その他、50㏄~500㏄のモーターサイクルを欧州市場にて、製造販売している。また19世紀末より1980年代まで自転車を製造しており、プジョーの自転車は通算10回、
ツール・ド・フランスの総合優勝者の使用機材となっている。
後ろ足で立ち上がる
ライオンを象った企業
ロゴ(ベルフォールのライオン)を採用している。
歴史
アルマン・プジョーが創設し、甥のロベールの経営によって発展した。元来は冷間製鉄から始まり歯車や骨組の製造を生業とする会社であり(
鯨の骨からポンパドール・スカートの骨を作ったりもしていた)、現在でもペッパーミル(胡椒挽き)等様々な製品を生産している。これらは
日本にも輸入・販売されている。また1882年、自転車のLE FRANCAISの製造販売を開始し、同年の最初の大型
自転車Grand Biなどの製品によって、自転車メーカーとしても知られる。
ロベールの時代、201から乗用車のみ"x0x" という真ん中にゼロを入れる三桁の数字を車名とする伝統が続いており、
ポルシェが
911(901→911)と名乗ることとなった理由ともなったが、
2004年発表の
1007はプジョーで初めて四桁の数字の車名となった。
世界で最初(
1886年)にガソリン自動車を発明したのはベンツ社(現在の
ダイムラー)であるが、世界で最初(
1891年)にオーダーメイドではなく、定型車種として自動車を4台「量産」したのはプジョーである。
日本での販売
日本には1950年代以来
新東洋企業、
西武自動車販売によって輸入されてきたが、輸入車=高級車・高性能車・個性派のいずれかであることを求められる日本市場では、
シトロエンにも遠く及ばない販売実績に甘んじる極めてマイナーな存在であった。しかし1980年代半ば、
オースチン・ローバー・ジャパンとスズキが輸入元となって発売した
205GTIが従来のフランス車のイメージを覆す俊敏な高性能とキュートなスタイルで人気を博してから徐々に注目を集めるようになり、メーカーの日本法人
プジョー・ジャポンが自ら輸入販売するようになった2000年以降は205の後継車
206が大ヒットとなり、2003年には過去最高の1万5,330台の登録台数を記録するに至った。しかしその後は主力の206と
307がモデル末期となった影響もあって減少に転じており、2006年の登録台数は1万0289台、2007年は8,284台となっている。(統計資料、
日本自動車輸入組合)
自転車については、サイクルヨーロッパジャパン株式会社がプジョー社からのライセンスに基づいて、製造・輸入・販売を行っていたが、2004年末をもってライセンス契約が終了した。現在は
プジョー・ジャポンの子会社、「プジョー東京」がプジョー製の自転車を輸入している。
なお、プジョーには国産プリンス自動車第一号車の設計の手本となったという逸話が残っている。第二次世界大戦直前、
ブリヂストン創業者
石橋正二郎は後援していた後に政治家となる弁護士
楢橋渡が渡仏する際に、「一番評判の良い小型車を買ってきてくれ」と依頼した。楢橋が選んだのはプジョー・202であった。この202は戦中戦後にわたって石橋家の自家用車となったばかりでなく、そのエンジンは石橋がオーナーとなった
富士精密工業が最初の4気筒1500ccガソリンエンジンを設計する際の手本となった。
特徴
プジョー車の特徴として、独特の設定がなされたサスペンションによる、「猫足」と呼ばれるしなやかなで路面に吸い付くような接地感のある足回りがあげられることが多い。一般的には走行安定性を得るためのサスペンションは硬くなりがちだが、プジョー車では柔らかい乗り心地と安定性を高次元でバランスしていた。良好な乗り心地にはフランス車に共通のソフトで腰のあるシートも大いに貢献していた。
また、1960年の
404から
406の時代までの40年余り、デザインコンサルタントに起用したイタリアの
カロッツェリア・
ピニンファリーナによる控え目かつ優美なスタイリングを特徴としていた。
しかし、最近のプジョー車では操縦性を重視した硬めの足回りを持つものが目立ち、フォルクスワーゲンなどのドイツ車をライバルとして強く意識する傾向が強い。デザイン的にも1998年登場の
206以降は社内デザインとなり、「吊り目(猫目)」の顔立ちは残しつつ、よりアグレッシブで抑揚の強い、特徴的なスタイリングとなっている。こうしたプジョーの変化は旧来のファンにとってはフランス車らしさ、プジョーらしさの喪失として嘆かわしいものではあるが、良く言えば国際商品化と解釈することも出来、日本市場での近年の成功には不可欠な要素であったと言えよう。
車種一覧
主な現行モデル
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107 PSAとトヨタ自動車との共同開発車種でチェコ共和国の合弁工場「TCPA」で生産される
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207 206の後継モデル。2006年デビュー
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308 307の後継モデル。2007年デビュー
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407 406の後継モデル。2004年デビュー。
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607 一時日本市場にも輸入されていたが撤退している。(輸入期間:2001年10月-2005年6月)
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1007 プジョー初の4桁モデル。2004年デビュー。左右スライドドアが特徴。
