ニッポン放送
[Nippon Broadcasting System]
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ニッポン放送
フジサンケイグループ
日本のAMラジオ局
東京都のマスメディア
主要関連用語
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ラジオ日本(JORF)
[483]
NRN
[482]
東海ラジオ
[480]
ライブドア
[479]
テレビ北海道
[458]
インターネットラジオ
[455]
ラジオ大阪
[447]
JRN
[444]
銀座
[443]
キー局
[433]
ラジオ局
[417]
コールサイン
[404]
長野放送
[402]
特別番組
[384]
松井秀喜
[383]
三越
[379]
とんねるず
[367]
ハンドボール
[339]
グアム
[337]
NEC
[328]
福山雅治
[325]
放送対象地域
[324]
NACK5
[306]
矢口真里
[294]
プリンスホテル
[284]
アミューズ
[282]
木更津市
[278]
MBSラジオ
[273]
FM802
[267]
扶桑社
[265]
[リセット]
OKWave 関連質問
今日は。早速ですが、質問です。 私は、富山県に住んでいるのですがラジオ・
ニッポン放送
は聞けますでしょうか? 親や周りはラ...
聞きたいのは
ニッポン放送
ですが、チャンネルをまわしても90.00MHzまでで 1242の
ニッポン放送
は表示されません。 ...
そもそも最初はどういうところから始まったのでしょう? ライブドアのやり方が良くないとかそんなことはないとか、フジ側のやり...
人力検索はてな 関連質問
以下の【女医さん】の【テレビ出演か何かの動画】か【テレビ出演(していた)情報】を教えてください。 青木正美さん(青木クリ...
ライブドアに対する
ニッポン放送
の防衛策で有名になったクラウン・ジュエル、焦土作戦の事例(ライブドア・
ニッポン放送
以外)を...
ニッポン放送
の株を3月10日に買いました。 いま売却したら、6月末の株主総会には出席できないでしょうか?
株式会社ニッポン放送
(ニッポンほうそう)は、
関東広域圏
を
放送対象地域
とする
ラジオ局
である。略称・呼称は
コールサイン
から
LF
(ただし、旧法人設立から
1967年
9月30日
までの略称は
NBS
。尚、この略称は現在では
長野放送
が使用している)。
会社概要
産業経済新聞社
や
フジテレビジョン
とともに
フジサンケイグループ
を構成する中核企業である。
文化放送
と長く提携関係にあり、文化放送とともに
ラジオネットワーク
「
NRN
」の
キー局
を務めている。
もともと旧・フジテレビ(現・フジ・メディア・ホールディングス)の親会社的な存在であったが、
2005年
1月17日よりフジテレビによる子会社化を目的に
株式公開買い付け
(TOB)が実施される。同時期にインターネット関連会社
ライブドア
が、経営権奪取を目的として大量のニッポン放送株式を取得したが、同社との間で4月18日和解が成立し、9月1日にフジテレビの完全子会社になった。この件はさまざまな問題提起を残した。詳しくは
ニッポン放送の経営権問題
を参照のこと。
「
オールナイトニッポン
」の
キーステーション
として全国的には知られているが、リスナーからはしばしば葉書やお便りで「
ニッポン放送
」を漢字で「
日本放送
」と誤記されるため(これは創立時の社名でもある)、「
ニッポンはカタカナでお願いします!
」と言った後で、ニッポン放送の郵便番号を述べて葉書を募集する手順が通例である。その理由として、
日本テレビ
や日本テレビ系の中波ラジオ局
ラジオ日本(JORF)
、
NHK
の国際放送「
ラジオ日本
」と混同されることが挙げられる。そのため外回りリポートの際には「ラジオのニッポン放送ですが」と言うことが多かったが、
2005年
のライブドアによる株式大量取得事件で一躍有名となって以降は、前記のことを言わなくなった(なお、
大口郵便番号
の指定以降は郵便番号さえちゃんと書けていれば葉書などは一応届くことになっている)。今でも、「
ラジオビバリー昼ズ
」の
清水ミチコ
は「
ニッポンはカタカナでお願いします!
」と発言し、
山本剛士
は
ミュージックスクランブル
での宛先読みの際に時折「
カタカナでニッポン、漢字で放送
」と呼びかけている。
本社・演奏所は、
1997年
3月24日
〜
2004年
9月5日
の期間は、社屋建て直しのため、東京都
港区
台場
のFCGビル(通称フジテレビ本社ビル)にあった。台場移転の際に建て替えのための移転であることは殆ど前面に出されず、移転後も有楽町の局舎はスタジオを含めしばらく有楽町別館として存置されたこともあり、折角移転したのになぜ建て替えてまで有楽町に戻るのか?と疑問に思うリスナーも存在したもよう。
また、「
オールナイトニッポン
」の放送前後にはリスナーや担当パーソナリティのファンが玄関前で出待ちする光景がたまに見られる。
原則として4:30起点の24時間放送(土曜のみ5:00起点。日曜深夜1:30〜月曜早朝4:30は休止)。
レコード・CDの所有枚数は約22万枚。これはNHKについで多く、民放では最多の枚数を誇る。
送信機器は、開局当初から代々
NEC
製を使用している。これは、かつての大株主がNECであったことによる。
ラジオマスターは、かつてNEC製を使用していたが、現在は、
東芝
製を使用している。
歴代社長
植村甲午郎
鹿内信隆
石田達郎
羽佐間重彰
川内通康
亀渕昭信
磯原裕
(現職)
時報
時報音は開局以来現在まで鳩時計を模した特徴的なものを使用している。(同じものを
秋田放送
も使用)1992年3月15日よりAMステレオに対応したものに変更された。
「ピ(L)ポ(R)、ピ(L)ポ(R)、ピ(L)ポ(R)、ポーン(中央)」(ラ単音で鳩が鳴いてるような音である)
送信所
木更津送信所
送信アンテナ 120m支線式トラス鉄柱 サブ60m支線式トラス鉄柱 (施工
電気興業
)
旧
送信機
(1994年春まで) BN-7252V(
NEC
) MB-136C(
NEC
)いずれも
真空管
式
現送信機(1994年3月本格運用)MBT-9050A 50kWディジタル振幅変調方式(完全固体化)(
NEC
)×2台で100KW、設置工事NEC、
鹿島建設
MBT9100A(
NEC
)
:民間の大電力中波局の完全固体化としては文化放送の方が1年早かった(1993年3月運営)。但し文化放送はPWM(Pulse Width Modulation パルス帯域変調)方式であり、ディジタル振幅変調方式はニッポン放送が初めてである。PWM変調方式に比べて高電力変調増幅器が要らないため効率が良く消費電力も少なく発熱が少ない、変調時の歪みが少なく高品質の電波が出る、使用部品も少なくメンテナンスも楽など利点が多い。
