北部九州(ほくぶきゅうしゅう)とは、九州のうち北部に位置する地域の呼称である。
古くは「
北九州」と言ったが、
1963年に誕生した
北九州市と紛らわしいため、徐々に言い換えが進んだ。ただし、現在でも北部九州の意味で「北九州」と言うことは、域外の住人を中心に見られる。
北部九州の地域区分
具体的な範囲は使用する側により解釈に違いがある。
ただし、熊本県・大分県を
南九州とした上で福岡県・佐賀県・長崎県のみを北部九州とする場合や、熊本県のみを南九州に含めて残りの4県を北部九州とする場合もある。また、
中央構造線を境に北部九州と南九州とに分けるといった考え方もある。
さらに、佐賀県や長崎県を
西九州と呼んだり、福岡県東部の
瀬戸内海沿岸地域や大分県を
宮崎県などとともに
東九州と呼んだりすることも多い。
歴史
背景
古くから
アジア大陸との窓口として盛えた地方で、特に
中国や
インドからの文化を輸入する窓口となった。
稲作が伝来した地とも言われ、
金印、
吉野ヶ里遺跡、
大宰府、
鴻臚館(こうろかん)や
元寇防塁跡など、大陸と日本の接点を示す遺跡が多い。
邪馬台国の所在地も、北部九州説と
畿内説の二説が存在し、未だ決着が着いていない。
現在は中枢都市で、
黒田氏のお膝元だった
福岡は、鴻臚館の時代から
安土桃山時代まで貿易港として盛えた都市で、今でも九州第一の都市としてなっている。又、
江戸時代には
長崎が、大陸文化を摂取する
港町として九州をリードした。
変遷
- 古代
-
律令時代
畿内政権は、北部九州を外交・防衛の中枢として位置付けた。その中枢都市が
大宰府(
太宰府市)であり、外港として
博多(
福岡市)が機能した。大宰府は「遠の朝廷」(とおのみかど)とも呼ばれ、外港たる博多には迎賓館に当たる「
鴻臚館」が置かれ、大宰府は南日本第一の都市となった。
-
室町時代
-
戦国時代から江戸時代まで
長崎や
大分(=
府内)を初めとして、
キリシタンの地盤となった。又、商人の
自治都市が造られるようになり、その中で博多は商人町となって九州の要衝となり、
伴天連追放令の舞台ともなった。
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江戸時代
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明治時代以後
自然地理
玄界灘沿岸では
日本海側に位置しているので、
山陰・
北陸よりは降雪日数は少ないが、
冬には北西からの
季節風の影響を受けやすいため
曇天が多く、
雪が降る事もある。福岡市の降雪日数は約17日(1971~2000年の平均)であるが、英彦山などが属する
筑紫山地などの
山地では積雪が見られるが平野部や都市域での積雪は多くない。
瀬戸内側である福岡県東部から大分県北・中部にかけての地域は
瀬戸内海気候に属し、温暖で
梅雨や
台風を除いて降水量は少なく、日本海側とは対照的に晴天が多い気候である。また、長崎県・佐賀県南部から福岡県筑後地方、熊本県にかけての
有明海沿岸地域もも似たような気候傾向がある。
夏は
真夏日になる日も多いが
熊本市、
日田市などの盆地では最高気温が35度以上の
猛暑日になることも少なくない。また、晩夏から秋にかけては
南九州ほどではないが台風の影響を受けやすい。
経済
交通
鉄道
山陽新幹線が
博多駅を終点とする。現在、
鹿児島中央駅から
新八代駅まで開通している
九州新幹線は、博多駅までの全通が2011年春頃となる予定である。
主な鉄道路線
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西日本旅客鉄道(JR西日本)
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九州旅客鉄道(JR九州)
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西日本鉄道(西鉄)
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松浦鉄道
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平成筑豊鉄道
主な道路
主な空港
脚注
ほくふきゆうしゆう
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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