2004年
4月1日、成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京国際空港公団 (
New Tokyo International
Airport
Authority, NAA) が成田国際空港株式会社 (
NArita International
Airport Corporation, NAA) と名称を変え民営化(
特殊会社化)された。これに合わせ、空港の名称も、それまでの「新東京国際空港」から正式に「成田国際空港」へと改称された。英字略称は公団時代も現在も同じ「
NAA」である。
空港概要
- 開港:1978年5月20日
- 航空機発着回数:18万8820回(2006年)日本第2位(1位は東京国際(羽田)空港)
- 航空旅客数:約3548万人(2007年)日本第2位(1位は東京国際空港)、世界第24位
- 航空貨物取扱量:約225万トン(2007年)日本第1位、世界第7位
- 空港敷地面積:940 ha(計画1,080 ha)
- 滑走路
- A滑走路:16R/34L, 4000×60 m(16R・34LともILSを装備)
- B滑走路:16L/34R, 2180×60 m(16L・34RともILSを装備、計画2500×60 m)
- 誘導路:延長 約25.5 km 幅30 m(一部23 m)(暫定計画を含む)(計画延長 約34.2 km 幅30 m)
- 航空保安無線施設
- ILS 4式 (計画ILS6式)
- VOR/DME 2式
-
エプロン:面積 約218 ha (計画面積 約260 ha)
- スポット:137スポット(工事により一部閉鎖中の物を含む)(計画143スポット)
- 運用時間:24時間
- 利用時間:6:00 - 23:00(航空機の通常発着時間帯に制限)
- 誘導路の延長・エプロンの面積の推移は「誘導路の延長とエプロンの面積の推移」を参照
空港機能
日本では最長級の4,000 mの
滑走路を有している(ただし反対闘争の影響でアプローチ帯を建設できず、進入灯がA滑走路南側内に750 mにわたって設置されているため、南側から着陸する場合は実質3250 m滑走路としてしか利用できない)。日本を代表する空の玄関口のひとつであるが、建設反対闘争が激しく、政府が
土地収用法に基づく
強制執行を行ったが、それも限界があった。そのため、開港後30年近く経過しながら未だに全体計画は完了していない。開設後の拡張工事も進まず、
騒音問題からの使用時間制限などもあり、
羽田空港の再拡張及び国際化を行なう計画が進んでいる。
B滑走路(第2滑走路)も土地買収が進まないため、計画の2,500 mより短い2,180 mの暫定滑走路のまま使用している。また現在求められている機能に対しても、騒音問題のため深夜や早朝の離着陸ができないなど、不十分な状態が続いている。それらのことから、ラッシュ時には滑走路手前の
誘導路に航空機の列があったり、到着時に長時間上空待機する航空機が多い。成田国際空港株式会社が2,180 mの第2滑走路の延長に着手し2,500 mに伸ばす事に決定したが、用地の買収の目処が立たないことから、本来の計画とは反対側の北側の方に伸ばし、東側誘導路等を新設することを決めた。2010年供用開始予定である。詳細は「歴史」の節を参照。
B滑走路が2,500 mに延長されると、燃料をほぼ消費した状態の
ボーイング747が着陸できるようになるほか、中型機の離着陸には問題のない長さになるので、成田国際空港の発着能力が改善することが期待される。しかしB滑走路に並行する誘導路の一部が空港反対派民家とその所有地の影響で、滑走路側へ「への字」に湾曲しており、
ホイールベースの長いボーイング747や
777-300などの機種通過が極めて難しい。
横風用のC滑走路(第3滑走路)は長さ3,200 m・幅60 mで計画されているが、現在建設工事は凍結されおり、C滑走路南側部分の一部は誘導路として使用されている。仮に横風用滑走路が完成すれば、強い北風・南風の際の着陸が容易になり、離着陸の遅れの減少、発着の効率性の向上・発着枠の増大が期待できる。しかし空港反対派の熱田派がC滑走路用地内から撤退したものの、現在もC滑走路用地内に別の空港反対派の所有地や、空港反対派支援者・協力者の一坪運動共有地が多数存在しており、C滑走路南側部分の航空機整備施設区域に接している所には、駐機スポットが増設されている、誘導路を滑走路化の整備を行う際その駐機スポットは撤去する必要があり、代替の駐機スポットの用地が改めて必要とされている。またC滑走路南側延長線上の富里市及び北側延長線上の成田市が飛行コース下になる事から、新たな騒音問題が発生する可能性がある。
成田国際空港株式会社は、B滑走路2500 m化の2010年以降年間発着回数を現在の1.5倍にあたる年間30万回にする試算を成田国際空港都市づくり推進会議に提示しているが、実現に向けては課題が山積している。国際拠点空港としての地位低下防止と競争力強化、容量不足緩和のねらいも含まれている。
周辺地域住民への環境配慮も必要で、成田空港では開港以来、住宅などの防音工事に400億円超、電波障害対策に200億円超など、合計3,200億円超の環境対策事業を実施しており、今後も実施され続ける予定である。
他の空港とは違い、空港に通じるすべての車両入り口、成田空港駅、空港第2ビル駅、東成田駅の出口改札に、建設反対の
過激派や
テロの警戒のため検問所が設置されており、
空港警備隊の検問など警備が厳しく(専門の警察
機動隊である「
千葉県警察成田国際空港警備隊」が常駐)空港敷地内への入場に際しては旅行者・従業員のほか見学・送迎その他の入場客についても、空港警備員から
身分証明書(
パスポート・
運転免許証・学生証等)の提示と来場理由を確認(旅客の場合は、航空券の提示を求められる場合もある)するため、時間がかかる場合があり、また警備の都合上、旅客と空港関係者以外の空港敷地への立ち入りが禁止されることも少なからずある。空港警備隊とは別に、空港会社でも警備組織を子会社に置いており、空港警備にあたっているが、その分の警備費は年間100億円近くになる。(2005年の場合、94億円)