STL 送受信装置(日立国際電気)出力10W、1.8mグリッドパラボラアンテナ。バックアップ回線として
KDDI
(開設時はTTNet)の光ファイバーとコーデック(英国APT社)を使用。
プリエンファシス OPTIMOD-AM4300(orban) OPTIMOD-AM9100B(orban) OPTIMOD-AM9400(orban;導入予定)
AMステレオエキサイタ AX-10(ブロードキャスト・エレクトロニクス)
送信局舎 鉄筋コンクリート 送信機室は2台のエアコン(総合10万kcal)で常時25度に保たれている
非常時用発電機 350kVA(
三菱
)
備考
1971年、100kW増力に伴い
足立区
から
木更津市
に移った。足立では1310kHz(kc)で50kWであったが、ここで増力すると強電界の影響を受ける世帯が多く、さらに
世田谷
、
多摩
、
神奈川
方面の難聴地域の対策にもならないため聴取率に響くことなどから木更津への移転を決めた。
このプロジェクトは名技術者高橋琢二の元に行われた。周波数は当初1310kHzの予定であったが、
FEN
(現
AFN
)810kHzのビート混信の懸念から郵政省(当時)から1240kHzに変更するよう指示があった。1240kHzへの変更には「
モスクワ放送
(1251kHz・1000kW)を妨害するため」などの諸説があるが、大電力局のため国際調整で1240kHzしかなかったというのが実情であろう。1978年に中波周波数が10kHz刻みから9kHz刻みに変更され、現在の1242kHzになった。
木更津送信所の電波は強力で、
静岡県
東部・中部(ニッポン放送の放送エリア西端)でも比較的良好に受信可能(特徴の項も参照)。また木更津送信所から直線距離で100km程度の場所では非常に受信状態が良くなることが、雑誌「
ラジオパラダイス
」での実験により確認されている。なお日中でも受信可能な限界は西は
愛知県
の
知多半島
辺りまでである。(大阪でも受信可能地区あり)
電離層
の反射具合が大きい冬場の場合、
四国
東部(特に
徳島県
の海沿い)だと10:00~15:00を除いた時間で聴取可能。また、
グアム
では夜間に受信状態さえ良ければ、
RFラジオ日本
と共に聴取可能であった。早朝は韓国の一部でも受信可能。
ただ、送信所の位置関係(他の関東広域圏を放送対象地域とする中波放送は
NHK
等を含め
埼玉県
内から送信)から
北関東
でも聴取困難な地域がある他、都内においても
新宿駅
を過ぎた辺りからの
中央線
沿線や、
練馬区
以西の一部を中心に
新宿新都心
の
超高層ビル
群の影響で他局よりも受信感度が落ちる地域がある。受信エリア外で比較的良好に受信可能な地域は、
秋田県
の
大潟村
付近などが確認されている。受信エリア外では電波が
電離層
を反射して届く夜間のみの受信に限られるが、ほぼ全国的に聴取でき、ニッポン放送だけ放送されている番組を聴取する人が多い。地元局
東北放送
の周波数が近い
宮城県
がその好例である。近畿広域圏では
毎日放送
の混信が入る可能性がある。なお西日本の一部地域では同一周波数の
韓国MBC
原州
局と混信する地域もある(皮肉にも親会社であるフジテレビとMBCは提携関係にある)。
足立予備送信所
足立送信所は非常用に残されており、木更津送信所のトラブル時に出力1kWで送信される。毎年5月中旬に、定期検査のデータ採取のため、月曜未明の放送休止中に
試験電波
を流して電界強度測定を実施している。なお、試験電波を受信して
受信報告書
を送ると「足立予備送信所1KW 受信確認」の印鑑が押された
ベリカード
が送られる。
1986年9月、ナイター中継中に電力会社側での地絡事故により木更津送信所が停止、急遽被害を受けていない足立予備送信所から送信された。また2006年8月14日には木更津送信所付近で停電があり、その際もこちらから送信された。
新聞番組表
産経新聞
の関連放送局ということで、産経新聞(関東向け=朝刊のみ)のラジオ
番組表
では、番組タイトル部分を
ゴシック体
で表記している。親会社
フジテレビ
の番組欄は、黄色く網かけされている(休刊日前に2日分掲載するときなど、ときどき網かけしないこともある。また、テレビ欄にフジテレビの番宣広告が掲載された場合は当該番組のみ網かけされる)。
また、多くの地方新聞では夜間~早朝に電波が全国で届きやすいことも配慮し朝刊のラジオ番組欄に
文化放送
、TBSラジオとともに深夜~翌朝の番組のみ掲載することが多いが、
鳥取県
の地方新聞である
日本海新聞
では関東のラジオ局で唯一当局を取り上げ、それを早朝からの全日分掲載しているが現地では通常昼間は電波は届かない。
沿革
設立~2002年
1953年
(昭和28)
12月23日
- 日本放送株式会社として予備免許取得。
1954年
(昭和29)
1月21日
- 日本放送株式会社を
株式会社ニッポン放送
に改称。
4月23日
- 設立総会を経て
株式会社ニッポン放送
設立。
7月7日
- 本免許取得。
7月15日
- 全国36番目、東京で3番目の本放送開始。周波数1310kC(kHzと同義)、出力50kW、略称NBS
1955年
(昭和30) -
ポニーキャニオン
の前身となる関連会社 株式会社ニッポン放送事業社を設立。その後、
1966年
(昭和41)
10月1日
に株式会社ニッポン放送サービスへと発展。
1957年
(昭和32)11月 - 東京地区のテレビ免許割り当てで、
文化放送
と共同で
フジテレビジョン
(以下フジテレビ)を設立。
1958年
(昭和33) - 文化放送と共同でステレオ実験放送を実施。
1959年
(昭和34)3月
株式会社深夜放送(後に株式会社フジサンケイエージェンシーへ)を設立。
24時間放送開始。
1962年
(昭和37)11月 - 国内初の
サテライトスタジオ
を
小田急百貨店
新宿店内に開設。
1965年
(昭和40)
5月3日
- 文化放送と共同で全国民放ラジオ31社を結ぶ
全国ラジオネットワーク
(NRN)を発足。
1967年
(昭和42)
10月1日
-
深夜放送
の長寿番組『
オールナイトニッポン
』が放送開始。また、この頃略称を
LF
に変更。(NBSの略称は、現在
長野放送
が使用)
1971年
(昭和46)
6月 - 増力のため
東京都
足立区
から
千葉県
木更津市
椿へ送信所を移転。
11月 - 周波数を1240kHzに変更。
1972年
(昭和47)10月1日 - オールナイトニッポン放送開始5周年。
1975年
(昭和50) -
視覚障害者
の為に
音響装置付信号機
その他を贈るべく、毎年
12月24日
から翌日
12月25日
にかけて24時間放送しているチャリティー番組『
ラジオ・チャリティー・ミュージックソン
』を開始。
1977年
(昭和51)
10月1日
- オールナイトニッポン放送開始10周年。
1978年
(昭和53)
11月23日
