来歴・人物
- 広島工を経て東亜大に入学。大学4年時には捕手として神宮大会優勝。
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JR西日本では1年目からレギュラー捕手の座をつかんだが、2005年、JR福知山線脱線事故により野球部は休部を余儀なくされ、ホンダ鈴鹿に移籍。
- ホンダ鈴鹿では主に1番・センターで起用され、俊足に加え長打力のある切り込み隊長としてチームの都市対抗野球大会出場に大いに貢献した。松本有史スカウトとは幼馴染。
プロ入り後
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2007年
外野手登録ではあるが、正捕手であった
倉義和、
石原慶幸は打力が劣るため、オープン戦では捕手としても出場する二刀流で話題になり、
ブラウン監督が掲げた打てる捕手としてアピールした。
4月17日対
巨人戦(
スカイマークスタジアム)でプロ初スタメン。プロ初安打はならなかったが、プロ初打点を稼いだ。しかし、9回裏2死2塁の場面で
李承燁のセンターフライを落球。チームは勝利したものの自身は後味の悪いものになってしまった。
7月19日に行われた
フレッシュオールスターでは初回先頭打者としてヒットで出塁。その後立て続けに二盗、三盗と決め、三盗時に捕手の悪送球でホームインし、MVPを獲得した。しかしその後の打席でファールを打った際に骨折してしまい、一軍出場の機会を減らしてしまう何とも微妙なMVPとなってしまった。二軍では打率.394で、17試合で9盗塁を決めた。応援歌は2005年まで在籍した
グレッグ・ラロッカのものが使われている。ラロッカのときにあった前奏がないことと、歌詞の名前の部分以外は同じものである。
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2008年
開幕一軍入りを果たすもすぐに二軍降格。4月末に二軍の試合で手首を痛めて戦線離脱。故障続きの為、心機一転、
6月23日に登録名を中東直己から「
中東直瑛」に改名した。
2009年はライバルの多い外野手から手薄な捕手で行くこととなり本格的に捕手の練習を行っている。
記録・タイトル
エピソード
- 幼い頃からの広島ファンで、「プロ野球=カープ」だったという。
- 高校の先輩である新井貴浩とは、東亜大2年時から正月に「走り初め」している仲。
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2007年
1月12日に、再来日後初めて廿日市市の大野練習場を視察したブラウン監督に「名前が言いにくく発音しにくいので『ノミ』と呼ぶ」と言った。ブラウンによると、ノミにはアメリカでは「小さくバネがある」という意味があり「小さくてキレのある動きをする。相手からはいやらしく、うっとうしいイメージになるだろう」と期待されている。日本ではノミは皮膚炎症を起こすイメージがあるため、中東は最初「今まで『チュン』や『ヒガシ』で呼ばれていたので『チュン』でお願いできないですか?」と希望すると「『チュン』に意味はあるのか?ないでしょ」と一蹴され、中東は結局「覚えてもらえればいいので今までどおり持ち味を発揮したい」と割り切った。
年度別打撃成績
関連項目
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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