本項では主に日本で見られるバス車両の構造や、用いられている技術について解説する。車体構造や駆動方式など、車両の成り立ちに関する技術のほとんどが外来のものであるため、それらについては海外の事例を記す。
バスは
旅客の大量輸送を目的とする
自動車で、一般的に、前後に長く、高さのある箱形の車体を持ち、室内には多くの
座席を備えている。
日本の登録区分では、
普通乗合車に分類され、法規上、大型乗用自動車は、乗車定員11名以上の自動車を指し、乗車定員30名以上の大型乗用自動車を
大型バス、乗車定員11名~29名までのバスを
マイクロバスという。
用途
路線用 (乗り合いバス)
都市内用
いわゆる
路線バスタイプ。複数の客用扉、多くの「立ち席」や
つり革をはじめ、
停留所ごとの乗客の流動に適した構造となっている。
車掌が乗務していた時代は、ほとんどの車両の客用扉は中扉のみであった。近年は
低床、
超低床化が進んでいる。
都市間連絡用
多くが観光貸切用に似た前扉で、前向きの座席、
エアサスペンション(空気ばね
懸架)、高出力エンジンを持つ。近郊型とも言われる、
ハイデッキではない通常の床高さで中扉のみのものや、前扉以外に、中もしくは後扉を持つ2扉のものもある。近郊型は都市間連絡のほか、都市部の
深夜バスにも導入されている。
かつての
国鉄専用型式では、エンジンのみならず、
変速機も特注であった。また、以前は、中扉や後扉を増設し、都市内用や近距離向けに改造される例も多かったが、現在では改造を受けずにほとんどが輸出されている。
現在、長距離用の接客設備は、
二階建て、もしくは
ハイデッキ、トイレ付き、独立3列シートが主流となっている。
観光貸切用
古くから
空気ばね懸架や、冷房装置や
サンルーフを装備するなど、長距離、長時間の運転に対応した構造と、
アメニティーに振った接客設備を持っており、通常、運賃収受設備は持たない。
現在は、
二階建て、
ハイデッキなどで展望を重視したものがほとんどで、客室後部にラウンジシートのサロンを持つもの、あるいは、回転式シートでサロンに対応するものもある。温・冷蔵庫、
AV設備、装飾性の高い照明器具と内装を持つ。
合理化のため、都市間連絡用の路線車と共用している事業者もあり、経年により、路線車に格下げとなる場合も多い。
寝台バス
札幌と
函館、
網走、
稚内の各都市間の距離は約300 ~ 330 km、
釧路にいたっては410 kmであり、
高速道路の無かった時代、移動には長い時間を要していた。
高度経済成長による観光ブームの到来で、近い将来、長距離移動に適したバスが必要になると読んだ同局は、寝台バスの試験導入に至った。
車体構造は、当時、札幌市交通局が導入していたデラックス
観光バスと同様、
モノコック構造の
セミステンレスカーで、
リアエンジン方式であった。
北海道にちなんだ
愛称を与えられていた他のセミステンレスカーにそろえ、「
ゆーから」と名づけられた。寝台は中央通路を挟み長手方向に装備され、前後の
車軸間は
国鉄の
プルマン(Pullman)式
2等寝台同様、上下2段となっていた。上下それぞれに開閉可能な窓を持ち、土地柄から、冷房装置は無い。また、トイレも無く、
駅や
ドライブインの利用を想定していた。
一般の車両に比べ
重心高がやや高く、横転事故を起こしたことから、法規上も本格的な寝台を持つバスは認められなくなり、計画自体が中止に追い込まれた。
ふそう製
シャーシは
空気ばね・
重ね板ばね共に、他社に比べ
ロールスピードが速い傾向にあったことも事実であるが、この時代のエアサスペンションは
車高調整機能は持つものの、現在のような
高度な姿勢制御は不可能であり、柔らかさ重視の設定のため、
リーフ式サスペンション以下の耐
ロール剛性であったことも一因である。
スタビライザーを含めた
シャーシ性能を今ひとつ煮詰めていれば、新たなジャンルとなり得た可能性もあっただけに、法改正にまで至った事実を惜しむ声もあった。
当時、同局では
