||timezone=
標準時
|utc_offset=0
|timezone_DST=イギリスの夏時間
|utc_offset_DST=+1
|latd=51 |latm=30 |lats=28 |latNS=N
|longd=00 |longm=07 |longs=41 |longEW=W
|elevation_footnotes =
|elevation_m=24
|elevation_ft=79
||postal_code_type=
郵便番号
|postal_code=多様
||website=
www.london.gov.uk
|footnotes =
}}
「
シティ・オブ・ロンドン」あるいはたんに「シティ」とよばれる地域を発祥の地として大きく発展したロンドンは、
ヨーロッパにおいても有数の歴史ある都市であり、中世および近世に建設された建造物が数多く残されている。他国の多くの首都と同様に、ロンドンの首都としての地位を明示した文書は存在しない。
2007年時点での
大ロンドンの人口は755万6600人、ロンドン
都市圏では1300万人以上と、
欧州連合において最も人口が多い都市である。
地理
世界最高水準の
世界都市である英国の首都は、
イングランド南東部、
テムズ川下流部沿いに位置する。その都市圏は比較的平坦な土地に広がっており、その中心部をテムズ川が西から東に流れている。公園と緑地帯の面積は市の39%にも及び、都会でありながら緑が多い。
ロンドンの緯度は
樺太中部と同程度であるが、
西岸海洋性気候の恩恵を受けて温暖かつ適度の湿度を持った比較的暮らしやすい気候となっている。ただし一年を通して小雨や曇天がやや多い。
歴史
起源
街を建設したのはローマ人だが、それ以前にこの地域周辺には
ケルト人が居住しており、ローマによる初期の植民の跡が残されている。
61年には女王
ブーディカに率いられたケルト族がロンディニウムを襲撃し、ローマ人から都市を奪還した。現在の
シティにある遺跡からはこの争いによるものと見られる焼け焦げた木材などが出土している。その後
2世紀頃には防衛のため、テムズ川岸を除く街の三方に市街壁が巡らされた。およそ4万人の人口を擁していたシティを中心として、市内はローマとブリタニアの交易で活況を呈し、現在の
ウェストミンスター地区にあたる地域も独立した集落が形成されており、現在のフリート・ストリートおよびストランド・ストリートによって結ばれていた。しかし
4世紀からは衰退し、
5世紀初めにはローマ人は撤退。代わって
アングロ・サクソン人がこの地方を征服した。初代の
セント・ポール大聖堂は、サクソン人の司教によって
604年に建設されたとされる。
9世紀後半、
アルフレッド大王がこの地を
ウェセックスの首都とする。その後、イギリス史は空白期間が続く。
中世
急成長期
、
ロンドン大火が発生して市内の家屋のおよそ85%が焼失した。]]
16世紀に
ヘンリ8世のもと、
宗教改革が進展する中で修道院解散に伴いシティ内外で没収地の開発が進んだ。これにより、多くの人口を許容できるようになったロンドンは、当時の経済発展とあわせ急激に成長しはじめた。シティとウェストミンスター間には市街地が成長して両者は一体化し、
17世紀中期には人口50万以上、さらに半世紀後には70万人以上が居住している。
1566年、
エリザベス1世が王立取引所を開くとシティの重要性は急速に増大する。街の発展にともなって貧困層が流入し王権への抵抗勢力になることを女王は恐れ、
1580年に市門の外
3マイル以内に新しい建物をたてることを禁じる布告を出した。しかし、町の拡大を法令で阻止することが不可能なことはやがて明らかとなる。
後に再建された
セント・ポール大聖堂]]
1665年の
ペストの大流行では10万人近い人々が死んだとされる。
1666年にはシティのパン屋から出た火が市壁に囲まれた地の3分の2まで広がり、辺りを灰と化させた
ロンドン大火が起こった。これは当時、ロンドンのほとんどの建造物が木造だったこと、道路の幅が狭過ぎ、もらい火によって火の手が広まったことが、火事の規模を拡大させた理由とされる。大火が起こる4年前から
広場や
都市計画のあり方について独自に研究をしていた
