背景
1920年代前半に既に
農作物を中心に余剰が生まれていたが、ヨーロッパに輸出として振り向けたため問題は発生しなかった。しかし農業の機械化による過剰生産とヨーロッパの復興、相次ぐ異常気象から農業恐慌が発生。また、第一次世界大戦の荒廃から回復していない各国の購買力も追いつかず、社会主義化による
ソ連の世界市場からの離脱などによりアメリカ国内の他の生産も過剰になっていった。
また、農業不況に加えて
鉄道や
石炭産業部門も不振になっていたにもかかわらず
投機熱があおられ、適切な抑制措置をとらなかった。
アメリカの
株式市場は
1924年中頃から投機を中心とした資金の流入によって長期上昇トレンドに入った。株式で儲けを得た話を聞いて好景気によってだぶついた資金が市場に流入、さらに投機熱は高まり、
ダウ平均株価は5年間で5倍に高騰。1929年
9月3日にはダウ平均株価381ドル17セントという最高価格を記録した。市場はこの時から調整局面を迎え、続く1ヶ月間で17%下落したのち、次の1週間で下落分の半分強ほど持ち直し、その直後にまた上昇分が下落するという神経質な動きを見せた。それでも投機熱は収まらず、
ジョセフ・P・ケネディはウォール街の有名な靴磨きの少年が投資を薦めた事から不況に入る日は近いと予測したという。
展開
そのような状況の下1929年10月24日10時25分、
ゼネラルモーターズの株価が80セント下落した。下落直後の寄り付きは平穏だったが、間もなく売りが膨らみ株式市場は11時頃までに売り一色となり、株価は大暴落した。この日だけで1289万4650株が売りに出されてしまった。ウォール街周囲は不穏な空気につつまれ、警官隊が出動して警戒にあたらなければならなかった。
シカゴと
バッファローの市場は閉鎖され、投機業者で自殺したものはこの日だけで11人に及んだ。この日は
木曜日だったため、後にこの日は「
暗黒の木曜日(Black Thursday)」と呼ばれるようになった。翌
25日金曜の13時、
ウォール街の大手株仲買人と銀行家たちが協議し、買い支えを行うことで合意した。このニュースでその日の相場は平静を取り戻したが、効果は一時的なものだった。
週末に全米の新聞が暴落を大々的に報じたこともあり、
28日には921万2800株の出来高でダウ平均が一日で13%下がるという暴落が起こり、更に
10月29日、24日以上の大暴落が発生した。この日は取引開始直後から急落を起こした。最初の30分間で325万9800株が売られ、午後の取引開始早々には市場を閉鎖する事態にまでなってしまった。当日の出来高は1638万3700株に達し(これは5日前に続く記録更新であり、以後
1969年まで破られなかった)、株価は平均43ポイント(ダウ平均で12%)下がり、9月の約半分ぐらいになってしまったのである。一日で時価総額140億ドルが消し飛び、週間では300億ドルが失われた計算になったが、これは当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、アメリカが
第一次世界大戦に費やした総戦費をも遥かに上回った。
投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めていった。この日は
火曜日だったため、後にこの日は「
悲劇の火曜日(Tragedy Tuesday)」と呼ばれるようになった。そしてアメリカ経済への依存を深めていた脆弱な各国経済も連鎖的に破綻することになる。
過剰生産によりアメリカ工業セクターの
設備投資縮小が始まったのが大きな要因であり世界恐慌がさらに投資縮小を誘引したため、強烈な景気後退に見舞われることになった。
産業革命以後、工業国では10年に1度のペースで恐慌が発生していた。しかし
1930年代における恐慌(世界恐慌)は規模と影響範囲が絶大で、自律的な回復の目処が立たないほど困難であった。
大不況から世界恐慌へ
第1次世界大戦後の
米国経済の圧倒的な存在感(当時世界の
金の半分以上が米国に集まっていた)のため、一般的には米国の株価暴落がそのまま世界恐慌につながったとされているが、
バーナンキをはじめとする経済学者は異なる見解を示している。
