略歴
1961年に当時の
ラジオ関東に入社。当初は
プロ野球中継の担当が中心だった。その翌年には早くもプロ野球中継の実況を担当することになり、「史上最年少のプロ野球実況アナが誕生」ということで話題となる。しかし、自分の声質やテンポはスポーツに向いていないと感じ、わずか3年で自らプロ野球の実況から離れた。その後、競馬人気の高まりと共に
1968年頃から競馬関連の番組を手伝うようになり、
1970年から『
ラジオ日本 土曜・日曜競馬実況中継』の司会進行および実況を担当。
1975年に
テスコガビーが牝馬2冠を達成した第35回
優駿牝馬(
オークス)や、
1984年に
シンボリルドルフが無敗で2冠を達成した第51回
東京優駿(
日本ダービー)の実況など、入社が1年先輩である
林洋右と共に、ラジオ日本の競馬中継における看板アナとして活躍した。なお、局アナ時代はこのほかにも駅伝中継・ニュース番組など様々な番組を担当し、特別競輪中継では競馬中継と同様に、定年退職後も司会進行および実況を担当している。
定年退職後
定年退職後もフリーアナウンサーとしてラジオ日本の競馬中継や競輪中継を担当。局アナ時代を含めると実況歴40年以上のベテランアナウンサーである。また、
CSでは
SPEEDチャンネルの『春夏秋冬 競輪年譜』という番組においてレースVTRの実況を担当。その一方で、
東京アナウンス学院専門学校の講師をはじめとするアナウンス・話し方教室の講師としても活躍。年齢を重ねても昔と変わらない声を保ち、実年齢を知って驚いたリスナーも少なくない。
競馬実況の引退を決意
2005年頃から競馬中継でのGIレース実況は後進の局アナが中心となって登板し、GIレース当日は司会進行担当が多かった。それでもメインレース・GIのトライアルレースなどを、親子ほどの年が離れた後輩アナと共に実況していた。しかし、
2008年6月1日に行われた第75回東京優駿・日本ダービー(勝馬:
ディープスカイ)を自身の引退実況とし(丁度、ラジオ日本開局50周年と自身の年齢が70歳という節目の年にあたる)、ダービー初実況の
1976年(第43回・勝馬:
クライムカイザー)から32年、このレースを自身のダービー実況ならびに競馬実況の集大成と位置づけた。
競馬実況の引退については、65歳を過ぎてから、どの競馬場でも7倍の双眼鏡で事足りていたのが、広い
東京競馬場では馬が小さく見えて実況に不安を覚えた時から引退を意識したという(その対策として、東京競馬場では7倍から10倍の双眼鏡に変えて実況していた)。また、馬の名前を覚えるのは問題ないが、動き(レース)の中で馬名を言葉にするのがワンポイントずつ遅れてしまい、短距離レースだと4コーナーまでに18頭の馬名が全部言えなくなってしまったため、70歳を区切りに競馬実況を退く事を決めたと、引退後に刊行された『
週刊現代』でのインタビューで語っている。
引退実況のラストダービー
こうして迎えた日本ダービー当日、東京競馬場・RFラジオ日本の放送ブースには、このラスト実況に立ち会うべく沢山の関係者が集結した。レース直前、
「レース実況は、開局50周年ラジオ日本。御年70歳、きょうが引退実況。樋口忠正アナウンサーです!」と司会担当の
加藤裕介が盛り上げる形で紹介。だが、
ファンファーレ直後の第一声は「
今日の主役は18頭のサラブレッド。初夏の日差しの下、馬体が輝いて見えます。」と、あくまで控え目だった。レースではスタート直後、ハイテンションの中
「最内ディープスカイ、互角のスタートを切っています!」という人気馬のスタートを描写するおなじみのフレーズから始まり、道中はやや落ち着きながら馬を追った(それでも一般レースの実況に比べたらテンションは高かった)。そして4コーナーから直線にかけて再びテンションが上がり、ゴール前で発せられた
「交わした!交わした!ディープスカイ優勝ーッ!」の絶叫は、とても70歳とは思えない力の入った実況だった。こうして、全く衰えを感じさせない渾身の実況で幕を閉じ、多くのリスナーに惜しまれつつも見事に競馬実況アナウンサーとして有終の美を飾った。
ラジオ日本では樋口忠正競馬実況引退記念とラジオ日本開局50周年記念の特別企画として、『樋口忠正 私が選んだ 名馬 名勝負 ベスト10』(限定500枚)を2008年5月下旬から通信のみで販売している。
なお、競輪実況についてはアナウンサーが不足している事情からか、現在でも引き続き担当しており、今では彼の実況が生で聴けるのは競輪だけとなってしまった。
その他
- RFラジオ日本のナイター中継といえば『ラジオ日本ジャイアンツナイター』であるが、彼自身は熱狂的な阪神タイガースファンである。
- 「競馬実況の神様」と言われた元関西テレビアナウンサー・杉本清とは、生年月日が1年と1日違い(杉本清:1937年2月19日・樋口忠正:1938年2月20日)。
- 競馬実況では「わずか2cmのハナ差を見切った」という伝説が残るほどの鋭い観察力を持ち、彼の実況は『精密機械』に例えられた。
- 定年退職または60代前半までを境に実況を引退するアナウンサーが多い中で、60代後半を過ぎても競馬・競輪の実況を行う事は珍しく、70歳にして日本ダービーの実況を担当したアナウンサーも、杉本清の「スポーツうるぐす」での実況録画を除いては例が無い。
出典
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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