貿易港としての機能
成田空港の2004年(平成16年)度の
輸出額は10兆6572億円、
輸入額は10兆2978億円と、金額で国内第1位の貿易港である。輸出入品目としては、コンピュータ等の事務用機器、半導体など軽量で付加価値の高い機械機器等が中心となっている。
- 主な輸出品目(平成16年度):半導体等電子部品 (17.4%)、科学光学機器 (9.4%)、映像機器 (8.2%)、事務用機器 (6.8%)、音響・映像機器の部分品 (4.0%)
- 主な輸入品目(平成16年度):事務用機器 (15.6%)、半導体等電子部品 (14.5%)、科学光学機器 (7.9%)、音響・映像機器(含む部品)(4.3%)、医薬品 (3.6%)
また、成田空港には、まぐろなど魚介類の輸入通関が多く(平成15年度7万1924トン、国内の漁港第8位の松浦港の水揚げ量9万7805トンに次ぐ取扱量)、「成田漁港」の別名がある。
(参考:「成田空港の貿易動向」平成17年2月 東京税関資料)
空港ターミナル
航空会社により第1ターミナルと第2ターミナルに分かれている。複数ターミナルを持つ大規模空港に多く見られるように、距離が離れているため、間違えると移動に時間が掛かる(ターミナル間連絡バスで約15分)。特に、近年増加している他社との「
コードシェア便」(共同運航便)では注意が必要で、実際に機材を運航する航空会社が使用するターミナルに向かう必要がある。
近年、成田空港では第2ターミナルへの偏重、混雑時間の集中やコードシェア便の増加により、利用者にとって不便な部分が多かった。そのため、
国際航空連合(エアライン・アライアンス)のグループごとにまとめて、同じターミナルに集約することによって、利用者の利便性を高め、混雑解消を目指し、第1ターミナル南ウイングが供用開始する2006年6月から約1年間かけて20社が段階的に移転することになった。
歴史
開港まで
1960年代になると、年々増大する国際輸送についての
航空機の重要性が高まったが、当時の国際線の主力空港であった羽田空港は手狭であり、再拡張により航空需要に対応しようと検討したが、
- 沖合に拡張した場合東京港の港湾計画との調整が極めて難しい事。
- 当時の港湾土木技術では難工事になる事
- 航空機の離着陸経路の設定が著しい制約を受ける事
- 仮に拡張出来たとしても、空港の処理能力は20%~30%程度の増加に留まる事
などから長期的航空機輸送需要に対応できない事が判明した。
この為、当時の政財界実力者である
松永安左エ門(私設シンクタンク
産業計画会議議長、
電力中央研究所理事長)が、
1964年3月4日新たな東京国際空港の開設を提言した。
この提言を受けて、当時の
運輸省は、首都圏内の他の場所に新空港を建設する為の検討に入った。
そこで、「新東京国際空港」として建設計画が立てられ、当初は
千葉県富里村(現・
富里市)を建設予定地としていたが、地元
自治体との調整は難航した。そのため、
1966年佐藤栄作内閣は、建設予定地を同県
成田市三里塚に変更した。
国有地である
宮内庁下総御料牧場や県有林、またその周辺の土地は開拓農民達の物であった為、用地買収は容易に進むと考えたからである。
しかし、地元農民は土地を失うことや騒音問題から反発し、「三里塚・芝山連合空港反対同盟」を結成し反対活動を始めた。さらに、「
新左翼」と呼ばれる極左暴力集団が、「新空港は日本に新たな軍事基地を作るもの」として反対活動に便乗し、運動が暴力、違法化した(
三里塚闘争の項も参照)。用地買収は停滞したため、政府は土地収用法に基づき
行政代執行を
1971年に2回実行、ようやく1期工事の用地を取得したが、この経緯で警察官が極左暴力集団に殺される事件が起きた(
東峰十字路事件)。反対派は鉄塔を建てて対抗していたが、
1977年5月6日にこの鉄塔は撤去された。これに抗議する集会で反対派と機動隊が激突し、学生1名が死亡した。
1978年
3月26日、開港直前になって成田空港に極左暴力集団率いる過激派
ゲリラが管制塔に乱入し、
管制塔内の機器を破壊した(
成田空港管制塔占拠事件の項も参照)。このため開港が
5月20日まで延期となった。関連して1978年
5月5日には京成電鉄の成田空港連絡特急「
スカイライナー」用車両(
京成AE形電車)が
宗吾車庫で放火され、1両を焼失した他、数編成が被害(後に復旧)を受けダイヤに支障をきたした。開港後も過激派の活動が続き、警察は厳重な警備を敷いた。
福田赳夫内閣は「この暴挙が単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を制定した。この管制塔襲撃事件を契機に、空港の安全確保のため、
千葉県警察本部警備部に新東京国際空港警備隊が発足し、現在の
成田国際空港警備隊に至っている。
このような混乱の一因となったのが政府も自ら認めているように、いわゆる「ボタンの掛け違え」があったにもかかわらず強引な手法で建設を強行したことである。そしてその様な状況に乗じて反対運動を乗っ取ろうとし、反対運動の名のもとに違法かつ過激な活動を行った極左暴力集団の存在が、この問題の解決をさらに遅らせることとなった。
開港後
1978年
5月20日に開港したものの、それ以後も極左暴力集団によるテロ・ゲリラ事件などが多発し、特に
1985年(昭和60年)
10月20日には千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁
機動隊が衝突した事件が発生した(「
10.20成田現地闘争」)。
これらの事件により正常な運営、あるいは2期工事の着工もおぼつかなかったが、
1991年11月から
隅谷三喜男東京大学名誉教授のほか4名の学識経験者(隅谷調査団)主宰のもと成田空港問題シンポジウムが15回にわたって開催され、引き続き
1993年9月から12回にわたって開催された「成田空港問題円卓会議」で今後の成田空港の整備を民主的手続きで進めていくことが確認された。
円卓会議の結論を受け、最終的には
1995年に当時の
