来歴・人物
1890年当時、東京で仕入れをしていた金沢の小間物商・國本栄作に連れ立って同年3月降雪の親不知(現
新潟県糸魚川市)を草履を履きて徒歩で上京。ちなみに後(1922年12月27日付)に本人より國本家へ礼状と金杯が送られている。
1895年7月
東京高等商業学校(現
一橋大学)卒業。
実業家として
高商を卒業した1895年に日本海陸保険株式会社(1901年解散)にいったん入社するが、貿易商を志して同年10月に個日下部商店(後破綻)へ入社、
香港支店(現地では日森洋行という商号を使用した)責任者となる。
1901年香港支店(日森洋行)の共同経営者となる。
1904年日下部商店本店の破綻に伴い退店。帰国し、安宅商会(後の
安宅産業)を設立した。
1907年大阪羊毛社長、
1935年大阪商工会議所会頭、
1936年南満州鉄道(満鉄)監事。
1942年6月に安宅産業社長を退任し、相談役に就任。
教育家として
晩年・死後
兵庫県
神戸市
東灘区住吉本町(当時の
住吉村)にあった邸宅跡地は、
野村不動産及び
三井不動産によりマンション開発がなされ、2005年から「住吉本町レジデンス」(11階建て、総戸数172戸)として販売開始となった。
経済団体活動
受賞等
関連項目
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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