有楽町 [Yurakucho] [被リンク数: 152]

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日本 > 東京都 > 千代田区 > 有楽町 電車]] 有楽町ゆうらくちょう)は東京都千代田区の地名である。有楽町駅周辺に広がり、皇居の東側に位置する。東京高速道路をはさんだ東側は銀座である。郵便番号は、100-0006。

歴史

一般に広く流布されている説によれば、江戸開府の際に織田信長の弟、織田長益(有楽斎)が徳川家康より数寄屋橋御門周辺の土地を拝領し、屋敷を設けた。このことから、この辺りを「有楽原」(うらくはら)、「有楽ヶ原」(うらくがはら)と呼ぶようになり、明治時代に「有楽町」という地名が名付けられたといわれている。(読みも「ゆうらくちょう」に改められた。) しかし、織田有楽斎は、生涯のほとんどを上方で過ごしており、江戸に屋敷を拝領したという記録も現存していない。むしろ、江戸開府期には、この辺りまで海が入り込んでいた(日比谷入江)ことから、「浦原」「浦ヶ原」から転じたのではないか、という説がある。1707年には南町奉行所が開設された。
明治時代に入ると、1910年には山手線が延伸され、有楽町駅が開業。1933年日劇が、1934年東京宝塚劇場がオープンし、有楽町は劇場街と化した。また、毎日朝日新聞社の本社と讀賣新聞社有楽町別館が置かれ、その界隈は「新聞街」と呼ばれていた。戦前の有楽町は、まだ庶民には遠い存在だったといえる。
戦後の混乱期には街娼が集まるようになる一方で、続々と映画館が誕生した。1954年深夜放送オールナイトニッポン」でおなじみのラジオ局、ニッポン放送が本社を設け、1957年には讀賣新聞が経営する讀賣会館のテナントとしてそごうデパート東京店がオープン。そごうデパートの東京進出に一役買っていた大映映画がキャンペーンのための映画「有楽町で逢いましょう」を京マチ子主演で製作。その主題歌を歌う歌手にビクターのフランク永井が選ばれる。映画も歌もヒットし、有楽町の名は全国に広まった。
1981年から有楽町の顔とも言えた朝日新聞社と日劇の建物が解体され、1984年有楽町マリオンがオープンし、新たなシンボルが誕生した。2000年には有楽町そごうが閉店し、その後に新たにビックカメラがオープンした。また、有楽町駅前の再開発が行われ、2007年10月には丸井などの入店する新ビル「有楽町イトシア」が開業した。

交通

施設

全国の「有楽町」

同名の地名がある自治体

脚注

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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