ユニクロ [UNIQLO] [被リンク数: 207]

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株式会社ユニクロは、「UNIQLO(ユニクロ)」の店・ブランド名で実用(カジュアル)衣料品の生産販売を一括して展開する日本会社である。
本社は山口県山口市大字佐山717-1。東京本部は東京都千代田区九段北 1-13-12 北の丸スクエア。持株会社である株式会社ファーストリテイリング東京証券取引所第一部に上場している。

沿革

開店

1984年6月、それまで山口県宇部市で「メンズショップOS」(1992年4月までに全店閉店またはユニクロに改装)の名称で男性向け衣料品を取り扱っていた小郡商事が、広島市中区袋町ユニセックスカジュアル衣料品店「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)を開いたのが始まり。この1号店は現在は無いが、中区袋町近くのショッピングモール、サンモールに広島サンモール店がある。
ユニクロの呼称はこの店舗名の略称が元になっているが、当初略称の英文綴りはそのまま「UNI-CLO」であった。1988年香港に現地法人を設立した際、会社登記の書類に略称の「UNI-CLO」を書き間違えて「UNI-QLO」と記入して登録してしまったことがきっかけで、そのまま英文綴りを「UNI-QLO」に変更した商標が採用されることとなった。
広島への開店当初は小林克也を起用し広島ローカルでCMを打った。開店以来一貫してワインレッドをシンボルカラーとした白抜きのロゴタイプを用いているが、かつては、これと別に手をつないだ男女のシルエットをモチーフとしたシンボルマークが存在した。1991年9月、社名をファーストリテイリングに変更。
かつて関東進出の際に、いわゆる「大阪のオカン」キャラをメインに「安くて良いもの」をアピールしたものの、関東では逆に「ユニクロ=安物」のイメージが定着してしまい、広告戦略上最大級の失敗を経た上で、近年のブランドイメージ回復まで相当の年月、費用をついやし名実共に現在におけるブランドイメージ構築に到った。

利益拡大と海外進出

元々はナショナルブランド衣料品の小売店であった。アメリカンスタイルの倉庫風の建物内にクラシックな映画ポスターや有名スターのポートレイトを展示した特徴的な店舗を全国に展開し、またいち早く中国に優良な工場を持ち低価格で調達するモデルを構築。その点ではメジャーになる前から業界筋の間で知られていた。
1997年頃からアメリカの衣料品小売店であるGAP(ギャップ)をモデルとした製造型小売業(SPA)への事業転換を進め、経済の状況にマッチした低価格・高品質商品の展開、また広告代理店と提携、クリエイティブディレクターにタナカノリユキを招き、明確なメッセージを発信したことが奏功して、2001年8月期には売上、経常利益ともピークに達し、余勢を駆って英国への進出も行われた。

業績の低迷、買収による業績回復

2002年頃から、日本では在庫が急増、英国での業績も振るわず、2002年、2003年8月期と利益が大きく落ちこむ。その後、「theory(セオリー)」「ナショナルスタンダード」といった国内外のブランドの買収、ファッション雑誌との共同企画(コラボレーション)商品の開発、藤原紀香など有名タレントの起用、外部デザイナーなどとの提携などのテコ入れが行われて2004年度には業績が上向いた(現在、ロンドン支店の業績は黒字に転じている)。東アジアでは、2002年9月に中国上海市に出店し、2005年9月には香港に、そしてロッテとの合弁韓国ソウル市にも出店した。また、2005年、靴のマルトミ(ワンゾーン)を三菱商事などから買収した。
また、1998年長野オリンピックを始め、2002年ソルトレイクシティオリンピック、2004年のアテネオリンピックと、オリンピックの開会式や移動用の日本代表公式ユニフォームの提供、サッカーJ2ザスパ草津にも2003年から2005年までユニフォーム提供を行った。このように企業主体のボランティア活動を推進している。
2005年には、雑誌「relax」(マガジンハウス)との共同で、東京・北青山に期間限定の「セレクロ」(セレクトショップあるいはセレブの位置付け)が開設された。また、大阪心斎橋に平均価格帯を引き上げた「ユニクロプラス」も開店したが、その後プラスの名称をはずし、現在は銀座店を中心に7店舗の大型店を運営。2006年11月にはニューヨークソーホーに世界旗艦店を出店する他、上海にもアジア旗艦店を出店し世界進出を加速する。
2005年11月に、ファーストリテイリングは衣料品の製造・小売に関する営業を会社分割(吸収分割)によりゴルフ練習場を経営していた完全子会社のサンロード株式会社(当社)に承継させ持株会社制に移行した。同日、サンロードは社名をユニクロに変更した。
2006年現在、以前にも増してブランド広報としてのCM戦略に注力しているとのことであるが、実際に昨年までに比してCM頻度が高くなっている。2006年9月期からは「UNIQLO miX」と題して世界各国の著名デザイナーを招いたコラボレーション、「デザイナーズインビテーションプロジェクト」で注目を集めている。

