概要
浜通りの中心地は平であるが、南(
岩城氏・
磐城平藩領)と北(
相馬氏・
相馬藩領)に分ける場合もある。この場合のエリア名は、南部を
いわき、北部を
相双と呼ぶ事もある。南の中心地は岩城氏の時代から平であるが、北の中心地は
相馬から
原町に遷った。
学校界では、
磐城高校卒と磐城女子高校(現
磐城桜が丘高校)卒が最も誉れ高いとされ、かつては両校への入学のために
中学浪人もいとわない受験生が多く、社会問題となった。
地理
歴史
畿内政権の時代
幕府の時代
関ヶ原の戦いで西軍に就いた岩城氏は、飯野平から追放され、
由利本荘(
岩城町)に飛ばされた。代わって、浜通り南部は
磐城平藩の領土となったが、
鳥居氏や
安藤氏など藩主は何度か入れ替わった。一方の浜通り北部は、相馬氏と伊達氏との折衝の結果、相馬氏は領土の安堵を許され、引き続き相馬氏が治める
相馬藩の領土となった。
大堀相馬焼などの特産品は、この
江戸時代に始まった物である。
明治時代以降
常磐炭田が閉鎖され、現在は
発電所が多く立地し、電源地域として存在感を見せている。また、
Jヴィレッジや
スパリゾートハワイアンズに代表されるように、発電所の特例財源や、温暖な気候を背景にして、地域の活性化が進められている。
地域
南北間の違い
浜通りの歴史的風土は、
夜ノ森を境にして異なる。「夜ノ森」の地名の由来は、
岩城氏と
相馬氏が領有権を争って「余(=我)の森」を主張し、その境界線となったことに由来すると言われている。
- 夜ノ森以南(勿来から富岡まで)
- 夜ノ森以北(大熊から相馬まで)
交流圏
浜通りは
太平洋と
阿武隈山地に挟まれている為、同じ海沿いに当たる常磐線沿いの市町村との交流が多く、平以南は
水戸との、原町以北は
仙台との繋がりも深い。このため、
福島市(県庁所在地)や
郡山(交通的・経済的中枢)を抱える
中通りからは半ば独立した地域圏を形成しており、福島県への帰属意識は弱い。
この様相は、観光や物産の宣伝からも窺える。広野町や相馬市などは、浜通りの市町村に重点を置いて宣伝を行っているのに対して;いわき市は、浜通りの市町村に加えて、
日立市を初めとする
茨城県北部に対しても宣伝を行っている。実際に、
中郷SAや
日立駅などでは、いわき市の物産が販売されている。また、
道の駅そうまの駐車場のスピーカーからは、
FM仙台が
BGMの代わりに流されている。
- (参考)水戸~仙台間の距離
- ※ Jヴィレッジは、水戸と仙台から等距離に位置している。
広域行政圏
- 相双地方振興局管内 199,647人
双葉広域行政圏
- いわき地方振興局管内 352,629人
都市圏
-
一般的な都市圏の定義については「都市圏」を参照
「10%都市圏(通勤圏)」の変遷
発電所
芸能
テレビ番組
歌謡
郷土芸能(祭事)
交通
鉄道
道路
- 高速道路
- 国道・主要県道
道の駅
海の駅
港湾
メディア
- 新聞
- FMラジオ局
リンク
関連項目
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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