帝国ホテル [Imperial Hotel] [被リンク数: 142]

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帝国ホテル(ていこくホテル)は、東京都千代田区内幸町にあるホテル、および同地に本社を構えるホテルチェーン。商号は「株式会社帝国ホテル」。英称:Imperial Hotel。
国の文化を代表するナショナルホテルとしての地位を保ちつづけている。ホテル業界では帝国ホテル、ホテルオークラニューオータニを指して「御三家」と呼ぶ。
外国ホテルチェーンの新店舗開業が続く中で帝国ホテルは善戦しており、日本のホテルで唯一『Institutional Investor』誌のホテルランキングに入っている

沿革

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[div type="inline-error-src"][[Image:Imperial Hotel News Ad.jpg|thumb|left|175px|<small>帝国ホテル開業を知らせる『[[東京日日新聞]]』の広告</small>]] 帝国ホテルは[[1890年]][[11月3日]]に落成、同[[11月7日|7日]]に開業した。隣接する[[鹿鳴館]]と密接な関連を持ったホテルとして[[井上馨]]が[[渋沢栄一]]と[[大倉喜八郎]]の両氏を説いて有限会社帝国ホテル会社を設立させ建設したものである。[/div]
経営権は渋沢から大倉、そしてその死後は長男の大倉喜七郎へと引き継がれたが、戦後喜七郎が公職追放にあい、さらに財閥解体によって喜七郎が持ち株を放出せざるを得なくなると、かわって東京殖産長田庄一から巨額の資金援助を受けた「北支の煙草王」こと金井寛人が1953年に株式の多くを獲得して会長となる。
1977年の金井の死後は、その全持ち株が小佐野賢治国際興業に譲渡。2004年にはその国際興業がサーベラス ファンドに買収されるが、2007年10月に国際興業保有帝国ホテル株式の大半が三井不動産に売却され、現在は三井不動産が約33%を保有する筆頭株主となった。
一方、追放解除となった喜七郎はホテルオークラを興す。

