概要
屋根は空気膜構造と呼ばれるもので、内部の空気圧を外部よりも 0.3%(3
ヘクトパスカル)高くして膨らませている。圧力差を維持するために出入り口に手動式
回転ドアや
エアロックが設置されている(ドア開放は空気が抜けてしまうので出来ない)。ドームから外に出る際、回転ドアで気圧のため外に押し出されるような感じになる。隣接する
小石川後楽園の日照に配慮するため、屋根の高さが外野方面に向かって低くなっていくように設計されている。
から「フィールドターフ」と呼ばれる新型
人工芝を、日本の野球場で初めて採用した。
天然芝に近い感触の特殊な繊維とクッション材を採用し、選手の負担を軽減できる工夫を凝らした。
ドームの広さは約216メートル四方で
建築面積は46,755m
2、
容積は約124万m
3。日本(特に東日本)では建物・場所などの面積や大量の物の体積・容積を表現する際に「東京ドーム何個分(何杯分)」という表現が使われることもある。
の大改修で喫煙コーナーを廃止して完全に煙の漏れない喫煙室を新設し、ドーム球場での完全
分煙を実現した。
設備
フィールド
両翼100メートル・中堅122メートル。
国際基準に適合した広さで設計されているものの、敷地面積の都合で左中間・右中間(110メートル)が狭い。日本での一般的な野球場のイメージである「扇型」よりは、アメリカの
リグレーフィールドや
USセルラー・フィールドのようにむしろ「矩形」に近い。同じドーム球場でも、扇形のフィールドを持つ
ナゴヤドームと比べると、中堅・両翼までの距離はほぼ同じだが左中間・右中間がほぼ直線状であるため6 - 8メートルほど狭く、フェンスが低いこともあって
ホームランが出やすい。外野フェアゾーン側の客席が極端に少ないため、ホームランが最上段の看板へ直撃した時点では「特大ホームランの放物線の下りはじめ」程度である(看板位置の高さ、当たり方などからホームランの飛距離を推定しているようである)。
- フィールドには人工芝を採用している。2002年からは、試合会場としては日本で初めて天然芝に近い性質を持つといわれるハイテク人工芝「フィールドターフ」を導入したものの、イベントなどで踏み荒らされるなど数年で踏み固められてしまった。2006年に巨人がシーズン当初の好調から故障者が続出し一転して低迷したが、読売ジャイアンツの滝鼻卓雄オーナーは低迷の要因の一つとして人工芝を挙げ、東京ドーム側に改善を要望すると、東京ドームではシーズン中の6月にリフレッシュ工事を行い若干の改善が見られた。2007年3月には人工芝「フィールドターフ」を耐久性、衝撃吸収力が向上した改良型へ総張り替えを実施した。
- グラウンド地下には一周400メートルのバンク(競走路)が収納されている(後楽園競輪場跡地に建てられており、将来の後楽園競輪復活も視野に入れているため)。年に一度、「自転車フェスティバル」と題して、模擬競輪など競輪・自転車競技に関するイベントが行われている。
ホームランの出やすさの理由
東京ドームは一般にホームランが出やすい球場と言われており、2008年のパークファクターでも、全球場の中で1位となった。ホームランの出やすさの理由は、まずその左中間・右中間の狭さという構造上の問題がある。そしてそれ以外に「エアドーム方式」のためという声があり、一部のアンチ巨人などは巨人が一発攻勢で勝利した場合には人為的な現象があったとして、「空調」あるいは「ドームラン」といった独特の表現を用いる。
なお実際の空調設備は新日本空調が担当している。
もっとも球場ごとのホームランの出やすさを示す
パークファクターの2007年の数値は、
明治神宮野球場、
横浜スタジアムの各球場のほうが東京ドームのそれより高い。ドームの何かの要素を人為的に操作しているという意見に信憑性はないが、同じく空気膜構造屋根を持つ
メトロドーム(
アメリカ合衆国ミネソタ州)もホームランが出やすい球場と言われたり、元球場職員の「ホームチームに有利になるよう、強力なファンで強風を送っていた」といった記事が
タブロイド紙に掲載されたことがある。しかし、メトロドームの
2001年から
2006年までの
パークファクターが基準値の1点を上回ったのは6年間で2度しかなく、同球場はホームランの出にくい球場であるとのデータが出ている。空気膜構造屋根をホームランが出やすい理由とするだけの証拠データは存在していない。
それでも「ドーム元年」は、甲子園球場に
ラッキーゾーンが張られ、両翼わずか90メートル前後の
ナゴヤ球場や
川崎球場が現役だった時代であった。しかし甲子園のラッキーゾーンが撤去され
ナゴヤドームがオープン。パリーグのフランチャイズ球場もすべて大型化し、
2008年シーズンからは神宮球場も外野フェンスを拡張。さらに翌年は
広島も新球場を使用する。そのため、2009年には日本で1、2を争う狭い球場となる。
ホームランが出やすい球場と仮定した場合、敵味方に与えられる条件が同じならば、そのホームランが出やすいという地の利を利用し本塁打を量産する選手を並べて戦うことが、東京ドームで勝利することへの近道となる。1990年代中盤の巨人のスターティングメンバーには、巨人が主軸に成長した
松井秀喜、FA移籍した
清原和博など大型選手をオーダーに並び、看板直撃弾が試合の華となった。もっともこの戦略は投手力を軽視することで、かえって優勝を逃すケースが多くなった。
巨人に在籍した