1929年の
ウォール街の暴落は米国経済に大きな打撃を与えた。しかし当時は
株式市場の役割が小さかったために被害の多くはアメリカ国内にとどまっており、当時の米国経済は循環的不況に耐えてきた実績もあった。不況が大恐慌に繋がったのは、その後銀行倒産の連続による金融システムの停止に、
FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の金融政策の誤りが重なったためであった。
大不況が世界に広まるきっかけとなったのは
1931年5月11日の
オーストリアの大銀行クレジットアンシュタルト(Creditanstalt
1855年に
ロスチャイルド男爵により設立)の破綻であったとされる。クレジットアンシュタルトは株価暴落に伴う信用収縮の中で突然閉鎖した。東欧諸国の輸出が激減し
経常収支が赤字となり、旧
オーストリア帝国領への
融資が焦げ付いたこと、加えて政府による救済措置が適切に行われなかったことが破綻の原因となった。オーストリア向けの融資が焦げ付いた要因としては、3月の独オーストリア関税同盟の暴露に対する
フランスの
経済制裁により、
オーストリア経済が弱体化したことが致命的であった。
クレジットアンシュタルトの破綻を契機として、5月に
ドイツの銀行(「ダルムシュテッター・ウント・ナティオナール」)が倒産し、
7月13日にダナート・バンクが閉鎖すると、ドイツの全銀行が
8月5日まで閉鎖された。影響はドイツ、東欧諸国と世界に及んだ。
各国の状況
未曾有の恐慌に
資本主義先進国は例外なくダメージを受けることになった。
植民地を持っている国(アメリカ・
イギリス・
フランス)は様々な政策を採りダメージの軽減に努めたが、持っていない国(
日本・
ドイツ・
イタリア)はそれができず国によっては
全体主義の台頭を招くことになる。第一次世界大戦後、世界恐慌まで続いていた国際協調の路線は一気に崩れ、
第二次世界大戦への大きな一歩を踏み出すこととなった。この中で経済政策で対応し、かつ
満州を経済圏として持った日本のGDPは
1934年に恐慌前の水準に戻り、ニューディール政策も取ったアメリカは
1941年まで恐慌前の水準に回復することができなかった。
共和党の
フーヴァー大統領は古典的
経済学の信奉者であり、国内経済において自由放任政策を採った。その一方で
1930年には
スムート・ホーリー法を定めて保護貿易政策を採り、世界各国の恐慌を悪化させた。
1931年、オーストリア最大の銀行が倒産してヨーロッパ経済の更なる悪化が予想されたことに対しようやく
フーヴァーモラトリアムと称される支払い猶予を行ったが、既に手遅れであり恐慌は拡大する一方だった。
1932年後半から
1933年春にかけてが恐慌のピークだったようで恐慌発生直前と比べて株価は80%以上下落し、工業生産は平均で1/3以上低落、1200万人に達する
失業者を生み出し、
失業率は25%に達した。閉鎖された銀行は1万行に及び、1933年2月にはとうとう全銀行が業務を停止、社会主義革命の発生すら懸念された。
アメリカ経済の本格的な回復はその後の第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気を待つこととなる。
イギリス
労働党の
マクドナルド内閣は
失業保険の削減など
緊縮財政を敷くがその政策から労働党を除名され、代わりに
保守党と
自由党の援助を受けてマクドナルド挙国一致内閣を組閣する。それとほぼ同時期の1931年
9月21日、ポンドと金の兌換を停止、いわゆる
金本位制の放棄を行った。なおイギリスが金本位制の放棄を行ったのをきっかけに金本位制を放棄する国が続出、
1937年6月にフランスが放棄したのを最後に国際的な信用秩序としての金本位制は停止した。勢力にかなりの蔭りが出ていたイギリスでは広大な植民地を維持していくことができず
ウェストミンスター憲章により自治領と対等な関係を持ち、新たに
イギリス連邦を形成、これを母体に
ブロック経済(スターリングブロック)を推し進めていくことになる(ただし
インド帝国はブロック経済下でも東アジアと密接な経済関係にあったことが知られる)。
フランス
