経歴
軽巡「
天龍」艦長、軍務局一課長、重巡「
高雄」艦長、戦艦「
日向」艦長、
艦政本部総務部長、
練習艦隊司令官、
第二遣支艦隊司令長官などを歴任し、
1941年(昭和16年)
4月4日、
及川古志郎海軍大臣の
海軍次官に就任する。
沢本は日米開戦に対して反対であり、
第3次近衛内閣が総辞職し
東条内閣が成立する際に、及川古志郎は後任の海相として
豊田副武を推薦した。しかし豊田の
陸軍嫌いは陸軍側に周知のことであり、陸軍は当然としてこれを拒否、沢本はこれを好機として内閣の流産を期待したが
嶋田繁太郎が海相に就任してしまう。
日米開戦の決定についても、次官として開戦は承服しかねる、自信がないので次官を辞めさせてほしいと嶋田に頼むが、嶋田が沢本の大将昇進、
連合艦隊司令長官への就任をちらつかせたために翻意してしまう。これに関しては沢本も後年非常に悔いていた。
沢本は海軍次官に留まり、
1944年(昭和19年)
3月1日に大将昇進で
軍事参議官兼海軍次官事務取扱になり、同年
7月17日に
呉鎮守府司令長官、
1945年(昭和20年)5月1日に軍事参議官となり、そのまま終戦を迎えた。戦後は、
水交会会長を務めた。
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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