石毛博史投手は「東京ドームで投げると呼吸が苦しくなることが多かった。」と語っていた。気圧や空調機能の影響で乾燥した空気でスタミナを奪われると推測されるが、これも「投手泣かせ」要因の可能性もある。
上原浩治投手は「
広島市民球場や改修前の
神宮球場よりも一発が恐い」「もしかして空調が影響しているかもしれない」「東京ドームを本拠地にした40本と、ナゴヤドームを本拠地にした40本では、10本以上価値が違う(東京ドームの40本の方が価値が低い)」と語り、
宮本慎也選手は、「無風状態のため球がなかなか落ちてこない」「改修前の神宮球場よりもバックスクリーンにホームランが出やすい」「こすった当たりでも入る」と語っている。
現在では東京ドームは狭いと言われている。ただし建設当時のNPBの範囲で、広い球場を意図して建設した球場であったのは事実であり、建設初年度の
1988年はナゴヤ球場や川崎球場などが現役時代で、甲子園球場はラッキーゾーンが張られていた時代のため、ドーム初年度のパークファクターは半分程度である。故障離脱が無ければ2年連続40本塁打ペースで本塁打を量産していた巨人4番
原辰徳が、この年はフル出場しながら
本塁打王と2本差の31本に終わっている。さらに1989年・1990年は、地の利を利用した極端な投手力を武器に
藤田元司監督が2連覇を達成。1994年・1996年の優勝も、藤田の確立したチームと「広い東京ドーム」が礎になっていた。その後の「平成3本柱」の衰えにより、巨人は強力打線を擁したチームに生まれ変わったものの、次の優勝は4年後の2000年であった(このころには甲子園のラッキーゾーンが撤去され、パリーグの球場も大型化していった)。藤田の確立した「広い東京ドーム」を礎にしたチームの印象が、未だに当時の巨人ファンに理想形となっていることも一因であろう。
屋根・天井
天井にはテレビカメラが備え付けられている。その映像は、
野球中継だけでなく
NHK・
民放各局の夜の
スポーツ速報番組などに使われていた。最近の中継では、あまり頻繁に使用されることはないが、
巨人優勝時の
胴上げの際には必ず使用されている。
設計に当たっては、打球が屋根に当たらないように高さが設定された。完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた
長嶋茂雄は「この天井にボールをぶつける事は無理でしょう」と述べていたが、開場した
1988年の
7月4日に
阪急の
ダラス・ウィリアムズが当てたのを皮切りに、
巨人の
原辰徳や
松井秀喜、
西武の
アレックス・カブレラらが、天井や天井に吊り下げられている照明機器、スピーカーなどに当てている。
天井や天井の懸垂物に当てた場合、以下の特別ルールが適用される。
- 天井に当てた場合→ボールインプレイ(プレイ続行)。落下した打球を野手がそのまま捕球すればフライアウト。落下した地点か野手が触れた地点でフェアかファールか判断される。
- 阪急・ウィリアムズの「第1号」は2階内野席に落ちたため、ファール。
- 2005年7月30日の巨人対中日戦で、通算350号本塁打まで残り1本に迫っていた巨人の江藤智が本塁打性の特大飛球を放ったが、打球は屋根に当たりグラウンドに落下。中日の左翼手・英智に捕球され、350号は幻となった(通算350号は西武へ移籍した翌年4月15日に達成)。
- 2007年のオールスターゲームでは7月20日に行われた第1戦で、オールパシフィックの山﨑武司(東北楽天)が天井に当てている(結果はサードのファールフライ)。
- 外野のフェア地域にある懸垂物に当てた(もしくは挟まった)場合→認定ホームラン(過去2例)。
- 1990年6月6日の日本ハム対近鉄戦で近鉄のラルフ・ブライアントが日本ハムの角盈男から記録。打った打球をセンター守備位置上にあるメインスピーカーに直撃させた(推定飛距離160メートル)。これをきっかけに、東京ドームではスピーカーに当てた認定ホームランを記録した選手に対してスピーカーの提供メーカーより賞金300万円を贈呈することにしている(メインスピーカーのみ)。
- 2008年6月7日の巨人対ロッテ戦でロッテのフリオ・ズレータが巨人のエイドリアン・バーンサイドから記録。打った打球をレフト守備位置上にある照明機器に直撃させた(推定飛距離150メートル)。
- 打球が天井の穴や隙間、懸垂物などに挟まって落ちてこなかった場合→フェアゾーンであればエンタイトルツーベース。ファールゾーンであればファール。
- 2002年に松井秀喜が記録。この「幻のドーム場外」ボールは2日後に取り出され、現在、野球体育博物館に保存されている。
座席
基本的に座席の色は
青で統一されている。敷地の関係上、外野席の比率が低い。内野席は2層式で中間にバルコニー席があり、食事付き年間指定席となっている。バルコニー席の中央部分はVIP用スペースとなっている。下段の最上段は場内を見渡せるコンコースとなっており、立ち見席と車椅子席となっている。スタンドの一部が取り外しのきく可動席となっており、サッカーの開催も可能である。
左翼スタンドのセンター寄りを巨人の応援席にした「レフト巨人応援席」、残りの座席の一部を「ビジターチーム応援席」と設定したため、巨人ファンとビジターファンとの外野の座席比率はおよそ6:4(実質見た目は7:3ぐらいに見える。)になっている。元来ライト側に入れない巨人ファンがレフトのライト側寄りで応援していたことと、レフト側でビジターチームを応援する客が少なかったこと、2005年後半戦の阪神戦以外の全ての試合で、バックスクリーン周辺のレフトスタンドの客席の空席が目立ち過ぎたことなどから、設定された席種である。阪神戦では、レフト側で阪神を応援するファンの数が多いことと、巨人と阪神のファン同士での争い事の発生を避けることなどを理由に「レフト巨人応援席」は設定されていない。
