大己貴命を主祭神とし、
奴奈川姫命・
建御名方命を配祀する(建御名方命ではなく
事代主命とする資料もある)。
延喜式神名帳では「居多」を「けた」と読ませており、北陸地方に分布する「気多(けた)神社」と同じ系統の神社とされる。
歴史
近くに越後国国府があったことから国司の尊崇を受け、越後国一宮とされた。
承元元年(1207年)、越後国府に流された
親鸞は当社の近くの海岸に上陸し、まず当社に参拝したという。
戦国時代、
上杉謙信死後の
上杉家の家督をめぐる争い(
御館の乱)に巻き込まれ、当社は
景虎方についたため、対する
景勝方によって社殿が焼かれ、
社家の花ヶ前家は国外の各地を転々とした。
慶長3年(1598年)、景勝が会津に移ったため、花ヶ前家は越後に帰った。この混乱により社勢は衰微したが、その後の歴代領主より崇敬を受け、社領の寄進を受けて再興した。
明治6年に県社に列格した。それまでは日本海に面した所に社殿があったが、海岸侵食により境内が崩壊したため、明治12年(1879年)、現在地に仮社殿を造営して遷座した。
平成19年(2007年)、本社殿を造営。平成20年(2008年)6月落慶。
施設
境内には、
越後七不思議の一つ「片葉の芦」がある。これは、葉が片方にのみ生える
芦が群生しているものである。親鸞が当社に参拝し念じたところ、一夜で境内の芦が片葉になったと伝えられている。
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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