村山富市首相が謝罪、これが地元の受け入れるところとなり、その後2期工事への用地買収に応じる地主が出てきた。懸案の2期工事のうち平行滑走路については、
1996年には未買収地を避ける形で暫定滑走路を建設する案が計画され、
2002年に供用開始した。
隅谷三喜男団長を始めとする中立委員の努力や政府の謝罪などもあって反対派住民の態度もしだいに軟化した。その結果、反対運動に乗じて単に違法かつ過激な反政府活動を行っていただけであった極左暴力集団は完全に孤立し、事態は一応の収束を見るに至っている。
年表
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1962年(昭和37年)11月16日:新空港建設の方針を閣議決定。
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1963年(昭和38年)6月10日:運輸省航空局が検討資料「新東京国際空港」を発行。4000 m滑走路2本、3600 m滑走路1本、2500 m滑走路2本の巨大空港案が計画される。立地箇所については特定はされていない。
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1965年(昭和40年)11月19日:閣僚会議懇談会が開かれ、富里案に内定する。
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1966年(昭和41年)3月15日:富里村(現・富里市)・八街町(現・八街市)・山武町(現・山武市)・酒々井町の5町村長が「富里空港返上声明書」を提出決定する。
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1967年(昭和42年)8月1日:「公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律」が公布、施行。
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1968年(昭和43年)2月26日:三里塚・芝山連合空港反対同盟と機動隊が衝突。
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1971年(昭和46年)2月22日:建設予定地で第1次行政代執行。反対同盟と機動隊が衝突。
- 9月16日:東峰十字路事件。建設予定地で第2次強制代執行。反対派の鉄塔が倒される。千葉県へ応援派遣されていた神奈川県警察特別機動隊員30名が東峰十字路付近で過激派数百人に襲撃され、そのうち3名が殉職した。
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1977年(昭和52年)5月6日:4,000m滑走路の南側延長上に反対派によって建設された、高さ約30m及び、約60mの鉄塔2基が航空法第49条違反の物件であるとして、空港公団は千葉地方裁判所に妨害物除去仮処分命令申請書を提出。千葉地裁の仮処分決定を受け、2基の鉄塔が除去される。
- 5月7日:運輸省航空局のYS-11型機によって、航空保安施設のフライト・チェック(飛行検査)が実施される。
- 8月22日:進入表面等の制限表面の上に出る立木の伐採が完了。
- 11月11日:銚子市上空の飛行に関する合意を同市から得る。
- 11月26日:飛行場及び航空保安施設の完成検査に合格。空港公団は新空港の供用開始日を運輸大臣に提出。
- 11月28日:運輸大臣が開港日を昭和53年3月30日と告示。
- 12月3日:ICAO(国際民間航空機関)及び関係50ヵ国に対し新空港開港に関わるノータム(航空情報)を発出し、新空港開港を宣言する。
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1978年(昭和53年)3月24日:財団法人 空港保安事業センターが開設。
- 3月26日:開港4日前の成田空港に過激派ゲリラがマンホールを介して乱入し、空港管理棟16階の管制室の機器類を破壊。
- 3月28日:新東京国際空港関係閣僚会議において、新空港開港延期を正式に決定。運輸省も新空港開港延期に関わるノータムを全世界の航空関係機関に発出する。
- 4月4日:新東京国際空港関係閣僚会議において、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を決定。新たな開港日を5月20日に決定。運輸省は新たにノータムを全世界に発出する。
- 5月20日:開港。
- 5月21日:開港後の初便である日本航空のロサンゼルス発のダグラスDC-8-62F貨物機が、第1便として着陸した。京成電鉄空港線(京成成田駅~成田空港駅(現:東成田駅))が開業。京成上野駅からの特急スカイライナーが運行開始。
- 5月27日:中核派によって、国鉄成田線、佐原-大戸駅間のCTC(列車集中制御装置)の回線が切断され、航空燃料輸送列車が立ち往生する。
- 7月:新東京国際空港警備を目的として千葉県警察に新東京国際空港警備隊が創設される。
- 8月2日:過激派によって、リムジンバスの搭乗口である東京都中央区の東京シティエアターミナルに火炎車を突入。
- 9月4日:過激派によって、成田市の京成電鉄ガード下にてトラックを炎上させ鉄道輸送を妨害。
- 9月7日:千葉県八千代市など数カ所で電話同軸ケーブルが切断され、茨城県北相馬郡守谷町(現・守谷市)守谷VOR/DME及び同県稲敷郡阿見町阿見VOR/DMEの機能が麻痺する。
- 9月16日:過激派によって成田市荒海のアウターマーカーを火炎瓶などで破壊。
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1979年(昭和54年)8月30日:千葉市高浜(現・美浜区高浜)新空港用燃料パイプライン工事現場において、中核派による時限発火装置によって火災が発生。抗打機4台が全焼する。
- 9月7日:過激派が空港第9ゲートより侵入。車両を火炎瓶等によって炎上させ、滑走路燈などを破壊する。