トヨタを除く大手4社(
民生デイゼル、
いすゞ、
日野、ふそう)の車両を導入していたが、この寝台バスはふそう製のみであり、一方、一般的な
ロマンスシートのセミステンレスカーにはふそう製のみが無かった。
海外では、広大な国土を持つ
中国で、多くの寝台バスが運行されている。
車輌の大きさ
現在、国内のバスは一部の例外を除き路線バス用(路線バスシャーシを用いた物を含む)と、高速観光バス用に分けて製造されている。また、法令により車両の大きさと重さ、乗車人員から大型車・中型車・小型車に分類している。しかし、それとは別にメーカー等が実際の大きさを基にした分類がある。
路線バス / エプロン(ランプ)バス
特大車
全長12m超、または車幅2.5m超のバスが該当する。
15メートル級の大型車や、2車体以上の
連接バスには現在国産シャーシは無く、すべて
輸入車である。
戦後、
都営バスをはじめ各地に導入され、都市部の復興輸送に活躍した
日野・T11B 型 + T25 型トレーラーバスもこれに含まれる。
同様に公道走行を考慮しないものに、
空港内の旅客ターミナルと、離れた場所にある
飛行機との間を結ぶランプバスがあり、ワイドボディーの
国産特大車が存在する。
大型車
全長10~11.5m、車幅2.5mのバスが該当する。
ホイールサイズは、以前のものは20
インチ、現在は22.5インチ。国内4メーカ全てが製造しており、基幹車種である。
ブルーリボンII、
エアロスター、
エルガ、
スペースランナーRAがある。全長10m級の車両は全国的に多く見られる。11m級のバス車両は
1970年代前半までは「ラッシュバス」と称された通り、郊外の新興住宅地から大都市への通勤通学輸送に多く用いられたが、その後は鉄道の整備が進んだことなどから導入する事業者は激減し、現在は北海道での採用が大半を占めている。他に車両を貸切兼用(ワンロマ仕様)とする場合や、企業や学校との契約輸送用のバスにも多く使われている。11m級のバス車両は事業者によっては「大型長尺車」とも称される。
この変種として、大型バスの全長を9mにした大型ショート車(別名・9m大型車、大型短尺車)がある。かつては
日本国有鉄道(国鉄)で多く採用されていたが、
国鉄分割民営化後は需要が途絶え、近年は民間事業者向けにもほとんど製造されていない。事業者によっては中型車という位置付けにしているところもある。代表的な車種として
エルガLT、
日産ディーゼル・スペースランナーRPがある。
中型車
この変種として、中型バスの全長を10mにした中型ロング車がある。純粋な大型車に対して安価なため、近年多く製造されている。
日産ディーゼル・スペースランナーJP、
レインボー(
OEM車種としていすゞ
エルガJもあり)、
エアロミディが存在する。事業者によってはこれら中型長尺車の総称を「ナロー車」として区別するところがある。いずれも、一般的にいわれる路線大型車よりもホイールベースが長い設定が多い。そのため、シャーシにかかる重量の負担から、ブレーキの大型化(現在は日産JPのみ)やホイールボルトを6本から8本へ変更(4メーカーすべて対応・ボルト一本当たりの荷重低減)など、安全性の向上へいずれのメーカーも精力的に取り組んでいることがうかがえる。
小型車
全長7m、車幅2m、定員29名以下11名以上のバスが該当する。ホイールサイズは以前のものは15、16インチ、現在は17.5インチ。主に
マイクロバスと呼ばれるバスだが、
リエッセ、エアロミディMEなどマイクロバスには分類されない車種もある。また全長7mの中型車(7mミディ・
日産ディーゼル・RN/EN)は小型車に分類される場合がある。
高速・観光バス
特大車
全長12m超、または車幅2.5m超のバスが該当する。<連接車同様、国産車は無く、現在は
ネオプラン・メガライナーが唯一の存在となっている。
大型車
中型車