初代帝国ホテル

  • 渡辺譲 設計
  • 木骨煉瓦造、3階建、客室数約60。
  • 1890年竣工。1919年失火から全焼。

ライト館

  • フランク・ロイド・ライト 設計。
  • 鉄筋コンクリートおよび煉瓦コンクリート造、地上3階(中央棟5階)、地下1階、客室数270。
  • 1923年竣工。1968年新本館建設のため解体。
1912年、当時の総支配人だった林愛作は旧知のアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトに新館の設計を依頼した。ライトは来日して、使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで、徹底した管理体制でこれに臨んだ。
鷲が翼を広げたような巨大なホテルは、実は小部分がいくつも繋ぎ合わされた連結構造になっており、これで建物全体に柔軟性を持たせるとともに、一部に倒壊があっても全体には累を及ぼさない仕組みになっていた。また大規模ホテルとしては世界で初めて全館にスチーム暖房を採用するなど、耐震防火に配慮した画期的な設計だった。
しかしこうした完璧主義は大幅な予算オーバーを引き起こした。ライトはそれでも林との個人的な友情でかろうじて施工の総指揮を続けていたが、1919年に隣接する初代帝国ホテルが失火から全焼すると、新館の早期完成は経営上の急務となり、設計の変更を繰り返すライトと経営陣との衝突は避けられなくなった。さらに当初予算150万円が6倍の900万円に膨れ上がるに至って、林は総支配人を引責辞任、ライトも精魂注いだこのホテルの完成を見ることなく離日を余儀なくされる。
ホテルの建設はライトの日本における一番弟子だった遠藤新の指揮のもとその後も続けられた。1年後の1923年、設計から11年の歳月を経てライトの本館は完成、9月1日に落成記念披露宴が開かれることになった。関東大震災が東京を襲ったのは、まさに宴の準備に大忙しの時だった。周辺の多くの建物が倒壊したり火災に見舞われる中で、小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せていたライトの帝国ホテルはひときわ人々の目を引いた。ライトは二週間後このことを遠藤からの手紙で知り狂喜したという。
1945年 5月2425日東京大空襲では、本館中央部から南翼、孔雀の間、演芸場などに多くの焼夷弾が落ち、焼失は総床面積の四割強に及ぶ大きな被害を受けた。終戦ともに帝国ホテルはGHQに接収され、そこで大規模な修復工事が行われ、ホテルは旧来の姿を取り戻している。
占領が終わって日本を訪れる外国人が再び増え始めたことにともない、1954年にはライトの本館の裏手(現在インペリアル・タワーが建っている敷地)に客室数170の第一新館が完成、1958年にはその横に地上10階、地下5階、客室数450の第二新館が完成した(→ 画像)。これをうけて、1964年にはライトの本館を取り壊し、その跡地に新たに鉄筋コンクリート建て、地上17階、地下3階、客室数772の新本館を建設することが発表された。
震災にも空襲にも耐えたこのホテルの存続を訴える大規模な反対運動が起ったが、本館は地盤沈下などの影響で柱が傾き雨漏りがするといった老朽化の問題もさることながら、都心の一等地を占有する巨大な建造物の客室数がたったの270では話にならなかった。
に移築された玄関部分
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[div type="inline-error-src"][[Image:ImperialHotelFacade cropped.jpg|thumb|300px|<small>[[博物館明治村|明治村]]に移築された玄関部分</small>]] ライトの新館は1967年に閉鎖され、多くの人々が惜しむ中、翌年春頃までに取り壊された。跡地に建設された近代的外観の新本館は、[[1970年]]の[[日本万国博覧会]]開会に合せて竣工。このときから「ライト設計の帝国ホテル本館」は、「ライト館」として、人々の想い出の中に生き続けることになった。[/div]
なおライト館の玄関部分は博物館明治村に移築され、今日でも在りし日の面影を偲ぶことができる。また2005年4月に新本館14階の「インペリアルフロア」に新設された「フランク・ロイド・ライト・スイート」は、ライト館のさまざまな箇所に施された独特なマヤ調の意匠やライト独自のスタイルでまとめられた内装や調度品を忠実に再現したものとなっている。
Image:Imperial Hotel final perspective drawing.jpg|ライトの最終完成予想図 Image:Imperial Hotel FFW 2.jpg|日比谷公園からの全景 Image:Imperial Hotel FFW 1.jpg|北翼屋上から見た玄関ホールと背後のロビー Image:Imperial Hotel FFW 3.jpg|側面からみたロビー Image:Imperial Hotel FFW 5.jpg|正面玄関 Image:Imperial Hotel FFW 4.jpg|玄関ホール Image:Imperial Hotel FLW 12.jpg|ロビー内 Image:Imperial Hotel FLW 13.jpg|中庭テラス Image:Imperial Hotel FFW 6.jpg|客室 Image:Imperial Hotel FFW 7.jpg|孔雀の間 Image:Imperial Hotel FFW 8.jpg|孔雀の間 Image:Imperial Hotel FFW 9.jpg|孔雀の間 Image:Imeperial Hotel FLW 15.jpg|孔雀の間のダンスパーティー(昭和10年) Image:Imperial Hotel FFW 10.jpg|演芸場 Image:Imperial Hotel FFW 11.jpg|震災直後(右で延焼しているのは勧業銀行) Image:Imperial Hotel FLW 14.jpg|震災直後(有楽町駅付近、右奥が帝国ホテル)

第一新館(別館)

  • 高橋貞太郎 設計。
  • 鉄筋コンクリート造、地上7階、地下2階、客室数170。→ 画像
  • 1954年竣工、1980年インペリアルタワー建設のため解体。

第二新館(東館)

  • 高橋貞太郎 設計。
  • 鉄筋コンクリート造、地上10階、地下5階、客室数450。→ 画像
  • 1958年竣工、1980年インペリアルタワー建設のため解体。

新本館

  • 高橋貞太郎 設計。
  • 鉄筋鉄骨コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772。
  • 1970年竣工。

インペリアルタワー

  • 山下設計 設計。
  • 鉄筋鉄骨コンクリート造、地上31階 (うちホテル13階)、地下4階、客室数361。→ 画像
  • 1983年竣工。

帝国ホテルチェーン

直営ホテル

  • 帝国ホテル東京
明治大正時代に泊まった外国人
など → 不要、いちいちあげていたらきりがない -->
1890年開業(東京都千代田区内幸町1-1-1)
  • 上高地帝国ホテル
    • 高橋貞太郎 設計(開業当初)。
    • 鉄筋・鉄骨コンクリート造、地上4階、客室数75(現在)。→ 画像
    • 1933年開業、1977年新築、1994年改装。
    • 長野県松本市安曇・上高地
    • 景勝地として知られる上高地内にあるリゾートホテルで、毎年4月下旬から11月上旬まで営業している。上高地への自家用車の乗り入れが規制されているため、ホテルには沢渡温泉平湯温泉の駐車場からバスまたはタクシーを利用する必要がある。現在の建物は、高橋貞太郎による開業当初の外観を忠実に再現しながら1977年に新築されたもの。
  • 帝国ホテル大阪