社会人野球の
都市対抗、プロ野球の
アジアシリーズが開催される期間中には、一・三塁側スタンド最前列に応援団の特設ステージが設けられる。
-
2005年から内野一・三塁側のファウルゾーンにフィールドシート(エキサイトシート)を228席設定した。
- プロ野球を開催する場合のみ使用され、アマチュア野球や他のイベントでは使用されない(ただし、アマチュア野球の試合であってもシートの撤去はしない)。
- 利用する観客へは防御用のヘルメットとグローブが貸し出される。ヘルメットは必ず着用しなければならない。
- 売り子が入ることができない。入口際のネット越しに購入することが可能である。
- 巨人主催ゲームについては年間予約席(108席)と一般指定席(120席)の2種類が設定され、一般席は抽選で販売される。座席数が非常に少ないため抽選は毎回高倍率となる。
- 日本ハム戦(2008年)はシーズン席だけの設定で用意されている
-
車椅子を利用する観客のために、立見席の一部を「車椅子席」としている。車椅子だけではなく、介護ベッドを利用する観客も利用できるようになっており、介護ベッドを設置し、介護ベッドで横になりながら試合を観戦している観客もいる。エキサイトシート同様、発売方法は通常の発売方法と異なるので注意が必要。
看板広告
バックネットのフェンス広告は2004年から電動により広告パターンを複数出せるようになっている。
オールスターゲームが開催される場合は、オールスターゲームの冠スポンサー(2006年まで
三洋電機、2007年は
ガリバーインターナショナル、2008年は
マツダ)の広告を掲出している。東京ドームでのオールスターはこれまで1988、1991、1993、1996、2000、2002、2007年に開催されたことがある。
かつてはライト側の柱広告に直撃するホームランを打った選手には300万円の賞金が贈呈されていたが、契約終了により
2006年にこの制度が廃止。広告が撤去された。
東京ドームでは現在、
消費者金融の会社の広告を一切出していない。以前、
大阪近鉄バファローズが消費者金融の
アコムとスポンサー契約を新たに結び、ヘルメットに同社名を入れたことについて、巨人の
渡邉恒雄(当時)オーナーが「プロ野球の品位を汚す。消費者金融の広告など、子供に見せられない。東京ドームは、消費者金融の広告は一切ない。」と痛罵した。実際には、その発言をした時には東京ドームでも同業の
プロミスの広告が出されていた。その後シーズンオフに、次年度の広告掲載の契約更新の際、東京ドームがプロミスに「来年の広告掲載の更新は見送って欲しい。状況を理解して欲しい。」と更新を行なわない旨を通達し、プロミスも了承し、消費者金融の広告は一切排除された。
バックスクリーンは開場当時は両サイドの広告(同一企業のもの2枚)を貼るのみだったが、その後中央部分にプリズムビジョンと呼ばれる回転板が張られるようになった。
室内広告として、試合約40分前、3回裏、5回裏、7回裏のグランド整備の間、ゲームセットコールの直後と客出しの間の15〜20分間に無人
飛行船が飛ぶ。巨人勝利の際には
ヒーローインタビューのTVのカメラフレームに入り込むように飛行する。 この飛行船にはカメラが備え付けられており、ビッグヴィジョンへの生中継が出来る。また、この飛行船にはサンプル商品などを投下できる小型気球を3つ取り付けられる。
看板広告の歴史
- 1988年 - 1992年: KIRIN、NISSAN、全日空、MINOLTA、SEIKO、パイオニア、JT、ミサワホーム、NEC
- 1993年 - 1995年: KONAMI、KIRIN、NISSAN、全日空、ポカリスエット、昭和シェル石油、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード
- 1996年 - 1997年: コナミ、KIRIN、NISSAN、JA共済、オロナミンC、FUJIFILM、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード
- 1998年 - 1999年: コナミ、KIRIN、NISSAN、JRA、オロナミンC、FUJIFILM、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード
- 2000年 - 2001年: HOYA、KIRIN、NISSAN、明治ブルガリアヨーグルト、オロナミンC、FUJIFILM、パイオニア、JT、セコム、NEC、UCカード
- 2002年 - 2004年: コムスン、KIRIN、NISSAN、明治AYA、エプソン、FUJIFILM Finepix、パイオニア、アミノバリュー、セコム、へーベルハウス、UCカード
- 2005年: コクヨ、 KIRIN、NISSAN、明治ブルガリアヨーグルト、JAL(日本航空)、FUJIFILM、パイオニア、オロナミンc、セコム、へーベルハウス、UCカード
- 2006年 - : コクヨ、KIRIN、JR東日本、明治おいしい牛乳、HOYA、JINRO、パイオニア、SOYJOY、セコム、へーベルハウス、UCカード
広告表示の歴史
