクルトと最後まで優勝を争ったが、最終的には2位に終わった。
1993年阪神のエースとなり、オールスターにも出場。自己最多の12勝を挙げる。しかし、初の開幕投手を務めた1994年時の打線が貧弱だったこともあり、自身は防御率3.05の好成績を残しながらも負けを重ね、以降は3年連続5勝、逆に1995年13敗、1996年には14敗で2年連続最多敗の不名誉な記録を残す。1997年4年ぶりの10勝を挙げるが、翌1998年には一塁ベースカバー時に軸足を故障し、結局この年の登板は4試合とシーズンの大半を棒に振ってしまう。
以降は満足な成績を残すことができず、2000年オフに山崎一玄北川博敏とともに酒井弘樹面出哲志平下晃司との3対3トレードで大阪近鉄バファローズに移籍。投手不足のチーム事情から一時は移籍即開幕投手の声も上がるが、故障の影響で出遅れ、結局中継ぎで通算60勝となる勝利を挙げたのみで2001年に引退した。
現役時代は打たれても抑えていても、感情を表情に出さず、常に穏やかな表情でマウンドに上がっていたことから「球界屈指のポーカーフェイス」と呼ばれた。また、阪神時代は木戸克彦と相性がよく、名コンビとして鳴らした。

現役引退後

2002年に阪神投手コーチを1年務めた後、2003年毎日放送ラジオ解説者に就任。この時は伊藤敦規遠山奬志と3名で「トラ番」として登場する本数契約。翌2004年に専属契約で朝日放送へ移籍、日刊スポーツのプロ野球解説者となる。サンテレビプロ野球解説者も兼任するほか、兵庫県西宮市で炭火焼肉店「牛若丸」を経営している。

通算成績

タイトル・表彰・記録

  • 初登板 1991年4月10日読売ジャイアンツ戦(阪神甲子園球場)3回1/3を4失点 被安打6 奪三振6 四死球1
  • 初勝利 1991年4月14日ヤクルトスワローズ戦(甲子園)8回1死より登板、2/3回無失点 被安打1 奪三振2 四死球1
  • 初完封 1991年9月14日広島東洋カープ戦(広島市民球場)被安打2 奪三振3 四死球2
  • 初セーブ 1995年9月15日中日ドラゴンズ戦(甲子園)9回1イニング無失点 被安打0 奪三振2 四死球0
  • ノーヒットノーラン 1992年6月14日広島戦(甲子園)奪三振11 四死球2
  • 月間MVP(1992年6月、9月)

背番号

  • 15 (1991 - 2000)
  • 34 (2001)
  • 91 (2002)

現在の出演番組

関連項目

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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