全長9m、車幅2.5mのバスで、現在国内全てのメーカーが製造している。大型車のホイールベースとボディをそのまま縮めた形態のバスである。小口の貸切向けなどに用いられている。
小型車
全長7m車幅2.3mのバスで、ボディは専用の物を使い、シャーシは路線用と共通の物を使うケースが多い。観光高速用にはあまり用いられず、自家用などに使われるケースが多い。
2階建てバス
客席が1階と2階の双方にあるバス。詳しくは
2階建てバスを参照。
トレーラーバス
動力源
の復元車・薪バス「三太号」)]]
シャトルバス)]]
)]]
化石燃料
代用燃料
日本では、石油燃料が
統制された
戦中、
戦後の混乱期に、
薪を
乾留(蒸し焼き)する「
炉」を装備し、そこで発生したガスを燃料に用いた、通称「
木炭車(代燃車とも)」の例がある。始業の数時間前から薪をくべ、ガスを集めなければならなかったうえ、ガソリンに比べ十分な出力が得られず、上り坂で立ち往生しては、そのたびごとに乗客総出で後押をしたなどの逸話が多く残っている。代用燃料車は、バスに限らず多くの自動車に用いられたが、化石燃料の供給が安定化して行くなかで廃れていった。
電気
戦中戦後の燃料事情の悪い時期には
蓄電池を使った
電気自動車も用いられたが、やはり、燃料事情の改善に伴い、現在ではほとんど見られない。
ハイブリッド / 代替燃料
運転方法/システム
通常方式
通常の自動車の構造で、運転手の操作による運転。
ガイドウェイ式
通常の運転操作のほか、何らかのガイドにより、
新交通システムや、
路面電車、
鉄道車両のような運転を可能にしたもの。ガイドウェイ区間の運転方法には、手動と自動とがある。
一般のバスの特徴に加え、
専用軌道を案内装置の誘導で走る(ハンドル操作が不要)ことのできるもの。日本の法規上では、専用軌道走行時は
鉄道車両として扱われる。
ミリ波
レーダー、路車間、車車間通信と、路面に埋め込まれた磁気ネイルによって走行する、国が提唱する
ITSの自動運転と同様のシステム。専用路では、発進、停止、10台程度の隊列走行などが無人で行える。一般道路上では、通常の有人運転により、
バスとして運行が可能とされる。鉄道の定時性や輸送効率、バスのフレキシビリティーなど、双方の長所を融合させた交通システム。日本の法規では、専用軌道走行時は鉄道車両として扱われる。現在は試験段階。
デュアル・モード・ビークル
道路と鉄道の鉄軌道の両方を走行する機能を備えた車両。
1963年に
国鉄が、鉄道末端区間でのバスとの乗り換えを解消する目的で、アンフィビアン(
両生類)バスの名で試作したが、重量過大などから実用化はされなかった。現在は
JR北海道が実用化に向けて試験中。
<
エンジン位置
フロントエンジン
鉄輪の地獄めぐりに使われる<トヨタ・ボンネットバス(
1945年)<
初代B型エンジン搭載のHB型、またはLB型シャーシと思われる。]]
黎明期の自動車では、エンジン位置や動力伝達方法はさまざまであったが、速度や重量の増加に伴い、一旦は
フロントエンジンリアドライブへと集約されていく。バスが馬車から自動車へと変わった後も、長らく、エンジンの位置は車両前部にあったが、これは、バスが
トラックの
はしご形フレームの
シャーシを利用して車体を架装していたことに由来する。
ボンネットバスは、運転席や客室の前方外側に
エンジンを縦置きし、後輪を駆動する方式である。客室から独立したボンネットは、エンジンの点検や整備が容易であり、騒音源が客室と離れている利点がある。しかし、長いプロペラシャフトが音振(おとしん)で不利なことや、車両の全長に対し、有効床面積が少ないことが欠点であった。
アメリカでは、大型トラックなどに見られるようにボンネット型が好まれる傾向もあり、ボンネット = 旧式のイメージは少なく、コルゲート(波板)ボディーの
スクールバスなどで知られるブルーバード ( Blue Bird Corporation )で、
キャブオーバー型と共に生産が続けられている。
また、これらのクラシックバスとは別に、やはり集客用として新たに作られたものもあり、