- 1988年 - 1989年: サントリー生ビール、Panasonic、ワールド、リョービ、東邦生命、フコク生命、パソコンは富士通、コニカカラー、日本航空、フジカラー、クボタ、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
- 1990年 - 1992年: サントリーモルツ、Panasonic、ワールド、リョービ、東邦生命、フコク生命、FUJITSU 富士通、コニカカラー、JAL日本航空、フジカラー、クボタ、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
- 1993年 - 1995年: サントリーモルツ、Panasonic、ホクレン、リョービ、東邦生命、フコク生命、FUJITSU FMV、コニカカラー、JAL日本航空、CASIO、クボタ、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
- 1996年 - 1997年: モルツ、Panasonic、ホクレン、リョービ、東邦生命、フコク生命、FUJITSU FMV、Konica、ジャルパックのアイル、CASIO、クボタ、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
- 1998年 - 1999年: モルツ、Panasonic、ホクレン、リョービ、GEエジソン生命、フコク生命、KOMATSU、Konica、旅にJALカード、CASIO、クボタ、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
- 2000年 - 2001年: モルツ、Panasonic、ホクレン、KONAMI、MASPRO、フコク生命、KOMATSU、Konica、旅にJALカード、CASIO、クボタ、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券
- 2002年 - 2005年: モルツ、Panasonic、ホクレン、KONAMI、MASPRO、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、日本航空、CASIO、クボタ、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券
- 2006年 - 2007年: モルツ、Panasonic、ホクレン、KONAMI、日研総業、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、クボタ、日本興亜損保、スルガコーポレーション、大和証券
- 2008年 - : モルツ、Panasonic、ホクレン、KONAMI、日研総業、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、クボタ、日本興亜損保、SANKYO、大和証券
※2008年現在、後楽園時代からのスポンサーはサントリー、パナソニック、フコク生命、コニカミノルタ、クボタ、日本興亜損保、大和証券の7社である。
ベンチ広告表示の歴史
※2008年現在、後楽園時代からのスポンサーだったミズノと森永製菓は1997年限りで降板し、後楽園時代からのベンチ広告のスポンサーはキーコーヒーのみとなった。東京ドーム初年度からスポンサーになっているTDKは、東京ドーム完成後にベンチ広告のスポンサーになっており、後楽園球場においてはベンチスポンサーではなかった。
スコアボードの変遷
1988年の完成時、スコアボードは、
バックスクリーン側の
三菱電機製白黒2色の「スコアボード」とフルカラー表示の「
オーロラビジョン」、バックスタンド上部にある白黒2色のサブボード(スコア表示のみ)だった。打順のチーム名表示は開場初年のみ「巨人」・「阪神」などの通称を使用していたが、翌年から「ジャイアンツ」・「タイガース」といったニックネームに切り替わっている(文字はどちらも明朝体)。
2003年に、後述するスコアボード部改修を機に再び通称表示(パ・リーグの場合は「大阪近鉄」「福岡ダイエー」・「千葉ロッテ」等)に変更されたが、
2004年にはニックネームに戻された(2003年以降の文字はゴシック体。ニックネームに戻されたのは「北海道日本ハム」が漢字の文字数が多すぎて表示しにくかったためと思われる)。
オーロラビジョンは
1990年に
ハイビジョンサイズへ変更、
1999年に全面改修された。
2001年にはサブボードも三菱電機製のフルカラー表示の全面オーロラビジョンに全面改修された。
2003年にスコアボード部が改修され、ホームラン時の映像パフォーマンス(ホームチームのみ)が上半分の表示から全画面表示になった。各選手の
打率 (AV) 、ホームラン (HR) 表示に
打点 (RBI) が加わった。球速表示も単位が"
km"から"
km/h"に変更され、スコア部分のチーム名表示が普通のアルファベットから各球団の帽子のマークに変更された(2004年以降の西武と大阪近鉄は帽子のマークがイラストのみのため、西武は胸マークの「L」の筆記体、大阪近鉄は太字の「Bu」が使用された)。また、選手名に使用されていた文字の字体が多少変更された。
2004年のシーズン途中からは、サブボードの球速表示部分にも打席の選手名、打率 (AV) 、ホームラン数 (HR) が表示されるようになった。球速表示はその下に表示される。
