ソウル特別市 [Seoul] [被リンク数: 1235]

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ソウル特別市(ソウルとくべつし)は、大韓民国首都

概要

元は京畿道に属したが、1946年に独立し「特別市」となる。韓国にはソウル特別市のほか、6つの広域市が存在し、日本政令指定都市に相当するといえるが、特別市・広域市とも行政道には所属せず、独立した自治体として運営されている。
朝鮮500年の王都で、四神相応の思想によって建てられた。なお「ソウル」は、新羅で「みやこ」を意味する「徐伐(ソボル)」が転訛した固有語である等、諸説いろいろあるがはっきりした語源は分からない。また、漢字表記(漢城・漢陽・京城など)の変遷に関わらず、古来朝鮮民族はこの地を「ソウル」と呼んできたとも言われているが、これも必ずしも確証があるわけではない。いずれにせよ、「ソウル」は朝鮮語固有の単語であるため漢字表記は無く、通常はハングルのみで表記する。
気候亜寒帯冬季少雨気候で降水量が少なく、内陸性気候傾向を示す。
ソウルの人口は韓国の経済発展に伴って急増を続け、1975年の680万人から1990年には1061万人にまで到達した。しかし翌年の1092万人をピークにその後は微減傾向が長く続いている。これはドーナツ化現象が進んだためと見られ、日本の東京が高度経済成長に伴って急速に拡大し、その後都心部の人口が減少していったことと状況が極めて良く似ている。ただ都市圏そのものは現在も拡大を続けていて、既に韓国全国民のおよそ5分の1がソウル市民、およそ半分が首都圏在住という状態になっており、日本以上の首都一極集中が進んでいる。

歴史上の名称

漢陽・漢城

「漢陽(ハニャン)」は新羅の時代から使われた名称で「陽」がの北側を意味することがあって、「漢水(漢江)の北側の土地」の意味でつけられた地名だったが、高麗初期に楊州と改められた。高麗文宗代に南京となり留守が置かれる。忠烈王代の1308年に「漢陽(府)」の名称に復帰するが、李氏朝鮮建国後の1395年「漢城(ハンソン)」に改称された。中国台湾など中国語を使う国では、「ソウル」に相当する漢字表記がないこともあり、長らくソウルのことを(旧名で)漢城といい、仁川国際空港近辺などの韓国の道路交通標識にもハングルと併記で「漢城」と表記されていた。ただし、新表記の「首爾(ショウアル)」(後述)が制定されたことに伴い、徐々に状況は変化している。

京城

「京城」(日本語読みで「けいじょう」(歴史的仮名遣では「けいじやう」)、朝鮮語(韓国語)読みで「キョンソン」)は日本統治時代1910年 - 1945年)に使われた名称である。韓国併合前から使われたソウルを指す名称の一つ(併合以前の韓国側史料の中にも数多く見受けられる)。1910年(明治43年)9月30日に公布・施行された朝鮮総督府令第7号(地方官官制第十七条ニ依リ府及郡ノ名称及管轄区域左ノ通定ム)に基づいてそれまでの「漢城府」から「京城府」となった(「府」は日本内地(日本本土)でいうところの「市」に相当)。実際には1945年以降も数年間使われている。独立後の韓国では、反日・克日的な意識の強まりと共に「京城」は日本によって植民地時代に強制的に変えさせられた名称と見なされて、そのため「改正」されるべき呼称として認識された。一方で、一部の商店や企業名など(京城紡績、現在の京紡)には今なお「キョンソン」の名称が残っている。しかし、これらの名称はこれらの企業がソウルが京城と呼ばれた時期に創業されて、企業名に当時の呼び名を当てられたが、その企業名が既に定着して、あえて名称を変えなかったことにもよる。朝鮮日報の場合と同じだと考えられる。また、京釜線京義線京仁線京元線京春線といった鉄道路線名の「京」も「京城」から取られていると思われがちだが、これらの路線名は日本の統治時代前に付けられたものもあり、「京城」の名称よりも「みやこ」の意味からつけられたと見るのがのが妥当だと思われる。ただし、「京釜高速道路」「京仁高速道路」などは独立後に命名されたものであり、ソウルと仁川の周辺を指す「京仁地域」も独立後に発生した地域呼称である。

