生涯
生い立ち
父は裕福な銀行家のサミュエル・テルティウス・ゴルトン、母ビオレッタは
エラズマス・ダーウィンの娘で
チャールズ・ダーウィンの父ロバート・ウォーリングとは異母兄妹であった。ロンドンのキングスカレッジでしばらく医学を学んだ後、
ケンブリッジ大学で
数学を学ぶ。ケンブリッジ大学卒業からまもなく父が死ぬと、その遺産で世界各地を旅し、アフリカの探検記を著した。探検の成果は、英国とフランスの地理学会から表彰された。ゴルトンにアフリカ探検を勧めたいとこのダグラス・ゴルトンが、
フローレンス・ナイチンゲールのいとこと結婚した関係から、ナイチンゲールより大学への統計学講座寄付の相談を受け、後年、自らが実現することになる
[『ナイチンゲールは統計学者だった!-統計の人物と歴史の物語-』(3章にゴルトンの伝記あり)丸山健夫 日科技連出版社 2008年 ISBN 9784817192738]。
1859年、いとこのチャールズ・ダーウィンが、『
種の起源』を出版したことに刺激を受け、遺伝の問題を統計学で解決しようと思い立ち、研究を開始した。
優生学と近代統計学の父
彼は、1883年に
優生学(eugenics)という言葉を初めて用いたことで知られている。1869年の著書『遺伝的天才』(Hereditary Genius)の中で、彼は人の才能がほぼ遺伝によって受け継がれるものであると主張した。そして家畜の品種改良と同じように、人間にも
人為選択を適用すればより良い社会ができると論じた。当時のイギリスでは産業革命からしばらく過ぎ、
社会主義思想の広まりとともに労働者の環境も改善されつつあったが、ゴルトンは社会の発展のためには環境の改善よりも生物学的な改良が有意義だと信じていた。
その他の研究
『遺伝の理論(1875)』ではダーウィンのパンゲン説をウサギの輸血実験から確かめようとし、パンゲン説を否定してスタープ説を提唱した。これは獲得形質が遺伝しないことを主張した初期の研究である。
指紋についての論文の発表や本の出版も行っており、指紋を利用して犯罪者の特定を行う捜査方法の確立にも貢献している。競馬において
ゴルトンの法則で知られる。「祈り」の効果を科学的に検証しようと試み、毎週国民から健康を祈願されている英国王族も、ほかの裕福な貴族と
平均寿命は変わらないことを発見した。他にも気象の研究など、幅広い分野で研究を残している。
受賞歴ほか
外部リンク
英語
脚注
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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