- ITU(国際電気通信連合)の取り決めで周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもって、周波数を1242kHzに変更、出力100kWに増力。
- 月 - 堤義明(当時の「
国土計画
(現・
プリンスホテル
)」オーナー)氏よりプロ野球球団「
横浜大洋ホエールズ
(現・横浜ベイスターズ)」運営会社の株式約30%を取得。
1981年
(昭和56)
12月
- 大型多目的公開スタジオ「ラジオハウス銀河」(第1スタジオを改装)完成。
1982年
(昭和57)
2月16日
- プリエンファシスを導入。
10月1日 - オールナイトニッポン放送開始15周年。
1986年
(昭和61)
4月1日
-
フジサンケイグループ
統一CI導入に伴い、ロゴ・マークを現在の「目玉マーク」に変更。
1987年
(昭和62)
10月1日
- オールナイトニッポン放送開始20周年。
1991年
(平成3)
10月
- 「
オールナイトニッポン
」25年目突入を記念して、
中島みゆき
、
タモリ
、
ビートたけし
、
笑福亭鶴光
の各オールナイトニッポンが、一夜限りの復活放送特別番組を放送した。
1992年
(平成4)
3月15日
- 午前9時から
AMステレオ放送
の本放送を開始(「右からきんさん・左からぎんさん」「元気にステレオ・ニッポン放送」と
きんさんぎんさん
出演によるCMが放送された)。それを記念した特番「
これがニッポン放送のステレオだ! ステレオオープニングスペシャル
」が生放送された。また時報もステレオ対応のものに変更。ニュース、交通情報のジングルを変更。
日枝グループにより
鹿内宏明
会長解任。
10月1日 - オールナイトニッポン放送開始25周年。
1994年
(平成6)3月 - 国産初の全固体化大電力デジタル振幅変調方式の送信機(
日本電気
製 MBT-9050A)を導入。
1996年
(平成8)
12月2日
-
東京証券取引所
第二部に株式を上場。
1997年
(平成9)
3月24日
- 老朽化した社屋(糖業会館ビル)建て直しのため、本社を東京都港区台場(フジテレビ本社ビル 正式名称:FCGビル)に移転。
10月1日
- オールナイトニッポン放送開始30周年。 30周年を記念して、翌年3月までの間、過去のパーソナリティが登場する特別番組「
オールナイトニッポンDX
」を放送した。
1998年
(平成10)
公式サイトを、フジサンケイグループのサイト内に開設
。
1999年
(平成11)
3月29日
-
LF+R
がスタート。
6月1日
- オールナイトニッポンのパーソナリティとして有名だった
亀渕昭信
が代表取締役社長に就任。
10月4日
- 公式サイトを現在のURL(1242.com, allnightnippon.com, jolf.co.jp, jolf.net)に移転。10月より一部番組で
メール
投稿の受付を開始。
2000年
(平成12)
3月25日
- ニュース、交通情報のBGMを変更。(現在も使用)
12月1日
-
BSフジ
の
超短波放送
チャンネルの一つとして「
LFX488
」の放送開始。『
ブロードバンド!ニッポン
』はじめ一部の番組は
インターネットラジオ
としても送信。BSデジタルラジオ用サイトlfx488.com開設。
2001年
(平成13)
BSデジタルラジオ用サイトを、lfx.jpに移転。
11月
-
フジテレビ
系列にて「
福山雅治
と
西川貴教
の
オールナイトニッポンTV
」が放送。
2002年(平成14)10月1日 - オールナイトニッポン放送開始35周年。
2003年
7月
-
村上ファンド
がニッポン放送発行済み株式の7%を取得(以後2004年3月までに19%近くまで買い増し筆頭株主となる)。
10月10日
-
エフエム東京
、
ジャパンエフエムネットワーク
と共同で
地上デジタルラジオ
実用化試験放送「
Digital Radio 98 The Voice
」を開始。1セグメント放送だけでなく3セグメント放送の試験放送も行う。
2004年
7月15日
- 開局50周年を記念した特別番組「
ニッポン放送開局記念日スペシャル 笑顔が一番!あなたと一緒に50年
」を放送。
9月6日
- 新社屋完成に伴い、本社を東京都千代田区有楽町(糖業会館・ニッポン放送本社ビル)に再移転。
2005年
1月17日
- フジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)がニッポン放送発行済み株式の
公開買付
(TOB) を発表(これにより両社の資本関係が逆転し、フジテレビの子会社になる予定だった)。
2月8日
- インターネット関係会社
ライブドア(現:LDH)
が子会社のライブドア・パートナーズと合わせて株式の35%を取得、ライブドアグループが筆頭株主となる。
2月10日
- フジテレビがニッポン放送株式TOBでの株式保有比率目標を「50%超」から「25%超」に引き下げ、買い付けの期限を3月2日まで延長すると発表。
2月23日
- フジテレビに対し4720万株分の
新株予約権
を割り当てると発表。
2月25日
- ライブドアがフジテレビを対象とした新株予約権発行を不服として
東京地裁
に発行差し止めの仮処分申請。
3月8日
- フジテレビによるニッポン放送株式TOBが成立、同社発行済み株式総数(3280万株)の36.47%を取得したと発表。
3月11日
- ライブドアの差止請求が認められ上記の新株予約権発行は無効に。ニッポン放送は東京高裁に対して即日抗告。
3月23日
- 上記の新株予約権発行差し止めの仮処分を不服としたニッポン放送の東京高裁に対する抗告が棄却された。同社は新株予約権発行を断念。
3月24日
- ニッポン放送は
ソフトバンク・インベストメント
(SBI) に対して、ニッポン放送が現在所有するフジテレビ株を5年間の期限付きで貸し与えた。
3月27日
-
1955年
以来、50年間続いた長寿番組『
新日鉄コンサート
』が終了。
4月18日
- ライブドアとフジテレビが和解、ライブドアグループが所有するニッポン放送株式全てをフジテレビに譲渡すると発表。フジテレビによる完全子会社化に目途が立つ。
4月22日
- ライブドアが「ニッポン放送株式をフジテレビと“共同保有している”」とした「大量保有報告書」を関東財務局に提出。
5月23日
- フジテレビがライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を「ニッポン放送ホールディングス」(2006年4月に存在した会社とは別の会社で、
2005年
7月12日
にフジテレビと合併)に変更、フジテレビ保有のニッポン放送株式が合わせて68.87%となる。フジテレビによるニッポン放送の子会社化を円滑に進めるため、
産業活力再生特別措置法
の適用認定を申請。
5月24日
- ニッポン放送株式を東京証券取引所が
監理ポスト
に割り当てる。
5月25日
- ニッポン放送が自社株式のTOBを開始。
6月10日
-
総務省
が産業活力再生特別措置法の適用を認定。