ザ・クレストホテル

子会社のインペリアル・エンタープライズが運営するコミュニティホテル。
  • ザ・クレストホテル立川
    • 1995年開業
    • 東京都立川市錦町
  • ザ・クレストホテル柏
    • 2000年開業
    • 千葉県柏市末広町

かつて経営していたホテル

  • メトロポールホテル
    • 1907年1月買収、1909年6月閉鎖
    • 現在の東京都中央区明石町聖路加ガーデン東京新阪急ホテル築地がある辺り → 画像
    • 横浜クラブホテルの支店として1889年創業したホテルを買収して姉妹館としたが、経営不振で帝国ホテル自体の業績悪化につながったため閉鎖。渋沢栄一はこの責任をとって帝国ホテル代表取締役を辞任した。
  • 燕山荘
    • 1931年買収、1948年創業者に売却
    • 長野県安曇野市燕岳山頂付近 → 画像
    • 燕岳登山の山小屋「燕の小屋」として1921年創業。小屋を訪れた登山好きの大倉喜七郎と創業者が意気投合、大倉が資本金をポンと出して大規模ロッジに建替えさせ、帝国ホテル傘下に加えた。戦後帝国ホテルがGHQに接収されるに及んで創業者に売却された。
  • シンガポール水交社
  • 博多帝国ホテル
    • 1954年開業、1969年閉鎖
    • 福岡市博多区上呉服町
    • 低層階が博多大丸、上層階が帝国ホテルという複合施設として開設された。
  • バリインペリアルホテル
    • 1993年開業、2003年運営受委託契約終了。
    • バリ島・スミニャックビーチ
    • リゾートホテル
  • ザ・クレストホテル津田沼
    • 1992年開業、2002年閉鎖
    • 千葉県習志野市津田沼
    • ザ・クレストホテルの第一号店。運営受託契約満了後、契約は更新されず帝国ホテル側は運営から離れ、ホテルは閉鎖された

逸話

クリーニング

そもそも帝国ホテルは外国の賓客をもてなすために設立されたホテルだったので、経営陣は真っ先に長期間の船旅で溜め込んだ衣類の洗濯を思いついたという。ホテル内に洗濯やクリーニングを専門に行う部門を設けたのも帝国ホテルが最初である。
帝国ホテルのクリーニングサービスには定評がある。「ホテル内でついた汚れは確実に落とす」といい、そのためにクリーニング部門ではホテル内で使われる食材の詳細を全て把握しているという。そして「ボタンがついたシャツはすべてボタンを外してからクリーニングする」というのも伝説的なサービス。クリーニングの工程でボタンがなくなったり欠けたりしたら大変なので、ボタンはあらかじめ取りはずしておいて、アイロンがけが終わった後に縫い付け直すのである。これに感激したキアヌ・リーブスが映画『JM』(原題:Johnny Mnemonic)の中で「シャツをクリーニングに出したい、できれば東京の帝国ホテルのやつを」というセリフをアドリブで入れたこともあった。
宿泊客が飛行機でやってくるようになって道中で洗濯物を溜め込むことが無くなった今では、帝国ホテルに泊まることが決まった客がわざわざ1ヵ月以上前から洗濯物を溜め込んでホテルに持ち込むということもあるという。
なお帝国ホテルのクリーニングは宿泊客でなくても利用できる。
(左)とマリリン・モンロー夫妻を案内する犬丸徹三 総支配人(後方)1954年
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[div type="inline-error-src"][[Image:Joe DiMaggio, Marilyn Monroe and Tstsuzo Inumaru.jpg|thumb|200px|<small>新婚旅行で滞在中の[[ジョー・ディマジオ]](左)と[[マリリン・モンロー]]夫妻を案内する犬丸徹三 総支配人(後方)1954年</small>]][/div]

バイキング

ブッフェスタイルの食事は、日本では帝国ホテルが初めて取り入れた。
1957年、当時の支配人犬丸徹三が北欧で体験した料理、スモーガスボードがそのヒント。犬丸は内容的に「これはいける」と確信、当時パリのリッツ・ホテルで研修中で後に帝国ホテルコック長となる村上信夫に料理内容の研究を指示した。一方その名称が非常に言いにくく馴染みが無いものだったため、新名称を社内公募した。その結果「北欧と言えばバイキング」という発想と、当時帝国ホテル脇の日比谷映画で上映されていた『バイキング』(1958) という映画の中の豪快な食事シーンが印象的だったことから、これを「バイキング」と名付けることに決定、「バイキングレストラン」を1958年にオープンした。このレストランは大変好評を博しバイキングはブッフェレストランの代名詞となった。
なおこのレストランは現在も新本館17階の「インペリアルバイキング サール」の名で残っている。

注釈

関連項目

外部リンク・参考資料

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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