世界選手権自転車競技大会 [UCI Road World Championships, Men] [被リンク数: 66]

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
世界選手権自転車競技大会(せかいせんしゅけんじてんしゃきょうぎたいかい、World Cycling Championships)とは国際自転車競技連合 (UCI=Union de Cyclisme International) が開催する国または地域の代表として選出された選手による自転車競技の世界大会である。一般には世界自転車選手権、または単に世界選手権という場合が多い。世界選という略称が使われることがある。

大会の歴史

1893年アメリカ合衆国シカゴで初めて開催された。1896年ギリシャアテネで初開催された近代オリンピックよりも古い歴史を誇る。第1回はトラックレースのスプリント、ドミフォン、10kmの3種目が行われたが、いずれもアマチュア選手に出場が限定された。なお、プロのレースは1895年に開始されたが、1920年まではトラックレースのみの開催だった。1914年から1919年までは第一次世界大戦の影響で、また1940年から1945年までは第二次世界大戦の影響で開催されなかった。
1921年コペンハーゲン大会からアマチュア種目のみながらもロードレースも行われるようになり、1927年ドイツ大会からはプロの個人ロードレースも行われるようになった。またごく一部の年を除き、1995年まではトラックレースとロードレースは同一国で、しかも同時期に開催されていた。現在はロードレースは毎年9月下旬頃、トラックレースは毎年3月下旬頃に開催される。女子の種目については1958年よりロードレース、トラックレースで行われるようになった。
また、1950年からはシクロクロス(開催は概ね毎年1月下旬ないし2月上旬頃)、1990年からはマウンテンバイク(同9月頃)、2000年からは室内自転車競技(同11月頃)、2001年からはBMX(同7月頃)の各部門同大会も開催されるようになった。
この他にジュニア、B、マスターズのカテゴリーの大会も開催されるなど今や多種多彩になっている。
日本人としては中野浩一1977年にトラックレースのスプリント(当時の名称はスクラッチ)種目で初優勝を成し遂げ、それ以降は同種目で1986年まで優勝、10連覇を達成した(詳しくは中野浩一#世界自転車選手権を参照)。
アジアで初の大会として、1990年に日本でも前橋市(トラックレース)と宇都宮市(ロードレース)で開催された。また、室内競技は鹿児島県加世田市で2001年に開催されている。

優勝者の栄誉

各種目で優勝した選手は“世界を制した者”として、次大会前日まで優勝した種目でレースや競技会に出場する場合「マイヨ・アルカンシエル(フランス語)」や「レインボージャージー(英語)」「マリア・イリダータ(イタリア語)」などと称されている五大陸を表す五色のストライプの入ったレーサージャージを着用し競技することが許される。また、金メダルも授与される。
このほか次の大会で覇権を失ったとしてもレースや競技会で競技中に、使用する自転車にストライプのステッカーを貼ることや、ジャージやパンツの一部にストライプを入れること、あるいはストライプ模様のアームバンドを着用することが生涯許される。
個人スプリント10連覇の中野浩一はホームバンク(練習地)でもあった久留米競輪場で開催される「中野カップレース」にその名が冠せられている。また、同種目7回制覇の実績を誇るジェフ・シェーレンの場合は「GP ジェフ・シェーレン」というロードレースが開催されているし、同じく同種目7回制覇のアントニオ・マスペスについては出身地であるミラノに「マスペス=ヴィゴレッリ自転車競技場」が存在する。
また男子エリートロードレースにおいて歴代最多タイの3回優勝の実績を誇るリック・バンステーンベルヘンの場合は「GP リック・バンステーンベルヘン」というロードレースが、またオスカル・フレイレの場合も「オスカル・フレイレ・ベロドーム」という名称の自転車競技場が存在しているといった具合に、世界選手権で歴史に名を残した選手の功績を讃えたレースや競技場名はあちこちに存在する。
「世界選手権優勝」は自転車競技選手の憧れとして是が非でも手にしたいタイトルであるのはいうまでもないことだが、この大会で活躍した選手については上記のように各種レースや競技場に自らの名が残るなど長きに渡って名誉を称えられ、賞賛され続けることが少なくない。そのため、自転車競技選手にとって世界選手権での優勝はともすればオリンピックでの優勝よりも価値があるといえる。

