歴史
韓国最大の大手企業グループである
サムスングループが親会社。本拠地は、当時の
李秉喆(イ・ビョンチョル)オーナーの出身地で、サムスングループの発祥の地でもある
大邱に定め、今日に至っている。
韓国プロ野球草創期から親会社の莫大な支援をバックに強豪として君臨して、90年代中盤の一時期を除くと、これと言った低迷期もいない。現時点で、
KBOの球団としては唯一シーズン最下位の経験がない。2008年シーズン終了現在、累積勝利、Aクラス入り、ポストシーズン及び韓国シリーズ進出回数で最多を記録しており、現存及び過去に
韓国野球委員会に所属するすべての球団に対して累積対戦成績で勝ち越している。また、2008年まで12年連続ポスト・シーズン進出の記録も最長である。
しかし、韓国シリーズ及び他のポスト・シーズンでは失敗も多く、韓国シリーズで優勝は11回出場で3度、また、シリーズ初優勝も、韓国プロ野球創立メンバーの中では一番遅い2002年である。
1980年代は韓国シリーズに第1回の1982年を含む4度進出するも、当時、少数精鋭で最強戦力を誇った
ヘテ・タイダースなどに阻まれ、準優勝だけ4度。2002年まで唯一の優勝は前後期をすべて優勝して、韓国シリーズなしで達成した1985年だけであった。1986年以降、韓国シリーズが必ず開催されるようになり、1990年代まで韓国シリーズを通じての優勝にことごとく失敗した。失敗が重なるたびに、親会社の支援をバックにするフロントの現場への干渉が度を越して、普通の強豪へと成り下がり、ついに1990年代中盤は3年連続Bクラスとこの球団にとって唯一と言っていい低迷期を迎えた。マンネリの傾向から脱却のため、1990年代後半から、莫大な予算をバックに、フリーエージェント獲得、大型トレード、大物外国人獲得などあらゆる手を使ってチーム強化に成功。2002年対に悲願の韓国シリーズ優勝を達成した。
2004年は韓国シリーズに進出し、
現代と史上初となるシリーズ第9戦までもつれ込む熱闘を繰り広げたが、惜しくも敗れた。<
2004年シーズンオフには新監督に
宣銅烈を迎え、
現代ユニコーンズから強打の外野手沈正洙(2003年に53本塁打)、韓国を代表する名ショートの朴鎮万を
FAで獲得する等の大型補強を行った。<また2005年、
中日ドラゴンズから
マーチン・バルガスも移籍し公式戦優勝、韓国シリーズも4連勝で優勝し、
アジアシリーズに進出したが、決勝戦で
千葉ロッテマリーンズに敗れ、
準優勝に終わった。<
2006年シーズンは公式戦優勝、韓国シリーズでも
ハンファ・イーグルスを4勝1敗1引分で退け、2年連続の韓国シリーズ優勝を果たした。韓国シリーズ2連覇は
ヘテ・タイガース(1986年-1989年、1996年-1997年)、
現代ユニコーンズ(2003年-2004年)についで3チーム目。昨年に続き
アジアシリーズに出場したが、予選リーグ最終戦で
台湾の
La Newベアーズに逆転で敗れ予選敗退。3位に終わっている。2007年は公式戦を4位で終え、準プレーオフからポストシーズンを始めた。しかし、準プレイオフでハンファ・イーグルスに1勝2敗で敗れ、3連覇への挑戦は失敗に終わった。2008年も公式戦4位に終わったが、史上最長となる12年連続のポストシーズン進出を決め、準プレーオフでは
ロッテジャイアンツに3連勝し、
斗山ベアーズとのプレーオフに進出したが敗れた。
主な在籍選手
投手
- 1 尹盛桓(ユン・ソンファン)
- 21 呉昇桓(オ・スンファン)
- 25 裵英洙(ベ・ヨンス)
- 45 權五俊(クォン・オジュン)
- 47 權奕(クォン・ヒョク)
捕手
内野手
- 6 金在杰(キム・ジェゴル)
- 7 朴鎮萬(パク・チンマン)
- 8 朴錫珉(パク・ソンミン)
- 10 梁埈赫(ヤン・ジュンヒョク) - 2007年6月9日、韓国プロ野球史上初の通算2000本安打を達成。
- 14 申命澈(シン・ミョンチョル)