クリストファー・レンは、更地となったロンドン中心部を雑然とした街から、壮大な都市として生まれ変わせる好機として都市計画を構想した。しかし、この構想は都市の整備によって土地を失うことを恐れた地主達が、利己的に家々を建造したことによって計画倒れに終わった。だが、レンは大火が起きるのを防ぐための法制度整備に努めた。
1667年の再建法では新築の建造物には石と煉瓦のみを使用するよう定められた。再建されたシティは、かつて木造建築が雑然としていた町並みとは全く異なるものとなり、市街中心部は石造に作り替えられて不燃化され、民間投資によって標準化された住居建築群が建設されて道路も拡幅された。さらに
18世紀には
セント・ジェームズ・パークからリージェンツ・パークに至る大通りが敷かれ、街路沿いに
ピクチャレスクな建物が整然と並ぶ景観が形成された。
1760年代には中世からの市壁と門も取り壊されている。
産業革命
が普及して交通量が増大した
1949年の
ピカデリー・サーカス]]
19世紀から
20世紀にかけて
産業革命を経験したロンドンはさらに発展を遂げ、19世紀初頭にかけて橋が増設され、
テムズ川南岸が発展。東部や南部には大きな工業地帯が形成され、東部のロンドン港(
ドックランズ)は世界有数の港湾となった。
1863年には世界初の
地下鉄が開業するなど、交通機関も発達して市街地はさらに拡大した。
1888年、ロンドン州の発足によってそれまで別々の町だったシティとウェストミンスターを含む現在のインナーロンドンが、はじめて行政区域としてまとまった。
19世紀にロンドンの人口は爆発的に増加し、20世紀初頭には人口が440万人を超えたが、それと同時に下水道設備の不備や貧困地域の拡大などの現代的な都市問題が深刻化した。特に大気汚染も深刻化し、石炭の煤煙による
スモッグの発生により「霧の都」と揶揄された。
この問題は20世紀以降に労働者階級の地位向上によって大きく改善されたが、今なおロンドン南部のテムズ川南岸や東部のイーストエンドなどには貧困者の多い地区が存在し、旧植民地諸国からの移民流入もあいまって問題は継続されている。20世紀になると
エベネザー・ハワードの提唱した「明日の田園都市」が世界的な反響を呼び起こし、その理論に基づいてロンドン郊外に世界初の
ニュータウンである
レッチワース(人口32000人)が建設された。
第二次世界大戦
また爆撃機による空襲が
バトル・オブ・ブリテン以後に下火になった後にも
V1飛行爆弾、
V2ロケットによる攻撃を受け大きな被害を受けた。戦後の復興は労働力不足のため一時期とどこおったが、
大ロンドン計画にもとづいて推進され、都心部に郊外区域を加えたロンドンを統括する行政府として
大ロンドン議会が設置され、
1950年代末までにほとんどが復興し、重要な歴史的建造物が修復された。
世界の金融市場へ
は
ロンドン証券取引所や
ロイズの本拠地で、世界有数の金融都市である。]]
1960年代以降イギリス経済は低迷し、それに伴いロンドンも移民層や労働者階級を中心に
失業者が増加して街は荒廃し
犯罪が増加した。
1980年代に保守党の
サッチャー政権は大幅な犠牲を払って
規制緩和や産業構造の改革、国有事業の
民営化、
ドックランズ再開発など施策を遂行した。経済は少しずつではあるが息を吹き返してゆき、国内金融機関の退場を引き換えにしてロンドンは世界有数の金融市場としての地位を確立した。
現在
の摩天楼群]]
1990年代以降には金融に加え観光や情報産業、デザイン産業なども活気を呈しており、
ドックランズの
カナリー・ワーフ以後、超高層ビルの建設が相次いでいる。荒廃したロンドンは完全に過去のものとなった。近年では地価の高騰に悩むなど往年の繁栄を取り戻している。
1980年代以降に連続して発生した
IRA暫定派による
テロは収束したが、
2005年7月7日には
イスラム過激派による
ロンドン同時爆破事件が発生している。近年増加しているイスラム系移民と従来の住民間との対立も発生するなど、国際都市特有の問題の解決に注目が集まっている。
2009年には、ヨーロッパで最も高い306mのロンドンブリッジ・タワーが完成する予定。
行政
<