6月16日
- ニッポン放送による自社株式のTOBが完了。ライブドアが保有する株式の大半を含む964万株を取得。これに伴いライブドアは主要株主から外れる。
6月22日
-
7月20日
- フジテレビの深夜
ドラマ
枠『
ディビジョン1
』で、ニッポン放送(主にオールナイトニッポンの制作現場)を舞台としたドラマ「
1242kHz こちらニッポン放送
」が放送(全4回)。この番組は6月22日深夜(正確には
6月23日
)の松浦亜弥のオールナイトニッポンで松浦がこのドラマの模様を解説。
6月24日
-
磯原裕
専務が社長に就任、
亀渕昭信
社長は退任し相談役に。
6月28日
- ニッポン放送株式が東京証券取引所の
整理ポスト
に移行。
6月30日
- SBIに貸し出されていたフジテレビ株式がニッポン放送に返却される。これによりニッポン放送がフジテレビの筆頭株主に復活。
7月28日
- ニッポン放送株式が東京証券取引所の上場廃止。
9月1日
- フジテレビとの間で株式交換を実施、フジテレビによるニッポン放送の完全子会社化完了。
10月3日
- 「
ニッポン放送Podcasting STATION
」を開設、
ポッドキャスティング
によるインターネットラジオ配信を開始。
12月25日
- フジテレビ系列にて「
松任谷由実
のオールナイトニッポンTV」が放送。
2006年
1月19日
-
総務省
がニッポン放送のラジオ事業部門の会社分割に伴う免許承継を認可。
3月31日 - BSフジの超短波放送チャンネル撤退にともない、「LFX488」の放送が終了。
4月1日(休日につき、登記は4月3日に実施)
「株式会社ニッポン放送ホールディングス」に商号変更すると共に、ラジオ事業会社としての新会社「株式会社ニッポン放送」が中波放送局免許及び中波ラジオ放送事業をニッポン放送ホールディングスから
会社分割
(新設分割)により承継。ロゴマークは新会社がそのまま承継した。
ニッポン放送ホールディングスをフジテレビが吸収合併。
アナウンサーを含む47人(全社員の約2割)を除いたすべての社員が新「ニッポン放送」に転籍、47人はニッポン放送ホールディングスのフジテレビへの合併によりフジテレビの社員になった(事実上のフジテレビへの転籍)。
これにより、旧ニッポン放送(ニッポン放送ホールディングス)の子会社がフジテレビの子会社に、ニッポン放送がフジテレビの完全子会社になり、フジテレビを資本的に
フジサンケイグループ
の統括会社にする作業が完了した。
LFXBBを、地上デジタル音声実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーション
LFX mudigi
としてリニューアル。
9月30日
- 4月の会社再編でフジテレビの社員になっていた元ニッポン放送アナウンサー全てが番組から降板、もしくは番組終了。
10月1日
-
地上デジタルラジオ
実用化試験放送のチャンネルが、9501チャンネル(愛称mudigi)に移動し、1セグメント放送のみに変更。
2007年
3月中旬 -
Suono Dolce
専用サイト開設(suono.jp)。
4月2日
-
LFX mudigi
を地上デジタルラジオ実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーション
Suono Dolce
としてリニューアル。地上デジタルラジオのチャンネル名を
D-JOLF
に変更し、サブチャンネルの
JOLF+
を創設。
10月1日 -
オールナイトニッポン
放送開始40周年。
2008年
1月29日
・
1月30日
-
北京オリンピック
ハンドボール
アジア地区最終予選の再試合を行うにあたり、日本で行われる国際試合としてラジオ史上初のハンドボール実況生中継を放送。(ハンドボールのラジオ実況は1997年の
熊本放送
以来)
2月18日
- 番組が受け付ける
FAX
番号を一般電話番号から
ナビダイヤル
に変更。
2月23日
13:00-
2月24日
29:00 まで 「
オールナイトニッポン
」40周年の
特別番組
・「
俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル
」を放送した。
ビートたけし
・笑福亭鶴光・
タモリ
・
松任谷由実
・
ウッチャンナンチャン
などの歴代パーソナリティーが久々に放送し、
福山雅治
・
ナインティナイン
と現在のパーソナリティも放送した。
9月29日
-
地上デジタルラジオ
「
D-JOLF
」のサブチャンネル「JOLF+」を、「
ニッポン放送DIGITAL
」に改称。地上波ニッポン放送のサイマル放送を開始。
10月1日
- フジテレビの持株会社化により、
フジ・メディア・ホールディングス
の完全子会社となる。
設備
糖業会館・ニッポン放送本社ビル
:建て替え前は「糖業会館ビル」という名称で、社団法人糖業協会が所有していた。建て替えを機に合築し、共同所有となった。
:地下4・3階、地上2・3階は、糖業協会が使用。地下1階はテナント「
ニユートーキヨー
綴 TSUZURI」が使用。
地下2階
imagineSTUDIO
(イマジンスタジオ 第1スタジオ) - 大型多目的公開スタジオ。
ジョン・レノン
の楽曲「イマジン」に由来。壁面ガラスにジョン・レノンのサインが刻まれたプレートが埋め込まれている。
1階 - 受付・車庫
4階
:帯番組の生放送に関しては、第2スタジオと第3スタジオを交互に使用している。
マスター(
東芝
製を使用)
報道部
テレフォンセンター
第2スタジオ - 生放送用スタジオ。窓からザ・ペニンシュラ東京や日比谷公園が見える。
第3スタジオ - 生放送用スタジオ。通称レトロスタジオ。かつては昭和30年代をイメージした家具・雑貨が置かれていたが、2006年に家具・雑貨は撤去されている。また、窓からDNタワー21が見える。
6階
第4スタジオ - 準放送用スタジオ。主に録音番組の収録に使用。
第5スタジオ - 準放送用スタジオ。主に録音番組の収録に使用。
第6スタジオ - 準放送用スタジオ。録音番組・地方局向け番組の収録に使用。
第7スタジオ - 準放送用スタジオ。主に録音番組の収録に使用。
編集室
9階
スタジオX - インターネットラジオ・デジタルラジオ専用スタジオ。現在は
Suono Dolce
で使用している。かつてBSデジタルラジオ
LFX488
専用スタジオとして設置・使用されていた。
サテライトスタジオ
ニッポン放送は1960年代前半、当時テレビに押され気味だったラジオの媒体価値を高めるべく、ラジオがより身近な存在である事をアピール。局舎以外に公開スタジオを設置する事となり、これを
サテライトスタジオ
(通称・サテスタ)と呼んだ。このサテスタ作戦は成功し、文化放送は追従したが、TBSラジオは背を向けた。現在でもFM局も含め、全国各局で採用されている。
新宿
(
小田急百貨店
2階。現在は
三菱東京UFJ銀行
の一部 1962年-?)
