松竹株式会社(しょうちく、
英称:
SHOCHIKU Co., Ltd.)は、
日本の
映画・
演劇の制作・
興行・配給を手掛ける会社。
歌舞伎の興行については、現在そのほとんどを手がける。映画会社としては大手5社の一角を占める。創業は
1895年で、設立は
1920年11月8日(帝国活動写真株式会社の設立日)である。
概要
メディア対策として、
東宝や
大映(現・
角川映画)等と共に
フジテレビの設立に参加(
1959年開局)。なお、現在はフジテレビ株式の殆どを放出している反面、松竹大株主の10位以内に
東京放送(TBS)の名が連なるなど放送局との関係に変化が見られる。
一方では通信衛星を利用した自社製作の番組(映画、テレビドラマ、劇場中継等)を中心に流す「
衛星劇場」「
歌舞伎チャンネル」等を立ち上げ、現在に至る。
2005年、創業110年を記念した女優発掘オーディション
松竹STAR GATEを
歌舞伎座で開催。
かつては松竹で社員監督には助監督時代から脚本が書かなければなれないと言われており
他社の作品と比較し、監督が脚本を兼務する作品が非常に多かったのが特徴であった。
ビル。松竹本社及び関東支社が入居(東京都中央区築地)]]
(京都四条川端南東角)]]
歴史
映画
松竹映画
主要作品
- 1930年代
- 1940年代
- そよかぜ(並木路子が歌う主題歌の「リンゴの唄」は大ヒットし、終戦直後の日本を象徴する歌になる)
- 安城家の舞踏会
- 晩春
- 1950年代
- 1960年代
- 1970年代
- 1980年代
- 1990年代
- 2000年 - 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
主要監督
主要脚本家
主要俳優
男性
女性
- ※この元専属の男女優達の中で『小津映画最後のヒロイン→映画「極道の妻たちシリーズ」へ』の岩下志麻を象徴として、松竹退社後や70年代初めの日本映画界の斜陽化以降、映画・テレビドラマでの役柄や世間のイメージが松竹時代から180度激変してしまったスターが多い。
- しかし、今ではDVD化・ビデオ化の充実やテレビ放映(上記の衛星劇場など様々なチャンネルで)で、誰もが彼らの変わる前の松竹時代の作品に気軽に接することが出来る。
オープニングロゴ
-
富士山の背景に横書きで「松竹映画」の文字。但し、奥山和由によって「シネマ・ジャパネスク」路線が打ち出されると、富士山をイメージしたCGにローマ字で「Shochiku」と表記するオープニングが一時使われていったが、現在は両者を併用している。
撮影所
- 2007年現在、京都撮影所のみ現存。
松竹洋画
洋画買付
1920年(大正9年)11月1日、松竹キネマ合名社創業と同時に、東京歌舞伎座にて自社作品との併映の形で洋画の興行を開始したのを嚆矢とする。松竹キネマ合名社内には外国部が設置され、洋画の買い付けにあたった。同年12月31日、銀座金春館を洋画専門劇場として開場。
生駒雷遊や
徳川夢声といった一流活弁士を出演させた。翌
1921年からは
浅草帝国館を松竹洋画の拠点と定めたが、大作の一部は歌舞伎座や
明治座でも興行を行った。<一方、関西松竹合名社の手により、
1923年5月17日には大阪
道頓堀に
大阪松竹座が完成。洋画興行と松竹楽劇部(のちの
OSK日本歌劇団)による音楽舞踊のアトラクションを採り入れ話題となった。9月1日の
関東大震災により、松竹キネマ合名社の外国部は大阪に移転。浅草帝国館は復興し、引き続き松竹洋画の本拠としたが、外国映画社の日本支店の多くは京阪神地区に移転していたため、事実上大阪松竹座が基幹劇場となっていた。<
1924年、関西松竹合名社は国産映画の量産に力を入れることになり、洋画の輸入買付を手控える。以降同社は外国映画社から提供を受けた作品を配給する事に専念した(フリー・ブッキング制)。
松竹座チェーン
1924年6月、松竹キネマ合名社は
新宿武蔵野館と提携。
1926年には新宿武蔵野館に代わり目黒キネマが封切館に加わったが、やがて自社作品の拡充のため外国部を廃止して洋画興行および配給から撤退した。<一方、関西松竹合名社は大阪松竹座の成功に伴い、1924年12月31日に京都新京極の明治座を京都松竹座に改称して洋画興行を開始、翌
1927年には神戸