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1980年(昭和55年)10月18日:過激派により京成電鉄高砂検車区、京成上野駅、京成電鉄宗吾検車区に停車中のスカイライナーに時限発火装置を仕掛け、一部炎上させる。
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1981年(昭和56年)3月16日:鹿島港から土屋燃料中継基地に向かっていた燃料輸送列車が、千葉県神崎町内で過激派に襲撃、放火される。幸いジェット燃料には着火しなかった。
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1982年(昭和57年)3月13日:中核派によって、国鉄鹿島線、国鉄成田線、国鉄総武本線などの信号ケーブルが切断される。また、国鉄西船橋変電所が時限発火装置によって爆破され、空港用航空燃料輸送列車の運行停止を招く。また県内の列車運行に大きな乱れが生じる。
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1983年(昭和58年)8月8日:航空燃料B系パイプライン供用開始(航空燃料暫定輸送終了)。
- 6月:過激派によって空港建設に携わる企業の作業員宿舎を放火。民間人の作業員2名が焼死。
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1984年(昭和59年)6月23日:開港以来の国際旅客5000万人達成。
- 8月1日:航空燃料A系パイプライン供用開始。(1日あたり2万2000 kl、年間最大800万 kl)
- 11月14日:燃料パイプライン一本が、過激派の襲撃によって停止する。
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1985年(昭和60年)6月23日:第1ターミナル2階の荷捌き場で航空貨物が爆発、死傷者が出る。(成田空港手荷物爆発事件)
- 10月20日:10.20成田現地闘争。千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁機動隊が衝突。241人を公務執行妨害等で現行犯逮捕した。成田空港反対運動終期の大規模な反対派と警察部隊の衝突であった。
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1986年(昭和61年)11月26日:第2期工事に着工。
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1988年(昭和63年)3月19日:開港以来の国際旅客1億人達成。
- 9月21日:成田空港の土地問題を担当する千葉県収用委員会会長が千葉市内の帰宅中に武装した数人の男に襲撃され、瀕死の重傷を負う。事件後中核派が犯行を自認する。
- 10月24日:千葉県収用委員会会長以下全委員が辞表を提出。委員会の機能は事実上停止に陥る。以後、機能停止状態が続き、2004年(平成16年)12月8日、16年振りに機能回復されたが、成田空港については、土地収用法を適用しない事となった。
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1989年(平成元年)2月28日:第1旅客ターミナルビル南ウイング附属棟完成 。
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1990年(平成2年)9月28日:開港以来の国際旅客1億5000万人達成。
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1991年(平成3年)1月18日:開港以来の航空貨物取扱量1000万トン達成。
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1992年(平成4年)2月20日:情報通信センター、北オペレーションセンター供用開始。
- 12月3日:第2旅客ターミナルビル地下駅「空港第2ビル駅」供用開始。
- 12月6日:第2旅客ターミナルビル供用開始、第1旅客ターミナルビル北ウイング、第1及び第2サテライト閉鎖。
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1993年(平成5年)2月2日:新管制塔供用開始(全高92.3 m)。
- 2月5日:開港以来の国際旅客2億人達成。
- 5月24日:第15回成田空港問題シンポジウム開催(終了)。
- 9月20日:第1回成田空港問題円卓会議開催(以後12回開催)。
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1994年(平成6年)9月15日:A滑走路16(北側)進入方式フルカテゴリーII運用開始。
- 10月11日:成田空港問題解決の為の第12回成田空港問題円卓会議で、国と反対派が学識経験者による調停案を受入れ(円卓会議終了)。
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1995年(平成7年)4月8日:開港以来の国際旅客2億5000万人達成、第2サテライト供用開始、第1旅客ターミナル改修開始。
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1996年(平成8年)3月28日:ILSカテゴリーIIIa運用開始、及びストップ・バーシステム供用開始。
- 7月1日:新東京国際空港公団 (NAA) 本社が成田空港内に移転。
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1997年(平成9年)4月3日:開港以来の国際旅客3億人達成。
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1998年(平成10年)1月22日:芝山鉄道線建設工事起工。
