エーリヒ・ルーデンドルフ [Erich Ludendorff] [被リンク数: 15]

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エーリヒ・フリートリヒ・ヴィルヘルム・ルーデンドルフErich Friedrich Wilhelm Ludendorff, 1865年4月9日 - 1937年12月20日 トゥッツィング Tutzing)は、ドイツの軍人。第一次世界大戦におけるドイツ陸軍の有名な将軍

略歴

ルーデンドルフはプロイセン王国が1793年から1919年まで統治したポーゼン州のシュヴェルゼンツ近くの村 (Kruszewnia) に生まれた。現在この地はポーランド領である。彼自身はユンカーではなかったが、母親クラーラ・フォン・テンペルホーフは有名なユンカー一家の出身であった。
18歳で陸軍に入隊し、1894年参謀本部入り。1908年にフランス攻撃計画シェリーフェン・プランのための作戦部(Militärische Plannungsabteilung)を率いる。
第一次世界大戦の開戦時は西部戦線のドイツ第2軍の参謀次長だったが、戦功が認められてパウル・フォン・ヒンデンブルクに抜擢され、東部戦線の指揮を任される。ルーデンドルフはマックス・ホフマンの計画もあってタンネンベルクの戦いで大勝するなど、一連の戦功を挙げることに成功する。1916年8月に参謀次長に就任し、ヒンデンブルクと共にドイツ軍の全権を握るが、無制限潜水艦作戦によってアメリカ合衆国の参戦を招いた。その後レーニンを支援して東部戦線で成功を収めたものの、結果としてドイツは第一次世界大戦に敗れている。
退役後は専ら政治活動に熱中し、1923年ナチスが起こしたミュンヘン一揆に参加して検挙されるも無罪となり、1924年にはナチスから国会議員に立候補し当選した。しかし1925年大統領選挙では惨敗、その後ヒトラーと意見が合わなくなり、ナチスから離れて、独自の考えによる著述・著作活動を始める。世界中で起こっている様々な問題をキリスト教徒ユダヤ人フリーメーソンに因るものとする陰謀論を著作で主張した。1935年ヒトラーによって陸軍元帥に列するとの申し出があったが、この頃のルーデンドルフはヒトラーを内心で敵視・危険視しており拒絶。またヒンデンブルグがヒトラーを首相に任命した時には「あなたは偉大な祖国を最悪な扇動者に渡してしまった。この男は我がドイツに不幸な災いをもたらすだろう」と激しく糾弾する手紙を送っている。1937年に没したが、その葬儀は国葬として執り行われた。
代表的な著作に「国家総力戦」(1935)がある。日本では石原莞爾がルーデンドルフを深く研究するなど、ドイツに留学・駐在を経験した武官を中心に昭和期の日本陸軍に大きな影響を与えた。そういう意味で、第二次大戦期の日本の軍国主義は、同盟国のナチスおよびその元首ヒトラーよりも、思想面では彼によるところが大きかったと言える。

研究書

清水多吉・石津朋之編『クラウゼヴィッツと「戦争論」』彩流社、2008年。
ルーデンドルフの戦略論についての言及を含む最新研究。軍事史研究家の小堤盾がゼークト、ルーデンドルフ、ベックの軍事戦略思想について詳しく言及している。

関連事項

外部リンク

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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