ソウルの漢字表記

現在、中国語を母国語とする地域ではソウルを表す漢字として「首爾 (
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[div type="inline-error-src"]現在、中国語を母国語とする地域ではソウルを表す漢字として「'''<span lang="zh-hant">首爾</span>''' (<span style="font-family:{{IPA fonts}},sans-serif">Shǒu'ěr</span>) 」(簡体字「'''<span lang="zh-hans">首尔</span>'''」)が使われている。[/div]
かつては「ソウル」に相当する漢字表記は無く、長らく中国語圏では「漢城(ハンソン)」(簡体字「汉城」)と表記されていたが、ソウル特別市庁は2005年1月18日から「ソウル」の中国語(漢字)表記を「首爾 (
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[div type="inline-error-src"]かつては「ソウル」に相当する漢字表記は無く、長らく中国語圏では「<span lang="zh-hant">漢城</span>(ハンソン)」([[簡体字]]「<span lang="zh-hans">汉城</span>」)と表記されていたが、ソウル特別市庁は[[2005年]][[1月18日]]から「ソウル」の中国語(漢字)表記を「<span lang="zh-hant">首爾</span> (<span style="font-family:{{IPA fonts}},sans-serif">Shǒu'ěr</span>) 」(簡体字「<span lang="zh-hans">首尔</span>」)と定めた。[http://english.seoul.go.kr/today/news/newsclip/1216784_3675.html] [http://j.peopledaily.com.cn/2005/01/21/jp20050121_47008.html] それに伴い[[中華民国|台湾]]と[[香港]]の新聞とニュースは「<span lang="zh-hant">首爾</span>」と改めた。[[中華人民共和国]]では[[2005年]]中頃から[[中国青年報]]などのメディアや[[中国南方航空]]などの航空会社で「<span lang="zh-hans">汉城</span>」から「<span lang="zh-hans">首尔</span>」へと表記を改め始め、10月には中国政府も「<span lang="zh-hans">首尔</span>」表記への変更をした。民間や政府の使用が始まったことで、中国語圏では「<span lang="zh-hant">首爾</span>」が使われている。[/div]

歴史

主要記事:History of Seoul
・勤政殿]]
古くは百済の都・漢城が置かれており、隣接する河南市にある遺跡からは多くの遺物が出土している。西暦475年高句麗軍によって陥落すると、百済は熊津(公州)に遷都し、統一新羅時代には漢山州と呼ばれ、757年には漢州の漢陽郡に改められた(中原京が小京として漢州の下に設けられた)。高麗時代には市域の北部は楊州、南部は広州と呼ばれ、1067年には三小京のひとつである南京が置かれた。1392年高麗の将軍・李成桂が威化島回軍によって政権を奪取し、1394年には開京(現・開城)から漢陽遷都を決行した。翌1395年に漢陽府は漢城府に改称され、これ以後、漢城(ソウル)は500年に渡って李氏朝鮮の都となる。李朝末期の時点では市内が5部49坊に細分化されていた。
1910年日韓併合後、漢城府は京城府に改められ、日本の植民地政府である朝鮮総督府が置かれた(この場合の府は内地(日本本土)では市に相当する)。その後都市化の進行に伴い、1936年には周辺地域を併合して府域を4倍に拡大し、1943年には人口急増のため区制が導入されている(7区=龍山区東大門区城東区西大門区永登浦区鍾路区中区。なお、翌1944年に周辺を併合し麻浦区誕生)。朝鮮総督府の支配下で現在の景福宮光化門・ソウル市庁舎近辺は政治・行政の中心、現在の明洞近辺は経済・商業の中心、龍山は軍事の中心(現在の在韓米軍基地旧日本軍駐屯地)となった。また京畿道の道庁所在地でもあった(現在京畿道庁は水原市に移転している)。
1945年8月15日の「光復」後しばらくの間は、「ソウル」・「漢城」とともに「京城」の名称も使われていた。1945年9月から発行された在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁公報の場合、英語版では一貫して「Seoul」だけが使用されているが、日本語版には「京城」と「ソウウル」が混在、朝鮮語版でも「京城」と「서울」が混在する(「ソウウル」・「서울」の初出は10月8日)。その後、米軍政下の1946年8月15日に「ソウル市憲章」が発表され、その第1章第1条で「京城府をソウル市と称し、特別自由市とする。」と正式に規定された。しかし、この憲章には法的効力がなかったため、同年9月18日に米軍政法令第106号「ソウル特別市の設置」が公布され、その第2条で「ソウル市を朝鮮の首都としての特別市とする。ソウル市は道と同等の職能と権限を有する。」とされ、同法令第5条の規定により9月28日に京畿道の管轄から離れて「ソウル特別市」が設置された。大韓民国が独立した1948年には、「ソウル特別市」は韓国の首都となった。1950年6月に勃発した朝鮮戦争で市内は破壊され、韓国の首都は釜山臨時首都に移転した。停戦実現後1953年8月1日にソウルへ還都している。その後、韓国の高度経済成長とともに発展を続けて市域を拡大、1988年のソウル・オリンピック(韓国では88=パルパル=オリンピックということも)で名実共に国際都市となった。
市庁の庁舎は日本統治時代からの古い建物を使っているが、隣接して新しい庁舎の建設工事を行っており、2009年に完成する予定になっている。新庁舎完成後は、従来の庁舎を2010年までに公共図書館として活用する案が推進中である。
市内の昌徳宮宗廟世界遺産に登録されている。

