経歴
- 栃木県出身。本名、森田昌子。父は元フタバ食品の社員。小学校4年生のとき東京に引っ越す
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1971年(昭和46年) 13歳で日本テレビ系『スター誕生!』(1971年10月開始)に出場。初代グランドチャンピオンとなる。ホリプロダクション(現ホリプロ)に所属。
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1972年(昭和47年)7月1日、徳間音工から「せんせい」で歌手デビュー。翌年デビューした同学年の山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれる。尚、この中三トリオで最初にNHK紅白歌合戦(第24回)に初出場を果たしたのは森であり、15歳最年少での出場であった(1973年)。
- 1973年(昭和48年)、松竹の『男じゃないか・闘志満々』で映画デビュー。初々しい演技が好評を博した。同年、『としごろ』で主演に抜擢された。この年から開催された『ものまね王座決定戦』の初代チャンピオンとなる。
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1975年(昭和50年)、『花の高2トリオ・初恋時代』で初めて山口・桜田と共演。また、この年3〜4月に開催された、春のセンバツ高校野球大会に「おかあさん」が入場行進曲に選ばれ、森もセンバツ大会の開会式にゲスト出演した。
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1977年(昭和52年)、堀越高校を卒業。同期卒業生には岩崎宏美、岡田奈々、池上季実子らがいる。
- 1977年(昭和52年)の「なみだの桟橋」以降、本格的な演歌歌手への道を歩み始め、「彼岸花」など難易度の高い曲を歌いこなすことのできる実力派へと成長。
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1979年(昭和54年)、新宿コマ劇場で史上最年少女座長として「森昌子公演」を行う。
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1981年(昭和56年)、第32回NHK紅白歌合戦では「哀しみ本線日本海」で出場9回目、23歳にして初の紅白・紅組トリを務める。
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1983年(昭和58年)、「越冬つばめ」で第25回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。感激の余り受賞時に嬉し涙を流しながら歌い、その後の第34回NHK紅白歌合戦でも泣きながらの歌唱となる。このほか、TBSの金曜ドラマ『想い出づくり』などドラマにも出演、女優としても活躍した。
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1984年(昭和59年)、NHK『みんなのうた』で、「海へ来て」を歌う。放送期間は、1984年(昭和59年)8月1日〜9月30日。(再放送は5回。)
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1985年(昭和60年)、第36回NHK紅白歌合戦で初の紅組司会及びトリを務める。「愛傷歌」の歌唱前から感極まって号泣した為、歌詞が途中歌えなくなり、他の紅組のメンバーたちが森を囲みながら歌った。これは、紅白史上に残る名シーンとして語り継がれている。その後司会とトリを務めたのは和田アキ子しかいない。
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1986年(昭和61年)10月1日、演歌歌手の森進一と結婚。これに先立ち8月、引退コンサート及び引退記念曲「〜さようなら〜」を発表し歌手業を引退。
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2001年(平成13年)12月31日、第52回NHK紅白歌合戦へ16年ぶりに出場。これを機に限定的ながら復帰(※夫婦共演形式でのコンサートツアー及びCD吹き込みのみ)。
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2005年(平成17年)2月、自宅で薬物を大量に飲んで倒れ、緊急入院。わずか1日で退院。さまざまな憶測がワイドショーや週刊誌に取り上げられることが多く、この事が後の離婚騒動に発展した。この頃から森進一との不仲説が大きく報じられる。後にこの時、神経症であるパニック障害を発症したことが明らかになった。3月、森進一と別居。4月19日、離婚を発表(親権は長男が昌子側、次男と三男が進一側。養育権は3人とも昌子側)。ソロ歌手としての復帰が噂された。