マイクロバスや
トラックの
シャーシにボンネット付きの車体を架装したレトロ調バスのほか、
キャブオーバー型のマイクロバスに形だけのボンネットを付けた似非ボンネットバスも見られる。
<
キャブオーバー
これは、車体形状のみを見直し、室内空間を拡大したもので、車体全長あたりの有効床面積はやや拡大する。しかし、カバーに覆われただけで客室に鎮座するエンジンは、騒音や油臭、温度の上昇などの問題もひき連れてきた。大型車ではエンジンは床上に大きく張り出す格好となり、エンジンカバーはあるものの、室内への騒音進入や温度上昇は避けられず、居住性、快適性では不利であった。
また、縦置きエンジンでは、重量配分の関係から、車体に対し前車軸が前進する格好となり、フロント
オーバーハングが短くなるため、構造上、前扉(トップドア)とすることが難しい。以前の
イタリアではエンジンを運転席の下にオフセットして配置し、前扉とした例がある。また、
イギリスの
AECルートマスターは左側には客室が無く、
ボンネットが露出している。
一方、運転席が車体前端に移動したことで、見切りがよくなり、全長に対する
ホイールベースの比率が短くなることから、取り回しが楽になる長所もある。
世界的には、トラック用
フレームをベースとしたキャブオーバー車が多数生産されており、日本製エンジンも多く搭載されている。堅牢であることと車体架装が楽なことから、特に
途上国では主流である。スペースフレーム(スケルトン)でも少数が生産されているが、フレームレスモノコック車体では、モノコック式の終焉と共に過去帳入りしている。
日本国内に限ると、はしご型
フレームを用いる
マイクロバスでキャブオーバー型が主流となっているほか、同様に、トラック用フレームを利用する、採血車、レントゲン車、放送中継車、馬匹運送車などにも見られるが、旅客用の大型車は現在では生産されていない。
前輪駆動(FF)
の
ネオプラン・N912型 サンライナー<(
成田空港交通)]]
ネオプランのランプバスなどに見られる、横置きエンジンによる前輪駆動車。ドライブトレーンはすべて前軸付近に集約されるため、床は車両最後端まで平らで低く、背面に乗降用の扉を設けることも可能。運転席の後ろに大きなエンジンルームがあるため、通常、最前部は客室として使われず、前扉とその他の扉との行き来もできない。非常時には、エンジンルームを乗り越えて移動する。
センターアンダーフロアエンジン
車体中央床下に水平シリンダーエンジンを搭載し、後輪を駆動する
ミッドシップレイアウトのバス。床下にエンジンがあるため、デッドスペースを完全に解消し、車体寸法の大部分を客席にすることができた。しかし、エンジンの整備性がやや悪いこと、フロントに置かれた
ラジエターとの間の
冷却水配管が長くなること、室内の雰囲気温度が上昇すること、
ブローバイガスによる油臭などが問題として残った。
リアエンジン
リアエンジン方式は、エンジンを車体最後部に配置し、室内空間を拡大したたものであるが、狭いスペースに適したドライブトレーンの設計や冷却気の流れなど、克服すべき技術上の課題が多く、ドライブトレインのレイアウトとしては遅い、
1939年の登場となった。同時にフレームレス
モノコック構造の車体と
横置きエンジンが採用され、
北米で爆発的に普及した。
1960年代以降、路線バス用として、水平シリンダー型エンジンを採用したリアアンダーフロアエンジン方式が登場する。この方式は
縦置きのままエンジン直上まで座席を設けることができるため、ひな壇を最小限とし、室内空間を拡大しながら
横置き直立エンジンに比べドライブトレインのコストを抑えることが可能となり、トヨタ、三菱ふそう、
2ストロークエンジン時代の民生・日産ディーゼル(共に直立シリンダー型)を除く各社が採用し、その後の主流となる。
しかし後述するノンステップ化の要求により、床下にエンジンを設けることが出来なくなり、直立シリンダー型の横置きエンジンへと移行した。