新宿(
伊勢丹
内)
雷門サテライトスタジオ(浅草 常盤堂本店1階 現在は店舗の一部)
池袋
(
西武百貨店
2階。現在は百貨店のディスプレイ)
銀座
(
三愛
ドリームセンター内)
西銀座サテライトスタジオ(西銀座デパート1階 現在は隣接していた
宝くじ
チャンスセンターが増床 サテライトスタジオのさきがけ)
有楽町
Radio Town(有楽町 読売会館2階南側(
ビックカメラ
有楽町店内) 現在はビックカメラ有楽町店の一部 2001年6月-2004年3月)
ラジオカー
80)]] 他社に先駆けて1960年頃に主要13交差点の混雑状況を報じる「交通ニュース」放送開始。その後アメリカのラジオ局にならい「ニッポン放送ヘリ情報」と題してヘリコプターから交通情報や報道を行っていたが、
日本道路交通情報センター
が設置され、そこからの中継に移行したためヘリは廃止された。その後
1970年
3月2日
に街角からのレポート・報道中継を目的として、中波ラジオ局としては初めて
ラジオカー
を導入。その後、各局が追随した。当初は2台(セダン型の車両を使用 愛称:ニッポン1号・ニッポン2号 塗装は、緑と白の塗り分け)で、
JAF
のロードサービス隊員が乗車していた。 車両には、車体側面に社名が、ボンネットにフジサンケイグループの目玉マークが、必ず描かれている。
ラジオカー1号車 - 代々
日産自動車
の車が使用され、青色の塗装が施される。現在は
エクストレイル
を使用。「
三宅裕司のサンデーハッピーパラダイス
」の中継では、必ずこのラジオカーが使用される。
ラジオカー2号車 - 代々
トヨタ自動車
の車が使用され、桃色の塗装が施される。現在は
マークIIブリット
を使用。
ラジオカー3号車 - 黄色の塗装が施される。1号車・2号車と違い、メーカーが変遷している。
1980年代後半までは代々
マツダ
の車を使用。
1990年代から2000年代中盤まで代々
ホンダ
の車を使用(主に
アコードワゴン
が使われた)。
2000年代中盤以降は
スズキ
に変更(
帯の冠ミニ番組
が放送されている関係とおもわれる)。
エスクード
が使用されている。
中継車
- ラジオカーの電波が受信基地に届かない場合に、ラジオカーの電波を受信基地まで中継するために使われる。現在は
トヨタ・ランドクルーザー
と
トヨタ・ハイエース
を使用。ハイエースは黒色で、車体側面にニッポン放送のロゴ・目玉マークがある。ランドクルーザーは、
阪神・淡路大震災
の際に被災者にポケットラジオを寄贈した際にも使用。
マイクロバス
- 別途機材を積んでラジオカーとして使用することがある。
トヨタ・コースター
を使用。
ウェザーカー - 車体側面に青空をモチーフにした絵と番組名が塗装され、代々トヨタ自動車の
トヨタ・エスティマ
が使用されている。2台所有。
TOYOTA ハッピータウンサーキット
専用。1999年に前身番組の「
TOYOTA 飛び出せ街かど天気予報
」の放送開始に伴い導入。車両は番組の単独スポンサーであるトヨタ自動車より提供されたもの。
車両は4年ごとに更新される。ラジオカーの最大出力は50W。中継は、本社・霞が関ビル・新宿・サンシャインビル・支局等に設置された受信装置に送られ、そこから専用回線を使って本社に送られる。
ID
開局当時から、民間放送では珍しく
君が代
が演奏されている。
1998年
3月
までは毎日の放送開始=24時間放送に移行後は1日の基点時間に毎日演奏されていたが、同年
4月
以後は月曜日と土曜日の早朝の開始(基点)時間に演奏されるのみとなり、火 - 金曜日と日曜日の早朝の
ジャンクション
は、フランク・ミルズの「街角のカフェ(from a sidewalk cafe)」の演奏と共にアナウンスが行われる。
終了時はアナウンス後、ジョニー・ピアソンの「朝もやの渚(SLEEPY SHORE)」が演奏される。
一日中放送内でCM明けにコールサインが放送され、また1時間ごとに、IDコールが行われる(無線局運用規則第138条第2項の毎時最低1回の局名告知義務に基づくもの)。広告入りの物もある。
月曜日の早朝はメンテナンスが行われるが、4:15から試験放送が行われる(2007年9月までは4:45からであったが、
小倉淳の早起きGoodDay!