- 2月1日:第1旅客ターミナルビル第1サテライトの供用開始。
- 2月2日:空港へ迫撃弾2発と金属弾1発が打ち込まれ、貨物地区の作業員1名が迫撃弾の破片に被弾。救急車で近くの病院に搬送される。迫撃弾のうち1発は近くで破裂、金属弾1発は不発だった。
- 4月25日:1日の発着枠を360回から370回へと改定。
- 5月27日:「エコ・エアポート基本構想」を発表。
- 7月15日:「地域と共生する空港づくり大綱」発表。
- 11月10日:NAAとニューヨーク・ニュージャージーポートオーソリティの間で姉妹空港の締結を調印。
- 11月18日:成田空港-羽田空港間直通列車運転開始。
- 12月23日:開港以来の航空機発着回数200万回達成。
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1999年(平成11年)3月16日:第1旅客ターミナルビル北ウイング・中央ビル新館供用開始(南ウイング閉鎖)。
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2000年(平成12年)4月1日:コージェネレーションシステム導入・運用開始。
- 7月7日:第1ターミナルビル第2サテライト供用開始。
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2001年(平成13年)10月31日:暫定平行滑走路の完成。
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2002年(平成14年)2月21日:暫定平行滑走路(B滑走路)の供用開始日に関するノータム(航空情報)を発出する。
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2003年(平成15年)1月20日:公団、新東京国際空港の改称「成田国際空港」及び新会社「成田国際空港株式会社」の名称について扇国土交通大臣へ要望書を提出。
- 4月17日:第2旅客ターミナルビル北側及び地上通路沿いのスポットの供用開始。
- 5月29日:開港以来の航空貨物取扱量3000万トン達成。
- 11月17日:航空燃料輸送量1億 kl達成。
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2004年(平成16年)4月1日:新東京国際空港公団が民営化され成田国際空港株式会社に改組。新東京国際空港から成田国際空港に改称、第2給油センター供用開始。
- 10月19日:第1ターミナルの第1サテライトと第2サテライトを結ぶ連絡通路が開通。
- 11月25日:第1旅客ターミナルビルの第4サテライトが開業。
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2005年(平成17年)6月8日:開港以来の離着陸回数が300万回達成。
- 7月15日:暫定平行滑走路を本来の計画とは逆の北側延伸で、国交相と成田国際航空会社・社長が同意。
- 11月:元過激派16人が国などから1978年の管制塔襲撃事件の損害賠償として約1億300万円の支払いを求められ、2005年になって給料を差し押さえられた。
- 11月8日:第2ゲートの検問を突破した男を千葉県警察の警察官が追跡中、同県佐倉市直弥の路上で男にナイフで刺され、1人(成田国際空港警察署)は右脇腹を刺され死亡、もう1人(佐倉警察署)は左腕に軽傷を負う。男は他の警察官に殺人未遂などで現行犯逮捕された。
- 11月18日:旧新東京国際空港公団発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製談合の疑いが浮上、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検の捜索を受ける。
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2006年(平成18年)1月15日:空港反対同盟熱田派の熱田一元代表が、空港敷地内にある自宅敷地と、所有権を持つ「横堀墓地」を売却することを表明。熱田元代表は、「若者が世界へ飛び立ち、帰ってくることによって日本の将来に役立つと考えた」とコメントし、反対運動から完全に身を引く。
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2007年(平成19年)11月18日:開港以来の航空貨物取扱量4,000万トン達成。
- 12月26日:第1旅客ターミナル中央エリア及び北ウイングの供用開始。
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2008年(平成20年)3月6日:成田市南三里塚の雑木林で迫撃砲2門が発見される。翌7日、成田国際空港会社空港技術センター(芝山町岩山)で迫撃弾が発見される。革命軍を名乗る組織から「1日午前6時45分に滑走路に撃ち込んだ」との犯行声明文が報道機関に送られる。
- 3月16日:15日午後5時すぎから4時間近くにわたり、北朝鮮から発射された電波により成田空港の管制システムで混信が発生する。業務に支障は起きなかったが、総務省は国際電気通信連合 (ITU) の無線通信規則に定める識別信号の送出を行っていないと認められたため、国際電気通信連合に通報した。
- 4月1日:緊急地震速報を運用導入。
- 5月20日:開港30周年を迎え記念式典が催され、これを記念して日本航空のボーイング747-400型機に特別塗装が施された。なお同日にシンガポール航空が、エアバスA380によるシンガポール-成田間に就航した。
- 9月12日:旧NAA本社ビル跡地に第5駐車場(P5)がオープン。
- 9月25日:中山成彬国土交通大臣の、成田空港建設の反対闘争に関する発言が問題となる。この際の他の発言とともに問題視されたが、中山大臣は反対闘争に対する発言の責任を取る形でその後辞任した。
- 10月4日:第2ターミナル サテライト到着コンコース和的整備がグッドデザイン賞を受賞する。