2005年にはバックスクリーン側のスコアボードとオーロラビジョンの全面改修が行われ、フルカラー
LED表示の全面オーロラビジョンになった。
フォントが
Canonの角
ゴシックCaに変わり、また従来のものと違い両チームのメンバーを上から下へ縦表示になり、守備位置表示が数字から英語略称になった(投手=P、捕手=C、一塁手=1B、左翼手=LF、代打=PH、代走=PRなど)。2つの境目がなくなったことで、例えば選手交代時には守備と選手名の部分が上から下にクルクル回転して変わる、などのさまざまな映像表現が可能となった。スペースの都合上チーム名が最上部に表記されず、代わりにメンバーの外側にチーム名が球団のペットマークやイニシャルと共に表示される。10億7000万色の発色が可能となり、日本の野球場では最高レベルの鮮明な画像が見られる。縦組みのメンバー表示は後楽園時代の
1987年以来の復活となった。バックネット裏スタンド最上部のオーロラビジョンもバックスクリーンと同じ尺度のスクリーンになった(スコア+打者の個人成績/リプレー映像/来場者映像の表示のみ)。
2006年から、
バリアフリー対策の一環で選手名部分の字体の幅が大きくなった(それ以外はこれまで通り)。その影響でペットマークを表示していた部分が無くなり、チーム名を選手名の上部に表示するようになったため、一列に入る選手名が9人分となった。このため
指名打者制の試合時は、5番打者の名前の横(3塁側のチームは右側、1塁側のチームは左側)に投手名が表示されている。
2007年より、スコアボードをより見やすく・わかりやすくするため、守備位置表示が英語略称から日本人になじみのある数字に戻り、投球数表示が追加され、オーロラビジョン部分がハイビジョンサイズ(16:9)になる。打率・ホームラン・打点の表示も英語から日本語に変わった。また、緑地のスコアボードだったが、黒に白が基調になり、球速やヒット、エラーなどの記録は黄色で表示される。前年開催された
2006 ワールド・ベースボール・クラシックアジアラウンドで投手の投球数制限をわかりやすくするために使用された投球数表示をこのシーズンから公式戦でも使用しはじめた。
野球の試合で使用する場合、スコアの表示は開設当時は9回まで(10回以後は9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する)だった。
2003年の改修に際して、延長戦の表示について、プロ野球のように延長が12回までしか行われない場合は1回から9回までのスコアの幅に1回から12回までのスコアを、幅を詰めて表示するようになった。
都市対抗野球大会など、延長が13回以降も行われる可能性がある場合は、従来通り9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する(現在のスコアボードも同様)。
2007年からスコア部分のチーム名表示がアルファベット1文字になった(
ベイスターズと
バファローズは共に「B」と表示される)。但し、2文字表記することも可能であり、
2008年のアジアシリーズでは
SKワイバーンズが「SK」
統一セブンイレブン・ライオンズが「U・L」、
天津ライオンズが「T・L」と表記された。
放送席
放送席に入るためには一度
コンコースを通らなければならず、観客が
解説者などにサインをねだる光景がみられる。中継ゲストに有名芸能人が登場した際(日本テレビの番組宣伝が多い)には試合終了後、放送席裏のコンコースに人だかりができて、混乱が発生する。
喫煙に関する分煙化
2007年より、コンコースで設置されていた喫煙ブースを廃止し、新たにゲート外、及び1階内野コンコース1塁側、3塁側に設置された喫煙ルームにて喫煙を行なう「分煙化」を行なっている。
野球体育博物館
21番ゲート右側に
野球体育博物館が併設されている。この施設も後楽園球場から受け継がれたものである。
施設概要
された東京ドーム]]
建物
- 高さ - 56.19メートル
- 階数 - 地上6階・地下2階
- 建築面積 - 46,755平方メートル
- 容積 - 1,240,000立方メートル
- エアドーム - 28本のワイヤを8.5メートル間隔で縦横に貼り、その間をガラスクロス(織物)の表面をフッ素樹脂でコーティングした素材で貼り合わせてある。素材は耐候性、耐熱性、非粘着性に優れ不燃材料である。内膜は音を吸収する特性もある。耐用年数は20年以上。総重量は400トン。太陽光の約5%を透過する。施工は太陽工業。
- 外膜は厚さ0.8ミリメートル。アメリカのケミカル・ファブリックス社製品。
- 内膜は厚さ0.35ミリメートル。中興化成工業社製品。
- エアドームを膨らませておくために気圧を外気圧より0.3%高くする。そのため送風ファンを合計36台設置している。ドア開閉がある場合は10台から18台を稼働させ、ドア閉鎖時は2台で気圧を維持する。
- 備考 - 夜間はライトアップされる。面積や容積の規模を比較する単位として、「東京ドーム○個分」と例えられることが多い。
落成・供用開始日
- 落成式 1988年3月17日
- 公式戦開始日 同年3月18日
- 一般使用開始日 同年12月24日
エピソード
- 公式戦ではじめてホームランを打ったのはヤクルトスワローズのダグ・デシンセイである(ちなみに巨人の東京ドーム公式戦初本塁打は、ウォーレン・クロマティ)。前述のこけら落としのオープン戦も含めると吉村禎章が打っている。初の公式戦勝利投手は尾花高夫、初の公式戦セーブは伊東昭光、初の公式戦敗戦投手は桑田真澄。