の開始に伴い、30分早められた)。その際流れるのは
エンヤ
の「Orinoco Flow」「Caribbean Blue」「Book of Days」「Anywhere Is」の順に流される。そのあとコールサインチェック、君が代の演奏、
緊急警報放送
システムの試験信号放送が行われ、通常放送がスタートする。
番組
ニッポン放送タイムテーブル
(※オールナイトニッポンも含む)
ニッポン放送番組一覧
アナウンサー
アナウンサーは、生活情報・音楽・バラエティなどが中心の制作部と、スポーツ専門のスポーツ部に分かれる。なお、報道部はアナウンサーではなく記者として扱われている。
制作部
アナウンサールーム
那須恵理子
(アナウンサールーム長)
斉藤安弘
(アンコー)
栗村智
上柳昌彦
(うえちゃん)
山本剛士
(
アール・エフ・ラジオ日本
より移籍、山本元気)
増山さやか
(増山小綾香)
垣花正
(カッキー、LFクールK)
吉田尚記
(ヨッピー(
アニラジ
では「ヲタノリ」とも呼ばれていた。))
増田みのり
(増田美乃里)
新保友映
飯田浩司
(飯田コージ)
スポーツ部
胡口和雄
師岡正雄
(
九州朝日放送
より移籍)
松本秀夫
(松本ひでお)
煙山光紀
(ラジオたんぱ(現:
ラジオNIKKEI
)→
テレビ北海道
より移籍)
山内宏明
洗川雄司
清水久嗣
(
TOKYO FM
より移籍)
報道部記者
井土厚
(平日午後デスク)
森田耕次
(TOKYO FMより移籍、報道部副部長)
村木正顕(日→月)
畑中秀哉
(月→火)
藤原高峰(火→水)
宮崎裕子
(水→木)
宮崎文子
(木→金)
岡宏(金→土)
三島通義
(土→日)
支局アナウンサー
すべて契約アナウンサー。交通情報(昼~夕方)や、地域情報番組「ハロー埼玉」(2006年度から休止)・「ハロー千葉」・「ハロー神奈川」を担当。なお東京都内の交通情報は
日本道路交通情報センター
が担当。
東日本支局(通称 埼玉支局)
酒井美穂(月~火)
久米ちえ(名前の漢字表記不詳)(水~金)
千葉支局
林まり(名前の漢字表記不詳)(月~火)
屋木綾伊子(水~金)
神奈川支局
三宅和美(月~水)
田中久恵(木~金)
※かつて静岡支局が存在していたが、1990年代に神奈川支局に統合された。他の支局のような地域情報や交通情報の枠はなく、営業拠点として存在した。
ディレクター・プロデューサー
勅使川原昭
節丸雅矛
桜井達也
石田誠
遠藤竜也
(報道部から移籍)
高田陽平
鳥谷規
曽我部哲弥
くり万太郎
(高橋良一)
長浜純
柿崎竜也
松村有希子
館野美欧
(スポーツ部)
下の名前が不明の人物
柴田ディレクター
小山ディレクター
宗岡ディレクター
青木ディレクター
富山ディレクター
木村ディレクター
ほか2人
晴れ晴れキャスターズ
1994年10月-2006年9月まで放送されていた
TOYOTA 飛び出せ街かど天気予報
のウェザーキャスター。
淵澤由樹
廣田みゆき
山口良子
(
日本気象協会
→フリー)
花村あづさ
山本かおる
遠藤眞希
最所千加子
河合薫
荒川れん子
過去の在籍者
フジテレビに転籍したアナウンサー
2006年
4月
にニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送)が親会社のフジテレビジョンに吸収されたため、11人のアナウンサーがフジテレビに転籍した(なお7月に栗村がニッポン放送に戻った)。これらのアナウンサーは転籍後半年はテレビ・ラジオ双方に出演していたが、9月いっぱいで契約が切れた為、番組自体が終了したり、担当している番組から降板した。10月以降これらの穴埋めはニッポン放送のアナウンサーやタレントが行っている。(ただし小野のみテレビだけでなく、2007年10月以降も引き続きニッポン放送のスポーツ中継で実況を担当している。この場合、ニッポン放送の番組担当時は出向扱いとなる。)。
小野浩慈
塚越孝
(「つかちゃん」・塚たんくろう・塚越パセリ)
桜庭亮平
(「さくちゃん」)
松元真一郎
川野良子
(川野よしこ)
田代優美
福永一茂
山本麻祐子
(山本まゆ子)
冨田憲子
(冨田のりこ)
鈴木芳彦
その他
阿部宏美
(1991~1993、現:
昭和プロダクション
所属の
フリーアナウンサー
、
MBSラジオ
「
子守康範 朝からてんコモリ!
」月・火曜アシスタント)
石川みゆき
(1981~1989、元・アナウンサー)
石黒新平
(元・
東北放送
→
圭三プロダクション
、2004~2006、現在は圭三プロダクションに再び所属)
石原捷彦(元・編成部長、
扶桑社
常務
を経て
FM802
へ。現・同局相談役)
糸居五郎
(1954~1981、近畿放送=現:
京都放送
(KBS京都)から移籍。昭和を代表する
DJ
の第一人者。故人)
入江たのし
岩下方彦
(現:フジテレビ記者)
岩附孝(報道部記者)
今仁哲夫
(1961~?、いまに哲夫)
海野尾順子
大平透
(1954~1955、開局当時のアナウンサー兼プロデューサー、現・
声優
)
岡部豊
(1994~2005、元・制作部ディレクター、現・株式会社アンビッシュ代表取締役社長)
小口絵理子
(1998~2003、元・アナウンサー)
梶幹雄
(1965~1992、梶みきお)
勝呂智子
加藤久雄
(スポーツ部アナウンサー)
上村頁聖
神田比呂志
(元・制作部ディレクター)
木藤隆雄
(1971~1974、木藤たかお、現・
南海放送
ラジオ「
木藤たかおのラヂオ本町!一丁目一番地!