- 10月16日:第7貨物ビル及び貨物地区トラック待機場の供用開始。
ターミナルビル
第1ターミナル
- 1978年の開港当時から使用されている。その後改築と増床を重ね、現在は中央ビル並びに南北ウイングと第1~第5サテライトに分かれている。出発ロビーは4階、到着ロビーは1階である。第1、第2サテライトは北ウイングに、第3~5サテライトは南ウイングに接続している。南ウィングは、2006年6月2日に新装開業している。
- 中央ビル 主に店舗などがある。
- 北ウイング 主にスカイチーム加盟各社のチェックイン・カウンターがある。
- 第1サテライト 11~18ゲート(11番はバスゲート兼用、13番は欠番)
- 第2サテライト 21~29ゲート(28番、29番はバスゲート)
- 南ウイング 主にスターアライアンス加盟各社と、ANAハンドリング各社のチェックイン・カウンターがある。
- 第3サテライト 31~38ゲート
- 第4サテライト 41~47ゲート(46番はエアバスA380対応)
- 第5サテライト 51~59ゲート(59番はバスゲート)
北ウィングが最初に大幅な改築を受け、次いで改築を行った南ウイングの改築完成時にインライン・スクリーニング、カーブサイド・チェックインなど、日本初となる新しいサービスが導入された。なお、南ウイングから発着するシンガポール航空を除くスターアライアンス加盟各社は、搭乗手続きを航空会社別の
チェックインカウンターで行わず、マイレージ上級会員や搭乗クラスによってカウンターを分けた「ゾーン・チェックイン」で行われている。このスタイルは世界初の試みである。
第2ターミナル
- 1992年12月から供用開始され、供用当時は単一ターミナルビルとしては世界最大級の規模を誇った。出発ロビーは3階、到着は1階で、本館とサテライトに分かれる。両館の連絡は、無料の新交通システム(空港に使用されるものとしては世界初の空気浮上式システム。日本オーチス・エレベータ製)による。
- 本館
- 61~67ゲート
- 71~77ゲート
- 70A~70M(バスゲート)
- サテライト
2000年代に入り、日本初の新しいサービスとなるマイレージ上級会員や上級クラス専用のファスト・セキュリティレーンが導入されたほか、
2007年に改装が行われた際にインライン・スクリーニングサービスも導入された。また、2007年の改装時に各航空会社のラウンジの改装、新設も行われ、日本最大の4,000平方メートルの面積を持つ日本航空のラウンジやアメリカン航空、チャイナエアラインのラウンジが新たに完成したほか、成田国際空港初の
ペット用
ホテルやキッズルームも設けられた。現在はブリティッシュ・エアウェイズを除く
ワンワールド加盟各社が使用している他、日本航空がハンドリングする各航空会社が使用している。
63、64、65の各ゲートは国内・国際線共用ゲートとなっており、国内線で運用した飛行機がその後、国際線で運用する飛行機がこのゲートを使用する場合が多い。そのため、待合室は国内線、国際線利用者が利用できる時間帯が決まっている。また、66、67ゲートには、コミューター機対応の国内線専用ゲートがある。
店舗
免税店街
また、2006年6月2日に新装オープンした第1ターミナル南ウィングには「Narita nakamise」が、第2ターミナルには、延べ面積約5,000平方メートルを持つ日本最大の空港免税店街である「成田5番街」が2007年4月5日にそれぞれ開業した。なお、第2ターミナルは本館だけでなくサテライトにも免税店などの店舗が入居している。
主なブランド
貨物ターミナル
2007年現在、成田国際空港の国際航空貨物の取扱量は
香港国際空港と
仁川国際空港に次いで世界3位の地位を占める。開港当時は第1ターミナル北ウイング横に集中して貨物ビルが置かれていたが、航空貨物需要の増加に対応して五月雨式に拡張を続けたために、貨物ターミナル地区、整備地区貨物上屋、天浪地区貨物上屋、南部貨物地区などに、JALカーゴや
日本貨物航空、各フォワーダーなどの貨物ビルが点在している。
施設規模をすべて合わせると20.2万平米の規模を持ち、相次ぐ拡張の結果、年間240万トンの取り扱いが可能となったが、暫定滑走路の延伸工事の完成に臨み、さらに取扱量を増やすために現在も拡張工事が行われている。
定期便就航会社
2008年10月現在、
南アメリカを除く全大陸から航空会社が乗り入れを行っている。日本のフラッグ・キャリアの日本航空と、全日本空輸、日本貨物航空、アメリカのノースウエスト航空のハブ空港である。
旅客便の発着便数では、
アフリカ大陸を除く全大陸に自社機材運航路線を持ち、インカンバント・キャリア(日米航空協定において日米間と以遠区間の路線便数を自由に設定できる航空会社)でもある日本航空グループが圧倒的に多い。その次に同じくインカンバント・キャリアであるノースウェスト航空と全日本空輸が続く。そしてノースウェスト航空とともに、以遠権を元にアメリカ線のみならず
アジア線も多く運航するユナイテッド航空、
キャセイ・パシフィック航空や
大韓航空などが次ぐ形となっている。
貨物便では、成田国際空港を本拠地として使用しており、かつインカンバント・キャリアである日本のJALカーゴや
日本貨物航空、アメリカの
フェデックスやノースウェスト・カーゴが上位を占めている。
なお、
ジェット・エアウェイズ、
マレブ・ハンガリー航空など、常に世界各国の数十の航空会社が乗り入れの意向を示していると言われているが、発着枠が足りないことから乗り入れを実現できないでいる状況である。
ワンワールドメンバーであるブリティッシュエアウェイズは、本来ならば第2ターミナルを使用するべきであるが、同社が成田線に投入しているB747-400型機では第2ターミナル側のB滑走路からは離陸も着陸も出来ないため、特例で第1ターミナルを使用している。
第1ターミナル 北ウイング
第1ターミナル 南ウイング
第2ターミナル
国際航空会社
運休中の航空会社
過去に乗り入れていた航空会社
乗り入れ予定航空会社
-