- 16 趙東贊(チョ・ドンチャン)
外野手
- 33 朴漢伊(パク・ハニ)
- 34 崔炯宇(チェ・ヒョンウ)
主な退団・引退選手
韓国人選手
- 李萬洙(イ・マンス)-現SKワイバーンズヘッドコーチ
- 李善煕(イ・ソンヒ)
- 権永浩(クォン・ヨンホ)-韓国で100セーブを記録した最初の投手
- 張孝祚(チャン・ヒョジョ)-現三星ライオンズスカウト
- 金始眞(キム・シジン)-元現代ユニコーンズ監督
- 成埈(ソン・ジュン)
- 柳仲逸(リュ・ジュンイル)
- 金相燁(キム・サンヨプ)
-
李承燁 - 現読売ジャイアンツ
-
林昌勇(イム・チャンヨン) - 現東京ヤクルトスワローズ
-
盧長震(ノ・ジャンジン)
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金杞泰(キム・キテ)- 現読売ジャイアンツ2軍打撃コーチ
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馬海泳(マ・ヘヨン)
- 金鍾勳(キム・ジョンフン)- 読売ジャイアンツでコーチ研修を受けたことあり
- 金大益(キム・デイク)
- 金翰秀(キム・ハンス)
- 田炳浩(チョン・ビョンホ)-2007年12月、第24回アジア野球選手権大会(北京五輪アジア地区予選)・日本-韓国戦で、韓国代表の先発投手となった。
-
沈正洙(シム・ジョンス)
在日韓国人、韓国系日本人及び外国人選手
勝たせ試合疑惑
三星ライオンズは韓国プロ野球初年度から親会社の莫大な支援をバックに、本拠地、大邱出身のスター選手が集まって、強力な優勝候補であった。このため、1982年、記念すべき韓国プロ野球最初の公式戦に、ソウルを本拠地とする
MBC青龍とともに出場する栄誉も獲得できた。
しかし、この開幕戦で延長11回の末、投手の李善熙(イ・ソンヒ)がMBCの李鍾道(イ・ジョンド)に逆転サヨナラ満塁ホームランを喫し、韓国プロ野球史上最初の勝利チームとして記録されるチャンスを逃した。その後、後期リーグを制覇して韓国シリーズに出場するも、前期優勝の
OBベアーズ相手に1勝3敗1分けで迎えた第6戦、李善熙がまた決勝満塁ホームランを打たれ幕を閉じる悲劇を演じ、準優勝に甘んじた。
翌年は4位に終わった後、1984年の前期リーグを制して韓国シリーズの出場を果たし、後期リーグは相手を待つ立場になっていた。この年の後期リーグは、2年前の相手のOBベアーズと
ロッテ・ジャイアンツが優勝争いをしていた。この年まで三星はOBとは2年前のシリーズ以降相性がよくなかったが、ロッテとは好相性を見せていた。
<br>後期リーグの終盤の9月21日までロッテがOBを1ゲーム差でリード。9月22日から三星はロッテとの直接対決の2連戦を前にしていたが、ここでロッテの連勝すればロッテの優勝が確定するという状況だった。<br>22日の試合で三星は初回打者一巡の6点を含めて4回まで9点を取りながら、OBが昼の試合で勝ったという速報が入ると、何の異常もない先発投手を3回で交代して無名の敗戦処理級の投手に交代。その投手が3、4回だけでヒット5本、四球5つで7失点。その後も、十分取れるフライの打球を外野手が緩慢な守備で落とし、相手走者の
洪文宗の盗塁は阻止しよう素振も見せないで三つの盗塁を許す反面、自ら出した走者は出来そうにもない盗塁を試みて5つの盗塁死を記録。最後は平凡なゴロを取っては悪送球で決勝点を献上するなどで9対11の逆転負け。この試合の三星の情けなさは初心者の目で見てもわかるほど露骨なもので、ホームチームであるロッテの大逆転勝利なのに観客席からは野次とブーイングが飛び出したという。<ref>
ライオンズ、卑劣な「勝たせ」拙戦、朝鮮日報、1984年9月23日付け参照(韓国語)</ref>