」及び「
木藤たかおの日曜Press-Club
」パーソナリティー)
木村篤
倉本聰
(現:「
北の国から
」で有名な脚本家)
小林達彦
(1969~2000)
柴田かおる
下角陽子
東海林のり子
(1957~1971、元・アナウンサー 現:レポーター)
瀬戸将男
荘口彰久
(1992~2004、そーぐち 元・アナウンサー 現:
アミューズ
所属のフリーアナウンサー、
TOKYO FM
「
COUNTDOWN JAPAN
」パーソナリティー、「
福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ
アシスタント)
高嶋秀武
(1965~1990、高嶋ひでたけ・高島ヒゲ武 元・アナウンサー 現・「
高嶋ひでたけの特ダネラジオ 夕焼けホットライン
」パーソナリティ)
高崎一郎
(現・
三越
顧問)
高橋尚代(アナウンサーとして入社前に
ラジオっ娘
の高橋めぐみとしても出演)
高岡寮一郎
田畑達志
土屋夏彦
(1980~2002、元・プロデューサー。現・
So-net
ポータル事業部門部門長・エグゼクティブプロデューサー)
常木健夫
田中千恵
手島里華
(1995~1997、
TOKYO FM
アナウンサー、1997~2006 → 現・
J-WAVE
アナウンサー)
寺内壮
(1987~1991、寺内たけし、その後
日本テレビ
に移籍。音楽番組担当
プロデューサー
を経て現在は編成局編成部企画担当チーフ)
堂尾弘子
(1977~1986、元・アナウンサー)
中山千彰
仲佐かおり
西村知江子
(1973~1981、
大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)
所属→現・フリー、TBSラジオ「
大沢悠里のゆうゆうワイド
」月曜日アシスタント)
根岸紀子
(元・アナウンサー)
能勢裕子
波多江孝文
(
琉球放送
から移籍、1978~、はたえ金次郎・はた金次郎、現在は編成局製作部特別職)
枇杷阪明
(1957~1992)
比嘉憲雄(ひがのぼる、現・
J-WAVE
「
J-WAVE GOOD MORNING TOKYO
」の報道キャスター)
深澤弘
(東北放送から移籍、1964~1994、現:
FM PORT
東京支社長、同局「SUNDAY SPORTS BAR」パーソナリティー)
宮田統樹
深山計
(
中国放送
から移籍、1989~2002、現:スポーツマネジメント会社「ライツ」取締役)
村上真由子
(1990~2000、村上まゆこ 元・アナウンサー 現・フリーアナウンサー・タレント)
安岡喜郎
(現:日本テレビ制作局
チーフプロデューサー
)
山岡和美(ジャネット山岡、元・アナウンサー 1998年3月ニッポン放送ディレクター(当時)
田所健太郎
と結婚)
山田透
(
RFラジオ日本
から移籍、1983~1996、山田くらのすけ)
山田祐嗣
(1957~1962、元・アナウンサー 1962年にフジテレビへ移籍)
湯浅明(産経新聞記者を経て、現在は音楽ジャーナリスト。
NACK5
「
WARMING UP MUSIC
」でピンチヒッターを務めることがある。
国際弁護士
の
湯浅卓
は実弟)
吉村達也
LF+R
LF+R
を参照。
オーディエンス・セグメンテーション
ニッポン放送が提唱したラジオ番組編成理論。時間帯によって主たる聴取者を選択し、その聴取者層に合わせて番組を編成する(例:朝・夕方―通勤者、昼―自営業者、車両で外回りする人、夜―若者 これは大まかな分け方で、実際には更に細分化している)。厳密な市場調査を重ね、1964年4月編成より導入した当初は各方面から無謀ととらえられたが、ニッポン放送の成功により文化放送も追従。毎日放送など全国各局もこれを取り入れたが、TBSラジオは当初これに対抗してあらゆる層の聴取者を対象とした総合番組(「オーナー」等)を製作し、編成する方針を打ち出したものの、結局は導入した。
現在、この理論は民放中波ラジオ編成の基本となっている。
特徴
送信所の位置関係からTBS・文化放送が北関東の企業・自治体のCMが多い(文化放送は
埼玉県
を更に重視)のに対し、ニッポン放送は、在京ラジオ局では
神奈川県
と
千葉県
等南関東の企業・自治体のCMが多く放送されている。
送信所の項で書かれているように静岡県中部では他の在京局よりもクリアに受信できる。
東名高速道路
の
日本坂トンネル
(
静岡市
と
焼津市
の境)以東の全トンネルでは在京民放AMラジオ(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)が受信できるようになっているが、
国道150号線
の
新日本坂トンネル
、また
大井川
以東の
国道1号
、
静岡県道29号梅ケ島温泉昭和線
、
国道362号
、
国道473号
、
静岡県道・山梨県道10号富士川身延線
、
静岡県道64号島田川根線
の各トンネルでは在京民放局で唯一ニッポン放送が受信可能となっている。要するに、同県中部地区でラジオ再送信を行っているトンネルすべてにおいてニッポン放送が受信できるということである。ニッポン放送が出版する書籍に関して、首都圏以外に静岡県のコンビニでも販売されるのはこのような理由からである。
ニッポン放送のアナウンサーはプロ野球や競馬の観衆を表現するときに、伝統的に「お客様」という表現をしている。この表現は、アナウンサーがフジテレビに転籍したりフリー転向後も概ねこの表現をしており、ニッポン放送出身アナウンサーの特徴となっている。
その他のメディア
以下はニッポン放送が編成・発行する、中波放送以外のマスメディア。
LFX488
:
BSデジタルラジオ
局。
2000年
12月1日
開局、
2006年
3月31日
閉局。
LFX BB:
インターネットラジオ
局。
LFX488
の一部番組のサイマル放送と、
ブロードバンドニッポン!
