Honda FC(
ホンダエフシー)は、
静岡県浜松市中区に本拠を置く社会人
サッカークラブである。
正式名称は本田技研工業株式会社フットボールクラブで、「Honda FC」は略称及び呼称である。なお、略称及び呼称自体の表記について、大半のメディアからチームを紹介される際は「Honda」の部分をカタカナにした「ホンダFC」表記であり、国内サッカーファンの間でも「ホンダFC」表記がほぼ浸透している様子である。
概要
ホームタウンは静岡県浜松市。ホームスタジアムは同市
北区にある
ホンダ都田サッカー場で、小さいながらもクラブ自身が所有する自前のスタジアムである。育成システムも
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のクラブに引けを取らない物を所有している。
過去に2度Jリーグクラブ化の構想があったが、いずれも実現していない。1999年の
日本フットボールリーグ (JFL) への参入以来、優勝2回・2位5回とアマチュアクラブとして上位での安定した成績を残しており、このためしばしば「
Jへの門番」と目されることがある。また、現在において、日本国内におけるサッカー関連のメディアからは、リーグ内における実績・実力から「
JFLの雄」とも示されている。
歴史
本田技研工業 時代 (1971年-2001年)
90年代初頭、国内のトップカテゴリがJSLからJリーグへ移行する際、本拠地である浜松市内に第一種の競技場がなく、行政の協力も期待できなかったことから、誘致要請のあった
埼玉県浦和市(現・
さいたま市)に本拠地を移転し、
浦和ホンダウィンズとしてJリーグへ参加することが検討された。しかし、チーム関係者の間では「浜松を本拠にJリーグへ参戦したい」とする意向が根強く、結論が出ないまま91年にJリーグへの初年度参加見送りを発表した。当時は国内経済の悪化から本田技研本社はカーレース
F1からの撤退を表明していたため、サッカー部のプロ化見送りに関しても、F1同様に「本業主義のため」という論理付けがされた。
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リーグカテゴリー再編~ジャパンフットボールリーグ時代
その後、本田技研はJリーグ創設によるカテゴリ再編により92年から
ジャパンフットボールリーグ(以下、旧JFL)1部に参加した。しかし、先述の通り、レギュラーの大半を失ったチームは10チーム中9位に低迷し、翌
1993年は同2部に降格したが、同年では2部優勝を果たす。翌
1994年には、旧JFLが16チームによる1部制に再編され、それを契機に現場サイドでJリーグ参戦へ向けた3年構想がスタートした。これにより、前年にJリーグへ参戦した
ジュビロ磐田から戦力外通告を受けたバウテルや
東川昌典らを補強し、翌
1995年には
柏レイソルから戦力外通告された
呂比須ワグナーらを補強した。
これを受け、翌97年には自社所有の都田サッカー場に50億円を投じ、自前のスタジアムを建設することで懸案だったスタジアム問題を解決する見込みを立て、
浜松F.CとしてJリーグ準会員チームとなった。この時、本田技研本社は浜松F.Cの株式約6割を引き受けて筆頭株主となったほか、
ダイドードリンコなど著名な企業が大口スポンサーとして名を連ねた。
しかし当時は史上最悪の製造不況および通貨危機前夜の時期であったため、産業都市である地元・浜松市内では地元紙などの影響から本田技研のJリーグ参戦に対し否定的な見方が支配的であった。故に浜松F.Cの経営陣は大きく動揺し、最終的に「時期が悪い」との判断に達したことから一連の構想を白紙撤回した。その後、本田技研本社の方針もあり、プロ契約選手を減らし、選手全員が本田技研の社員として社業にも従事する、いわゆる「完全なアマチュアチーム」へと、徐々に移行し始めた。
1999年、旧JFLに所属するチームの多くは新たに創設されたJリーグ2部に参戦したが、プロ化を断念して「完全なアマチュアチーム」へ移行し始めてから間もない本田技研は同2部には参加せず、新たに再編されたJFL、日本フットボールリーグに所属した。最初の2年間はチームの動揺が尾を引いて
横浜FCの連覇に屈したが、横浜FCがJリーグ加盟で抜けた2001年度のリーグでは優勝した。同年、本田技研本社は、2002年以降から選手とのプロ契約を行わなず、社員選手だけでチームを存続させることを決定し、「完全なアマチュアチーム」への移行が完了した形となった。
Honda FC 時代 (2002年-)
チーム名を「本田技研工業株式会社フットボールクラブ」(略称及び呼称「Honda FC」)と改名した
2002年も優勝し、前身時代も含めて現在のJFLになってから横浜FCに続いてリーグ2連覇を達成した。以後も毎年上位につける実力を有する他、年末の
天皇杯では、たびたびJリーグチームを脅かし、時には勝利することもあることもある。
このように、2002年以降から今日に至るまで社員選手だけで構成されておりながら、Jリーグの関係者からも“Jリーグチームにも匹敵する”などと言わしめていることもあり、いつしか「Jへの門番」という新たな異名で呼ばれ、恐れられるようになった。
一方で、所属選手がプロ選手としてJリーグに挑戦する際には快く送り出す方針も維持してきた。その主な例として、2004年には前年のJFL得点王だったFWの
古橋達弥をシーズン途中で
セレッソ大阪に移籍したことが挙げられる。また、
ヴァンフォーレ甲府へは2005年に監督だった
安間貴義がコーチとして移籍し、2006年にはMFの
宇留野純も同チームへ移籍した。
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「静岡県代表」として~第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会
2007年に行われた第87回の天皇杯では、リーグの前期で1位になれずにシード権を獲得できなかったため、天皇杯が現在の形式になってから初めて県代表を決めるための予選に参加し、天皇杯への出場を獲得。その後、大会ではJリーグチームを3つ破って前身時代以来16年振りの準々決勝(ベスト8)進出を果たし、監督も含めて全員がアマチュア登録ということもあって話題となった。
下部組織
下部組織出身の選手を以下に挙げる。
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松浦拓弥 - Honda FC U-15 → 浜名高等学校 → ジュビロ磐田
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小栗巧 - Honda FC U-15 → Honda FC U-18 → Honda FC
- 深谷泰介 - Honda FC U-18 → Honda FC
戦績
エピソード
歴代監督
- 保崎昌訓 1971-1972
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桑原勝義 1973-1982
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宮本征勝 1983-1990
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今井雅隆 1990-1992
- 大澤隆 1993-1995
- 福島廣樹 1996
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長澤和明 1997
- 設楽光永 1998-1999
- 大橋昭好 2000-2001
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安間貴義 2002-2004
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吉澤英生 2005-2006
- 石橋眞和 2007-
出身者
ユニフォームサプライヤー
脚注
関連項目
外部リンク
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