- 1998年、開場10周年を記念して1番ゲートを「王ゲート」、3番ゲートを「長嶋ゲート」と称された。これは後楽園球場時代の名残である。2000年、二人は読売巨人軍VS福岡ダイエーホークス(当時)の日本シリーズで監督として対決となるが同球場では1塁側ベンチを巨人の長嶋、3塁側ベンチをダイエーの王が使用している。
- 2002年の日テレG+開局からは日本テレビのニュース番組のスポーツコーナーでの放送と実況放送を分離する放送を開始。
- 2004年まで日本プロ野球は観客数を実数ではなく水増しした数字で発表していたが、東京ドームの場合も巨人戦の観客数を実際の入場者数に関わらず55,000人(1988年から1994年までは56,000人と発表)と発表していた。2005年からはプロ野球全体で観客数は実数に近い発表になったことに伴い、東京ドームでも実際に入場した人数を元に発表を行っている。<1988年10月7日朝日新聞22面に既に「東京ドームの定員は46,314人、そのうち立ち見2,976人」とあり、2005年4月13日の産経新聞に改修を得て現在の数字に落ち着いたとある。なお実数発表以後の観客数の最多記録は2008年10月8日、巨人対阪神戦の46,783人である。なお野球以外では1998年4月4日の新日本プロレス主催のアントニオ猪木引退試合が最多動員(主催者発表70,000人)を記録している。
-
1990年代の新日本プロレス主催の大会においては「闘強導夢」という当て字が使用されていた。
- 2004年にストロングリーグによっておこなわれた全国軟式野球統一王座決定戦・ジャパンカップの決勝戦では、草野球大会としてはじめて沖縄県のチームが来場し千葉県代表チームに勝利し優勝を飾り、胴上げをおこなった。
- かつて外野ライトスタンド(一階レベル)から一塁側内野スタンドへ通じる広大なコンコースが存在していた。オープン当初は売店等が立ち並び、外野と内野を行きかう人々で賑わっていたが、数年で閉鎖された。現在は外野側、内野側いずれもシャッターで閉ざされ中に入ることはできない。閉鎖後は倉庫として使用されている。
胴上げ
読売との資本関係
東京ドームは、巨人軍の本拠地だけに
読売新聞グループ本社の子会社であると捉えられる場合があるが、グループ本社との資本関係は無い。ただし企業としての株式会社東京ドームは、
よみうりランドの大株主の一社である。
暴力団への利益供与
2002年に、東京ドームが
広域暴力団住吉会下部組織に対して、巨人戦のチケットを無償供与する等の利益供与を行っていたことが明らかになった。当時巨人戦のチケットは
プラチナチケットであり、提供されたチケットを
ダフ屋行為を行うことで高額で転売出来たため、チケット額面以上の利益供与となった。
球場使用料
東京ドームの球場使用料は他の球場やドームに比べて極めて高く、1試合あたり観客数に関係なく1,750万円だといわれている。(ちなみに
阪神甲子園球場は基本的に無料。)高い使用料が日本ハムの札幌移転の理由の1つとなった(
札幌ドームの球場使用料は1試合あたり「基本料金800万円+観客が2万人を超えるごとに1人当たり400円追加」で、最大1600万円強)。なお、日本ハムは現在も準本拠地として引き続き年間数試合で東京ドームを使用している。
この金額は照明、アナウンス、ゴミ掃除など観客を入れるための各種オプションも含まれた金額である。オフシーズン、平日、昼間、草野球(2時間程度)、オプション無し、などの条件であれば数十万で貸し切ることが出来る。
マスコットキャラクター
日本ハムの北海道移転前のマスコットキャラクター・
ファイティーは、当初移転とともに役目を終える予定だったが、女性を中心としたファン達の嘆願により、東京ドーム限定のマスコットキャラクターとして
2005年まで存続し、
2006年以降は重大イベント限定で登場となった(例えばファイターズが優勝したときに登場などが想定される)。また、ファイターズ戦においては
日本ハムの商品マスコットである
ハムリンズも2005年以降登場している。
応援時の規制
東京ドームでは、野球開催において以下のような規制を行なっている。
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トランペット、カネ、笛、太鼓
- 指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可
- 拡声器、ラジカセ等、大音量を発生させる物の持込不可。ただし都市対抗野球においてはマイク使用可。
- 騒音問題に対応し、22時以後は使用禁止。ただし都市対抗野球においては23時まで利用可能。かつ23時以降もマイク使用は可能。
- 応援旗
- 一般客は、縦500mm以内、横500mm以内の大きさで、持ちやすくするために柄を2本付けたものであれば持込可。それ以上の大きさのものは、指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可。
- 枚数は制限なし。
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横断幕
- 一般客は縦600mm以内、横600mm以内のものであれば持込可。それ以上の大きさのものは、指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可。尚、上記の大きさを超える「ゲートフラッグ」は、一般客・応援団共に持込禁止。
