タミル・イーラム解放のトラ(
タミル語:தமிழீழ விடுதலைப் புலிகள்、
英:
Liberation
Tiger of
Tamil
Eelam、
LTTE)は、
スリランカ国内において多数派の
シンハラ人に対して武装闘争を展開している少数派
タミル人の
テロリスト組織。
概要
スリランカ北部と東部に
タミル族の独立国家
タミル・イーラム(『イーラム』はスリランカを意味するタミル語)を建国し、スリランカからの分離独立の獲得を主張して設立された。しかし、2003年の政府との和平交渉において、『分離独立』は放棄し、連邦制を採用することで合意している。インド共産党毛沢東主義派と連携しているという説がある。
リーダーは
ヴェルピライ・プラブハカラン。兵力は約9,000名とされていたが、2004年にカルナ派分離により、2006年現在で約4,000名と推定される「知恵袋2007」朝日新聞出版。スリランカ北部と東部の沿岸州で軍事行動を展開していたが、ノルウェーを仲介して成立した停戦が破棄された後、政府軍の攻撃で組織的な軍事行動の範囲を狭め、2008年11月には約20年ぶりに政府軍が北部の西海岸を奪還、事実上の首都として機能してきたキリノチにも迫っている(2008年11月現在)。しかし、テロ攻撃は依然、全土で行っている。
世界タミル協会、世界タミル運動、在カナダ・タミル人協会連盟等の国際組織から合法的に開設された銀行口座を通して資金援助を受けており、旧ソ連諸国から武器を調達している。武器は、小火器が主体だが、高速艇等の船舶や小型航空機も有している。
設立
設立の背景
政府は悪化するスリランカ経済に対する不満をそらすためにシンハラ政策を推し進め
「復興を遅らせるスリランカの深刻な民族対立」、1965年にはシンハラ人による反タミル人・キャンペーン、
民族浄化を提唱する
人民解放戦線が創設された。1970年に就任した
シリマヴォ・バンダラナイケも、1978年に大統領に就任した
ジャヤワルダナもタミル人政策には着手しなかった。1972年制定のスリランカ共和国憲法でも、1978年制定のスリランカ民主主義共和国憲法でも、『仏教に至高の地位を与える』という条項は残り、タミル人への差別は続いた。
LTTEの設立
タミル人の穏健派は、
ACTC→
タミル統一戦線(TUF)→
タミル統一解放戦線(TULF)という変遷を経て、政治的手法を用いながら
インドの
タミル・ナドゥ州及びスリランカのタミル人居住区から成る統一タミル人国家の創設を主張した。
一方、1970年になると、タミル人に著しく不利な「大学入学の標準化政策」の阻止を目的に、武装した若者による過激派も形成されていく。1972年、タミル人の言語と教育を守るためには武器をとるのが唯一の方法と考えた当時18歳の
ヴェルピライ・プラブハカランは、
新しいタミールの虎(
Tamil
New
Tiger、
TNT)を設立、1975年にジャフナ市長を暗殺する。
1975年5月5日、
TNTを母体に
タミル・イーラム解放のトラが設立され、
プラブハカランが議長及び軍司令官に指名された。その後、1977年と1981年に
シンハラ人によるタミル人への暴動が起き、タミル人の
LTTEを始めとする武装団体への支持が高まっていった。
闘争の経緯
1980年代に入ると、スリランカ政府は穏健タミル政党である
TULFを非合法化し、タミル人との対話を完全に断絶してしまう。
そして、LTTEはゲリラの訓練をインド南部で行い、訓練キャンプを各地に設立し、本格的な武装闘争を展開し始める。
1983年7月23日、
LTTEは地雷を用いた初めてのゲリラ攻撃を行い、政府軍兵士13人を殺害する。これをきっかけに7月25日、コロンボで大規模な
シンハラ人によるタミル人への暴動(
7月暴動、
黒い7月)が起き、
LTTEは分離独立運動を活発化していく。
当初劣勢だった政府軍は、装備の充実に努め、
1987年までにはLTTEを北部のジャフナに追い詰めることができた。しかし、ここで親タミル的な
インドが介入し、タミル人に物資を空中投下し、スリランカ政府に
停戦の圧力を加えた。当時のスリランカ大統領ジャヴェロデンは、これに激怒し一時は
宣戦布告も考えたが、結局交渉に入った。交渉での合意に従い、タミル人には自治権が与えられ、武装解除の義務を負うこととなった。停戦の監視には、インド平和維持軍(IPKF)が当たった。
停戦後、平和が訪れたかに見えたが、今度はシンハラ人民族主義者がテロ活動を展開した。LTTEも、これを好機と見て武装闘争を再開した。平和維持軍を自任するインド軍は、LTTEに対して大規模な行動に出ることに決め、
1988年5月には5万5千人の部隊をスリランカに駐屯させた。
1989年、ラナシングフ・プレマダサが大統領に当選した。彼は、大きくなりすぎたインドのプレゼンスを排除するために、LTTEとの交渉を再開した。休戦が発表されると、インド軍の存在意義はなくなり、スリランカ政府の執拗な要請の下、
