1971年、ロンドンで日本人として初のファッション・ショー「KANSAI IN LONDON」を開催した。
来歴
幼少期に両親が離婚し、3人兄弟で高知県の養護施設で育つ。
その後、父に引き取られ、父方の祖母がいた
岐阜市に落ち着く。
父が洋服縫製業を始め、寛斎も縫製の手伝いをするようになった。
そのうちに、中学の友人から制服の改造を頼まれ、中学生にしてミシン
を踏むようになった。
また、応援団長となり、さまざまな応援の振り付けを考えるようになった。
主な受賞
- 第21回「装苑賞」
- 「ファッション・エディターズ・クラブ賞」
- 第7回「日本イベント大賞 審査員特別賞」
- 第7回「東京クリエイション大賞 国際賞」
- 第21回「民俗衣装文化功労者・国際文化大賞」
- 2004年「ベストジーニスト賞」
著書
- 「熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条」 (PHP新書、2008年)
- 「死にゃしない! OK!!」 (日本実業出版社、2004年)
- 「山本寛斎 ハロー・自己表現―別冊課外授業ようこそ先輩」 (KTC中央出版、2000年)
- 「寛斎 鉄丸全行動―未来へ向けて」 (筑摩書房、1987年)
- 「寛斎完全燃焼」 (新潮社、1983年)
- 「スーパーファッション」 (講談社、1974年)
パフォーミング・アート
山本寛斎は「KANSAI SUPER SHOW」という名称で、ファッション、音楽、舞台芸術を混合したパフォーミング・アートのイベントを開催している。
特に初めての野外イベント(
小田原城址公園)ではその後の海外を見据えた位置づけで、海外発の「ロシア赤の広場」につながっている。
この年、5月のJリーグオープニングの総合演出依頼を断念し、6月のこのイベントに全身全霊で挑戦。見事成功に終わり、この演目が氏のなかでも内容/制作とも最高峰とされている。
テレビ
映画
CM・広告活動等
特記事項
外部リンク
人やまもとかんさい
----------------------------------------------
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
ご利用上の注意