改元
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1912年(大正元年)7月30日 - 明治天皇が崩御し、大正天皇が即位したため、元号を大正とする改元の詔書を公布、即日施行した。
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1926年(昭和元年)12月25日 - 大正天皇が崩御し、昭和天皇が即位したため、昭和に改元、同日は昭和元年12月25日となった。
出典
「大正」の由来は『
易経』彖伝・臨卦の「
大亨以
正、天之道也」(大いに亨(とお)りて以て正しきは、天の道なり)から。「大正」は過去に4回候補に上がったが、5回目で採用された。
大正年間の概要
。
1914年(大正3年)に完成した。]]
本時代は後世から振り返った時、
大正デモクラシーに基づいた安定期として見られることが多い。しかし、同時代的には、近代日本の象徴であった
明治天皇の崩御、そして病弱であった
大正天皇の即位、という不安感を拭きれない状況から始まったのである。また、大正期を通じて都市に享楽的な文化が生まれる反面、
スラムの形成、民衆騒擾の発生、
労働争議の激化など社会的な矛盾が深まっていった。
護憲運動と政治
その後、桂太郎が
議会での交代のルールを無視して
宮中侍従長から3度目の首相に返り咲こうとした。この桂の返り咲きに対して、都市部の知識階級を中心にその反発は強まった。そして
尾崎行雄・
犬養毅らによる憲政擁護運動(
護憲運動)が起こり、
新聞の批判も起こった外、民衆が国会を取り囲む事態も生じ、ついには僅か数ヶ月で倒閣となった(第一次護憲運動、
大正政変)。
このため
山本権兵衛(第1次)に組閣の命が下った。
立憲政友会の援助を受け、原敬内相の下、安定した政権運営を行った。軍部大臣現役武官制を緩和するなど、政党寄りの姿勢を示したが、
シーメンス事件をきっかけに再び世論の反発を受け、最終的には貴族院との関係悪化から倒れた。
大隈内閣退陣後には、二大政党制を目指し、
1913年(大正2年)に桂が死の直前に結成した
立憲同志会が他党を取り込むかたちで
憲政会へと拡大した。
これとほぼ同時に組閣した
寺内正毅内閣が成立した。
1917年(大正6年)の
ロシア革命で
ソ連が成立したが、日本は革命政権の転覆のためシベリアに出兵した。折から、大戦景気によるインフレと
シベリア出兵をきっかけとして国内では米価が暴騰し、
富山県から
米騒動が起こり、全国に広がった。政府はようやくそれを鎮圧したが、シベリア出兵を推進した寺内正毅首相は退陣した。
代わって初めて爵位がなく、また衆議院に議席を持つ平民宰相として
政友会の
原敬が首相となり、
1918年(大正7年)本格的政党内閣として原敬内閣が成立する。しかし、
1921年(大正10年)に原が東京駅頭で一青年に暗殺された。
続いて政友会総裁となった
高橋是清が首相となったが、政友会の調整能力に欠き、高橋内閣倒閣後は非政党内閣が続いた。
その後、関東大震災や
虎ノ門事件の発生は、それまでの藩閥に危機意識を抱かせ、第2次山本権兵衛内閣が虎ノ門事件で倒れた後、枢密院議長から天下って
清浦奎吾が内閣を組織しようとした。それに対し憲政会・
革新倶楽部・政友会の三派は、普選の採用、政党内閣制の樹立を掲げて、藩閥・官僚勢力を主体とした
政友本党に対抗した。
護憲三派(憲政会、政友会、革新倶楽部)は選挙で勝利し、護憲三派内閣として
加藤高明内閣が成立した(
1924年(大正13年)、第二次大正政変)。
加藤高明内閣は
1925年(大正14年)、
普通選挙法を成立させ、ついに身分や財産によらず成人男子すべてに
選挙権を与える
普通選挙が実現することになる。普選は、婦人の参政権は認めず、生活貧困者の選挙権も認めないなどの制約があった。またそれは「革命」の安全弁としての役割も期待されていたが、それと同時に
治安維持法を成立させ、「国体の変革」「私有財産否定」の活動を厳重に取り締まった。しかし、これによって
政党政治が定着するようになった。この後、
1932年(昭和7年)に犬養毅内閣が
五・一五事件で倒れるまで、
政党政治が続き、明治以来の藩閥政治は一応終焉した。政党内閣時代はこのときまで続き(
憲政の常道)、政治は、
官僚や軍部を基盤にしつつも政党を中心に動いていくこととなった。
第一次世界大戦と景気
発生直後こそは世界的規模への拡大に対する混乱から一時
恐慌寸前にまで陥ったが、やがて戦火に揺れたヨーロッパの列強各国に代わり
日本と
米国両新興国家が物資の生産拠点として貿易を加速させ、日本経済は空前の好景気となり、大きく経済を発展させた。特に世界的に品不足となった影響で
造船業・繊維業・
製鉄業が飛躍的に発展し、後進産業であった
化学工業も最大の輸入先であるドイツとの交戦によって自国による生産が必要とされて、一気に近代化が進んだ。こうした中で多数の「