地理

とソウルの夜景]]
最高峰北漢山をはじめとした500m前後の標高の山々や丘陵が囲む盆地構造。外敵からの攻撃を妨げやすい地形であることもこの地が古くから発展した理由の一つである。広州山脈の道峰山、仁寿峰、露積峰の3峰が北漢山に次ぐ標高である。
漢江が市の中心を横切るように流れ、南北に隔てられた地域をそれぞれ江南、江北と呼ぶ。古くから発達したのは江北であり、宮殿や城壁などの史跡は江北に集中している。一方江南は新興住宅街として開発され、またオリンピック関連施設も江南に多く建設された。古くは舟が南北を繋ぐ交通手段であり、トゥクソムと麻浦が代表的な河港であった。他に鷺梁、松坡なども船着場として知られ名残を残している。近代以降は各所に橋梁が架けられ、交通手段としての船は廃れたが、遊覧船が市民や観光客に親しまれる。中州、汝矣島には国会などの重要施設や広大な公園がある。古くは蘭芝島や蚕室なども中州であったが、埋め立てや河の流れの変化により完全に陸続きとなっている。
]] 漢江以外では江北を流れる清渓川(チョンゲチョン)が知られる。日本統治時代から流域周辺には人々が集中し始め清渓川を含め流域の井戸水など水質悪化が問題となっていたのは当時の朝鮮総督府の水質試験所のデータからも明らかで、その当時から暗渠化の計画はあった。朝鮮戦争後の混乱期にバラックが川沿いに建設されてスラム化が進行し、著しく水質が悪化したため暗渠とされ、その上には清渓川路と清渓高架道路が建設された。高架道路の老朽化が問題となった2002年に、「高架撤去、清渓川再現」を掲げた李明博がソウル市長に当選、2005年10月に完工し、景観もさることながら、川を復元するという珍しい工事に加え、気温に良い影響を及ぼすなど世界的に注目されている。 但し、以前の姿を復元する訳ではなく、光化門交差点付近から漢江までの一部を近代的な親水公園のようにしたものである。水は主に漢江からの水を放流しており、一部は地下から湧き出る水も利用している。

地域

リトル東京

漢江の岸辺にある竜山区二村洞(イチョンドン)はソウル在住日本人、特に駐在員が数多く住む地域であり、「ソウルのリトル東京」とも呼ばれる。通常この地域は東部二村洞(トンブイチョンドン)と呼ぶ。韓国鉄道・地下鉄4号線二村駅が最寄駅。
北には在韓アメリカ軍の龍山(ヨンサン)基地が広がり、ソウル中心部とは比較的孤立した地域で静かな高級団地が数多くある。もともとアメリカ軍基地が近かったことから二村洞付近には外国人居住者が多かったが、日本人の居住は日韓国交正常化以降、特に70年代に入り日本大使館員や商社駐在員などが住み始めた。但し、もともと日本統治時代から日本人が多く居住していたのはこの地域である。上記アメリカ軍基地も元々は旧日本陸軍朝鮮軍司令部をそのまま転用したものであり、この地域には日本統治時代の日本風建物が今なお多く存在している。
外国人が居住することから不動産価格が高騰し、敷金が殆どない場合では同地域の団地の入居には最も安くても月家賃が200万ウォンをくだらない。日本の食材を売る日本人向けの各種商店はもちろん、居酒屋、銀行には日本人専用窓口があり、幼稚園には日本人クラスまである。(ただし日本人専用窓口は二村洞が初めてではなく、最も早くできたのは旧ソウル銀行=後にハナ銀行に合併=鍾路5街支店である。二村洞にあるものはこれをまねた。)
最近では、ソウル日本人学校のある開浦洞周辺などの江南地区や政府中央庁舎付近の再開発地区など日本人が居住する地域も分散化しつつある。