床構造
従来型
大径タイヤと2段の出入り台(ステップ)を持つ。
低床型
床下にはエンジン、
変速機、
懸架装置があることから、床面高さを下げることは困難とされてきたが、車体最後部に直立シリンダーのエンジンを
横置き搭載するなど、配置を工夫することによって、床高さを下げ、乗降口ステップの段数を減ずるか、完全に廃したもの。ノンステップ車では、車椅子での利用を考慮し、乗降時のみ空気ばねの操作により車体を傾斜または下降させ、さらに乗降口高さを下げる「
ニーリング(kneeling)」機構を備える。
バリアフリーの進展により、
欧州で広く採用され、近年、日本でも導入が活発化している。
ハイデッカー、ダブルデッカー
ハイデッカーや
2階建てバスは、低床とは逆に、客席床をかさ上げすることにより、視界を良くしたものをハイデッカー(High decker)という。主に観光用、高速路線用として導入される。
一階部分も座席としたものは2階建て(Double decker)バスと呼ばれるが、これらは観光用のみならず、
ロンドンや
香港の路線バスの様に、乗車定員を増やす目的のものもある。これらのバスは重心が高いため、転倒を防ぐ運転が要求される。
ドア配置
前扉
最前部のみにドアがあるバス。
観光バスや高速バスでは一般的なドア配置。自家用車や、路線バスでも近距離高速バス、バリアフリー法の適用除外となる長距離路線バスなどにも用いられている。前ドア路線バスは、ほかのドア配置の車との区別の必要から「トップドア車」と呼ばれることもある。
このタイプを路線バスとして使用している事業者には、箱根登山バス、四国交通などがある。箱根登山バスでは、前・中2扉のノンステップ車の導入を進めているが、その場合、前ドアを出入り口とし、中ドアを車いす専用としている。
中扉
かつてツーマンバスが一般的であった時代の標準的なドア配置で、現在もマイクロバスや教習車などに見られる。
特異な例としては、一部事業者の観光バスで中ドアを乗客専用としている例がある。
前・中扉
路線バスにおいて現在最も一般的なドア配置。
ノンステップバス、ワンステップバスはほぼこのドア配置である。また、2階建てバスもこのドア配置が一般的である。
前・後扉
かつて路線バスにおいて、前・中扉と並んで広く見られたドア配置。
現在では、低床化に対応できないため、ほとんど製造されていないが、長距離路線バスや関西圏においては標準的なドア配置であった。
神姫バスでは、この扉配置の三菱・エアロスターノンステップバスの試作車を導入しているが、後輪ホイールハウス間の通路が狭く、車いすには対応していない。
3扉
)]]
乗降時間の短縮を目的とし、前・中・後の3ヶ所にドアを設けたバス。
前・中の2扉でも、中ドアをワイドドア(両開き4枚折戸)にすることで、ある程度の乗降時間の短縮が可能であり、経済性から、そちらに移行する事業者が増えた。さらに低床化が進んだ事により、現在ではほとんど製造されていない。
また一部事業者では、前・中扉と前・後扉の車輌を用いている地域間で車輌を共有するため、3ドア車を導入した事例もある。
車体構造
ラダーフレーム
はしご形のフレームにボディーを載せた構造で、両者は分離が可能である。
エンジン、
トランスミッション、
サスペンションはフレームに支持されており、フレーム単独での走行も可能で、ボディーはそれらに関する応力は負担しない。フレーム、ボディー共に設計自由度が高く、多様なデザインに対応できる。車体は木骨
鋼板張りから全鋼製へと発展している。
現在、日本国内では
マイクロバスのみが採用しており、大型車では旅客用としての需要はすでに無く、
レントゲン車、
馬匹輸送車に見られるのみとなっている。
モノコックボディー
(GMC)トランジット<
1940 ~
1969<写真は
1958年製のTDH-4512型で、側窓の隅にRが付くタイプ。]]
レスモノコックボディーを採用した「ふじ号」<
民生・BR20?]]
