沿革
宮内庁は、
天皇に近侍した古代からの
官職をその淵源とする。日本最古の歴史書とされる『
日本書紀』の
天武天皇9年(
680年)の条には「宮内卿」「宮内官大夫」の官職が記述され、
686年(
朱鳥元年)の条には天武天皇の葬送に際して「宮内事」を誄(しのびごと)したとあり、天武天皇の時代には原型となる官職が形成されたと見られる。その後、
701年(
大宝元年)に定められた
大宝令官制に至って、後の八省の一つとなる
宮内省(くないしょう、みやのうちのつかさ)に類似した組織が定められたとされる。
明治維新後の
1869年(
明治2年)には、古代の
太政官制に倣い、宮内省が組織され、その長官として宮内卿が置かれた。
1885年(明治18年)に
内閣制度が創設される際には、従来の
宮内卿に替わって
宮内大臣が置かれたが、「宮中府中の別」の原則に従って、宮内大臣は内閣の一員とされなかった。このとき、
内大臣、
宮中顧問官などの官職も置かれた。
1886年(明治19年)には宮内省官制が定められ、2課5職6寮4局の組織が定まった。
1889年(明治22年)には、
大日本帝国憲法の公布とともに、
旧皇室典範が裁定され、皇室自律の原則が確立した。1908年(明治41年)には、
皇室令による宮内省官制が施行され、宮内大臣は皇室一切の事務につき天皇を輔弼する機関とされた。
1945年(
昭和20年)の終戦の際には、宮内省は、1官房2職8寮2局のほか、
内大臣府、
掌典職、
御歌所、
帝室博物館、帝室林野局、
学習院など13の
外局と京都事務所を持ち、職員6,200人余を擁する大きな組織となっていた。その後、宮内省の事務を他の政府機関に移管もしくは分離独立して機構の縮小を図り、
1947年(昭和22年)
5月3日の
日本国憲法施行とともに、宮内省から
宮内府となり、
内閣総理大臣の所轄する機関となった。宮内府は、宮内府長官の下、1官房3職3寮と京都事務所が置かれ、職員数も1,500人弱となった。
1949年(昭和24年)
6月1日には、総理府設置法の施行により、宮内府は
宮内庁となって
総理府の外局となり、宮内庁長官の下に宮内庁次長が置かれ、1官房3職2部と京都事務所が設置された。2001年(平成13年)1月6日には、中央省庁等改革の一環として内閣府設置法が施行され、宮内庁は
内閣府に置かれた。
庁舎
宮内庁庁舎は、
1935年(昭和10年)に建設された。「宮内庁」の表札等はない。明治宮殿が焼失してから今の
宮殿が建設されるまでの間
仮宮殿として用いられた。
- 所在地:東京都千代田区千代田1番1(皇居内・坂下門の北側)なお、皇居全体が「千代田区千代田」である。
-
宮内庁内郵便局:大正13年9月に開局する。現在は郵便局株式会社が設置する郵便局。宮内庁職員など関係者のみ利用可能。
- 食堂:宮内庁職員・関係者・記者クラブ関係者が利用できる普通の職員食堂であるが、ここには御料牧場で生産された牛乳の自動販売機が設置されており、食堂を利用できる者であれば誰でも購入できる。瓶牛乳1本60円。
組織
内部部局(長官官房、3職、2部)、2施設等機関、1地方支分部局を設置する。宮内庁長官と侍従長(侍従職の長)は
認証官。
侍従職と
東宮職はそれぞれ天皇一家、
皇太子一家の側近奉仕という特質上、
皇位継承があった場合、東宮職の職員は即位した天皇皇后について侍従職に移り、逆にもとにいた侍従職のほとんどの職員が、
大行天皇の
皇后であった
皇太后の側近奉仕をする
皇太后宮職に移るか、新皇太子の側近奉仕をする東宮職に移る。
宮中祭祀を担当する
掌典職は、天皇家の私的使用人であって、宮内庁や国の機関、
公務員ではない。詳細は当該項目を参照。
幹部
長官
歴代宮内府長官
歴代宮内庁長官
- 2001年1月6日の中央省庁再編施行とともに叙級制度は廃止
次長
歴代宮内府次長
歴代宮内庁次長
関連項目
外部リンク
*
----------------------------------------------
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
ご利用上の注意