成金」が出現する。また、政府財政も
日露戦争以来続いた財政難を克服することに成功する。
だが、
1918年(大正7年)に戦争が終結すると過剰な設備投資と在庫の滞留が原因となって反動不況が発生して景気が悪化した。更に戦時中停止していた金輸出禁止の解除(いわゆる「
金解禁」)の時期を逸したために、
日本銀行に大量の
金が滞留して
金本位制による通貨調整の機能を失って、政府・日銀ともに景気対策が後手後手に回った。更に
関東大震災による
京浜工業地帯の壊滅と緊急輸入による在庫の更なる膨張、
震災手形とその
不良債権化問題の発生などによって、景気回復の見通しが全く立たないままに
昭和金融恐慌・
世界恐慌を迎えることになる。
震災復興
1923年(大正12年)には
関東大震災が生じた。この未曾有の大災害に
東京は大きな損害を受けるが、震災後、
山本権兵衛内閣が成立し、その内務相となった
後藤新平が辣腕を振るった。震災での壊滅を機会に江戸時代以来の東京の街を大幅に改良し、道路拡張や区画整理などを行い
インフラが整備され、大変革を遂げた。また
ラジオ放送が始まるなど近代都市へと復興を遂げた。しかし、一部に計画された
パリや
ロンドンを参考にした環状道路や放射状道路等の理想的な近代都市への建設は行われず、日本は戦後の自動車社会になってそれを思い知らされることとなり、戦後の
首都高速の建設につながる。一方、この震災に乗じて、暴動が生じるというデマが振り撒かれ、朝鮮人や共産主義者の虐殺が行われた
亀戸事件などが起こったことや、震災直後の緊急対策であった筈の震災手形の処理を遅らせて不良債権化させた結果として金融恐慌を招いたことは歴史の負の側面であろう。
大正文化
大正時代前後に都市を背景にした大衆文化が成立した。今日に続く日本人の生活様式もこの時代にルーツが求められるものが多い。
東京においては、震災の影響が総じて少なかった
丸の内、
大手町地区にエレベーターの付いたビルディングの建設が相次ぎ、一大オフィス街が成立した。下町で焼け出された人々が世田谷、杉並等それまで純然たる農村であった地域に移住して、新宿、渋谷を単なる盛り場から「
副都心」へと成長させた。それより先大阪では、おびただしい私鉄網が完成し、なかんずく
阪神急行電鉄の巧みな経営術により、
大阪平野に広大な
住宅衛星都市群が出現した。
東京帝大の卒業生の半数が民間企業に就職するようになり、「サラリーマン」が大衆の主人公となった。明治時代まで呉服屋であった老舗が次々に「
百貨店」に変身を遂げ、銀座はデパート街へと変貌した。
明治神宮外苑に「
神宮外苑野球場」ができたのが
1926年(大正15年)、その前年出発した「
東京六大学野球」が愈々隆盛をきわめるようなる。「
大阪朝日新聞」、「
大阪毎日新聞」が100万部を突破して東京に進出、それに対抗した
読売新聞も成長を果たして、今日「三大紙」といわれるようになる新聞業界の基礎が築かれた。
1925年(大正14年)3月には、東京、大阪、名古屋で
ラジオ放送が始まり、新しいメディアが社会に刺激を与えるようになる。震災で鉄道が被害を受けたこともあって、「
自動車」が都市交通の桧舞台にのし上がり、「円タク」の登場もあって、旅客か貨物であるかを問わず陸運手段として大きな地位を占めるようになる。都市部では新たに登場した中産階級を中心に“洋食”が広まり「
カフェ」「
レストラン」が成長、飲食店のあり方に変革をもたらした。また、コロッケなどの登場によりそれまで洋食とは縁のなかった庶民の食卓にまで影響が及ぶこととなった。明治時代まで庶民に縁のなかった「欧米式
美容室」、「
ダンスホール」が都市では珍しい存在ではなくなり、男性の
洋装が当たり前になったのもこの時代である。一方、地方(特に農漁村)ではそういった近代的な文化の恩恵を受けることはまれで、都市と地方の格差は拡大していった。
社会問題
この当時、社会事業をめぐる議論が盛んとなり、米騒動後には政府・地方で社会局および方面委員制度の創設が相次いで行われ、それらの機関によって都市の貧民調査や公設市場の設置などが進められていった。
また1919年(大正8年)には、第一次世界大戦を契機とした国民の思想・生活の変動に対処するという目的で内務省の主導による民力涵養運動が開始されており、後の教化総動員運動の先駆けともなる、国家が国民の生活の隅々まで統制を行おうとする傾向がこの時期から見られるようになる。
こうして大正時代において社会事業が活発となった原因として、小作争議の頻発や労働運動の大規模化など、地方改良運動に見られるような従来の生産拡大方針では解決不可能な問題が深刻化したことが指摘されている。
略年表
西暦との対照表
その他
明治天皇が崩御して、新元号をスクープしたのが
朝日新聞の
緒方竹虎である。彼は記者時代の新元号スクープにより出世し、同社編集長、更に後には政治家へと栄転する。
大正を名乗る企業・団体・人物
関連項目
*たいしよう