航空機の機体構造をバスボディーに応用したもので、航空機技術が飛躍的に発展した
1930年代末の
アメリカで考案された。桁と外板、外板同士の接合には「
リベット」が使われており、強い張りを与えられた「皮」で応力の大部分を負担する。軽量を維持し、強度と剛性を確保するためには、丸みを帯びた外観と、開口部が少ないことが必須となり、他の構造に比べ、デザインや設計上の自由度は少ない。
日本では
敗戦後、軍需産業を営む他の企業と同様、
GHQの命により、旧
中島飛行機も会社の解体と航空機の製造を禁じられた。その内の東京富士産業(後の
富士重工業、現
スバルカスタマイズ工房)は、生き残りをかけた民需転換を模索する中で、航空機技術を活用したバスボディーの開発に乗り出した。
1949年に、日本初のフレームレスモノコックボディを採用した
ふじ号を完成させ、一時は国内のリーダーカンパニーの地位にあった。
西日本車体工業は、
太平洋戦争末期に
海軍の試作
戦闘機、
震電の設計を手がけ、既に解散していた
九州飛行機のOBを集め、
丸窓と呼ばれる新型バスを完成させた。窓の四隅を丸くすることで応力の集中を防ぎ、関西のバス事業者から「西工のバスは力学的に理に適っている」との評価を受けていた。
他に
川崎航空機、
呉羽自動車工業、
金産自動車工業も航空機製造メーカーの転換組で、やがてこれらのメーカーが各シャーシメーカーと提携を結び、ラダーフレームの上に車体を載せることしかできない、ローカルコーチビルダーを駆逐して行くことになる。
スケルトンボディー
・O 321 HL<
1954 ~
1964<
天窓を含めた大きな窓と細いピラー、リベットのない外板など、モノコック構造とは対照的な外観を持つ]]
706 RTO MEX<マルチチューブラーフレームの車体構造]]
アメリカ生まれのモノコック構造に対し、
欧州の車体メーカーが古くから取り入れていた
マルチチューブラーフレーム構造のこと。
ビルドインフレームであり、フレームと車体の分離はできない。多数の細い
鋼管を応力の方向に沿って配置し、溶接により組み立て、車体の骨格を形作る。
CADのワイアーフレームを実体化したような見た目で、その印象から「バードケージ(鳥かご)」の別名を持つ。
「骨」で全ての応力を負担し、外板は単なる覆いとなるため、部材の板厚やリベットなどによる外板同士の強固な接合は必要ないが、薄い外板は振動により
太鼓の皮と同様の効果を生むため、騒音をもたらすドラミングの防止が必須となる。
窓と扉の配置や、その大きさの設定にも自由度が高く、強度や剛性の調整もたやすい。
日本では
日野車体工業が提携先の
トヨタの薦めもあり、
1977年に観光系の
日野RSに導入したことに始まる。「スケルトンボディー」と銘打ったこの車の登場は国内市場に衝撃を与え、従来のモノコックボディーが一気に陳腐化してしまった。他社はモノコック構造のまま、窓の拡大や
リベットレスの外観とすることで、かろうじて商品力を保つのが精一杯の状況であった。
日野はスケルトンボディーを武器に、トップシェアを持つ三菱ふそうをかわしてバス市場の主導権を握る戦略を採り、
路線車でも
1980年に中型の
レインボーを投入した。しかし、大型車への採用過程では迷走が見られ、その期に乗じた各社の、生き残りをかけた開発競争が激化する結果になる。こうした動向は各コーチビルダーのシェアに影響を与える結果につながり、後年の車体メーカー再編の契機の一つともなる。
日本のバスメーカー
日本のバス製造業は、大・中型と小型とで住み分けがなされてきたことと、そして大・中型の場合、以前の
三菱自動車工業を除き、シャーシメーカーとコーチビルダーとが個別に存在しているところに特色がある。しかしながら、公共交通不振にともなうバス事業の転換期となる1980年代以降、一般営業用にも小型バスの普及を見、また、大・中型シャーシメーカー主導によるコーチビルダー再編が行われ、現在もなお構造変化過程の渦中にある状況である。
大・中型バス(シャーシメーカー)