ソウル日本人学校

江南区開浦洞(韓国鉄道・盆唐線開浦洞駅そば)に所在するソウル日本人学校公式ページ )は1972年に設立され、幼稚部、小学部、中学部の生徒403人(2004年)が在学する。運営はソウルの日本人会組織であるソウルジャパンクラブ (SJC)が行っている。

観光地

による焼失前の崇礼門]]

繁華街

]]

行政区画

読み、各種表記は大韓民国の地方行政区画を参照のこと

隣接している自治体

読み、各種表記は大韓民国の地方行政区画を参照のこと

経済

は、淸凉里・竜山・ヨンドンと共に数えられるソウルの4大副都心圈の一つで、最も早くから副都心圈を形成した。]] サムスンLGヒュンダイと、世界的な企業の本拠地としてソウルは成長を遂げてきた。国際的な銀行としては、シティグループHSBCみずほの支店が置かれており、韓国外換銀行もここに所在する。ソウルの面積は韓国全土の面積に対して0.6%でしかないものの、全人口の25%が集中するソウル一極集中のもと、国全体のGDPの21%をも生み出している。

交通

空港

  • 金浦国際空港(江西区に所在。国内線中心で一部国際線が発着する。)
  • 仁川国際空港(ソウル市内にはないがソウルの中心国際空港として機能する。)

鉄道

ターミナル駅

の直前に位置する、ソウルの表玄関ソウル駅]]

広範囲な連絡

ソウル特別市内、および近郊との連絡

]]

バス

  • ソウル高速バスターミナル
  • セントラルシティーターミナル
    • 高速バスターミナルの嶺東・湖南線ターミナル部分。
  • 東ソウル総合ターミナル
    • 高速バスの一部と市外直行バスが発着し、近距離から中距離のバスが多く発着する。
  • ソウル南部ターミナル
    • ソウル市内で一番規模が小さい市外バスターミナル、主に地方の小さな町へ行く市外バスが中心に発着する。
  • 上鳳ターミナル
  • 都心空港ターミナル
    • 仁州・金浦空港行きノンストップ空港リムジンバスターミナル。チェックインカウンターがある。
  • ソウルシティツアーバス(観光向け路線バス)

高速道路

施設

行政施設

官邸青瓦台]]
  • 青瓦台
  • ソウル市庁
  • 行政機関では文化観光部等が所在している。
  • 大法院や大検察庁、ソウル中央地方裁判所等の法務機関は瑞草区に所在している。

教育施設

博物館・美術館・記念館

  • 韓国国立中央博物館
  • 戦争記念館
  • 安重根記念館
  • 澗松美術館

スポーツ施設

朝鮮民主主義人民共和国との関連

ソウルは地理的に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との軍事境界線38度線)まで約60kmの位置にあり、市内を横切る漢江の上流(北漢江)も朝鮮民主主義人民共和国統治区域に源を発している。このため、全斗煥政権は朝鮮民主主義人民共和国が漢江上流に建設した金剛山ダムはソウルの水攻めを狙ったものではないかと分析し、その下流に平和ダムを建設した。但し、この措置は国民の恐怖感を煽り独裁統治の正当化を図る方便であったのではないかとの指摘もある。
また、軍事境界線に近いため、朝鮮民主主義人民共和国のスカッドミサイルや長距離砲の射程範囲内にあるなど、防衛上の弱点が指摘されている。
なお、朝鮮民主主義人民共和国は憲法で1972年までソウルを形式上の首都と定めていた。

行政首都の移転

2004年 7月5日には忠清南道燕岐郡公州市に跨る地域に行政首都を移転することが内定したが、同年10月21日憲法裁判所でこの決定を慣習憲法の違反とする判決が出たため、憲法改正がなされない限り完全な首都移転は行われないことになっている。現在は行政部門の一部を移転させる方向で検討が進められているものの、一向に捗っていない。

姉妹都市

ソウル特別市は22の姉妹都市を有している。バンコクは最も新しく姉妹都市となるhttp://english.seoul.go.kr/gover/cooper/coo_02sis.html

関連項目

外部リンク

公式
観光
その他
* そうるとくべつし そうる そうる
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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