概要
開業後しばらく赤字経営だったが、
上田清司埼玉県
知事が立ち上げた埼玉高速鉄道延伸検討委員会の成果により、
2003年度には借入金への支払利息と減価償却費を除く基礎的収支が開業後初の黒字となった。さらに経営再建を進めるため、
2004年に
しなの鉄道の経営で辣腕を振るった
杉野正を知事自ら社長に招聘し、
旅行業への進出やギフト販売(
2007年1月末日をもって終了)など副業にも乗り出した。しかし、杉野は
自民党神奈川県連の推薦を受け、2007年の
神奈川県知事
選挙に立候補するため
2006年11月16日の臨時取締役会を最後に退任した。その後加藤副社長が代表取締役副社長としてつなぎを務めてきたが、2007年1月17日の株主総会で近藤彰男が代表取締役社長に就任した。
2006年9月25日より直通相手先の東急目黒線で
急行運行が開始されたが、その後も埼玉高速鉄道線内では全列車が
各駅停車での運転となっている。ただし埼玉高速鉄道線の活性化の一環として、急行運転が埼玉高速鉄道延伸検討委員会などで検討されている
埼玉高速鉄道延伸検討委員会
第三セクターの会社であるが、東京地下鉄が出資していることや、軌道・駅舎の大部分が地下にあることから、
地下鉄運営会社の一つと考えられている。
近年、埼玉高速鉄道線沿線で送る豊かなライフスタイルのことを指す造語として、「グリーンアーバニズム」という言葉を作りイメージアップを図っている。
歴史
路線
詳細は以下の項目を参照のこと。
ワンマン運転実施のために各駅には
ホームゲート柵が設けられている。中間駅には
待避線がないが、利用者の増加を図るために、埼玉高速鉄道延伸検討委員会において急行運転の検討も行われている。
車両
自社車両
直通先所有車両
東京地下鉄
東京急行電鉄
運賃
大人普通旅客
運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2004年12月1日現在。初乗り運賃は日本の地下鉄として
京都市営地下鉄と並ぶ最高額であり、全体的にも日本の普通鉄道としては高額の部類に入る。なお、開業の時点では5年毎の運賃値上げが計画されていたようであるが、5周年にあたる2006年3月以降も値上げは実施されていない。
IC定期券
埼玉高速鉄道では、2002年3月28日より
IC定期券を発売していた。そのため、各駅の
自動改札機にはIC定期券をかざすためのカードリーダ/ライタ (R/W) が取り付けられていた。システムはJR東日本の
Suicaと同様、
FeliCaを採用した
交通サイバネ規格に準じたものであり、改札機のR/WもSuicaと同仕様のものが設置されていた。カード裏面のID番号の頭2文字のアルファベットはSR。これは同社の利用活性化運動の一環として、また2002年には浦和美園駅が最寄りの埼玉スタジアム2002が開催会場の一つとなったFIFAワールドカップの観客輸送のため、
東川口駅でのJR
武蔵野線との乗り換えの利便を図る目的でSuicaとの相互乗り入れを目論んで導入された。しかしJR東日本側は料金処理システム準備中を理由に時期尚早と判断した。そのため、PASMOとSuicaの相互利用開始までの5年間はまったく互換性のない鉄道IC定期券として運用されていた。またその間のIC定期券は東京メトロ南北線など他の鉄道事業者との
連絡定期券としての利用もできないため、連絡定期券を利用する場合は磁気定期券を利用せざるを得ないという制限を強いられていた。このほか、ストアードフェア(チャージ)の機能も有していなかったため、乗り越しの際の自動精算や、定期券以外のプリペイド式ICカードの発売も行われなかった。
このIC定期券は、2007年3月18日に運用が開始されたPASMO導入準備のため、2006年9月10日で新規の定期券の発売を終了した。さらに、2006年11月20日以降は自動改札機での使用、自動発売機での継続定期券の発売が停止されたが、有人通路での使用は引き続き可能としていたほか、窓口で申し込みをすれば継続定期券の発行も可能であった。しかし、PASMO導入後は、PASMO用に新たに設置し直された自動改札機のR/Wでの使用はできず、利用者は一旦IC定期券を返却(または磁気定期券に交換)したうえ、新たにPASMO定期券を購入する必要が生じた。
SR東京メトロパス
2008年4月1日からSR東京メトロパスの発売を開始した。埼玉高速鉄道の各駅から赤羽岩淵駅までの片道普通運賃を2割引きし2倍した額に、東京地下鉄の一日乗車券運賃(大人600 円、小児300 円)を合算した額とされている。
私鉄+東京メトロの組み合わせでのメトロパスの発売は
小田急電鉄、
東武鉄道、東京急行電鉄に続き4社目(
東葉高速鉄道も同日に
東葉東京メトロパスを発売開始)。
パーク&ライド社会実験
杉野の功罪
埼玉県の上田清司知事が自ら招聘し、2004年7月1日に代表取締役社長に就任した杉野正は、「信濃の
カルロス・ゴーン」とも呼ばれたほどコスト削減の手腕に評価が高く、その実力に期待が集まった。杉野はさっそく、契約関係の見直しなどによって3割のコスト削減を目指し、実現した場合にはそのうち1割分を社員に還元するなどの独特の案を発表した。
収入増にも力を入れ、それまで在籍していた旅行代理店
エイチ・アイ・エス (HIS) とのパイプを活かして旅行業に進出したり、ギフト販売を行うなど副業に乗り出した。また、浦和美園駅から埼玉スタジアム2002へ向かう同社所有の歩行者専用道路で飲食物を販売したり、駅構内の空きスペースに喫茶店や健康施設などをテナントとして誘致するなど、資産の有効活用などで成果をあげた。車内および駅構内への液晶テレビ(一部はプロジェクター)設置による動画広告も、しなの鉄道時代に杉野が発案し成功したものの流用である。
一方で、自社線内の減便を中心とするダイヤ改正を、就任わずか3か月後の2004年10月1日に行うと発表(その後撤回)したり、営団地下鉄(当時)からの出向社員に対する大幅な給与削減案で営団側を刺激するなどの手法は営団側の態度を硬化させ、両者の関係を悪化させる事態となった。この給与削減案は、該当する社員らの強い反発で白紙撤回、杉野が謝罪するという異例の事態で収束をみた。このような展開となった理由は、当該社員らが運行の中枢を担う職務を行っており、案に反発した複数の社員が辞職を申し出たことで、列車の運行が不可能になる可能性があったためである。この結果、杉野は若手を育成する方針に転換した。
最終的に杉野は、2006年の神奈川県知事選挙に出馬するため、上田知事が慰留するも、7月の再任からわずか4か月後の11月に退任した。杉野の退任後、旅行業については漸次縮小され、ギフト販売は2007年1月に終了している。
その他
脚注
関連項目
外部リンク
社さいたまこうそくてつとう