は大型車の開発、生産を
日野に託し、B100系ボンネットバス、R20系
リアエンジンバスを最後に国内市場から撤退した]]
1960年代のバス事業最盛期までは、
トヨタ自動車・
日産自動車など現在の乗用車最大手クラスの企業も大型バス製造に携わっていたが、1974(昭和49)年にトヨタが撤退して以降、国内の大・中型バス車台・エンジン製造は次の4社に事業集約されている。
しかし、バス事業の不振はシャーシ製造業の不振と各社間の勢力バランスを崩すこととなり、いすゞと日野は2003(平成15)年10月1日付で「
ジェイ・バス(J BUS)グループ」を設立、バス事業統合に向けた動きを加速させている。また、2004(平成16)年8月から、日産ディーゼルは日野から中型車用エンジンの供給を受けており、
2007年からは三菱ふそうとの間で相互にOEM供給を開始した。ジェイ・バスが「統合車種」として路線系はいすゞ、観光系は日野が開発した車両をジェイ・バスから両社に供給するに対し、三菱ふそうと日産ディーゼルは、機種によりエンジン含め完成車として相手に供給するものと、エンジンのみ相手に供給して相手先の商品として組み立ててもらうと共に、自社にOEMで戻すものとがあり若干複雑である。
大・中型バス (コーチビルダー)
コーチビルダーとは車体架装メーカーのこと。戦前のバス車体は木骨を構造材とした重く頑丈なものであり、架装にさほど技術を要求されなかったことから、町工場レベルでも参入が容易で、各自動車メーカーより
トラック用シャーシを購入した上で、各事業者に改造して納入していた。自動車メーカー側としても小規模事業者が乱立していた当時のバス事業者相手に小口取引を迫られることとなるのを回避できるメリットがあった。
戦後、
航空機産業の壊滅により、
富士重工業(旧:中島飛行機)や川崎航空機(数度の改名を経て、1974年以降は
川重車体工業)などが軍需の民生転換としてバスボディ製造を開始する。これらのメーカーは元は航空機の製造技術である、外板を強度部材と考える
モノコックボディを武器に、軽量な車体でシェアを伸ばす。1960年代までは
ヤナセや
帝国自動車工業など戦前来のコーチビルダーと戦後の航空機産業転換企業、および
松本車体や
京成車体といった特定地域向けローカルコーチビルダーが入り乱れる状況が続く。しかし、シャシーがフレーム付き構造から軽量で
ホイールベースの変更が容易なフレームレス構造が主流となり、床面積が有効に使える
RR方式のバス専用シャーシが開発されると、町工場レベルでは対応が不可能となる。さらに、シャーシメーカーとの提携関係が進むにつれ、中小メーカーの撤退が相次ぎ、1975年の帝国自動車工業と
金産自動車工業の合併による
日野車体工業の成立で、以下の6社(自社架装の三菱を入れると7社、特殊車体関係は除く)に集約された。以後約10年間は無風状態となる。
1970年頃まではコーチビルダー各社は独立性が高く、帝国 - いすゞ、川崎 - 日野・三菱・トヨタ、金産 - 三菱・日産ディーゼル、北村 - 三菱・日産ディーゼルといった組み合わせが見られた。この時期、コーチビルダーとシャーシーメーカーとの関係強化により、富士重工業と西日本車体工業を除き、ごく一部の例外を除き、特定メーカーのシャーシーにのみ架装するようになり、その流れが1985年以降の、シャーシメーカー主導の再編を呼ぶことになる。
いすゞは、川重車体に資本参加し合弁会社であるアイケーコーチ(IK:I = いすゞ、K = 川崎)を設立、1995年にはいすゞバス製造に改名し、翌年いすゞが完全子会社化している。
北村は1984年以降、大幅に縮小され、1989年以降は小型車(P-MR112D,U-MR132D)のみに架装を続けたが撤退した。
三菱自動車は、指定メーカーの呉羽自工(東洋紡績系)に資本参入し、同社は新呉羽車体工業に改名、さらに1993年には完全子会社化し、三菱自動車バス製造(MBM)に改名した。その上で、1996年に三菱自動車自身による車体製造は中止した。
