概要
反アパルトヘイト運動により反逆罪として逮捕され長きに渡り刑務所に収容された。釈放後、
アフリカ民族会議(ANC)の副議長に就任。その後、議長。
デクラークと共に
アパルトヘイトを撤廃する方向へと南アフリカを導き
1994年に
大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。
1999年に行われた総選挙を機に政界から引退した。
略歴
反アパルトヘイトの闘士
1918年
7月18日にトランスカイのウムタタ近郊クヌ村で、テンブ人の首長の子として生まれる。ウィトワーテルスランド大学法学部を卒業。在学中の
1944年にアフリカ民族会議(ANC)に入党。その青年同盟を創設し青年同盟執行委員に就任して反アパルトヘイト運動に取組む。その後
1950年、ANC青年同盟議長に就任する。
1952年8月に
ヨハネスブルグにて
オリバー・タンボと共に弁護士事務所を開業する。その年の12月にANC副議長就任。
1958年、ウィニーと結婚。
1961年11月、ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という
軍事組織を作り最初の司令官になる。それらの活動などで
1962年8月に逮捕される。
1964年に国家反逆罪終身刑となり
ロベン島に収監される。
1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監。この時、イギリス人傭兵の有志が集まってネルソンを救出する作戦が立てられたことがあったが、南アフリカ側への情報漏れで中止されたと言う。
全民族融和の象徴
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1989年12月にデクラーク大統領と会談。
1990年2月11日に釈放される。釈放後、ANC副議長に就任する。当時の大統領・デクラークとの予備会談にANC代表として出席。
1990年10月27日、ANC代表団を率いて来日(
11月1日まで)。
1994年4月に南ア史上初の全人種参加選挙が実施された。ANCは勝利し、ネルソンは大統領に就任した。暫定憲法の権力分与条項に基づき国民党、インカタ自由党と連立政権をたて、国民統合政府を樹立した。ネルソンは民族和解・協調を呼びかけアパルトヘイト体制下での白人・黒人との対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済不況からの回復として復興開発計画(RDP)を公表した。
1996年3月19日にウィニーとの離婚が成立。
引退後
人物
その他
映画
- 監獄に入れられたマンデラと看守の交流を描く。
脚注
関連項目
外部リンク
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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