1990年3月にインド軍は撤退した。同時にプレマダサは、シンハラ人民族主義者を葬ることに決め、彼の命令により野党、統一国民党の支持者4,500人が殺害され、同党は壊滅した。この間、LTTEもテロ活動を再開し、
1991年5月21日には元インド首相
ラジーヴ・ガンディーを、
1993年5月1日にはプレマダサ大統領を
暗殺した。
2000年以降は
ノルウェーの調停で停戦していたが、LTTEの爆弾テロが止まらなかったため
2006年にスリランカ軍が北部拠点の空爆を開始、政府は停戦破棄を否定したがLTTEは停戦崩壊を宣言した。これを受け政府側も
2008年1月3日にノルウェー政府に対し停戦破棄を通告、同16日に失効した。
年表
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1972年 - ヴェルピライ・プラブハカランによりTNT結成。
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1975年
5月5日 - TNTを母体にLTTE創立。
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1978年
7月 - スリランカ政府により非合法組織として活動を禁止される。
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1983年
7月23日 - ジャフナにて地雷によるテロ。政府軍兵士13人を殺害。
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1985年
4月 - イーラム人民革命解放戦線(EPRLF)、タミル・イーラム解放組織(TELO)、イーラム革命学生組織(EROS)とともにイーラム民族解放戦線(ENLF)を形成。
- 1985年5月14日 - 仏教の聖地、アヌラダープラでシンハラ人146人を射殺。
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1986年
5月17日 - ENLFを実質的に脱退と表明。
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1987年
1月 - 徴税・教育・難民・農村開発等に加えテレビ放送・切手発行・交通裁判等の行政を担当すると発表。独立を宣言する。
- 1987年4月21日 - コロンボで爆弾テロ、約150人が死亡。
- 1987年5月19日 - 政府軍が建物を軍事施設化しないよう、ジャフナ図書館・野天劇場を爆破。
- 1987年9月14日 - インド軍と初の軍事衝突。
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1989年
4月15日 - 政府との和平会談を受諾、停戦に入る。
- 1989年12月20日 - 選挙管理委員会より政治団体「解放の虎人民戦線」(PFLT)として認定を受ける。
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1990年
4月12日 - 北・東部州での徴税中止。
- 1990年6月7日 - バブニヤで政府軍と衝突。停戦が破られる。
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1991年
5月21日 - 自爆テロにより元インド首相ラジーヴ・ガンディーを暗殺。
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1992年
11月17日 - 自爆テロにより海軍司令官クランシ・フェルナンドを暗殺。
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1993年
5月1日 - ラナシング・プレマサダ大統領を暗殺。
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1994年
10月24日 - 大統領候補ガミニ・ディッサナヤキを暗殺。
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1995年
1月7日 -大統領が国会で「LTTEと暫定停戦で合意した」と演説。事実上の停戦に入る。
- 1995年4月18日 - LTTE、停戦破棄を一方的に宣言。翌19日、2隻の汽船を爆破。
- 1995年10月17日 - 政府軍、ジャフナ半島奪還を目標とする「サンシャイン作戦」を発動。
- 1995年12月2日 - 政府軍、ジャフナを制圧。LTTEは根拠地をキリノッチに移す。
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1996年
1月31日 - 自動車爆弾により中央銀行の建物を爆破、92人が死亡。