日産ディーゼルは、2002年にコストカットの観点から、西日本車体工業に指定メーカー一本化を発表する。これにより
富士重工業は大幅な受注減が見込まれたことから、2002年度いっぱいでバス車体製造から撤退した。
さらに、いすゞと日野のバス事業が統合され、日野車体といすゞ車体は合併し、ジェイ・バスが誕生した。
この結果、現在は以下の3社に集約されている。
マイクロバス
乗車定員が30名に満たない
小型バス(マイクロバス)は、大・中型バスメーカーのうち日産ディーゼル工業を除く3社に、トヨタ自動車、日産自動車を合わせた5社が製造している。いすゞは小型バスを製造・販売していたが、2001(平成13)年に日野・日産からの
OEM供給へ切り替えられた。同系企業であるトヨタと日野は、相互に小型バスのOEM供給を行っている。また、日産は、ディーゼルエンジンのみ、日産ディーゼルからの供給を受けていたが、2004(平成16)年11月に、三菱ふそうからの供給へ切り替えた。
また、1997(平成9)年までは
マツダも「ライトバス」、「
パークウェイ」の車名で小型バスを製造・販売していた。車体は
西日本車体工業から供給を受けていたが、路線バス、観光バスともに大型バスによる運行により廃車される場合が多い。
さらにさかのぼると、
ダイハツや
プリンスにも自社開発のマイクロバスがあり、現存する
乗用車メーカーのうち、2トンクラスの
トラックシャーシを持っていなかった、
スズキと
ホンダ以外のすべてメーカーがマイクロバス製造にかかわっていた。
輸入車
これらの輸入車により、国内メーカも影響を受け、国産2階建てバス、スーパーハイデッカーを製造することとなった。
その後、2階建てバスの国産化や、その2階建てバスの安全性、国産とは異なる使い勝手や整備、信頼性などにより輸入車は一部事業者を除き敬遠された。さらにその後の景気低迷により輸入は、ネオプランを除きほぼ途絶えた。
その後、路線バス用として、ネオプラン製ノンステップバスが試験的に輸入され、これにより国内各メーカーが
ノンステップバスを開発発売するきっかけとなった。
- 以下はエンジンもしくは車体が日本製
上記のように、様々な事情により、シャーシを輸出し、車体の架装を海外で行う逆輸入車や、それとは逆に、シャーシを輸入し、車体の架装のみ国内で行うケースがある。
日産ディーゼルは国内に直系のコーチビルダーを持たないため、車体については比較的自由度が高く、逆輸入車が存在する。人件費の安いフィリピンに現地法人を設立し、ベルギーのコーチビルダー、
ヨンケーレが車体を手がけたユーロツアー、および日産ディーゼルのシャーシにヨンケーレが架装した
ヨンケーレ・モナコが存在したが、短命に終わり、いずれも現在は製造されていない。
日産ディーゼルの指定メーカーであった富士重工も、資本的に日産ディーゼルとのつながりが薄いため(日産ディーゼルの親会社であった、
日産自動車と資本提携していた)、上記のコーチビルダーの項に示すように、日産ディーゼル以外のシャシーに架装している。その中で1984年に科学万博向け連節車を、ボルボのシャーシ(B10M)に架装した。この実績を基に、同じシャーシに貸切用ボディーを架装した車両を「
アステローペ」として販売した。以降、2回のモデルチェンジを行うなど息の長い商品となったが、1999年排気ガス規制に対応できないことから、2000年で中止された。
またコミュニティバス向けとして前輪駆動シャシーを用いた小型ノンステップバスが輸入されている。
近年、上記の小型ノンステップバスを含め、
連節バス、全長12m超の4軸2階建てバス、
メガライナーなど、国内メーカでは対応出来ない車種を輸入するケースが多い。
また、経費削減を狙い
大宇バス車や
ヒュンダイ・ユニバースなど
韓国車を導入する事業者も存在する。
関連項目
外部リンク
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