現在の展開状況

2007年現在、日本国内で約750店舗、海外で約40店舗を展開する(海外店舗は現地法人による運営)。日本国内では郊外型店舗やビルテナントとしての出店の他、1000坪クラスの超大型店舗やユニクロを核としたショッピングセンター「ミーナ」などを展開している。
2006年現在、日本以外のユニクロ店舗は香港を除きほとんど赤字である。米国での戦略を練り直し巨大店舗をニューヨークのソーホーに2006年11月10日オープンさせている。
2007年4月28日ユニクロ原宿店を改装し、T-シャツ専門店「UT STORE HARAJUKU.」を新たにオープンさせた。
2007年12月14日フランス初進出となるユニクロの第1号店がオープン。この店舗は、ユニクロのブランドメッセージを伝える「コンセプトショップ」としての位置付けであり、2009年秋オープン予定のパリグローバル旗艦店に向けフランスに出店した。

歴史

1940~1980年代

柳井がGAPなどを視察し、カジュアルウェア専門店チェーンの展開を決意した。
  • 1949年3月 - 山口県宇部市にて「メンズショップ小郡商事」を個人営業にて創業
  • 1963年5月 - 法人化し、小郡商事株式会社設立。
  • 1984年6月 - ユニクロ第1号店を広島市中区に出店
  • 1984年9月 - 柳井正が代表取締役社長に就任

1990年代

生産基地・中国の工場管理を強化し、SPA化を進めた。300店舗到達を機に多角化に着手したが、失敗。本業でも既存店の売上げ低迷が続いた。
  • 1991年9月 - 行動指針を表象するため、商号を小郡商事株式会社から、株式会社ファーストリテイリングに変更
  • 1992年4月 - 直営店舗数が50店舗を超える(直営店53店舗、フランチャイズ店7店舗)
  • 1994年4月 - 直営店舗数が100店舗を超える(直営店109店舗、フランチャイズ店7店舗)
  • 1995年3月 - 直営店舗数が150店舗を超える
  • 1996年3月 - 直営店舗数が200店舗を超える(直営店205店舗、フランチャイズ店10店舗)
  • 1997年4月 - 東京証券取引所第2部に株式上場
  • 1997年11月 - 直営店舗数が300店舗を超える(直営店305店舗、フランチャイズ店11店舗)
  • 1998年11月 - 東京初の都心型店舗を東京都渋谷区に出店(ユニクロ原宿店・現ユーティー ストア ハラジュク)
  • 1998年12月 フリースを200万着販売

2000年頃~

従来のパターンを止め、グローバル企業の経営方式を採用した。経営陣の若がえりを図り、単品をベースにしたマーチャンダイジングと現代的なマーケティングを展開することによって大量生産・販売の高収益体制を構築した。
  • 1999年2月 - 東京証券取引市場第1部銘柄に指定
  • 1999年4月 - SS(スーパースター)店長制度を発足
  • 1999年7月 - アメリカの広告代理店、ワイデン&ケネディー社と提携し、ブランド構築を開始
  • 1999年9月 - 新たな販売チャンネル開拓のため、カタログによる通信販売業務の試験的運用を実施
  • 1999年11月 - 1900円フリースを800万着販売
  • 2000年4月 - 直営店舗数が400店舗を超える(直営店417店舗、フランチャイズ店12店舗)
  • 2000年6月 - 海外におけるユニクロ展開の布石として、イギリスに子会社を設立
  • 2000年10月 - インターネット通信販売を開始
  • 2000年12月 - 東日本旅客鉄道及び東日本キヨスク(現JR東日本リテールネット)との業務提携により新小型店舗第1号店ユニクロキヨスク新宿南口店をオープン
  • 2001年4月 - JOC(財団法人日本オリンピック委員会)オフィシャルパートナーシップに合意
  • 2001年4月 - 直営店舗数が500店舗を超える(直営店503店舗、フランチャイズ店12店舗)
  • 2001年8月 - ユニフォーム・チームウェア事業を開始
  • 2001年9月 - 日本国外初の出店となるイギリスユニクロ店4店舗をオープン
  • 2002年4月 - デザイン機能強化のため、ユニクロデザイン研究室を東京都港区青山に設立。デザインに特化した独立組織で、元イッセイミヤケ社長の多田裕を室長に起用
  • 2002年8月 - インターネット店、モバイル店で特別サイズの商品の販売を開始
  • 2002年11月 - 社長交代し集団指導体制へ。柳井が代表取締役会長兼CEO