ノーマン・フォスターの設計により2002年に完成]]
大ロンドンは
シティ・オブ・ロンドンと
シティ・オブ・ウェストミンスターを含む32の特別区により構成されている。大ロンドンのうち、シティおよび都心部の13区はインナーロンドン、その外縁部の19区はアウターロンドンとよばれる。大ロンドン全体を管轄する広域自治体として
1965年に
大ロンドン議会 (Greater London Council) が発足したが、
1986年に
サッチャー政権の地方行政改革により廃止。大ロンドン議会が廃止されて以来各区は「ユニタリー」と呼ばれる状態にあり、カウンティレベルの行政組織として機能していた。ところが、
ブレア政権下の住民投票によって大ロンドンは大ロンドン庁(Greater London Authority)として
2000年に復活し、大ロンドンの市長は直接選挙で選出されるようになった。初代市長
ケン・リヴィングストンはロンドンの主要な政策課題である公共の安全性の確保と交通問題に務めたが、2008年に
ボリス・ジョンソンとの選挙に敗れて、ジョンソンが2代目市長となった。シティは、中世から自治組織をもち、ロード・メイヤーとよばれる
ロンドン市長を選出してきたが、現在ではシティの「市長」は名誉職的なものになっている。
また、英国では伝統的に
大聖堂(大寺院)がある町 (Town) を都市 (City) と呼称するが、シティ・オブ・ロンドンには
セント・ポール大聖堂、シティ・オブ・ウェストミンスターには
ウェストミンスター寺院が存在する。他の大聖堂を有するサザークは16世紀からシティを名乗らず特別区を用いている。
経済
ロンドンでは地域ごとにそれぞれの業種が集中している。例えば、銀行・金融業は
シティ、行政機関は
ウェストミンスター、一流医院はハーリーストリート、紳士服のオーダーメイドはサビルロー、高級専門店はボンドストリートやオックスフォードストリートなど、教育・大学関係はブルームズベリー地区に多く存在する。工業は、サザークから東へ広がる
テムズ川南岸でおこなわれている。シティ東部の港湾地帯である
ドックランズでは荒廃からの再開発が進み、多くの銀行やマスコミなどが
カナリー・ワーフといわれる地域に移転している。
交通
道路
]]
ロンドンを縦横にはしる道路の交点においては交差点と
ラウンドアバウトの両者が存在する。郊外とは高速道路などで結ばれている。市内中心部では交通渋滞が頻繁に発生しており、
渋滞税が実施された現在でも完全には改善されていない。
市内の渋滞は酷いため、渋滞車列を横切って渡ったり、
ニューヨークほどではないが横断歩道の赤信号を無視して横断する歩行者が多い。ただし車の陰からバイクが突進してくることがあるため大変危険である。一方、横断歩道では人が立つと車は停止して横断者を通さなければならないルールが厳格に守られているので、何もないところを渡るよりは横断歩道を通る方がまだ安全であろう。
世界的にも有名な黒い車体の
ロンドンタクシーが市民の足として親しまれている。運転手となるには難関の試験を突破しなければならず、その質と運賃は非常に高い。黒い車体のタクシーは一般的にブラックキャブ (
black cab) と呼ばれている。
また無免許で合法の個人タクシーもあり、それらはミニキャブ (mini cab) と呼ばれている。市民の間ではブラックキャブよりずっと運賃が安いという理由でより一般的である。
バス
旧型の赤い二階建てバス(愛称・
ルートマスター)は2005年12月をもって廃止された。
車掌が同乗する旧型よりも
ワンマンバスのほうが効率がよいのに加えて、開けっ放しの乗降口は危険であり
身体障害者にとっても不便であったためである。旧型はロンドン中心部の観光名所を巡る観光路線でのみ利用されている。
鉄道
]]
イギリス各地とロンドンを結ぶ長距離路線のターミナル駅が方面別にいくつか存在し、南東部の通勤路線と共に鉄道網の一大拠点となっている。
かつての国鉄は解体され、官民協力体制(Public Private Partnership) のもとで委託経営がおこなわれている。線路や駅の保有・維持管理は国営会社
ネットワーク・レール社がおこない(民営化から2001年までは