ドイツ
元々、第一次世界大戦の敗戦で各国から巨額の賠償金を請求され、
ハイパーインフレーションや
フランスの
ルール占領などにより極度に弱体化が進んでいた
ドイツ経済は世界恐慌によって深刻な状態へ陥った。アメリカ企業も次々と撤退、少しずつ復興しかけていた経済は一気にどん底に突き落とされた。結果、大量の失業者が街に溢れ国内経済は破綻状態となる。
ヒトラーはソ連での
計画経済の成功を受けて作成された四カ年計画に基づき
軍拡と
公共事業の拡大(
アウトバーンの建設等)を実施した。また、民間の重工業化を支援した。二次に亘るこの計画により失業者は劇的に減少し、経済的な回復は達成された。
イタリア
第一次世界大戦直後から経済混乱に陥り
ファシスト党の一党独裁が始まっていたイタリアでは世界恐慌後も更にその傾向を強め、
エチオピアを侵略した。
日本
大戦後の恐慌、
関東大震災、
昭和金融恐慌(
昭和恐慌)によって弱体化していた日本経済は世界恐慌発生とほぼ同時に行った
金解禁と
生糸などの輸出の落ち込みにより危機的状況に陥る。株の暴落により都市部では多くの会社が倒産し就職難の者(
学歴難民)や失業者があふれた(『
大学は出たけれど』)。農作物は売れ行きが落ち価格が低下、冷害・凶作のために疲弊した農村では娘を売る
身売りや
欠食児童が急増して社会問題化。生活できなくなり大陸へ渡る人々も増えた。
高橋是清蔵相による積極的な歳出拡大(一時的軍拡を含む)、円の切下げ、アジア貿易への依存、
重工業化へ向けた官民一体の経済体制転換を打ち出す。安価な綿布や雑貨を大量に輸出して1930年代後半には世界に先駆けいち早く大恐慌前の水準を回復したが、
ブロック経済政策をとる欧米諸国との
貿易摩擦が起こった。この間にも
財閥は産業界を支配し、利権を求めて政治や軍に対する影響力を強めた。その後も目白押しの大規模プロジェクトなどで経済的成長が図られたが、資源配分転換と国際協調を背景にした
軍縮への軍部の抵抗を止められず
太平洋戦争へと向かうことになる。
ソ連
ソ連は
共産主義国家だったため、主要国の中でただ一国世界恐慌の影響を全く受けず非常に高い経済成長を続けた。以後、
スターリンの推進する
五カ年計画で着々と工業化を進めていった。
世界恐慌中の各国工業生産の推移
(1929年=100)
社会主義・共産主義への傾倒
社会科学における解釈とその影響
政治経済学
世界恐慌は「
基軸通貨交替」「覇権国交替」に伴う当然の、あるいは必然的な事態と考えられる。英仏を中心とする世界体制が第1次世界大戦でくずれ、米国が覇権国になる途中の出来事であった。(後に英国は米国に「世界を任せる」という電報を打っている)世界の富を集めた結果世界的に通貨が必要であったが、金本位制のもとで通貨創造が出来ない各国は米国からの資金還流を待つしかなかった。しかし米国には覇権国の責任を受ける準備が出来ておらず、
国際連盟には参加せず、ドイツなどの経済的苦境を放置した。さらに
保護貿易主義を取り、米国の繁栄を世界各国に分かち合うことがなかったため、世界各国の経済的苦境が結局米国自身に跳ね返った。米国の生産量に見合う需要がどこにもないからである。
モンロー主義(
孤立主義)が優勢で、
ウィルソンの国際主義ではなかった。
第1次世界大戦の参戦も、
ルシタニア号事件と
ツィンメルマン電報事件が必要であった。
これらの教訓が、第2次世界大戦以来の主要国(特に米国)の政策決定を縛ることになる。
最大の問題は、軍国主義を取った日本などが急速に復興し、米国のニューディール政策が景気の回復にむすびつかなかった事である。ニューディールはケインズ主義の需要喚起策の成功のように考えられている場合があるが、そうではなかった。ケインズ自身も自覚していたように、戦争が強力に余剰生産力を解消するのである。そういう意味でも大恐慌は第二次世界大戦の素地を作ったと言える。事実、アメリカは第二次世界大戦によってその不況から脱却し、飛躍するのである。
経済学
当時は「市場は自身で調整を行う機能を持っており、政府の介入は極力すべきではない」という
