吉島(よしじま)は、
広島市中区に位置する地区である。この項目では、かつて「吉島」の一部であった「
羽衣町」及び「
光南」についても記述する。
概要
地理
歴史
広島築城以前の吉島は「葭島」と呼ばれる広島湾頭の小さな砂州に過ぎなかった。しかし
藩政期に入り、
1661年頃に
中島・
水主町以南の広島湾を埋め立て「水主町新開」(かこまちしんがい)および「
吉島新開」(よしじましんがい)が開発されると地続きになった。吉島新開は
明治期までに現在の吉島東・吉島西地区の大部分が造成され(当時の海岸線の一部が現在のカーブした街路に残っている)、
1882年に吉島村、さらに
1916年に吉島町と改称されている。戦時期の
1940年にはさらに沖合(現在の吉島新町・光南に相当)が埋め立てられ、
陸軍飛行場が建設された。
第二次世界大戦後にも埋め立てがなされ、現在の南吉島の一部となった。
町名
町名の由来
先述のように古くは「葭島」とも表記した吉島の名は「葭の茂っている中州」を意味すると言われる。
住居表示とその変遷
羽衣町を含む現在の吉島地区は、かつては「吉島新開」(-
1882年)⇒「吉島村」(1882 -
89年)⇒「(大字)吉島」(1889 -
1916年)⇒「吉島町」(1916年 - )として、
1933年吉島町・吉島羽衣町・吉島本町に分割されるまでは一つのまとまった町域であった。
以下、新旧町名の異同を記す(強調は現在の町名)。
- 旧「吉島町」(よしじまちょう)
- 旧「吉島羽衣町」(よしじまはごろもまち) - 1965年4月、一部を吉島町に編入し町名変更。
- 旧「吉島本町」(よしじまほんまち) - 1967年9月、町域を5分割し町名変更。
- 吉島西(よしじまにし)1〜3丁目
- 吉島東(よしじまひがし)1〜3丁目
- 吉島新町(よしじましんまち)1・2丁目
- 光南(こうなん)1〜6丁目
- 南吉島(みなみよしじま)1・2丁目
施設
公共施設
-
1888年水主町の監獄が移転し「広島監獄」となったのが起源。
- 広島営林局(吉島東)
- 広島市中環境事業所(南吉島)
- 吉島南水面貯木場(吉島新町の南側水面)
- 広島少年鑑別所
教育機関
- 「広島市立大手町中学校」として広島市大手町(現在の広島市中区大手町)に創立、現在地に移転し吉島中学校に改称、現在に至る。
- 広島市立吉島小学校(吉島西)
- 広島市立吉島東小学校(吉島東)
- 広島市立吉島中学校隣に所在。
宗教施設
- 境内に被爆木がある。
公園
- 南大橋近くにある。花見の名所でもある。
商業施設
- スーパー
- スパーク吉島店
- スパーク光南店
- マルシェー光南店 ほか
- コンビニ
- ドラッグストア
- 飲食店
かつて存在していた施設
-
1940年頃、本来工業港建設のため埋め立てられていた土地に陸軍の飛行場を設営したもの。戦前期においては軍用であったが広島市内唯一の飛行場であった。被爆後2日後の1945年8月8日に大本営から派遣された仁科芳雄を団長とする調査団は、空路にてこの飛行場に着陸し上空から見た被害状況から原子爆弾による爆撃であることを認定した。戦後廃止され、滑走場などの跡地は広島県に払い下げられ宅地化した。現在の光南地区の全域および吉島新町の一部である。
-
1657年、広島藩家老の三原浅野家が藩主浅野光晟から下賜された地に別邸を築き造営した回遊式庭園で、2002年閉園された。跡地には現在高齢者複合施設「広島萬象園」が建設されている(詳細は縮景園#その他の著名な庭園参照)。
祭り・行事
* 吉島神社では秋に祭りが行われる
交通
- 鉄道は通っていないが将来、アストラムラインを吉島通りに通す構想があがっている。
道路
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広島市道駅前吉島線(駅前通り)
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広島市道中島吉島線(吉島通り)
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広島市道霞庚午線
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広島市道吉島観音線ほか
出身有名人
関連項目
関連書籍
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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