レールトラック社、この会社は破綻しネットワーク・レールに引き継がれた)、各路線の列車運行は複数の民間会社が運営する
上下分離方式が採用されている。これらの民間会社は
ナショナル・レールの共通ブランドを用い、国鉄時代から使われている標章を使用しており、民営化以後も乗車券の販売などにおいて一体化された事業が提供されている。
1999年には
パディントン駅付近で列車衝突事故が発生し、さらにその直後にも再び重大事故が度重なるなど、イギリス、特にロンドンの鉄道は大きな政治課題になっている。事故が続発した大きな要因としては株主への利益還元を重視しすぎたレイル・トラックが列車運行に責任を持たず、整備をおろそかにしたためとされている。
地下鉄
]]
世界で最初に開通した地下鉄である
ロンドン地下鉄は「チューブ」と呼ばれて親しまれており、世界有数規模である12の路線網を有している。乗り場への出入りには大型エレベータを設置していることが多いが、一部施設は
エスカレーターが木製であるなど老朽化が見られ、1987年11月に
キングズクロス駅で発生した
火災では31人の犠牲者を出した。2005年7月には
ロンドン同時爆破事件が発生し地下鉄乗客に被害が出た。地下鉄に類似した輸送機関としては
新交通システムである
ドックランズ・ライト・レイルウェイや、ロンドン都心の地下を南北に貫通する英国鉄道の
テムズリンクが存在する。2007年10月にはロンドンを東西に貫通するクロスレールの建設が決定され、2017年の開通が計画されている。なお、普通運賃で乗ると初乗り料金が4ポンド(約560円)と非常に高いため、トラベルカードと呼ばれる一日乗車券などの各種割引制度や割引運賃が適用される
オイスターカードを利用する人が多い。
空港
ロンドン付近には6つの空港が存在する。そのうちガトウィック空港、スタンステッド空港、ルートン空港は大ロンドン地域の外に設けられている。ロンドンにおける主要空港は
ロンドン・ヒースロー空港でありヨーロッパ有数の
ハブ空港として機能している。ガトウィック空港とスタンステッド空港とロンドン・ルートン空港とロンドンシティ空港も同様に国際空港であり年間2000から3000万人の利用者がある。6つ目のLondon Biggin Hill空港は商用ジェット機の発着が主である。
観光
。
国会議事堂として使われている。]]
]]
による交代儀式]]
]]
]]
美術館・博物館
]]
]]
文化
市内には200の美術館、500の映画館、100の音楽ホールを擁しており、世界有数の国際文化都市である。
音楽
クラシック音楽のみならず、ロックやテクノに至まで、20世紀以降の
音楽史における貢献度、多様性、革新性、人気のいずれも高い水準にある。クラシックにおいては世界的に有名なオーケストラが複数存在している。
]]
芸術
]]
長年イギリス美術は、イタリア美術やフランス美術など欧州の美術の周縁にありその後塵を拝してきた。しかし
ターナーらや
ラファエル前派など優れた画家や独自の美術運動も登場し、デザイン分野では美術と工芸の間の壁を取り払おうとする
美術工芸運動が各国の近代デザインの運動に大きな影響を与えた。優れた
工業デザインも生み出している。
戦後はアメリカの影響を受け、流行・デザインなどの分野では
1960年代以降、ポップ音楽の隆盛と同時に
対抗文化に影響を受けた斬新な作品が多数生まれ、「スウィンギング・ロンドン」は世界中の若者の心を掴んだ。以来ロンドンは継続して若者文化の世界的中心地となっている。
数人の優れた作家がいるほかはあまり冴えなかった美術や映画の分野でも、
1990年代以降若い世代の美術家・映画監督が多数生まれ「
クール・ブリタニア」と呼ばれる活況を呈している。
演劇
シェイクスピアから
ミュージカル、前衛演劇まで各種演劇が盛んに行われており、それらのためのロンドンには
ウェスト・エンドを中心に数多くの劇場が存在する。近年では往年の映画やポップ・ミュージック、ロックの名作・名曲を素材にした作品に人気が集まっている。
スポーツ
フットボール
モータースポーツ
姉妹都市・提携都市
脚注
関連項目
外部リンク
- 公式
- 日本政府
- 観光
*
ろんとん
ろんとん
ろんとん