<br>さらに、その次の日の試合は、始めから主力を外して、控えの選手だけで試合に臨み、7対15の大敗で、ロッテの後期リーグ優勝を確定させた。当時最強と言われた三星の戦力に相応しくない、この2連戦の連敗は世間からは敗退行為だとひんしゅくを買った。<ref>
ライオンズ、またもやファンを愚弄、朝鮮日報、1984年9月25日付け参照(韓国語)</ref>
結局、この年の後期リーグはロッテが制し、シリーズでは第5戦まで三星が3勝2敗と王手をかけた。しかし、ここからロッテは戦力上の劣勢を覆して逆転した。この年、レギュラーシーズンで27勝を挙げたロッテのエース崔東原(チェ・ドンウォン)が第5戦で敗戦投手になって王手をかけられると、第6, 7戦を連続して登板。3試合連続登板した反面、三星は第7戦の先発
金日融(キム・イリュン、日本名:新浦寿夫)が8回表に、そこまでシリーズ通算打率1割を記録中の柳斗烈(ユ・ドゥヨル)に決勝のスリーランホームランを打たれて敗れる結末で決着した。結局、この年のシリーズはロッテの勝利で幕を閉じ、三星には楽な相手を選ぶためにわざと負け試合をしたという非難を受けた。それに加えて、シリーズ第7戦で決勝ホームランを打った柳斗烈がシリーズMVPになったため、やむを得ずシリーズで5試合登板4勝1敗を記録したロッテのエース崔東原が公式戦のMVPに選定。このため、この年、韓国で初の打撃三冠王になった李萬洙(イ・マンス)がMVP投票から落選した。なお、李萬洙以降、2006年のロッテの李大浩(イ・デホ)が三冠王になるまで22年間、韓国で打撃三冠王が出なかった。
翌年は前・後期まとめて優勝して韓国シリーズなしで優勝を決めたが、ほとんど注目されなかった。これに、韓国野球委員会は韓国シリーズの取り消しを避けるべく、制度変更を余儀なくされた。
その後も幾度も韓国シリーズに出場するも、敗退。世間はこれを「84年の勝たせ試合の呪い」と呼ぶようになっていた。
この韓国シリーズで勝てない状態は20年も続いたが、このような状況を見せた球団は、98年の頃から豊富な資金力を元に大型
フリーエージェントの収集や資金難に苦労してる他球団から金銭トレードで主軸選手の獲得など、大型補強を続け、「お金で弱小球団を釣って干し殺し、プロ野球を駄目にする」という非難を一身に背負うようになった。
しかしそのような補強でも優勝は遠く、失敗するとまた大型補強に乗り出すパターンの繰り返しで非難の声も上がってきた。それにもかかわらず、2001年はヘテ・タイガースを9度も優勝させた金応龍監督まで破格の条件で招いた。だが、公式戦では81勝52敗の1位と圧倒的な成績で韓国シリーズへ直行しながら、公式戦でたった65勝63敗5分けで準プレイオフから這い上がってきた3位の
斗山ベアーズに敗退。ここで、同監督の初のシリーズ負けを記録させた。
翌年の2002年もレギュラーシーズンは1位で韓国シリーズに直行した。この年のシリーズの相手は12年前のシリーズで三星を4連勝で一蹴して当時の丁東鎮(チョン・ドンジン)監督を解任に追い込んだ相手であったLGツインズであった。このシリーズは第4戦まで3勝1敗と王手をかけたが、第5戦を負けて、ホームで開かれた第6戦も試合終盤で逆転を許して6対9の劣勢になった。しかし、9回裏抑えに出てきた
李尚勲から
李承燁がスリーランホームランを放ち、同点に持ち込む。そして、その次の打席でリリーフに出た崔元豪(チェ・ウォンホ)から馬海泳(マ・ヘヨン)がサヨナラホームランを放って、球団は韓国プロ野球21年目で初のシリーズ優勝を遂げた。
その後は、2004年のシリーズで9戦までもつれこむ接戦の末、現代ユニコーンズに敗れたが、翌年のシリーズでは宿敵の斗山ベアーズを4勝0敗で一蹴し、2006年はワールド・ベースボール・クラシックの韓国代表の監督でもあった金寅植が率いるハンファ・イーグルスを4勝1敗1分けで退け、2年連続優勝を記録している。
参考
関連項目
外部リンク
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