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2006年(平成18年)3月27日、旧所属事務所のホリプロから歌手として復帰することを正式発表。4月、幻冬舎から初エッセー集『明日へ』を刊行。その後、和田アキ子・片平なぎさ・榊原郁恵らにより、「おかえり! 昌子 激励の会」が開かれ、関係者700人が詰め掛けた。5月、『NHK歌謡コンサート』でテレビに復帰。「哀しみ本線日本海」「越冬つばめ」「父娘草」を涙ながらに熱唱した。以降意欲的にテレビ出演などの活動を行う。6月7日、古巣のポニーキャニオンから20年ぶりの新曲「バラ色の未来」をリリース(初登場14位で、初登場としては過去最高の順位。ジャケットタイトルは森大衛揮毫)。この年の暮れには、第57回NHK紅白歌合戦に5年ぶりに出場、「バラ色の未来」を歌唱する。元夫・森進一との競演が注目されたが、結局順序をずらしての出演となり、二人が同じステージに出演する場面は一度も無いままに終わった。なお、2007年(平成19年)以降紅白には出場していない。
- 2007年(平成19年)4月、NHK朝の連続テレビ小説『どんど晴れ』で女優業を本格再開。7月13日には22年ぶりのドラマ主演となる金曜プレステージ『お母さん ぼくが生まれてごめんなさい』放送。
- 同年9月26日、体調不良を訴え、急性肺炎により急遽入院。同日予定していた熊本のコンサートを始め、同年内のコンサートツアーの中止を発表。
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2008年(平成20年)2月5日、『NHK歌謡コンサート』で「越冬つばめ」を歌い、芸能活動を再開した。
- 同年3月31日、ホリプロを退社。4月1日に個人事務所「おんがく工房」を設立。
NHK紅白歌合戦出場歴
シングル
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せんせい(1972年7月1日、デビュー曲)
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同級生(1972年10月25日)
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中学三年生(1973年2月5日)
- 夕顔の雨(1973年5月5日)
- 白樺日記(1973年8月25日)
- 記念樹(1973年10月31日)
- 若草の季節(1974年2月10日)
- 下町の青い空(1974年4月20日)
- 今日も笑顔でこんにちは(1974年7月1日)
- おかあさん(1974年9月1日)
- 八千代ふるさと音頭(1974年頃、千葉県八千代市市歌)
- 北風の朝(1974年9月1日)
- 春のめざめ(1975年3月1日)
- 面影の君(1975年6月1日)
- あなたを待って三年三月(1975年9月1日)
- あの人の船行っちゃった(1975年12月1日)
- おばさん(1976年3月1日)
- 夕笛の丘(1976年6月1日)
- どんぐりッ子(1976年8月1日)
- 少年時代(1976年9月1日)
- 恋ひとつ雪景色(1976年10月10日)
- 小雨の下宿屋(1977年1月25日)
- 港のまつり(1977年5月1日)
- なみだの桟橋(1977年8月1日)
- 春の岬(1977年12月1日)
- 父娘草(1978年3月1日)
- 津和野ひとり(1978年6月1日)
- 彼岸花(1978年9月5日)
- 晴れたり降ったり曇ったり(1978年10月25日)
- 夕子の四季(1979年1月21日)
- 翔んでけ青春(1979年3月5日)
- 銀のライター(1979年6月5日)
- ためいき橋(1979年10月21日)
- 故郷ごころ(1980年2月21日)
- 信濃路梓川(1980年6月21日)
- 波止場通りなみだ町(1980年9月21日)
- 北寒港(1981年1月21日)
- 哀しみ本線日本海(1981年7月10日)
- 鷗唄(1982年3月21日)
- 立待岬(1982年8月10日)
- ふるさと日和(1983年4月5日)
- 越冬つばめ(1983年8月21日)
- 寒椿(1984年4月21日)
- 涙雪/ほお紅(1984年10月5日)
- 恋は女の命の華よ(1985年2月21日)
- 愛傷歌(1985年7月21日)
- 孤愁人(1986年5月2日)
- いつまでも〜愛彩川〜/ありがとう〜雛ものがたり〜/そして、今…悲しみの終着駅…/〜さようなら〜(1986年8月21日)
- バラ色の未来(2006年6月7日)
- こころ雪(2007年1月17日)
- 綺麗(2007年10月3日)
主な出演
映画
- 男じゃないか・闘志満々
- としごろ
- お姐ちゃんお手柔らかに
- 花の高2トリオ・初恋時代
- どんぐりっ子
- お嫁にゆきます
テレビドラマ
バラエティ番組等
- 彼女は当時芸能人のものまね番組の常連であった。
主な受賞歴
CM
主著
特記事項
2005年頃より通信カラオケシステム
DAMの機種改良に伴い、同機種で配信する森の代表曲で背景映像に森本人が出演する映像が多く採用されている。主な作品は以下の通りである。
関連項目
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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