歴代の優勝者、上位入賞者

現在行われている種目

ロードレース部門

トラックレース部門

MTB(マウンテンバイク)部門

BMX(バイシクルモトクロス)部門

シクロクロス部門

廃止された種目

男子ロードレース(アマチュア:1995年まで開催)
優勝者(ドイツ語版Wikipediaを参照:「Weltmeister (Amateure)」の列が該当)
※プロ・アマオープン化により本種目は廃止され、別途U-23種目が開催されている。

顕著な記録

通算10個以上金メダル獲得者

男子

アルノー・トゥルナン () ……14個
中野浩一 () ……10個
ウース・フローラー () ……10個
フロリアン・ルソー () ……10個

女子

ジャニー・ロンゴ () ……13個
アンヌ=カロリーヌ・ショソン () ……13個
フェリシア・バランジェ () ……10個

同一種目5連覇以上達成者

※個人種目に限る。

男子

中野浩一 ()
ウース・フローラー ()
ジェフ・シェーレン ()
エリック・デフラミンク ()
アンドレ・デュフレス ()
ニコラ・ヴイヨズ ()

女子

アンヌ=カロリーヌ・ショソン ()
カリン・モール ()
タマラ・ガルコチナ ()
フェリシア・バランジェ ()

3部門において優勝経験がある選手

女子

マリアンヌ・フォス ()

ロードレース部門とトラックレース部門の両方で優勝経験がある選手

男子

ファウスト・コッピ ()
エルコーレ・バルディーニ ()
ルディ・アルティヒ ()
フランチェスコ・モゼール ()
クリス・ボードマン ()

女子

ジャニー・ロンゴ ()
実績は上記参照。
レオンティエン・ファンモールセル ()

ロードレース部門とシクロクロス部門の両方で優勝経験がある選手

女子

ハンカ・クフェルナーゲル ()

トラックレース部門とBMX部門の両方で優勝経験がある選手

男子

ジェミー・スタッフ ()

女子

シャネーズ・リード ()

ロードレース部門の特徴と記録

個人ロードレース

レースは特設コースを規定周回数だけ走るクリテリウム形式であり、女子や男子のU23(23歳以下)のレースも周回数が違うだけで同じコースを使用する。また国別対抗戦であるということもこの大会の特徴であり、ふだんはライバルとして走っている選手がチームメイトになるため、通常は見られないようなメンバーで走行するシーンが展開される。
選手たちはナショナルジャージに身を包み己のプライドと国の威信をかけて走るため、序盤からハイペースでアタックが繰り返され、リタイアが続出する展開になりやすい。そのためロードレースでは一般的な戦略である「多数のアシスト選手たちが一人のエースを勝たせるために働く」という作戦がとりづらく、一般的なワンデイレースを得意としている選手であろうと好成績を残せるとは限らない。
例えば、ショーン・ケリーロジェ・デフラミンクといった「クラシックハンター」と呼ばれた名選手たちでさえ個人ロードレースを制覇することはできなかったし(デフラミンクはシクロクロスでの優勝歴がある)、ツール・ド・フランス史上初の5回の総合優勝を果たしたジャック・アンクティルは、個人ロードレースに加え、トラックレースの個人追抜でも最高の成績は2位どまりであり、一度もアルカンシエルを袖に通すことができなかった。
延々と続く潰し合いに耐え抜いて勝利するためには個人のパフォーマンスが最大限要求され、それを証明するように歴代の優勝者にはロードレース史に名を残す選手がズラリと並んでいる。
エリート男子の場合、傾向的に見るとクライマーといわれる選手は黎明期を除くと実績に乏しく、スプリンターオールラウンダータイプの選手の活躍が目立つ。

顕著な実績を上げている選手

個人ロードレースで3回の優勝(歴代最多)
※メルクスはアマチュア種目でも1964年に優勝している。
個人ロードレースで2連覇
個人ロードレースで“トリプルクラウン(三冠王)を達成