イベリア航空 運休・発着枠も返上の上で現在は日本航空とコードシェアだが、2009年より再開される予定。
-
カタール航空 2010年の第2滑走路北伸後週7便で乗り入れする。
-
エミレーツ航空 2010年の第2滑走路北伸後週5便で乗り入れ予定。
-
エティハド航空 2010年の第2滑走路北伸後週5便で乗り入れ予定。
定期路線一覧
国際線
- 東アジア
- 東南アジア
- 南アジア
- 中央アジア
- 中近東
- 北米
- 中南米
- ヨーロッパ
- オセアニア
- アフリカ
このほか、日本航空・ノースウエスト航空の中部国際空港連絡便(国際線扱い。後述の国内線とは異なる)がある。日本航空は以前大阪国際空港にも同様の連絡便を運行していたが、関西国際空港開港後しばらくして廃止された。
運休・廃止路線
国内線
各路線、午前中または夕方成田着と夕方~夜間成田発を中心に運航されており、国際線の間合い運用として、国際線用の機材が用いられる便も多い。
-
新千歳空港 3往復 (日本航空(JAL)、全日空(ANA)、アイベックスエアラインズ(IBX))
-
仙台空港 2往復 (ANA、IBX)
-
小松空港 1往復 (IBX)
-
中部国際空港 3往復 (JAL、ANA)
-
大阪国際空港 4往復 (JAL、ANA、IBX)
-
広島空港 1往復 (IBX)
-
福岡空港 3往復 (JAL、ANA)
-
那覇空港 1往復 (ANA)
- *殆どのJAL、ANA運航便が外国航空会社とのコードシェアを行っている。
- IBEXが運航する便は、全便ANAとの共同運航である。
航空管制
航空保安無線施設
空港への交通
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- 東京都心までは60 km程度離れており、東京への用務客は移動に要する時間が比較的長い。そのために当初は東京~成田間を成田新幹線やリニアモーターカー (HSST) で結ぶ計画もあったが、建設コストの割に速達効果が薄いなどから中止となる。
- 空港建設が難航したため、余波を受け千葉県内の道路や鉄道などの公共事業の計画は大幅に狂ってしまった。空港建設時の様々な問題から千葉県では収用委員会が機能停止してしまい、道路や鉄道建設の用地取得が進まなくなってしまったためである。
-
1978年には京成電鉄が成田空港駅(現在の東成田駅)まで上野から直通特急「スカイライナー」の運行を開始したが、肝心の空港ターミナルへは、空港敷地内の駅からバスへ乗り継ぐ必要があり、利用客は伸びなかった。しかし現在は空港ターミナル地下の駅から発着するようになり、利便性が増している。
- また、現在は空港ターミナルより、東京シティエアターミナルや横浜シティエアターミナル、首都圏の主要ホテル、主要駅などに5分から1時間に1本程度の頻度で直通バスが運行されているほか、東海地方や東北地方の主要都市にも直通バスが運行されている。しかし、目的地によっては高速道路の渋滞により、所要時間が所定の時間よりかかることも多い。
- 海外のガイドブックには「エラーポート」と評すものが存在するような都心からの距離の遠さは、世界の主要空港との比較で大きく見劣りする点であった。しかし、1991年には、都心部からの直通の軌道系交通機関がないため「不便な国際空港」と呼ばれていた状況をみた当時の運輸大臣・石原慎太郎の鶴の一声により、東日本旅客鉄道(JR東日本)と京成電鉄の路線が、建設中止になっていた成田新幹線(東京駅 - 成田空港駅間)の路盤の一部を活用してそれぞれ分岐・延伸し、成田空港に乗り入れることとなった(成田空港高速鉄道も参照)上、現在は京成線の短絡線として北総線の延伸工事(京成成田新高速鉄道線)が進行中となっているなど、鉄道アクセスの充実を行っている。なお、京成成田新高速鉄道線は2010年営業開始予定であり、これにより東京都内(京成上野駅)から成田空港への所要時間が最速36分と大幅に短縮が見込まれる。
- また、都心と時速300Kmのリニアモーターカーで結ぶ「羽田・成田リニア新線構想」を神奈川県の松沢成文知事が提唱している。ルートは、両空港間以外にも、横浜から東京都内や千葉を経て成田空港に至るもので、新宿やさいたま新都心までの支線も整備も考えられている。この構想が実現すれば、両空港間のアクセスが約27分と大幅に短縮される。* 国内線が、新千歳空港、仙台空港、小松空港、中部国際空港、大阪国際空港、広島空港、福岡空港、那覇空港の計8つの空港に就航しているが、各々便数が限られており、国内線と国際線との乗り継ぎは限られる(関西国際空港便、中部国際空港便の一部は国際線乗継専用便としての国際線扱い。国内線扱いの関西国際空港便は休止中)。このため、国際線から国内線への乗り継ぎは都心を横断した先の東京国際空港で行うことになる(航空会社の国内線時刻表では羽田発着国内線~成田発着国際線の乗り継ぎ時間は3時間以上と案内されている)。これらの背景から、地方都市からは、より国内線網が充実している関西国際空港や中部国際空港経由で海外に向かうケースが多く見受けられる。また、同様の理由から、国内地方都市との路線を多く持つソウル(仁川国際空港)経由(主に大韓航空やアシアナ航空)で海外へ向かうケースも見られる。
- 近年、関西国際空港、神戸空港、中部国際空港など、主に西日本の海上大規模空港の急ピッチの建設、増設を巡る諸問題も、上記における成田空港の空陸両面の輸送上の機能不全から空港充実が急務として(それだけが原因ではないが)、建設が後押しされていった側面もある。
鉄道
バス
一般路線バス
タクシー
自動車で空港へアクセスする場合、以下3つのルートがある、
※海外要人の訪日や反対派によるデモ、空港内における事件、事故などによってゲートが封鎖される場合があるので入場には注意が必要。
駐車場
空港内には、
- 第1ターミナル駐車場(P1):普通車約1000台、大型バス20台収容
- : 入場から1時間まで460円、1時間超え6時間まで30分毎230円、6時間超え30分毎30円。長期駐車の場合、午前0時を超え1泊2日以上1500円/日×2=3000円
- 第2ターミナル駐車場(P2):普通車約1300台収容
