略歴
ルーデンドルフは
プロイセン王国が1793年から1919年まで統治した
ポーゼン州のシュヴェルゼンツ近くの村
(Kruszewnia) に生まれた。現在この地はポーランド領である。彼自身は
ユンカーではなかったが、母親クラーラ・フォン・テンペルホーフは有名なユンカー一家の出身であった。
退役後は専ら政治活動に熱中し、
1923年に
ナチスが起こした
ミュンヘン一揆に参加して検挙されるも無罪となり、
1924年にはナチスから
国会議員に立候補し当選した。しかし
1925年の
大統領選挙では惨敗、その後ヒトラーと意見が合わなくなり、ナチスから離れて、独自の考えによる著述・著作活動を始める。世界中で起こっている様々な問題を
キリスト教徒・
ユダヤ人と
フリーメーソンに因るものとする
陰謀論を著作で主張した。
1935年に
ヒトラーによって陸軍
元帥に列するとの申し出があったが、この頃のルーデンドルフはヒトラーを内心で敵視・危険視しており拒絶。またヒンデンブルグがヒトラーを首相に任命した時には「
あなたは偉大な祖国を最悪な扇動者に渡してしまった。この男は我がドイツに不幸な災いをもたらすだろう」と激しく糾弾する手紙を送っている。1937年に没したが、その葬儀は
国葬として執り行われた。
代表的な著作に「国家総力戦」(1935)がある。日本では
石原莞爾がルーデンドルフを深く研究するなど、ドイツに留学・駐在を経験した武官を中心に昭和期の日本陸軍に大きな影響を与えた。そういう意味で、第二次大戦期の日本の
軍国主義は、同盟国のナチスおよびその元首ヒトラーよりも、思想面では彼によるところが大きかったと言える。
研究書
清水多吉・石津朋之編『クラウゼヴィッツと「戦争論」』彩流社、2008年。
ルーデンドルフの戦略論についての言及を含む最新研究。軍事史研究家の小堤盾がゼークト、ルーデンドルフ、ベックの軍事戦略思想について詳しく言及している。
関連事項
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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