タイムトライアルレース

タイムトライアルは1994年に新設された。コースレイアウトは概ねツール・ド・フランスなどにおけるタイムトライアルステージと似た設定であり、この種目を得意とする選手が実績を上げている。

顕著な実績を上げている選手

個人ロードと個人タイムトライアルの両方で優勝
個人タイムトライアルで2回以上の優勝

日本人選手の記録

黎明期

日本人選手が世界選手権に初めて参加したのは1936年スイスチューリッヒ大会で、4人がトラックレースロードレースにそれぞれ出場した。そしてアマ・個人ロードレースにおいて、出宮順一が7位に入る健闘を見せた。
しかし第二次世界大戦により、日本の自転車競技統括団体がUCIから除名されたほか、大会自体が中断されてしまう。1949年に日本自転車競技連盟 (JKR) がUCIに再加盟し、日本選手は1952年フランス・パリ大会で戦後初出場を果たす。このときにはすでに日本国内に競輪選手という新たなプロ選手が登場し、UCIと世界選手権への参加を希望していた。しかし、日本自転車競技連盟が加盟する日本体育協会のアマチュア規定と、UCIの一国一連盟の方針の板挟みに遭い、その実現は阻まれてしまう。
1957年、プロ・アマ双方の連盟の上部団体として新たな日本自転車競技連盟 (FJC) が発足し、同年のベルギーリエージュ大会に中井光雄、中野泰満の2人が日本人プロ選手(競輪選手)として初めて出場した。以後アマチュア選手も含めて、毎年参加するようになる。当時の競輪のトップ選手たちにとってもあこがれの大会であり、かつ何とかして上位の成績を収めたいという意識も強かった。しかし長い間世界との差は埋めることができなかった。

悲劇を乗り越え、悲願のメダル獲得

そんな流れの中、平間誠記1966年西ドイツフランクフルト大会と、1967年オランダアムステルダム大会のプロ・スクラッチ(現在はスプリント)でいずれもベスト8入り。また、吉川多喜夫も66年のプロ・スクラッチでベスト8入りを果たしたことから、1968年ウルグアイモンテビデオ大会では、初参加した頃には夢物語とさえ思われた、世界選手権でのメダル獲得の期待が寄せられた。ところが、平塚競輪場で行われた、プロ選手のみで行われた合宿練習中に、エース格の平間が不慮の事故により死亡したことを重く見て、プロ選手については派遣が中止されてしまった。一方、アマチュア側は参加することになり、当時共に大学生だった井上三次班目隆雄の2人がペアを組んで出場したタンデムスプリントにおいて、銅メダルを獲得。日本人選手として、第一号のメダリストとなった。
しかしその後はプロ、アマ共に低迷状態が続き、とりわけプロ側は予算などの問題もあって、世界選手権の派遣をやめる話が持ち上がった。そんな中、1975年のリエージュ大会、プロ・スクラッチ種目において、阿部良二がプロ選手として初の銅メダルを獲得。これを契機に競輪選手の派遣中止という話は吹き飛ぶことになった。

中野浩一の大偉業

しかも阿部のメダル獲得を契機に、翌1976年イタリアレッチェ大会のプロ・スクラッチにおいて、3位決定戦を菅田順和中野浩一という、共にプロ2年目の若い選手同士で争うことになったことから、さらに上の成績を狙えるという期待が高まった。
1977年ベネズエラ・サンクリストバル大会のプロ・スクラッチでは、中野と菅田が今度は決勝で対決した。つまりこの時点で日本人選手初の金メダルが決定していたが、中野が菅田を破ってその栄光に浴することになった。しかも中野は、日本国内においては、自分がやってのけた偉業に対する扱いがあまりにも小さすぎるという、ある種のコンプレックスを抱くようになり、以後も世界選手権に出場して優勝するという目標を置くようになった。
すると、中野は1986年アメリカコロラドスプリングス大会まで実に同種目10連覇を達成。しかもこの間、下記に挙げた通り、中野以外の選手のメダル獲得も目立つようになった。加えて1980年より、ルール解釈こそ違うものの、ケイリンが世界選手権の正式種目として採用されることが決定。ついに競輪競技そのものが、世界に認められるようになったのである。