商品の展開・背景・影響・品質等

基本的には過度に個性のないデザインの商品が多い。SPA(製造小売業)への転換後、良品質のカジュアル衣料を低価格で提供する路線を進めてきた事もあり、衣料品としての完成度は高く評価されている部分がある。1900円のフリースや2900円のジーンズなどが、価格破壊の象徴としてマスメディアなどにも紹介されて爆発的にヒットしたが、あまりに大量に売れ着用している人が多かったため、ユニクロの衣料を着用しているのが判明してしまう「ユニバレ」と呼ばれる現象が広がり、ユニクロ服を着ていると「ダサい」「恥ずかしい」との印象が広がり、経営悪化の原因となった。
2004年頃から、ユニセックスや「お手頃価格」路線は堅持しつつもある程度の脱却を図り、外部と組んだメッセージ性を持つ共同企画商品の開発(特にレディース物)や、買収したブランドのノウハウ移入、乳幼児向け商品の開発も行っている。
デザイナーの間でも品質の高さについて一定の評価を得ており、2006年8月から世界各国の著名デザイナーとのコラボレーションにより「デザイナーズインビテーションプロジェクト」を立ち上げ、通常数万円もするようなデザイン性の高い商品を1万円未満の低価格で販売している。ジーンズもリング製法を使ったものなどを出している。
過去に柳井氏自身が「ユニクロは国民服」(「多くの国民に品質の良い物を安く提供したい」との意図)等、衣服としてファッション性を軽視していると採られかねない誤解を生むような発言を行ったこともあったが、ニューヨーク旗艦店を立ち上げるにあたり、ベーシックな商品を大量に販売するスタンスは維持しつつ、ファッション性を強めた商品を提案し、接客を重視する方向性に転換しつつある。

障害者の雇用

ユニクロで特筆されるものとして、障害者身体障害者知的障害者)の積極的な雇用が挙げられる。
聴覚障害者の勤務する沖縄県那覇市の店舗でのサービス向上事例をきっかけに、企業の社会的責任(CSR)も兼ね、2001年頃から各店舗に最低1人の障害者を雇用する方針が打ち出された。その結果、2004年以降、障害者雇用促進法による民間企業の法定雇用率1.8%をはるかに超える、7%台の障害者雇用率を誇っている。これは、従業員5000人以上の企業では突出した高率である(2006年を対象に厚生労働省が行った調査では、従業員5000人以上の民間企業でトップ(7.42%)。2位は日本マクドナルドの2.94%、3位はしまむらの2.83%)。
勤務する障害者は、知的障害者が多く、バックヤードでの納入された商品のチェックや分別、品出し作業や、開店前や閉店後の店内の清掃などの作業に従事していることがほとんどのため、一般の来店客には存在が目につかないことが多い。聴覚や視覚肢体などの障害を持つ人も、健常者に混じって勤務している。

主な役員

広告・CMに出演した有名人

その他

2003年に矢沢永吉が出演し、日本武道館で撮影したCMが、靴を履いたままシートもなしに床を歩いていたことから、武道関係者から「神聖なる床の上を土足で歩くというのはいかがなものか」という抗議がユニクロに多数寄せられた。同広報部は「迂闊だった」との声明を発表している。また撮影に場所を提供した日本武道館にも同様の抗議が相次いだが、それにまつわる広告代理店や日本武道館の声明はないまま、自然収束している。

脚注

関連項目

  • 高田賢三 - 2004年のアテネオリンピックの開会式や移動用の日本代表公式ユニフォームのデザイナー
  • 早田俊幸 - マラソンランナー、かつてユニクロ広島庚午店に在籍。
  • 熊木杏里 - 2007年のCMソング「朝日の誓い」(Wide Leg)「ひみつ」(ヒートテックインナー)を担当。
  • 考える人 - ユニクロの協力で創刊された雑誌であり、入っている広告のほとんどが同社のものである。ユニクロを題材にした記事も毎号必ず掲載される。

外部リンク

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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