- 1996年7月14日 - 列車を爆破、70人が死亡し、約600人が負傷。
- 1996年7月18日 - 政府軍ムライティブ基地を奇襲、制圧。兵士1,200人が死亡。
- 1996年9月29日 - 政府軍、キリノッチを制圧。
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1997年
10月 - LTTE、大規模な反攻作戦を開始。政府軍は各地で敗北、三つの都市と多数の物資をLTTEに奪取される。
- 1997年10月8日 - アメリカ、LTTEを含む30団体をテロリストと見なす公式発表。
- 1998年1月26日 - 政府、スリランカ国内におけるLTTEの活動を非合法化、即日活動禁止。
- 1998年3月5日 - コロンボ・マラダーナ駅付近で自爆テロ、37人が死亡。
- 1998年5月17日 - 親政府派のジャフナ市長(タミル人)を暗殺。
- 1998年9月28日 - キリノッチ、LTTEにより奪還される。政府軍の死傷者は約4,000名に上る記録的大敗となった。
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1999年
9月18日 - シンハラ人の村落(3つ)を襲撃、56人が死亡。
- 1999年11月 - 「絶え間ない波3」作戦でジャフナ半島への攻勢を強化。
- 1999年12月18日 - コロンボでの集会で爆破、15人が死亡。チャンドリカ・クマラトゥンガ大統領は目を負傷。
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2000年
4月23日 - LTTEの総反攻により、エレファント・パス基地陥落。多数の政府軍部隊がジャフナ半島北部に孤立する。
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2000年 - ノルウェーの調停で停戦。
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2001年
7月24日 - LTTEの14名の特攻隊がコロンボ近郊の政府軍空軍基地と隣の国際空港を襲撃し航空機を爆破。戦闘機3機、ヘリ2機、練習機3機、旅客機3機を大破、旅客機3機が損傷した。これにはイスラエルから輸入したばかりのクフィル戦闘機やエアバスA-340が含まれる。国営航空会社「エアランカ」の全12機の半数の6機が一夜で失われた。
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2002年
2月22日 - ノルウェー政府の仲介でLTTEと政府は無期限停戦に合意。
- 2002年9月 - 政府はLTTEの非合法化を解除。タイでの第1回和平交渉を開始した「政治動向」日本貿易振興機構。2003年6月18日の神奈川県箱根の第6回和平交渉までに地方選挙を行なうことで基本合意した。
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2003年4月 - LTTEは政府軍の撤退時期や撤退規模に不満を表明し、第7回和平交渉をキャンセルした。
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2003年
6月9日 - 世界中の70ヶ国代表が東京に集まり、総額45億ドルの支援を決めた「東京宣言」を採択したスリランカ復興支援会議にもLTTEは欠席した。
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2003年
10月 - 米国務省はLTTEを国際テロ組織と指定。
- 2003年12月 - 長年要求していた分離独立を放棄し、連邦制を採用することで政府と合意。
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2004年
12月19日 - スマトラ島沖地震が発生。
- 2004年3月 - カルナ派がLTTEから分離。スリランカ政府の離間工作によるものと見られ、以後政府軍の支援を受けてLTTE中央に対し闘争を開始する。
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2006年
2月22日 - 政府とLTTEがジュネーブで会談し、2002年停戦合意を確認。
- 2006年4月24日 - ジュネーブでの停戦協議予定をLTTEが無期限離脱を宣言。テロ攻撃を開始。
- 2006年 - 政府軍がLTTE北部拠点の空爆を開始。
- 2006年5月29日 - EUはLTTEをテロ組織と指定。
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2007年
1月19日 - LTTEが住民を人間の盾としていた東部バティカロア県ワーカライを政府軍が奪取。LTTEは大量の武器弾薬を遺棄し、東部での支配権をほぼ喪失した。