低迷期突入

1987年オーストリアウイーン大会は、日本自転車界が悲願としていたプロ・スプリント(優勝:俵信之)、プロ・ケイリン(優勝:本田晴美)のダブル制覇が実現することに。しかし、日本人選手が世界選手権で優勝したケースは今のところ、これが最後である。
1975年に阿部良二が初めてメダルを獲得して以降、競輪選手は世界選手権では15年連続で何らかの形でメダル獲得を果たしていたが、事もあろうに、日本で初めて世界選手権が開催された1990年前橋大会でついにその記録が途絶えることになった。しかしこの大会では、当時共に高校生だった稲村成浩齋藤登志信のコンビがアマ・タンデムで銀メダルを獲得し、日本人選手としては、16年連続でメダル獲得を果たした。
しかし1991年以降、日本人選手が世界選手権でメダルを獲得したケースといえば、1993年のケイリンの吉岡稔真の銅メダルと、2004年マウンテンバイク・女子ダウンヒルで末政実緒が銀メダルを獲得した2例のみである。
世界選手権においても花形種目であるプロ・ロードレース(現・エリート・ロードレース)において、1973年に競輪選手の加藤善行が日本人選手として初めて同種目に出場するも途中棄権に終わり、以後も断続的に競輪選手が同種目に参加したが、完走すらできなかった。1987年に日本人初のプロロード選手となった市川雅敏43位に入って初めて完走を果たしたが、以後も完走するのが精一杯という現状である。

日本人選手メダリスト一覧

マイヨ・アルカンシエル 20px金メダル

スプリント(プロ)
* 中野浩一……1977〜1986年
* 俵信之……1987年
ケイリン(プロ)
* 本田晴美……1987年

20px銀メダル

スプリント(プロ)
* 菅田順和……1977年
* 尾崎雅彦……1980年
* 松枝義幸……1985年
* 松井英幸……1986年、1987年
* 神山雄一郎……1989年
タンデムスプリント(アマ)
* 稲村成浩齋藤登志信……1990年
マウンテンバイク ダウンヒル(女子)
* 末政実緒……2004年

20px 銅メダル

スプリント(プロ)
* 阿部良二……1975年
* 菅田順和……1976年
* 菅野良信……1978年
* 高橋健二……1981年
* 俵信之……1986年、1988年
* 松井英幸……1989年
ケイリン (プロ)
* 久保千代志……1981年
* 北村徹……1982年
* 滝澤正光……1985年
* 井上茂徳……1987年
* 佐古雅俊……1989年
ケイリン(オープン)
* 吉岡稔真……1993年
タンデムスプリント(アマ)
* 班目隆雄井上三次……1968年

その他の世界選手権大会における日本人選手メダリスト一覧

ジュニア

金メダル
* 清家孝志(現・松田孝志)……スプリント(1983年)
* 末政実緒……MTBダウンヒル(2001年)
* 北津留翼……スプリント(2003年)、ケイリン(2003年)
銀メダル
* 柴崎淳・菅田壱道・房州輝也……チームスプリント(2004年)
銅メダル
* 小野俊之……スプリント(1994年)

B

金メダル
* 大菅小百合……女子500メートルタイムトライアル(2003年)
* 和田見里美……女子ポイントレース、女子スクラッチ(2007年)
* 佃咲江……女子スプリント、女子ケイリン(2007年)

マスターズ

金メダル
* 丸山繁一……スプリント(40歳〜44歳・2006年)
* 和地恵美……女子個人追抜(45〜49歳・2006年)、女子500メートルタイムトライアル(45〜49歳・2007年)
銅メダル
* 和地恵美……女子500メートルタイムトライアル(45〜49歳・2006年)

パラサイクリング

金メダル
* 石井雅史……1kmタイムトライアル(CP4)、個人ロードレース(CP4)(2007年)
銀メダル
* 石井雅史……3km個人追い抜き(CP4)(2007年)

脚注

関連項目

*
----------------------------------------------
出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.
ご利用上の注意

制限事項


Sensrについて
Powered by EAST, SAGOOL, kizasi, hatena, OKWave.