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4007 三菱からのOEM供給モデル,アウトランダーがベース
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807
- Partner
- Expert
- Boxer
日本導入モデル
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1007(2006年3月- )
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207(2007年3月- )
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308(2008年5月- )
-
407(2005年6月- )
過去のモデル
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104 1972年登場 日本未導入。シトロエン・LN・タルボ・サンバの兄弟車。
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106 1991年登場 日本には3ドアのスポーティモデルのみ輸入。シトロエン・サクソの兄弟車。
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203 1948年登場 第二次世界大戦終了後初の新型車。1955年までは唯一の生産モデル。
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204 1965年発表 プジョー初の前輪駆動車。
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205 1983年に発表され、特に3ドアのGTIが世界的な大ヒットとなった。
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206 1998年に発表され、日本市場に広く受け入れられたモデル。デザインは自社。
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304 1969年発表。204のトランク部分を延長し、フロントデザインを504風に改めた上級モデル。日本未導入
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305 1977年発表。204/304の後継車種。後期型のエンジン・フロアパンはシトロエン・BXベースとなる。日本未導入
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306 1993年発表。309の後継車種。日本でも比較的量販された。
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307 2001年発表。306の後継車種。エンジンやフロアパンはシトロエン・C4のベースとなる。
- 309 1985年発表。305の後継車種。番号が飛んでいるのは英国でタルボ(英国ではタルボット)のブランドで生産するために開発したモデルを、ブランド廃止のため急遽プジョーブランドに変更したため。他のプジョーとあまり似ていないデザインは英国の自社チームの手になるもの。
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403 1955年登場。203の近代化版。テレビドラマ・刑事コロンボ主人公の愛車としても知られた。
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404 1960年発表。耐久性の高さで知られ、サファリラリーで活躍
-
405 1986年発表。305の上級移行版。400番台が久々に復活。MI16はDOHC16バルブエンジンを持ち、従来のフランス車らしからぬ高性能を発揮。
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406 1995年発表。最後のピニンファリーナ・デザインのプジョー。映画「TAXI」で活躍。
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504 1968年発表。1980年前後にディーゼル版の504Dが比較的多数輸入された。
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505 1979年発表。504の後継車種。最後の後輪駆動プジョー
-
604 1975年発表。ルノー・ボルボと共同開発のV6エンジン、第二次世界大戦後初の6気筒車。
- 605 1989年発表。405を拡大コピーしたようなスタイルを持つ。エンジン・フロアパンはシトロエン・XMのベースとなる。
競技用車両
軍用車両
モータースポーツ活動
プジョー社は古くから積極的にモータースポーツ活動に取り組んできた。1910年代にアメリカの
インディ500に自前の車体で参戦し、数度の優勝を遂げた実績を誇った。
1990年代後半からWRCに復帰し、チャンピオンシップを獲得するなど活躍した(ワークスは2005年に撤退)。
ラリー
1980年代から1990年代初頭にかけて、プジョーはモータースポーツ部門であるプジョー・タルボ・スポールが中心となって活躍していた。当時のディレクターは、現在フェラーリF1チーム監督として辣腕を振るうジャン・トッドである。
WRCのトップが主に
グループ5車両で争われていた1980年代初期、グループ会社の