- 手持ちのみとし、球場施設(フェンス、スタンド等)への取り付けは禁止。また、横断幕に旗竿等を使用したものは、一般客・応援団共に持ち込みは出来ない。
- 応援ボード等
- 一般客は、大きさは縦600mm以内、横600mm以内の物で、必ず一人が手で持てる仕様であるものであれば、持込可。ボードを支える棒などは、使用出来ない。また、2人以上で持つものは、横断幕とみなされ、持込不可となる。
- 1枚の大きさが規定以内でも、テープ等でつなげた物は持込不可(入り口にて切り離すか、没収となる)。尚、一枚ずつに分かれているものを2人以上で掲げ、選手の名前や文章にする行為は許可されている。
尚、応援幕・メッセージボード等の内容は、チームや選手を応援するものに限り、公序良俗に反する内容や誹謗中傷(球団への批判等)を含む内容のものは、持込が出来ない。また試合中に掲げたとしても、掲げている内容が試合中でも厳しくチェックされている為、発見次第係員に没収される。
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ジェット風船、紙吹雪、紙テープ
- 建物の構造上の理由により応援団・一般客とも使用不可(野球の優勝決定時の演出を除く)。
なお、日本ハム主催試合においては
2006年までは太鼓を使用できなかったが(理由は一説によると、東京ドームオープン時に巨人・日本ハム両応援団は「トランペット持込数増加」と「太鼓持込」のいずれかを選択することになり、巨人応援団は太鼓を、日本ハム応援団はトランペットを選択したと言われる)、翌
2007年の公式戦から太鼓の使用が認められるようになった。
持込・移動
球場内へは、グラウンド等への投げ込み防止の為、ビン・カン・ペットボトルの持ち込みは禁止されていおり、各ゲート入り口にて、中身を指定の紙コップに移し替えなければならない(紙パックのものは持込可)。クーラーボックスや
ベビーカーなど、観戦の妨げになる恐れのある物の持ち込みも出来ない(ベビーカーは、入場ゲートにて預かりとなる)。
1995年の
地下鉄サリン事件と
2001年の
アメリカ同時多発テロ事件以降、入場時には厳しい持ち物検査が実施されている。
球場内では、1階から2階まで自由に行き来でき(バルコニー席のチケットを持たない人は、バルコニー席には行けない)、各階の色々な売店にて買い物が出来る。
再入場制度
東京ドームでは、一部のイベントでは一旦東京ドームの外へ出た人も再入場が出来る。イベントにより再入場の手続き方法が異なる。巨人戦の場合は21ゲート、23ゲートで手に再入場を証明するスタンプを押され再入場券が発行される。再入場時にチケットの半券とスタンプ、再入場券が確認できれば、再入場が出来る。
野球以外での利用
東京ドームは野球以外にも、新商品展示会・新車発表展示会など多目的利用ホールとしても活用されている。野球がない日でも東京ドーム外に露店が出ていたり何らかのイベントが行われていることもある。
多目的ホール
1990年代前半までは多目的ホールとしても
首都圏最大級の規模であり、東京の一大
ランドマークとして存在感も大きかった事から、主に関東域外の
地方自治体や観光協会が開催する地方物産展、
富士通をはじめとした大手企業の新製品展示会など、いわゆる
見本市会場的な用途としてもコンスタントな需要があった。
バブル崩壊後の経済の低迷や、施設の規模に対する施設使用料の高さ、元々が野球場であるがゆえの見本市会場としての構造的な不便さなどがネックとなり、東京ドームで開催されるこれらイベントの多くは終了したり、あるいは規模によって
プリズムホールや
東京ビッグサイトなど他のイベントホールや見本市会場へ開催地の移転が行われた。現在では見本市会場といった用途での使用は大幅に減っている。2008年5月15日の日テレの
NEWS ZEROによると、2008年4月26日・27日にマルチ商法で業務停止命令中の「
ニューウェイズ・ジャパン」の全国大会に東京ドームが使用されたと放送された。
コンサート会場
決まり事
- コンサートで利用する場合、消防法と警視庁からの指導、及び観客の転落防止の為、2階席と外野席の最前列は、緩衝地域となり、原則として客席として利用出来ない。(一部の公演では、「立見を絶対にしない」ことを条件に、客席として使用する場合がある。(2008年11月18日のビリー・ジョエルの公演は、同条件で2階最前列を客席として使用した。))
- 東京ドームでコンサートをする場合、音がかなり篭るために、スピーカーの設置などには気を使う。年々、残響音対策や騒音対策のノウハウが蓄積されてゆき、現在はドーム内全体を黒いカーテンで覆うようにしている(1階席のみ)。
- 東京ドームで初めてコンサートを行ったのはTHE ALFEEであり、東京ドームオープニングイベントで各国代表のマーチングバンドと共に杮落としコンサートを行った。
- 演奏は、近隣住民の騒音への配慮により、午後9時30分以降(年末のカウントダウン公演は除く)音を出してはいけない決まりになっている。
エピソード
- 1988年3月22日及び3月23日に開催されたミック・ジャガー・ソロコンサートでは、残響音対策としてバックステージ(外野壁沿い)に黒いカーテンを吊す等の対策が施されていた。