新開地の神戸松竹劇場を神戸松竹座に改称し、また名古屋末広座を買収して名古屋松竹座とするなど松竹座チェーンが形成された。<
1928年8月、浅草松竹座が開業し、翌
1929年9月には四谷大木戸の山手劇場を新宿松竹座と改称。松竹座チェーンは東京に進出。また大阪松竹座・浅草松竹座にそれぞれ輸入部を設け、洋画の購入を再開した。
SPチェーン
1931年5月、松竹座チェーンのライバルであった
パラマウント映画チェーンと合併することとなり、松竹パ社興行社を設立。浅草大勝館・新宿松竹座・
有楽町邦楽座・新宿武蔵野館・浅草電氣館・大阪松竹座・京都松竹座・神戸松竹座・大阪公楽座を直営劇場として洋画興行を行なったが、これに11月から日比谷
帝国劇場が加わった。<なお、トーキーと字幕の発達により、活弁士の解雇が相次いだ。
SYチェーン
1933年5月、パラマウント側が本来の映画配給に専念すべく、興行も含めた松竹パ社興行社から撤退。6月からSYコンパニー(松竹洋画興行部)が発足した。浅草常磐座・新宿昭和館が新たに加わり、都内の配給網は2系統になった。この後も契約館を増やし、運営母体も
1936年4月には松竹興行から独立して松竹洋画興行社となった。<しかしながら、
1937年4月、松竹キネマが松竹興行を合併し、現在の松竹株式会社となったため、松竹洋画興行社も合併に参加して、松竹株式会社の洋画部になった。さらに翌
1938年洋画の新規輸入が許可制になったため、輸入件数が減少し、洋画部は映画部洋画課に、翌
1939年には映画部洋画興行係に機構が縮小されていった。<
1940年帝国劇場を失い、洋画購入件数も減少するが、却って希少価値を生んだため興行成績は良好であった。しかし
1942年4月に戦時統制に伴う社団法人映画配給社が設立され、松竹の洋画興行はここで一旦終止符が打たれた。
1946年占領軍により設置されたセントラル映画社から、東宝と共に洋画興行を引き受けて復活。セントラル映画社との交渉がこじれ一旦打ち切られるが、翌
1947年松竹保善社の名で再契約し、浅草ロキシー映画劇場で洋画興行を行い、同館内にロキシー興行社を設置して洋画興行を復活させた。
1949年3月、接収されていた有楽町邦楽座がピカデリー劇場として返還されたのを機に、ロキシー興行社を解消して松竹本社内に洋画係を復活。
1950年に洋画配給課が設置され、
1927年以来(※)の洋画配給を復活させた(※松竹キネマ時代から数える)。
1951年11月、
ユナイテッド・アーティスツ社(ユナイト映画)と提携。興行・配給成績共に洋画界の覇権を握る。配給部門は
1955年に外画部、
1958年に外国部に改められると共に業容を拡大した。<
1959年ユナイト社との提携を解消。別途セレクト・インターナショナル映画社と合弁で松竹セレクト国際映画を設立して、洋画配給部門を独立させた。しかし、翌
1960年には基幹劇場の築地・松竹セントラル劇場等数館が日本映画の上映館に転換。「SYチェーン」は事実上崩壊し、全国をカバーする洋画興行はすべて東宝が握る事になった。
STチェーン
1962年松竹セレクト国際映画はセレクト側が撤退したため、松竹国際映画に改称。しかしながら依然として洋画配給としては弱体であったため、映配株式会社と合併することとなり、10月松竹映配が発足。一方の興行チェーンも
東急レクリエーションと提携することで独自の興行チェーンを復活。9月に「松竹・東急チェーン」(STチェーン)が発足した。なお、
東急との関係で東映洋画系もこれに含まれることがある。<一方、買付映画の不振により松竹映配の業績は悪化。
1973年8月に解散することとなり、受け皿会社として9月に富士映画を発足。
1983年松竹富士に改称したが、これも
1999年合理化のため解散するなど、配給部門としては長期低迷が続いている。現在、松竹の洋画配給は本社映像本部が行っている。
TV作品
松竹は経営参加を行った
フジテレビジョンを通じてテレビ進出を図るが、テレビ番組はそれよりも前に手掛けていた。初期はテレビ映画がメインであったが、大阪・
毎日放送とスタジオドラマを共同製作していた例もある。なお、大阪地区では他に
朝日放送と組んだ「道頓堀アワー」(角座から演芸中継)や
よみうりテレビと組んだ「親バカ子バカ」等一連の
寛美物のテレビドラマがあった。
アニメ・特撮
(アニメ)
(特撮)
-
トミカヒーロー レスキューフォース
