決定戦の中盤、1位から離された2位につけていた(しかしまだ優勝の可能性はあった)競技者(A)が打ち出した牌が事件の焦点である。この牌は
ドラであり、3位(点差から考えて優勝はかなり困難と思われていた)の競技者(B)にとっての
高めの当たり牌であった。しかしBはこれを当たり牌とわかっていながら
見逃し(
ロンを宣言しないこと)た。AとBは当時、師弟のような関係(Aが年長で師匠格)であったことから、「Bの行為は自分と比べて逆転優勝のチャンスが高い師匠格のAからは当たるまいとする故意の見逃しではないか」との疑惑が持たれ、主催者側の判断で決定戦は途中で打ち切られた。当事者の2名は疑惑を否定したものの、最終的に失格となり、打ち切り時に1位につけていた競技者が第5期最高位に、4位だった者が2位に認定された。
1981年3月、小島武夫が中心に、多数の
プロ雀士が、当時、最高位戦を主催・運営し、麻雀専門誌「
近代麻雀」(廃刊。現存する同名の麻雀劇画雑誌とは別物)の発行元でもあった
竹書房と袂を分かち、新団体「
日本プロ麻雀連盟」を設立するに至った。以後、日本プロ麻雀連盟所属のプロ雀士が最高位戦や「近代麻雀」誌上に登場することはなくなり、日本プロ麻雀連盟プロは対局や執筆の場を当時発行されていたもうひとつの麻雀専門誌である「プロ麻雀」(現在は廃刊)に移した。
さいこういせんやおちようきわくしけん
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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