- 2007年3月26日未明 - LTTEのチェコ製改造軽飛行機2機がコロンボの北35kmの政府軍の「カツナヤカ」空軍基地を初空爆。兵士3人死亡、16人負傷、軍用ヘリ数機損傷、整備棟の一部が損壊。
- 2007年7月 - 政府軍及びカルナ派、東部でのLTTE最後の拠点トッピガラを奪取。東部地域の全域が政府軍の支配下に置かれる。
- 2007年9月 - 政府軍、北部州マナー県への侵攻作戦を強化。
- 2007年11月2日、政府軍によるスリランカ北部キリノッチへの空爆により、LTTEのナンバー2で政治部門トップであり、和平交渉の窓口であったタミルセルバン氏を含む6人が死亡。
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2008年
1月16日 - 政府により2002年停戦合意が破棄され、失効。
- 2008年4月6日、首都コロンボでLTTEのものと見られる爆弾テロにより、ジャヤラジ・フェルナンドプレ高速道担当相を含少なくとも12人が死亡。
闘争形態
奇襲作戦やゲリラ攻撃を得意としている。自爆テロで多くの要人を殺害しており、実行者の中には女性も存在する。LTTEの兵士は、自分自身の生命も、他人の生命も評価していない。
海上部隊は「シー・タイガー」と呼ばれ、2007年中にはLTTEの輸送船への攻撃も含め、スリランカ海軍との
海戦が頻発するなど、両者はしばしば衝突している。
戦闘の本格化に伴い、2007年3月、LTTEは内戦史上初となる改造民間機を投入した航空攻撃を敢行した。近代的な防空システムを持たないスリランカ軍はゲリラ的な空襲に対して有効な対応を取ることが出来ず、低速のレシプロ機による首都爆撃をそのまま見過ごすという失態を演じた。
しかしながら、地上においては政府軍は北部及び東部での戦闘を優位に展開しており、一連の航空攻撃及び無差別テロの激化はLTTEの苦境を示すものではないかとも見られている(2007年3月26日の産経新聞掲載記事より)。
LTTEの新兵は、厳しい教育とイデオロギー工作を受ける。1987年10月、政府海軍に逮捕されたLTTE17人は青酸カリで服毒自殺を図り、12人が死亡している。
一般のタミル人に向けては、例年11月27日(『英雄の日』ヴェラッピライ・プラバハカランの誕生日)にプラバハカラン自身がLTTEの戦闘方針や指導方針について演説している。
カルナ派の分派
スリランカ政府の分裂工作により、LTTEの東部方面司令官だったビニャガマムーシ・ムラリタラン司令官(通称カルナ司令官)ら数百名のカルナ派が分派し、東部地域において抗争状態に陥っている。
同派の闘争形態も母体であるLTTEと同様にテロを多用するもので、
2005年12月25日にはLTTEに近いタミル国民連合(TNA)のジョゼフ・パラジャシンハム議員暗殺事件を敢行したほか、2006年10月5日にAP通信の配信としてライブドアニュースが掲載した記事によれば
2006年中に東部一帯で少年ばかり数百名を自軍に加える目的で拉致し、政府軍もこれを黙認したとされる。
国際的非難
少年兵問題
未成年者を
少年兵として利用していると、
ユニセフや「国連安全保障理事会の子どもおよび武力紛争に関する作業部会」から非難されている。
LTTEの戦闘員は、タミル人の農村から未成年者を強制的に徴兵している。子供を戦争に送りたくない親達は、政府軍の支配地に逃れているが、それでもLTTEの戦闘員はどこからともなく現れ、子供を連れ去っている。子供が就学している場合、卒業後LTTEに入隊することを条件に徴兵を猶予されることもある。
強制的に徴兵された子供達は、LTTEの訓練キャンプで十分なイデオロギー工作を受け、やがて自分をタミル人のための自由の戦士と考えるようになる。そして、今度は自分が子供達を兵士に勧誘する立場になる。
未成年者の徴兵は、タミル人内部でも批判の声があり、
1990年代から子供を取られた両親や人権擁護組織は、子供達の返還を要求し始めた。1998年、
国連の特別監視団がLTTEの支配地を訪問したが、LTTEは17歳未満の子供を徴兵していないと請け負った。しかしながら、両親達はこのことを信じておらず、LTTEの支配地から逃れることを選んでいる。
出典
参考文献
- 石井貞修「セイロンにおける言語問題の政治的展開」『アジア近代化の研究』アジアエートス研究会、1969年
- アジア経済研究所編『アジア動向年報』
- 川島耕司『スリランカと民族:シンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団』明石書店、2006年
- 毎日新聞外信部編『図説 世界の紛争がよくわかる本』東京書籍、2004年
- サマン・プリヤンカラ「スリランカにおける反グローバリゼーション―労働者・学生・市民の共同闘争が民営化を阻む」『共産主義運動年誌』第3号、『共産主義運動年誌』編集委員会、2002年
関連項目