ルキウス・コルネリウス・スッラ [Lucius Cornelius Sulla] [被リンク数: 41]

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ルキウス・コルネリウス・スッラ・フェリクスLucius Cornelius Sulla Felix, 紀元前138年 - 紀元前78年)は、古代ローマの将軍であり政治家。単にスッラと呼ばれることが多いが、「ll」を無視してスラと表記されることも多い。
スッラは二度ローマへ自らの軍を率いて侵入し、最終的に独裁官(ディクタトル)に就任、領土を拡大したローマを治める寡頭政政府としての機能を失いかけていた元老院体制の改革を行った。しかしこの改革は強力な独裁官の権限をもって反対勢力を一網打尽に粛清するという方法も含んでいたために多くの血が流れる事となった。また彼の施した改革のほとんども彼の死後その効力を失うようになる。

略歴

マリウスとの対立

ガイウス・マリウスの下でユグルタ戦争を戦い、のちにキンブリ人とも戦い閥族派(オプティマテス)の巨頭となる。同盟市戦争でも顕著な戦績を挙げ、紀元前88年執政官(コンスル)としてミトリダテス戦争の軍指揮権を与えられたが、これを快く思わないマリウスは護民官スルピキウスと組んでスッラから指揮権を奪い取った。これを聞いたスッラはここで今までローマの執政官が一度もやったことのないことを実行する。与えられた軍勢を率いてローマに攻め上ったのだ。まさか執政官が首都を攻めると思っていなかったマリウスらはあっさり敗北、マリウスはローマから脱出しスルピキウスは殺された。当時はまだローマに常駐する軍団は存在しなかったので町は文字通り「無防備」だったのだ。
マリウスを追い出し、ローマを制圧したスッラはマリウスら民衆派(ポプラレス)を国賊とし、護民官スルピキウスが可決させていたスルピキウス法を無効とした。そして後事を新たに執政官となったルキウス・コルネリウス・キンナとグナエウス・オクタウィウスに託してギリシアまで攻め込んできていたミトリダテスの軍を討つためにローマを発った。そのほぼ直後、キンナが閥族派の仮面を捨て民衆派支持を明らかにする。民衆派復権に尽くすキンナだったが同僚のオクタウィウスに阻まれ、武力衝突の結果キンナはローマから追い出されてしまう。そこへ兵を率いたマリウスが帰還し、首都ローマは再度民衆派の手に落ちた。首都を制圧したマリウスはスッラ派の要人達のみならず自分の「追放に反対しなかった」と言う理由で元老院議員達や騎士階級の人々までもを血祭りに上げた。犠牲者の中にはガイウス・ユリウス・カエサルの叔父でありマリウスにとっても親戚にあたるルキウス・ユリウス・カエサルも入っていたとされる。

マリウス死後

スッラ派を壊滅させて7度目の執政官に就任したマリウスはその直後に死亡。新たに民衆派の指導者となったキンナは事実上の独裁制を敷き、ミトリダテス征伐のため「正規軍」を同僚のフラックスに託して派遣。スッラはミトリダテス勢力と「正規軍」の両者の敵に挟まれる窮地に陥るが、ミトリダテスの軍勢に対して2度に渡り圧勝。ミトリダテスはスッラの恫喝により講和に応じ、キンナが派遣した「正規軍」はスッラの策謀により戦わずしてスッラの軍勢に吸収されてしまう。これに危機感を覚えたキンナはスッラ討伐のための軍団を招集するが、その過程で事故死してしまう。スッラは妨害されることなくイタリアへ上陸するがそこからローマに進軍するのに2年もかかってしまった。報復を恐れた民衆派が必死になって抵抗したからである。
マリウスとキンナに死なれた後の民衆派はマリウスの息子やその年の執政官2人を旗手としてスッラに対抗するが所詮は敵ではなく最終的には敗れている。指揮官クラスならクィントゥス・セルトリウスのような人材もいたのだが総指揮官としてスッラに対抗できるほどの手腕の持ち主がいなかったのである。マリウスの息子やレピドゥスらは敗死し、セルトリウスはスペインに逃げて抵抗を続けた。ローマを奪還したスッラは任期が無期限の終身独裁官(ディクタトール・ペルペトゥア)に就任。元老院の権力を強化し、軍制を改める改革を断行した。

民衆派粛清

また、民衆派が恐れていたように首都を掌握したスッラは敵対した民衆派の粛清を行った。これはただの報復ではなく民衆派自体を物理的に消し去るために行われた粛清であり、そのためマリウスが行った虐殺よりさらに広範囲の人物が処罰、もしくは処刑された。スッラはプロスクリプティオ‎に基づいて名簿を作成し、懸賞金つきの密告制度を採用する事によって処罰者の一掃を徹底させようとした。その数は300人余の元老院議員のうち100人、エクィテス(騎士階級)1600人など大量虐殺であり、その生首がローマに並べられたという。その処罰者名簿には若き日のカエサルの名も連ねられていた。ただ、カエサルは名門ユリウス家の唯一の男子であり、カエサルを殺してしまうとユリウス家が断絶してしまうこと、当時まだ18歳に過ぎず、なんら政治に関わっていないことを理由に、周辺から助命の嘆願が相次ぎ、スッラは処罰者名簿からしぶしぶはずした。その時はスッラは周辺に「君たちにはわからないのかね。あの若者の中には100人のマリウスがいるということを」と言ったと伝えられる。カエサルの非凡さを最初に見抜いたのは皮肉にも政敵スッラだったのである。カエサルには民衆派指導者だったキンナの娘との離婚を条件に処罰対象から外す旨の条件が示されるが、カエサルはこれを拒否、小アジアへ逃亡する。結局カエサルはスッラが死ぬまでローマには戻れなかった。
一連の改革を終えたスッラは無期限の独裁官を辞任することを突如発表。引退後は政界との関わりを絶ち、ローマから離れた別荘にて余生を送る。

人柄と功罪

公生活においては冷酷で現実主義的な政治家であり将軍であったが、私生活では陽気で喜劇と冗談を好んだ人物であった。
自らを幸運な人(フェリクス、Felix)と称しこれを添え名として用いた。しかしこの名前とその粛清によって多くの「不運な」犠牲者を作った事実との対比から、スッラの死後「一人だけ幸福な」などと揶揄されることが多かった。ちなみに彼が自分の墓碑に刻ませた言葉は「味方にとっては、スッラ以上に良きことした者はなく、敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」だったと伝えられる。
スッラはローマの元老院主導の共和政ローマを堅持する事に身命を注いだ。キンナが民衆派を基盤として1人の人間に権力が集中する独裁体制を敷いたのを憎悪し、同様の事が二度と起きないように民衆派を徹底弾圧して、共和制維持のために元老院の権限を強化した。だが、共和制を維持するために独裁制による改革が必要だというのは、共和制が限界に来ていた事を意味する。指導者として卓越した力量を持っていたスッラだが、現実の問題点を見徹して未来への指針を示すことは出来なかった。結局の所、スッラが守ろうとした元老院主導の共和制はその門下ポンペイウスの台頭によって瓦解が進み、スッラが非凡と見抜いたカエサルがスッラの先例による終身独裁官に就任したことにより終焉し、帝政(元首政)へ移行していくのである。
すつら ふえりつくす るきうす
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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