の一部コーナーのオンデマンド配信のみを行っていた。
2001年
9月24日
開設。
2006年
4月1日
より
LFX mudigi
に改称。
LFX mudigi
: 旧LFX BB。
インターネットラジオ
局。
2006年
4月1日
に改称し、
2007年
4月2日
より
Suono Dolce
に改称。
Digital Radio 98 The Voice:
地上波デジタルラジオ
実用化試験放送局のチャンネル。東京地区9801チャンネル
2003年
10月10日
の実用化試験放送局開局から
2006年
9月30日
まで、
エフエム東京
・
ジャパンエフエムネットワーク
と共同運営していた。デジタルラジオの構成社再編に伴い、
10月1日
にmudigiへ移動。
mudigi
:
地上波デジタルラジオ
実用化試験放送局のチャンネル。東京地区9501チャンネル。
2003年
10月10日
に9801チャンネルで開局し、
2006年
10月1日
より現在のチャンネルに移動。割り当てチャンネル枠自体は
伊藤忠商事
と共同運営。
Spopre
: スポーツ情報専門のフリーペーパー。
2003年
創刊。
ニッポン放送 ポッドキャスティングステーション
:
ポッドキャスティング
による
インターネットラジオ
局。
2005年
10月
開設。
Suono Dolce
(
D-JOLF
): 旧
mudigi
。
デジタルラジオ
・
インターネットラジオ
局。
2007年
4月2日
に現在の名称に改称。
ニッポン放送DIGITAL
(旧
JOLF+
):
地上デジタルラジオ
D-JOLFのサブチャンネルとして、
2007年
4月2日
に特別番組専用のチャンネルとして開局し、2008年9月29日にニッポン放送DIGITALに改称。地上波ニッポン放送のサイマル放送を行う。
歴代キャッチコピー
※カッコ内はイメージキャラクター等に起用されたタレント
1974~1975年 ハッピーラジオ (74年:
研ナオコ
、75年:
林寛子
)
1976年 ハッピーラジオ・健康作り (
秋野暢子
)
1977年 フレッシュラジオ (
木之内みどり
、
松本ちえこ
、
岡田奈々
)
1978年 フレッシュラジオ・笑顔でファイト (
荒木由美子
)
1979~1980年 笑顔がきこえる (79年:能勢慶子)
1981~1982年 いまラジオ時代
1983年 ボクハキミノココロノナカニイル
1984年 いますぐ逢いたい (
THE ALFEE
)
1985年 また、おまえか!(
チェッカーズ
)
1986年 もお!たーいへん! (
とんねるず
)
1987年 まかせてチョンマゲ!
夢工場
ニッポン放送 (
デーモン小暮閣下
、
南野陽子
)
1988年 トンデモはねてる! (
光GENJI
)
1989年 かぼちゃ計画 もも計画(
B21スペシャル
、ジングル歌唱:
久保田利伸
)
1990年 オモスルドロイカ!?
1991年 みんなのラジオ
1992年 そこまでいうか! そこまでやるか!
1993年 あっけら、感動(CAN DO)。
1994年 みんなでやんちゃ ラジオはおもちゃ おちゃめでニッコリ!
1995年 未来(みら)くるラジオ (トータルプロデューサー:
テリー伊藤
)
1996年 笑ってチョーナイ!
1997年 青春花吹雪!(テリー伊藤)
1998年 がんばれ!ニッポン放送
1999年 ゆずとだんごとニッポン放送(ゆず)
2000年 ビビッと!夢見るニッポン放送(
コブクロ
)
2001年~2002年 なし
2003年
あなたがいるから、ニッポン放送
(
矢口真里
)
2004年 メジャーなラジオ、ニッポン放送。(
松井秀喜
)
2005年 なし
2006年 だったらラジオ!ニッポン放送 (
オリエンタルラジオ
4~6月→
いきものがかり
7月~12月)
2007年 ニッポン放送があるじゃないか!
2008年 ビビッとくる!ニッポン放送
2008年 55&GOES ON(開局55周年、糸居五郎のフレーズから)
関連企業
フジ・メディア・ホールディングス
(フジサンケイグループの持株会社。現在の完全親会社。)
ニッポン放送グループ(持分法適用会社)
株式会社ニッポン放送プロジェクト -
ラジオリビング
運営、フジサンケイグループを対象としたリース事業
株式会社一口坂スタジオ - スタジオレンタル、音響・映像制作
株式会社
ビッグショット
- 広告代理店・アニメーション製作会社→フジサンケイグループ内の広告代理店再編に伴い、フジサンケイアドワーク・ティーコムコーポレーション・
富士アドシステム
と合併し、株式会社
クオラス
となり、フジテレビグループに移動。
株式会社フジサンケイエージェンシー - フジサンケイグループ従業員を対象とした各種保険の仲介
フジテレビグループ
株式会社彫刻の森 -
箱根 彫刻の森美術館
内のテナント・フジテレビ本社内のアンテナショップ運営
ポニーキャニオングループ
株式会社
ポニーキャニオン
- 音響・映像ソフトの制作・販売
株式会社ニッポンプランニングセンター - デザイン業
株式会社
サウンドマン
- 多くの番組にディレクター・ミキサーを派遣 かつてはニッポン放送グループ傘下
関連放送事業者
フジテレビジョン
(フジサンケイグループ。現在は兄弟会社で元親会社かつ、元子会社。)
以上、
FNN
/
FNS
系列。
文化放送
(フジサンケイグループ。ニッポン放送と共にNRNキー局。)
東海ラジオ
(
東海テレビ
と関連、
中日新聞
(産経新聞と提携)系列ラジオ局、
朝日新聞
も出資)
ラジオ大阪
(フジサンケイグループ。産経新聞社のグループ企業。)
熊本放送
(文化放送と共に大株主となっている。
JNN
・
JRN
・
NRN
加盟。実態は
熊本日日新聞
系列)
ラジオ沖縄
(文化放送と共に大株主となっている。実態は
琉球新報
系列)
以上、
NRN
系列。
テレビ神奈川
(tvk/
独立局
&
首都圏トライアングル
)
J-WAVE
(旧
セゾングループ
と共に主要株主の一社)
FM802
(産経新聞と共に主要株主の一社)
横浜エフエム放送
(Fm yokohama/筆頭株主)
脚注
関連項目
鹿内信隆
鹿内春雄
フジサンケイグループ
オールナイトニッポン
通信と放送の融合
フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ
ラジオびんびん物語
フジテレビ深夜ドラマ
ディビジョン1
1242kHz こちらニッポン放送
ニッポン放送の経営権問題
ニッポン放送 ポッドキャスティングステーション
ニッポン放送プロジェクト
ニッポン放送携帯電話情報サービス
横浜ベイスターズ
(1978年~2006年まで第2位株主。持株は現在フジ・メディア・ホールディングスが承継し保有。)
東京ヤクルトスワローズ
SBIホールディングス
大滝詠一
(自身のレコードレーベル
ナイアガラレコード
が倒産してからCBS・のニーレコード移籍まで傘下だった。)
参考文献
ニッポン放送編 『ラジオ・カタログJOLF』(
サンケイ出版
、1982年)
外部リンク
株式会社ニッポン放送
(企業トップページ)
ニッポン放送
(昼の番組のサイト)
オールナイトニッポン
(夜の番組のサイト)
インターネットラジオ
(デジタル・インターネットラジオ Suono Dolceのサイト)
ニッポン放送EVENT
(イベント情報のサイト イベント部運営)
FUJISANKEI COMMUNICATIONS GROUP
* 13につほんほうそう
----------------------------------------------
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.
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,
kizasi
,
hatena
,
OKWave
.