- : 入場から1時間まで500円、以下第1ターミナル駐車場に同じ。
- 貨物駐車場ビル普通車:普通車約70台収容
- : 入場から6時間内まで30分毎250円、以下第1・第2ターミナル駐車場に同じ。
- 大型バス駐車場(P3):普通車110台、大型バス30台収容
- : 入場から1時間まで980円、1時間を超え8時間内まで30分毎470円、8時間を超え30分毎140円。
の4つの有料駐車場が設けられており、空港利用者なら誰でも利用することができるようになっている。また、
自動二輪車用の駐車スペース(第1・2ターミナル、貨物)も確保されている。第2ターミナル立体駐車場には、普通車100台分の予約駐車スペースが有り、事前にインターネットで申し込むことによって利用可能である(事前に1日分利用料1500円×日数分の振り込みが必要)。
国道51号が交差する寺台
ICから国道295号へ入って空港へ向かうと、空港の数キロ手前から、
駐車場業者が出現する。仮に周辺駐車場へ止める場合、東関東自動車道で空港へアクセスした場合、「
成田IC」を下りて国道295号から空港方面に向かう必要がある。
また空港周辺の多くの
ホテルでは、宿泊すると最大で2週間程度無償で車を預かってくれるサービスがある。ホテルによってはパーキングプランのような商品を出していることもある。
※ターミナル前のカーブサイド(車両乗降場)での、送迎や駐車、車両受け渡しは禁止されている。
宿泊施設
ハブ空港であることからトランジット乗客が多い上、都内から遠く出発前泊者も多いこともあり、空港敷地内および空港周辺、成田駅周辺には国際チェーンの大規模ホテルから小規模ホテルまで多数のホテルが点在している。なお、上記のように宿泊すると最大で2週間程度無償で車を預かってくれるサービスを用意しているホテルも多く、ホテルによっては「パーキングプラン」のような、宿泊と無償駐車をセットにした商品を出していることもある。
空港内
空港敷地内の唯一の宿泊施設として、第1ターミナル横に成田エアポートレストハウスがある。各ターミナルとは無料のシャトルバスで結ばれている他、第1ターミナル北ウイングとは徒歩で10分ほどの距離にある。なお、空港ターミナル内での野宿は原則禁止されている。
周辺
10以上の国際チェーン系列の大規模ホテルが空港周辺に点在しており、各ターミナルとは各ホテルが運航する無料のシャトルバスで結ばれている。主なホテルとして、
などがある。
また、JR・京成成田駅周辺にも国際チェーン系列のホテルをはじめとして、
成田山新勝寺の観光客向けを含めたホテルが複数ある。主なホテルとして、
- 成田菊水ホテル
- インターナショナルガーデンホテル成田
- 成田U-シティホテル
- センターホテル成田
-
メルキュールホテル成田
-
コンフォートホテル成田
などがある。京成成田駅東口より、空港周辺ホテルや成田空港への無料
シャトルバスが運行されている。
周辺施設
空港周辺
-
航空科学博物館…成田空港の南隣にある
- 三里塚記念公園…宮内庁下総御料牧場の歴史を後世に伝えるために、御料牧場旧跡地に開設された公園。中には三里塚御料牧場記念館があり、御料牧場百年余の歴史について解説されている。
-
成田市さくらの山(成田市)、三里塚さくらの丘(NAA)…空港のすぐそばにあり、離着陸する飛行機がよく見える駐車場・公衆トイレなどが整備された公園。両方の公園に桜の名前が付くのには、空港建設で移転した宮内庁下総御料牧場が桜の名所として親しまれてきたため。
画像:Sakura-No-Yama.jpg|空港北側の「成田市さくらの山」
画像:Sakura-No-Oka.jpg|空港南側の「三里塚さくらの丘」
トランジットツアー
空港乗り継ぎ乗客を対象として、
成田山新勝寺での護摩体験や酒蔵見学など、空港周辺で日本
文化を体験するミニツアー(有料)や、
イオンモール成田へのショッピングツアー(有料)を実施している。なお、ツアー案内は英語のみとなる。
管理会社・成田国際空港株式会社
成田国際空港株式会社(なりたこくさいくうこうかぶしきがいしゃ 英:
Narita International
Airport Corporation :
NAA )は2004年4月1日、
成田国際空港株式会社法により成田国際空港の設置及び管理を目的として設立された。
新東京国際空港公団の業務を承継した
特殊会社で、全株式を政府(国土交通大臣 90.01%、財務大臣 9.99%)が所有し、政府から資金の無利子貸付をうけ、また当分の間出資や債務保証をうける。一方、営業年度毎の事業計画や新株発行、社債の募集、資金の借入については
国土交通大臣の認可を要する。
会社の事業の範囲として、空港周辺における航空機の騒音等により生ずる障害の防止と損失補償のための諸事業が盛り込まれている。
なお、同社の略称であるNAAは、前身の新東京国際空港公団の英字略称 (New Tokyo International Airport Authority :NAA) を継承した形で使用している。
2005年
11月18日に旧新東京国際空港公団発注の
成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製
談合の疑いが浮上し、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検特捜部の捜索を受けた。この官製談合疑惑では、成田国際空港の社員2人(懲戒解雇処分)が競売入札妨害の疑いで
逮捕されるなど、一連の談合疑惑は官製談合事件へと発展しており、日本の空の玄関でこのような事件が起きたことに対し、非難の声が上がっている。今後、成田国際空港会社が談合体質から抜け出せるかどうか注目されている。
発行物
脚注
関連項目
外部リンク
空中写真・地形図
- 第1旅客ターミナルビル、A滑走路周辺1/8000航空写真 - 国土交通省国土画像情報閲覧システム
- 成田国際空港1/25000地形図 - 国土地理院 地図閲覧サービス ウオッちず
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