- 本稿冒頭にあるように杮落としは美空ひばりによるものと誤って伝えられる事が多いが、日本人ソロアーティストによる初のコンサートが1988年4月11日開催の美空ひばりのいわゆる「不死鳥コンサート」であったことによる。外野に卵形の巨大なセットを設置し、通常観客を入れる内野もステージとして捉えた演出を行ったので、観客はスタンド席のみだった。ドームでの初の本格的な邦楽アーティストのコンサートであったため、音が反射してしまいワンテンポ遅れて音が響いていた。
- 1988年4月4日・5日にBOØWYがバンドとして最後のコンサート「LAST GIGS」を行った。チケットは発売開始から僅か10分で完売されたと一般紙でも報じられた。
- 1988年8月26日チェッカーズが「SCREW SUMMER TOUR1988」のファイナルで東京ドームでワンマンライブ。チェッカーズ最初で最後の東京ドーム公演になった。
- 1988年9月12日不祥事で一般公共施設の使用が禁じられた尾崎豊の復活コンサート地として使用された一日限りの復活コンサート。56000人を動員した。
- 1989年11月30日、渡辺美里が同年7月に行われた西武球場公演が集中豪雨により公演途中で中止になった振り替えの意味で「SUPER Flower bed BALL 89秋 史上最大の学園祭」と題して開催された。
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1992年には、X JAPANが日本人アーティストとしては史上初の東京ドーム3日間公演を成功させた。その後もX JAPANは、毎年東京ドームにて年末コンサートを行い、1997年の解散までのドームコンサートの回数は、通算13回を数える。メンバーのYOSHIKI自身も「他人とは思えない会場」と語っており、解散から11年後の2008年の復活コンサートの場としてもこの場所が選ばれた。
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1998年
10月9日にはSPEEDのコンサートが行われ、当時は、単独アーティストによるコンサートとしては史上最年少記録となった。後に2007年12月22日に、Hey! Say! JUMPが公演を行い、最年少記録(平均年齢 15.2歳)を塗り替えた。
- タッキー&翼とHey! Say! JUMPは、CDデビュー後38日で公演を行い、単独公演が行なわれた日が、CDデビュー日から数えての最短記録となっている(KAT-TUNの初単独公演はCDデビュー前で、CDデビュー日より5日前)。
- 1998年から毎年の大晦日にジャニーズカウントダウンライブが行われている。
- 1999年12月に行なわれたDREAMS COME TRUEの公演と2005年9月に行なわれたB'zの公演ではグラウンドの中央にメインステージを設置してスタンド席全てとグラウンド部分に観客を収容して行なわれた。以降主にジャニーズ系のアーティストを中心にセンターステージ方式でのコンサートも行なわれている。
- 2005年のGacktのライブは総制作費5億円をかけて行われた。開始時に下手からGacktら5人が馬に乗って疾走、ラストでは天井に宙吊りになったGacktが観客の頭上を舞うなど様々な演出を行った。
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2007年7月22日、KinKi Kidsデビュー10周年の公演では、観客動員数67,000人を記録し、現在のコンサート最高観客動員数となっている。また、KinKi Kidsは、東京ドームの公演回数が最も多い。
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2004年の8月に氷室京介がコンサートを行ったときは、観客の歌声があまりにも大きかったためドームに苦情が殺到した。PAは「観客の声はどうにもならない」とお手上げ状態だったという。このコンサートは氷室がソロデビュー以来めったに演奏することのなかったBOOWYの楽曲を演奏するということで話題になり、チケットは一般発売後わずか5分で売り切れた。
- X JAPANが2008年3月28日に復活コンサートを行なった際、機材トラブルにより開演が2時間以上押してしまい、これに伴い終演時間が午後10時40分となった。その為、メンバーのリーダーであるYOSHIKIが、東京ドーム側へ「次回公演以降は、午後9時30分以降は音を出さない」旨の誓約書を書いた。
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小田和正が2008年11月26日と翌27日に開催したライブは、日本人アーティストとして最年長記録である。
イベント・その他
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NBAの公式戦やNFLのプレシーズンマッチも行われた。
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立正大学が入学試験会場としてグラウンドを使用したことでも話題になった。ただし、これは校舎建て替えに伴うものであり、使用には非常に多くの不便が生じたといわれる。
- 興行の内容(特にジャニーズ事務所系)によっては、主催者の意向により、球場内の売店でのアルコール類の販売が行なわれない場合がある(バーガーショップ等の球場外にある売店では、販売されている)。
最寄駅
脚注
関連項目
外部リンク