- : 松竹の特撮ヒーロー2作目にして初めての巨大ロボットが登場(2008年4月5日~)
※松竹がこの分野に本格的に参入したのは上掲の通り、つい近年のことである。しかしながら、特撮については劇場用映画として
1967年に
宇宙大怪獣ギララを僅か一本ながら製作している(この「ギララ」は「
男はつらいよ 寅次郎真実一路」にも冒頭の寅次郎の夢シーンで登場する)。また、
アニメーションへの参入は更に古く、
1943年に松竹動画研究所を設立して「
フクちゃんの奇襲」(原作・
横山隆一)等戦時下にも拘わらず6作品を製作発表している。この松竹動画は日本アニメーション界の草分け的存在でもある。
※2008年には
OVA作品として、「
絶対衝激 〜PLATONIC HEART〜」のDVD発売元となっている。
ドラマ
時代劇
現代劇
演劇
歌舞伎
多くの歌舞伎俳優と専属契約を結んでおり、歌舞伎の上演と伝承に積極的に取り組んでいる。特に昭和期に
東宝が歌舞伎公演から撤退して以降は、歌舞伎俳優の集約が進み歌舞伎界でも特に有力な存在となっている。
歌舞伎座・
南座・
大阪松竹座など傘下の劇場で定期公演を行うほか、『松竹大歌舞伎』として全国巡業を実施し、国立劇場公演にも協力している。
- 歌舞伎の内容については、歌舞伎の項を参照のこと。
- なお、演目については歌舞伎の演目一覧の項を参照のこと。
- 歌舞伎公演を映像作品化する事業については、シネマ歌舞伎の項を参照のこと。
新派
松竹新喜劇
歌劇
- 東京の国際劇場を拠点に興行されていたレビュー・ミュージカルについては松竹歌劇団を参照のこと。
- 大阪の大阪松竹座・大阪劇場(大劇)・松映(戦前のみ)を拠点としていたレビューについては、OSK日本歌劇団(旧名称:大阪松竹歌劇団)の項を参照のこと。なお、OSKとは1957年6月をもって関係を絶っている。
演芸
劇場
- 下記劇場は年数回松竹の興行が行われる。
付帯事業
賃貸不動産
- 映画・演劇と並ぶ基幹事業となっている。
プロ野球
-
松竹ロビンスの項を参照。なお、松竹は本格的に球団経営には携わらず、あくまでもスポンサーの立場で終始していた。
アイススケートリンク
ボウリング場
- 現在は全て撤退。
- ほか
連結子会社
- ほか
かつて存在した施設
-
松竹キネマ俳優学校
-
松竹キネマ研究所
- 松竹シナリオ研究所
- ボウリング場
- アイススケートリンク
-
松竹歌劇団
-
大阪松竹歌劇団
- 松竹交響楽団
かつて存在した劇場
-
帝国劇場(東宝経営で現存)
-
新富座
-
市村座
-
国際劇場
- 浅草松竹座
-
浅草松竹演芸場
-
新宿第一劇場(新歌舞伎座・新宿松竹座)
- 新宿松竹座(大国座・新宿歌舞伎座・新宿大劇場)
-
東京劇場(松竹直営の映画館として現存)
-
明治座(松竹の手を離れて現存)
- 名古屋松竹座
- 中京劇場
- 京都座(のちの京都ロキシー。現・MOVIX京都North)
- 京都明治座(のちの京都松竹座。現・MOVIX京都South)
- 夷谷座(のちの京都ピカデリー。現・グルメシティ京極店)
- 京都歌舞伎座(のちのSY松竹京映。現・フジヤマカフェ)
-
文楽座
-
道頓堀浪花座
- 道頓堀中座
-
道頓堀角座
- 道頓堀朝日座(東映に売却)
- 道頓堀弁天座(文楽座・道頓堀朝日座)
-
大阪歌舞伎座
-
大阪劇場
- アシベ劇場
- なんば大劇場(南海難波駅構内。現在のなんばパークスシネマに繋がる)
- なんばロキシー(同上)
- 松映(新世界。旧・大阪国技館)
- 神戸松竹劇場
- 神戸松竹座
- 神戸八千代劇場
-
大博劇場(厳密に言えば松竹の劇場ではない)
- 鹿児島松竹タカシマ1・2・3 : 高島映画劇場(1947年3月10日 - 1950年12月31日)→大映高島(1951年1月1日 - 1972年1月31日)→松竹高島(1972年2月1日 - 1986年8月31日)→改築休館(1986年9月1日 - 1987年4月24日)→松竹高島(4階、1987年4月25日 - 2000年8月11日)・鹿児島ピカデリー(2階、1987年4月25日 - 2000年8月11日)→松竹タカシマ(2000年8月12日 - 2005年5月5日)
関連項目
外部リンク
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