日明貿易(にちみんぼうえき)は、日本の
室町時代に日本が中国の
明王朝に行った貿易を指す。貿易の際に、許可証である
勘合符を使用することから
勘合貿易(かんごうぼうえき)とも呼ばれる。
李氏朝鮮との日朝貿易や
南海貿易と並ぶ。
歴史
室町幕府3代将軍の
足利義満は、九州へ今川貞世(了俊)を派遣して南朝勢力を駆逐し、対明交渉を開始するが、
1380年には明で
胡惟庸の獄が起り、
胡惟庸が通牒している疑惑などがあり、日明関係は成立しなかった。義満は
1392年に
南北朝合一を行い、
1399年(
応永6)には独自に私貿易を行っていた
大内義弘を
応永の乱で討つ。
1401年(応永8)に
博多商人
肥富の献策で、僧
祖阿と肥富を使節として明へ派遣する。翌年に義満を「日本国王臣源」に封じる内容の国書を持ち帰国するが、明使の在日中に明で
永楽帝が即位する政変が起ると再び国書を送り、日本と明の間に国交が成立する。
形式
室町幕府将軍が明
皇帝から「日本国王」として
冊封を受け、明皇帝に対して
朝貢する形式で行われた。制限貿易で、
1401年(
応永8)から
1549年(天文18)まで19回に渡り行われる。
1404年(応永11年)以降は日本に対して交付される貿易許可証である勘合符を所持する事で倭寇と区別し、正式な遣明使船である事が確認できる勘合船に限られるようになり、1432年(
永享4)に宣徳条約で回数などが規定される。遣明船には博多や堺などの有力商人も同乗し、明政府の許可を得た商人との間で私貿易が行われていた。
勘合貿易が行われるようになると倭寇は沈静化する。輸入された織物や書画などは
北山文化や
東山文化など室町時代の文化にも影響した。
商品
- 輸出品 - 硫黄、銅などの鉱物、扇子、刀剣、漆器や屏風ほか
- 輸入品 - 明銭(永楽通宝)、生糸、織物、書物ほか
この貿易において、日本の銅は国内よりも非常に高値で
明に輸出された。この理由としては、中国の歴史上慢性的とも言えた銅の不足の他に、日本の銅には
銀が少なからず含有しており、当時の日本にこれを抽出する技術を持っていなかったが、明はそれを持っていたためである。結果、「銅にしては高いが銀にしては安い」価値で交易されていた。
年表
注:派遣年次(明暦)、派遣者(正使)、の順。
- 1401年(建文3) 幕府(祖阿)
- 1403年(永楽元) 幕府(堅中圭密)
- 1404年(永楽2) 幕府(明室梵亮)
- 1405年(永楽3) 幕府(源通賢)
- 1407年(永楽5) 幕府
- 1408年(永楽6) 幕府
- 1408年(永楽6) 幕府
- 1410年(永楽8) 幕府
- 1433年(宣徳8) 幕府
- 1435年(宣徳10) 幕府
- 1453年(景泰4) 幕府
- 1468年(成化4) 幕府・細川氏・大内氏
- 1477年(成化13) 幕府
- 1484年(成化20) 幕府
- 1495年(弘治8) 幕府・細川氏
- 1509年(正徳4) 細川氏(宋素卿)
- 1512年(正徳7) 細川氏・大内氏(了庵桂悟)
- 1523年(嘉靖2) 大内氏(謙道宗設)
- 1523年(嘉靖2) 細川氏(鸞岡瑞佐)
- 1540年(嘉靖19) 大内氏(湖心硯鼎)
- 1549年(嘉靖28) 大内氏(策彦周良)
関連項目
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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