タルボ社のサンバ(
プジョー・104ベースのFR駆動の小型ハッチバック)をグループ5規定のラリー仕様に仕立てた「タルボ・サンバ・ラリー」で参戦していた。
その後、プジョー・タルボ・スポールの手によって
1984年のWRC、ツール・ド・コルスにて205T16(E1)がデビューし、初戦で2位を獲得。その後も強豪ひしめく群雄割拠の
グループBの中でも、
ランチア・ラリー037、
アウディ・クワトロ、
ランチア・デルタS4といった強敵に互角以上に打ち勝ち、数戦後には更に戦闘力を高めた改良型205T16E2を投入する磐石のシーズン運びを見せ、結果1985年と1986年の2年連続でドライバー(1985年:ティモ・サロネン、1986年:
ユハ・カンクネン)とマニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得するに至った。
登場当時、覇を誇っていたフロントエンジン4WD車・
アウディ・クワトロの牙城を崩し、ミドシップ4WD車のWRCにおける優位性を確立した。のちに、同様のコンセプト及び駆動系などのレイアウトを、各メーカー毎の解釈に基づき製作されたランチア・デルタS4、
MG・メトロ6R4、
フォード・RS200などが続々と発表・実戦投入され、レイアウトはそのままにショートホイールベース化され更に過激な進化を遂げた
アウディ・スポーツ・クワトロ等と共に、グループB最終年となる
1986年までラリー・コンペティションの歴史に残るパワー戦争を繰り広げた。
1987年以降のグループB消滅後は、205T16(E2ベース)は
パリ・ダカール・ラリーに活躍の場を移し、後継の
405T16と合わせると四連覇するという快挙を達成(
1987年~
1990年)。そのあまりの強さに「砂漠のライオン」として競合メーカーに怖れられ、のちにパリ・ダカを制する
三菱自動車工業の挑戦をことごとく跳ね返した。
205は、
全日本ラリー選手権に当時のインポーターであったARJ(オースチン・ローバー・ジャパン)のサポートにより参戦した。ライバルの通称・
ハチロクと呼ばれるAE86型
レビン/
トレノと名バトルを繰り広げたのは余り知られていない。なお、同選手権に左ハンドル車として初めてエントリーしたマシンである。
その後、1990年代前半はプジョー・タルボ・スポールが活動の主軸をグループCカーやF1に移したため、205・
306・
106のグループA車両でのラリー活動を比較的小規模で行っていた。
1990年代後半からは、WRCやフランス・ラリー選手権に新設されたF2クラス(2000cc以下の2ボックスFF車による競技クラス)に主に306 キットカーで参戦。ここで好成績をあげたことから、1999年からのターボ付き4WD車のWRカーでの参戦につながった。フランス・ラリー選手権では同じPSAグループの
シトロエン・クサラ キットカーや
ルノー・クリオ MAXI/
メガーヌ MAXI等と激戦を繰り広げた。ちなみに、1600ccエンジンの
106 キットカーも数戦ではあるがWRCに参戦している。
1999年、
206WRCを引っさげて再び参戦したWRCでは、驚異的なターマックラリーでの強さを発揮し、
2000年・
2001年・
2002年とマニュファクチャラーズタイトル三連覇を果たし、往時の実力を示した。その後、販売戦略からマシンを
307CCをベースとしたWRカー・
307WRCにスイッチした。307WRCは時折早さを見せるものの、ボディの大型化により時としてカスタマー・スペック車の206WRCの後塵を浴びるほど不振を極め、2005年シーズンを最後にワークスとしてのWRC撤退を表明した。ちなみに、2005年度のワークスマシンを元としたカスタマー・スペック車が、2006年プライベートチームからエントリーしていた。
現在は、307WRCのカスタマー・スペック車のメンテナンスと、
207のS2000クラス参戦車両の開発を行っている。
耐久レース
スポーツカー世界選手権(SWC)には
1990年から参戦。
1992年にチャンピオンを獲得している。ル・マン24時間レースにも、同じくグループCカテゴリの905でエントリー。
1992年・
1993年に連覇を果たしている。特に1993年のル・マンでは、マシンとして円熟した905が1-2-3フィニッシュで飾って表彰台を独占、翌年フェラーリへの移籍が決まっていたチームディレクター、ジャン・トッドの有終の美を華々しく飾った。1994年、スポーツカー世界選手権の消滅を受け、プロトタイプクラスで行われる耐久レースからは撤退した。
2007年より、近年耐久レース界で圧倒的な強さを誇る
アウディ・R10に対抗すべく、
ディーゼルエンジン搭載の
プロトタイプレーシングカーである908HDi FAPにてル・マン24時間レースへ再参戦を開始。ドライバーには
ジャック・ビルヌーブを始めとする元F1ドライバーを多数起用しており、優勝を目指す姿勢を鮮明に打ち出している。2008年も改良型を投入し、ドライバーを増強して参戦すると公式発表された。
F1
自転車部門
プジョーは1882年発表の「Grand Bi」から1926年まで自転車を製造販売していた。自転車部門は1926年に別会社として独立し、モーターバイクの製造にも進出した他、スポーツ用の自転車の名門としても知られたが、1980年代にはその勢いは衰え、1987年にモーターバイク部門が分離。1980年代末にはプジョー・ブランドの自転車の商標権をサイクルユーロップ(Cycleurope)社に貸与した。
しかし1990年代に入って自転車市場が復活の兆しを見せた為、1990年代末にオートモビル・プジョーは自転車部門の復活を決定。現在は
MTB、
クロスバイク、ツーリング車、子供用自転車の4分野で自転車を販売している。
関連項目
注
外部リンク