三浦友和 [Tomokazu Miura] [被リンク数: 149]

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三浦 友和(みうら ともかず、本名:三浦 稔(みうら みのる)、1952年1月28日 - )は、山梨県塩山市(現:甲州市)出身の日本俳優である。血液型は、AB型。東京都立日野高等学校卒業。妻は元歌手女優山口百恵1980年11月19日結婚)。長男はロックバンドPeaky SALTのボーカル&ギター担当の「ユウ」(三浦祐太朗)。

略歴

1960年、小学3年生で父親が警察官を退職し家族と共に東京都千代田区飯田橋に転居。さらに中学で東京都立川市に転居。ラリードライバー篠塚建次郎は義兄(実姉・ひろ子(元歌手・タレント 芸名:牧陽子→三浦弘子)の夫)。忌野清志郎とは東京都立日野高校の同級生。高校生の頃は清志郎とは違うバンドに居た。初期のRCサクセションではバックミュージシャンとして、中期はゲストライブに参加したことはあるが、RCサクセションの初期メンバーという説は誤りである。実姉がタレント活動をしていた関係で、放送局等へ出入りしていたことがきっかけで映画オーディションを受けることになる。
1970年代に二枚目の俳優として10代に大変な人気があった。特に70年代後半、山口百恵と共に主演映画・ドラマを次々とヒットさせ百恵友和コンビ=ゴールデンコンビといえば知らない人はいなかった。1980年の結婚以降、「山口百恵の夫」という固定されたイメージをぬぐいきれず低迷した期間があるが、映画・舞台で着実に役柄の幅を広げ、アルコール飲料のCMでコミカルな演技見せるなど、硬軟いずれもこなせる俳優としての位置を確立している。

主な出演作品

テレビドラマ

その他の番組

映画

  • 伊豆の踊子(1974年)山口百恵と共演。映画デビュー作品。原作・川端康成
  • 潮騒(1975年)山口百恵と共演。原作・三島由紀夫
  • 阿寒に果つ(1975年)原作・渡辺淳一
  • 青い山脈(1975年)原作・石坂洋次郎
  • 陽のあたる坂道(1975年)原作・石坂洋次郎
  • 絶唱(1975年)山口百恵と共演。原作・大江賢次
  • あいつと私(1975年)
  • 風立ちぬ(1976年)山口百恵と共演。原作・堀辰雄
  • 星と嵐(1976年)
  • 春琴抄(1976年)山口百恵と共演。原作・谷崎潤一郎
  • 青年の樹(1977年)
  • 泥だらけの純情(1977年)山口百恵と共演。原作・藤原審爾
  • 姿三四郎(1977年)
  • 霧の旗(1977年) 山口百恵と共演。原作・松本清張
  • 残照(1978年)
  • ふりむけば愛(1978年)山口百恵と共演。主題歌の歌唱も。
  • 聖職の碑(1978年)原作・新田次郎
大正時代、長野県の高等小学校が木曽駒ヶ岳集団登山した際実際に起こった気象遭難事故を元に、極限状態での師弟愛を描いた。

CM

ラジオ

  • 三浦友和・夢色飛行船(1979年 - 1980年、文化放送

著書

  • 被写体(マガジンハウス、1999年

音楽

シングル

アルバム

  • あいつと私(1976.9.25)
  • 赤頭巾ちゃん秘密だよ(1977.4.25) 名義は三浦友和と仲間たち
  • 二人でコンサート(1978.6.1)
  • 素描(1979.4.1)
  • 喜・怒・愛(1980.6.21)