自由放任主義の考え方が主流であった。また、オーストリア学派などによって大恐慌は蓄積した市場の歪みを調整するための不可避の現象であるという見方もなされた。しかし、このような考え方では大恐慌を説明することができず、新しい経済理論が求められた。
<!--== 今後起きる可能性 ==
1929年の世界大恐慌以降、一国家規模での
バブル崩壊などは起きたが全世界規模での大恐慌は起きてはいなかった。しかし、
2007年にアメリカのサブプライムローン問題に端を発する金融危機が発生。
ニューヨーク証券取引所の株価の不安定化により、世界的な株価下落を招いている。アメリカ大手の
リーマン・ブラザーズといった会社が破綻するなど、
2008年10月時点でも世界経済の不安定な状態は続いている。そのため、近い将来に第二の世界大恐慌が起きる危険性、可能性は否定できない。
※詳細は世界金融危機 (2007年-)を参照
-->
参考文献
(日本語訳があるもの)
-
ポール・アードマン著 竹内宏監訳 『ポール・アードマンのマネー大予言』 東洋経済新報社、1984年。
- ゴードン・トマス マックス・モーガン=ウィッツ著 常盤新平監訳 『アメリカの死んだ日』 (改題『ウォール街の崩壊』) 講談社学術文庫、1979年。(英国人記者チームによる歴史検証シリーズの一冊 。中心人物は世界最大の銀行だったバンクオブアメリカの創始者A・P・ジャンニーニ()など。一般市民の様子もいきいきとして描かれている)
- F・L・アレン著 藤久ミネ訳 『オンリーイエスタディ--1920年代・アメリカ』(原著1931年) ちくま文庫、1993年。(ハーパーズ誌の編集者、実地ルポと分析。米国での古典)
-
J・K・ガルブレイス著 鈴木哲太郎訳 『バブルの物語』 ダイヤモンド社、1991年。(一般向け歴史検証。世界最古のバブルと言われるオランダの「チューリップ投機」や英国の大事件「南海泡沫(southsea bubble)会社事件」について詳しい。目立たない古い薄い英語本がバブル時代に日本語訳された。)
- J・K・ガルブレイス著 村井章子訳 『大暴落1929』(原著1954年) 日経BP、1997年初訳、2008年新訳。
- エドワード・チャンセラー著 山岡洋一訳 『バブルの歴史』 日経BP、2000年。
-
石ノ森章太郎 『日本経済入門』 日本経済新聞社、1986年。(漫画によるバブル批判で、多面的に分かりやすく要点を押さえている。大恐慌については上掲『アメリカの死んだ日』からの引用があり、昭和の恐慌については中村本から引用している。一冊本10cm厚とハードカバー分冊がある。)
-
中村政則 『昭和の恐慌』 小学館、1982年。(昭和恐慌の様子を多角的に分析。分かりやすい一般向け歴史書。特に経済面からの記述が詳しい。渡辺銀行について青木の証言をそのまま引用)
- 高橋亀吉 森垣淑 『昭和金融恐慌史』 講談社学術文庫、1993年。(原本は清明会出版部、1968年発行。在野の研究者による良書。一時期初学者の必読本だった)
- ピーター・テミン著 猪木武徳 ばん沢歩 山本貴之訳 『大恐慌の教訓』 東洋経済新報社、1994年。(米国の大恐慌の原因を株価暴落ではないなど多角的に検証した古典。専門書)
- "Echoes of the Depression" ,The Economist ,Oct 2nd 2008
- 林敏彦 「経済教室---新たな政策の枠組み必要」 『日本経済新聞』 平成20年10月10日版。PDF原文(「“大恐慌前夜”の認識は誤り」と主張。「NY株式暴落が大恐慌の原因でない」と強調。)
- アンソニー・ サンプソン著 小林薫訳「ザ・マネー―世界を動かす“お金”の魔力 」"Midas Touch" (1989) 全国朝日放送 (1990/04)(バブル時代にお金の魅力と怖さに伝えた本。当時あった三洋証券の巨大なディーリングルームに写真1ページを当てている。題名は触るものをすべて金(きん)に変えたミダス王にちなむ。1年前のニューヨークの様子と酷似する)
- ティモシー・S・グリーン著 氷川秀男 石川博文訳 『金の世界』 金融財政事情研究会、1968年。(金本位制の基礎知識が得られる。経済危機で注目される金についての一般的解説本。再版されて内容が薄められた分わかりやすくなった)
脚注
関連項目