エピソード

  • 父親が勤務していた駐在所周辺は、急な坂道ばかりだったため、幼い頃は「道というものは坂になっているもの」と思い込んでおり、山梨県から東京へ転居してきた際にカルチャーショックを受ける。また、東京の空気汚染により呼吸器の病気を患う。それにより健康優良児から虚弱体質の子供へと変わってしまう。
  • 忌野清志郎との縁で、結成初期のRCサクセションの曲である「金もうけのために生れたんじゃないぜ」でボンゴ担当として当時のLPクレジットタイトルに名前が明記されている。このことは『坂崎幸之助のオールナイトニッポン』に忌野清志郎がゲスト出演した際、実際のクレジットを見た忌野と坂崎が本当であることを証明している。しかし、当時の音源を聴いてみるとボンゴの音が入っておらず、忌野に「あいつ全然叩いてねぇじゃねぇか!」と失笑される。また、RCサクセションのバックミュージシャン時代の一時期に、RCサクセションの破廉ケンチと一緒に住んでいた。
  • ぴったしカンカンのゲストで出演した際のクイズで、『「シークレット部隊」での最初のセリフは何だったのでしょう?』という問題に対して正解は『あっ!キャプテンのヘリだ!』だったが、放送された回答スーパーは『あっ!キャプテンのヘソだ!』と誤ってスーパーされ、当の三浦自身も爆笑していた。
  • 1982年、『西部警察 PART-II』の第一話「大門軍団・激闘再び-沖田刑事登場」にて、ニトロを積んで走り続ける観光バスにトラックから乗り移るという本人によるアクションシーンが収録される。のちに「あのアクションは君が大門軍団の一員としてやっていけるかどうかのテストだった」と石原プロモーション専務・小林正彦に打ち明けられたと語る。
  • 1982年にタバコのコマーシャルに出演していた頃、青少年の教育上問題があるとして本人がアイドルかどうか国会(参議院予算委員会)で議論された。森下元晴厚生大臣(当時)は「アイドルだと思う」、日本専売公社(現・JT)総裁(当時)の泉美之松は「既婚者であるので青少年のアイドルは卒業している」と答えた。それに対し質問者である日本社会党の片山甚市議員は「結婚をすればアイドルでないなどというのはそれはこじつけで、若い者はいかす男として、やはり山口百恵の亭主としては大変魅力的であります」と発言したが、結局結論は出ないまま別の議題に話が移っていった。
  • 1980年代半ば、RCサクセションのライブに飛び入り出演した際、タバコの箱を片手に「俺はタバコも吸ってるし、嫁さんは有名な歌手だったんだぜ!」とステージ上で叫び、「ロックンロール・ウィドウ」を忌野と一緒に歌う。結婚後、百恵夫人の持ち歌を公の場で歌ったのはこの時が初めてである。
  • 1988年、RCサクセションが発表し、歌詞が過激すぎることが原因で発売禁止となったアルバム『COVERS』に参加。収録曲である「サマータイム・ブルース」の中で「原発という言い方は改めましょう。何でも縮めるのは日本人の悪い癖です。正確に原子力発電所と呼ぼうではありませんか。心配いりません」というセリフを担当した。「MONEY」では3番のヴォーカル&バックコーラスを唄っている。
  • 飽きっぽい性格であるためパチンコなど趣味を転々とし、現在は陶芸を趣味としている。50歳になってから始めた禁煙には成功。
  • 30代後半、ロケで訪れた釧路にて、共演者であった故・川谷拓三に誘われたことがきっかけでパチンコにはまる。新台入替の日は、一般人に紛れて早朝から並んだこともあるほどの入れ込み様。その結果、現在でも新宿にあるすべてのパチンコ店の地図が書けるという特技を持つ。この経験はのちに「はみだし弁護士・巽志郎」シリーズでの役柄に生かされることになる。
  • 『西部警察PART-II』で共演した渡哲也に惚れ込み、渡の出演する作品に自らノーギャラで出演要請するなど公私ともに渡を慕っている。百恵夫人が引退コンサートでステージ上に置いたマイクが長年に渡り自宅に保管してあったため渡に相談。その結果、渡の計らいで北海道小樽市にある石原裕次郎記念館に展示され話題になる。
  • ここ数年テレビドラマ・映画等で医師役を立て続けに好演し、医師役の似合う俳優となっている。
  • 50代になり、役柄が医師、弁護士、検事、判事、刑事などに偏ってきていることが悩みでもあると、インタビューで応えている。
  • 私生活での家庭の充実(結婚後、全く浮いた噂やゴシップはなく、理想的な夫であり父親を貫いている)に反して、テレビや映画では必ずと言っていいほど、私生活が謎に包まれた独身、妻と離婚・死別した過去のある男、家庭はあるが不倫をしている夫、子供に恵まれない家庭の夫といった役柄を演じることが非常に多い。

脚注

外部リンク

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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